ブリコラージュ@川内川前叢茅辺
書
揺動する心
-初めて出合ったハンマースホイ (1)-
純化する表現と透明な時間
-
初めて出合った
ハンマースホイ (2)-
闇を超克する、その機制
-セガンティーニをめぐる戸惑い-
借用本のための抜き書きメモ
ジル・ドゥルーズ
『スピノザ 実践の哲学』
ミシェル・フーコー
『監獄の誕生
―監視と処罰―
』
ミシェル・フーコー
『知の考古学』
『ミシェル・フーコー思考集成 VIII』
(1879-81 政治/友愛)
スラヴォイ・ジジェク
『ポストモダンの共産主義』
ジョルジュ・バタイユ
『ニーチェの誘惑』
アントニオ・ネグリ
『さらば、“近代民主主義”』
アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート
『マルチチュード』 (上)
アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート
『マルチチュード』 (下)
ジュディス・バトラー、エルネスト・ラクラウ、
スラヴォイ・ジジェク
『偶発性・ヘゲモニー・普遍性』
スラヴォイ・ジジェク
『身体なき器官』
前田愛
『都市空間のなかの文学』
吉見俊哉編
『カルチュラル・スタディーズ』
マックス・ウェーバー
『職業としての政治/職業としての学問』
北田暁大
『責任と正義』
リベラリズムの居場所
ジュディス・バトラー
『
触発する言葉
』
言語・権力・行為体
北田暁大
『広告都市・東京』
その誕生と死
エリザベス・ヤング=ブルーエル
『
なぜアーレントが重要なのか
』
ハンナ・アーレント
『
イェルサレムのアイヒマン
』
悪の陳腐さについての報告
ジュディス・バトラー
『
生のあやうさ
』
哀悼と暴力の政治学
森達也
『東京番外地』
ガーヤットリー・チャクラヴォルティ・スピヴァク
『
サバルタンは語ることができるか
』
エドワード・W・サイード
『
オリエンタリズム
』
フランツ・ファノン
『
黒い皮膚・白い仮面
』
ジュディス・バトラー
『
ジェンダー・トラブル
』
ユルゲン・ハーバーマス
『
法と正義のディスクルス
』
吉見俊哉・若林幹夫編著
『
東京スタディーズ
』
ジャック・デリダ
『たわいなさの考古学』
コンディヤックを読む
ジャック・デリダ
『
パッション
』
仲正昌樹
『
ポスト・モダンの左旋回
』
ジャック・デリダ
『歓待について』
パリのゼミナールの記録
アラン・バディウ
『ドゥルーズ』
存在の喧噪
仲正昌樹
『
今こそアーレントを読み直す
』
大澤真幸
『美はなぜ乱調にあるのか』
社会学的考察
大塚英志
『
「伝統」とは何か
』
大澤真幸
『逆説の民主主義』
格闘する思想
ジャック・デリダ
『
火ここになき灰
』
大澤真幸
『
不可能性の時代
』
ヴァルター・ベンヤミン
『
複製技術時代の芸術
』
小熊英二、上野陽子
『〈癒し〉のナショナリズム』
草の根保守運動の実証研究
西谷修、酒井直樹、遠藤乾、市田良彦
酒井隆史、宇野邦一、尾崎一郎
トニ・ネグリ、マイケル・ハート
『
非対称化する世界
』
『〈帝国〉』の射程
ローザ・ルクセンブルク
『
獄中からの手紙
』
ゾフィー・リープクネヒトへ
西部邁、中島岳志
『
保守問答
』
毛利嘉孝
『
ストリートの思想
』
転換期としての1990年代
ギー・ドゥボール
『
スペクタクルの社会
』
ギー・ドゥボール
『
スペクタクルの社会についての注解
』
椹木野衣
『
日本・現代・美術
』
加藤典洋
『
可能性としての戦後以後
』
カール・ヤスパース
『
戦争の罪を問う
』
テオドール・W・アドルノ
『
ヴァルター・ベンヤミン
』
ヴァルター・ベンヤミン
『
ドイツ悲劇の根源
』
酒井忠康
『
早世の天才画家
』
日本近代洋画の十二人
中野淳
『
青い絵具の匂い
』
松本竣介と私
宇佐美承
『
求道の画家 松本竣介
』
ひたむきの三十六年
松本竣介
『
人間風景
』