ブリコラージュ@川内川前叢茅辺 <書 抜き書きメモ17>

北田暁大
『広告都市・東京
――その誕生と死
廣済堂出版、2002年

第一章 『トゥルーマン・ショー』の広告論

資本の論理とは、時間的・空間的な差異を利用(または創出)して、共同体のなかに「他なるもの」を持ち込み、そのことによって資本の自己循環(交換過程・流通過程)を成り立たせる運動の論理なのである[注1]。 (p. 19)

[注1]「〈資本主義〉は-その経済的な規定を超えた一般的な社会システムとして捉えた場合の資本主義は-、その内部のメンバーがより包括的な経験可能領域の獲得を指向して展開する競争によって定義される。」(大澤真幸「資本主義/民族化」(栗原他編『越境する知 第四巻〈装置〉』東京大学出版会、2000年) (p. 197)

……資本が究極の目標とする差異は、空間的・時間的なものに限定される必要はない。実際、資本主義が成熟すると、空間的な差異(地域差)、技術上の差異(時間差や機能差)はじょじょに意味をなさなくなってくる。…… 資本システムを駆動させる差異が、空間的・時間的なものから離脱し、広告によってもたらされるイメージ的・記号的なものとなっている社会のことを、社会学では「消費社会」(consumer society)と呼んでいる。(p. 20)

私たちの日常は、広告か広告でないか判然としないような情報で溢れかえっているし、広告的要素を差し引いたらなにが残るかわからないような都市の風景のなかに私たちは生きている。「トゥルーマンは、自分が広告になっていることを知らないが、私たちは自分が広告ではないことを知っている」というのも怪しい。デザイナーズ・ブランドの服に身を包み、有名百貨店の紙袋を提げて街を闊歩するとき、私たちはまさしくサンドイッチマンとして「広告している」のではないか? 広告の幽霊にとりつかれた私たちは、都市空間を彷徨するだけでつねに「一平方メートルごと、一時間ごとに」「場所代を支払」ってしまっているのである。 (p. 25)

「脱文脈性=メディア寄生性」というのは、おおよそ次のようなものである。
広告は、みずからが現れる場所・舞台(文脈)をけっして固定することなく、つねに新しい居場所を模索し、様々なメディアと表象のジャンル(新聞・雑誌・演芸・文学・音楽・ゲーム……)を横断する。広告は制度化された特定の表現形態を持たず多様なメデイアに寄生しながら、日常世界の秩序だった文脈を乱し続ける。(p. 32)

……西部-セゾン・グループの文化戦略は、七〇年代末から八〇年代にかけて、渋谷という都市空間において最高潮に達する。そこでは渋谷という都市そのものがパルコによってラッピングされ、そのままパルコの広告となる。いわば、シーヘヴンとしての渋谷の構築だ。……
しかし周知のように、バブル崩壊以降セゾン・グループは失調し、縮小化を余儀なくされる。「都市のシーヘヴン化」というセゾンの欲望は、身も蓋もない資本の論理によって禁じられてしまったのだ。……『トゥルーマン・ショー』は消えゆく八〇年代の渋谷を九〇年代において再現したのだ――そんなふうに考えることもできなくはない。 (p. 46)

第二章 〈八〇年代〉渋谷の神話と構造

東武東上線・西武池袋線・国鉄山手線が乗り入れ、北部郊外と都心を結ぶターミナル都市として発展を遂げていた池袋では会ったが駅の間近のそびえていた東京拘置所(東京プリズン)の残像が、完全に消え去るまでにはまだ数年の年月が必要であった(サンシャイン60の関性は七八年)。池袋パルコがいかに〈文化〉を醸し出す仕掛を用意し「池袋自体のショッピング魅力を増大させ」ようと苦心しても、池袋という都市のリアリティは、駅とプリズンのあいだに散在する旧ヤミ市露店街(ひかり町通り、美久仁小路、栄町通り、人世横丁)が醸し出す「いかがわしさ」のほうにあったのである。 (p. 66)

広告=都市・渋谷においては、都市を歩くことがイコール広告を受容すること、渋谷という広告〈舞台〉の役者(パルコや東急の共犯者)となることを意味する。…… 〈八〇年代〉とは、「“日常性からの脱出”が演出され、人間性を甦らせる装置」としての都市空間が、アドバタイジングの前衛的な舞台として発見・創出されていく、そんな時代だったのである。(p. 72)

〈八〇年代〉を覆う巨大な言説の地平――それを形成していたのは、「文化記号論」という分析スタイルと、「消費社会論」と呼ばれる社会診断の図式であった。(p. 76)

〈八〇年代〉を覆う巨大な言説の地平――それを形成していたのは、「文化記号論」という分析スタイルと、「消費社会論」と呼ばれる社会診断の図式であった。(p. 76)

……あまたありうる文化記号論の応用事例の一つとしてたまたま広告があったというのではなく、むしろ、記号論的な論の組み立て方そのものが、〈八〇年代〉的な広告のあり方(構造)と適合していたと考えるべきだろう。その意味で、日本記号学会の設立(八〇年)に始まり、浅田彰『構造と力』(八三年)や中野収『気になる日とのための記号論入門』(八四年)のベストセラー化をもって頂点に達していた「記号論ブーム」と、糸井重里、川崎徹といったコピーライターの突出に象徴される「広告ブーム」とが、同時期に折り重なっていったことにはなんの不思議もなかったといえる。〈八〇年代〉の広告と記号論は、その深層において自らを成り立たせる骨組みを共有していたのである。(p. 80)

生産者は広告という意味装置を用いてモノに過剰な意味とイメージを付加し、消費者はそのイメージ、意味が作りだす微少な差異を求めてあくなき競争を展開する。そこには、モノの使用価値を創造する「生産者」、記号の外部に位置して自らに反省的に向かい合う「私」といった超越者は存在しない。「使用価値」とか「上っ面ではない、本当の私」といった、記号の向こう側にある「実体」「実在」が摩滅し、すべてが「オリジナルなきコピー」によって覆いつくされた経済-社会システム(シミュラークル)。それが、ボドリヤールの言う消費社会なのである。(p. 82)

ディズニーランドが差し出す記号システム(アトラクションや建物)が外部に触れ「自己完結性」を失うことがないようにすること、そして、閉鎖的な記号空間(シミュラークル)のなかでゲストが「与えられた役割を演じていく」ように仕向けていくこと――ディズニーランドとは、「地域がはぐくんできた記憶の積層から「街」を離脱させ、閉じられた領域の内部を分割された場面の重層的シークエンスとして劇場化していく」[吉見俊哉『リアリティ・トランジット』(紀伊国屋書店、1996年)]パルコ的な空間戦略を、もっとも純粋なかたちで実践した「夢空間都市」だったのである。(p. 89)

こうした吉見の「記号論的」な分析は、本来的には……消費社会への批判として提示されたものであった。しかし、同様の記号論的な分析は、吉見的なスタンスの対極にある都市デベロッパーたちによっても展開されていたことに注意しなくてはならない。その一例が、八〇年代半ば、〈ポスト・パルコ〉の空間戦略として西部グループが乗り出した『つかしん』プロジェクトである。(p. 90)

〈八〇年代〉のディスコース・ネットワーク(実践と言説の総体)にあっては、記号論的に社会や都市のディズニーランドかを画策するデベロッパーやアドマンたちの語りと似通ってきてしまう。「記号論」「消費社会論」などの言説は、批判的なものであれ企業迎合的なものであれ、その語り口(方法論の内実)において、〈八〇年代〉よいう巨大な言説と実践のシステムに巻き込まれてしまうわけだ。(p. 93)

広告=都市における〈資本〉の隠蔽は、「資本の論理」を集団的に忘却する〈八〇年代〉の趨勢、コマーシャリズムのみならずジャーナリズム、アカデミズムをも巻き込んだ〈八〇年代〉の言説の文法に沿ったふるまいであったといえるかもしれない。 (p. 96)

自らのたいして向けられるであろう「批判」を先取りし、あらかじめその批判を古くさいものとして記号化しておくという戦略。〈八〇年代〉における諧謔的・アイロニカルな広告文化は、こうした脱力的・アイロニカルな防衛戦略――それは「批判」という超越的・外在的位置に立つふるまいを嘲笑する――を熟成させていた。…… 〈八〇年代〉において、「批判」という立ち位置は徹底して隠蔽・無化されていたのである。 (p. 98)

「資本というリアル」「批判」という外部が構造的に隠蔽されると、広告=都市に内在する人びとは、その外を眺めることができなくなってしまう。つまり、広告=都市が提供する記号から距離をとり、外部に目を向ける起点としての〈私〉が禁じられるのだ。広告=都市が隠蔽する第三の外部、それは、「記号には汲み尽くされない私」という究極の外部=究極の内部である。…… 広告=都市化とは、たんに企業が街をアミューズメント化したと言うだけのkとではなく、都市空間がそこを歩く人びとのアイデンティティ装置として機能するようになった事態のことを指すのである。 (p. 99)

……アイデンティティ装置としての渋谷を歩くとき、人びとに求められるのは、ひたすら従順に〈舞台装置〉や〈台本〉に従うこと、つまり、記号を上首尾に組合せ、他の遊歩者たちの認証を得るという作業である。「記号に還元されない私があるのではないか」などといった問いは、場を〈シラケ〉させるものとして排除されなくてはならない。 (p. 100)

私たちアイデンティティ装置としてのが見てきた広告=都市のあり方も、こうしたパノプティコンの支配様式とほぼ同型のものといえよう。不可視の支配者(資本)は、強制的に「買え」と命ずることなく、さまざまな情報媒体を駆使して人びとのパノプティコン的不安を煽り、自らの意志を貫徹する。そして渋谷を歩く者は、「自分は渋谷らしいか」という不安を和らげるため、『ピア』や『Hanako』のようなメディアから情報を事前に入手し、他の人びとのまなざしに敏感に応答していかなくてはならない。
パノプティコン的な広告空間を創造し、「見られているかもしれない」というパノプティコン的不安にとり憑かれた人びとを不断に再生産していく悪夢的な言説と空間の装置。〈八〇年代〉の広告=都市は、おそらくはそのようなものとして、存立していたのである。(p. 106)

 

第三章 広告=都市の死

……九〇年代「シブヤ系」をリードしてきた『Boon』の「シブヤ・スタイル RULE BOOK」特集が取り上げるのは、明治通り、ファイヤー通り、竹下通り、表参道、代官山などいわゆる渋谷のハズレに位置する小規模雑貨店であり、もはや記号としてのシブヤが、地理空間としての渋谷からゆるやかに離脱・拡散していること、渋谷を訪れる若者が「公園通りの迷路を完全理解」する必要がなくなっていることがうかがわれる。 (p. 123)

……〈ポスト八〇年代〉的なまなざしを特徴づけている最大の特徴は、都市を文学作品やテレビドラマ(テクスト)のように「読む」のではなく、むしろCF(もっとも広告らしい広告)のように「見流す」という態度である。
…… 一昔前に、リモコンを駆使して次々とテレビのチャンネルを変えていく「ザッピング」という視聴形態、いわば番組をCFのようにして観る受容スタイルが話題となったが、都市を見流すまなざしのあり方は、ちょうどそれと同じようなものとして理解することができるかもしれない。彼らは、都市を気まぐれにザッピングしているのだ。そうしたまなざしの変容を都市の側が真剣に受けとめたとき、今度は、広告が都市へと同一化するのではなく、都市空間のほうがCF化するという逆説が生じてくるだろう。じっさい、〈ポスト八〇年代〉の渋谷には、そうした逆説の予兆を見出すことができる。 (p. 128)

広告は、特定のモード(幽霊化)が差異を生みださないことがわかると、すぐさまモードを変更する。…… 記号論的現実が消え去っていくと同時に、広告はいさぎよく記号論的なあり方を捨て去ったのだ。いまや文化村エリアは、安売系大型雑貨店『ドン・キホーテ』のけばけばしい黄色の明かりによって彩られ、ハチ公広場は三つの巨大スクリーンが映像と音声によってCF視聴を強要する広告空間へと変貌している。その風景――整然とした都市空間の文脈秩序を不作法にかき乱すアド・スケープ――に眉をしかめる若者はもはやいない。「外部」を閉ざすシーヘヴンの壁は崩れ去ったのである。
…… 彼らはもはや渋谷という都市に総体的な物語性を求めない。しかい、その乾いたまなざしのありようは、はたして、前節でみた消費社会的-パノプティコン的な支配からたんに「自由」になったことを意味するのだろうか。(p. 135)

社会学者アーヴィング・ゴフマンが指摘したように、近代都市(通勤電車や、駅のホームなどの領域)における基本的なふるまいの作法は、物理的に近い他人にたいして儀礼的無関心(civil indifference)を装うこと、つまり、居合わせた他者にかかわらないことを示すことであった(「電車の中で、知らない人にむやみやたらに話しかけない」というという行動規範のようなものを想定してもらえばいい)。それは、お互いを見知った――つまり公/私領域の境界線が流動的な――伝統的な地域共同体から離脱し、「家庭」「友愛関係」という親密圏と「職場・学校」という公的空間とが分断された近代社会に生きる人びとが身につけた、新たな身体技法である。こうした近代社会(および近代のマスメディアの論理)を支えてきた〈公/私〉領域の峻別に、モバイル-パーソナルなメディアであるケータイは、異議を突きつけずにはいられない。 (p. 148)

……車内ケータイは(ウォークマンと異なり)、それが「うるさい」から批判されたのでもない。むしろ、独白的になされる不気味なおしゃべりが、その場にいる友達どうしのおしゃべりと異なり、容易に他人事として聞き流すことができるようなものではない、つまり、それに対して儀礼的な無関心を装うことが難しいものであったからこそ、激しい反発を受けたのである。(p. 149)

儀礼的無関心を内面化した人びとは、家(私的領域)と会社(公的領域)の狭間に位置する「第三領域」での時間を、たとえば小説や雑誌、マンガ、新聞などのマスメディアを消費することによってやり過ごし、共在する他者との危険な接続を回避するだろう。接続可能な空間(私的・公的領域)と接続不可能な空間(第三領域)を区別し、秩序の社会性にかなった公的領域と私的領域を生きながらえさせること。ゴフマンが気づいていたように、儀礼的無関心とは、フルタイムの仕事と、帰るべき家庭(ホーム)を持つ都市中産階級のイデオロギー的な身体作法だったのである。 (p. 156)

第三領域において人は、公的領域(学校・会社)・私的領域(家庭・地域社会)といった、一定の社会的役割を課してくる秩序の社会空間から解放されつつも、接続の社会性が明るみになりかねない偶発的なコミュニケーションも避ける。ある意味でそこは、自己の内面と向かい合う近代人にとって、社会的役割やコミュニケーションへの圧力から逃れることのできるユートピアとして機能していた(る)のかもしれない。(p. 156)

……ケータイがこのように偏在的な管理装置、つまり「見られているかもしれない」不安を増幅する装置として機能するだけなら、第三の領域は決定的な意味において損なわれたことにはならない(電源を切ってしまえばいいのだから)。問題は、ケータイがつながりの社会性を肥大させ、「見られていないかもしれない」という接続不安を引き起こすことによって、〈空白の時空〉からそのユートピア性を奪い去ることにある。 (p. 158)

ケータイは、ただたんに「私的なものを都市空間へと持ち込んだ」のではなく、秩序の社会性によって覆い隠されていたつながりの社会性を明るみにさせ、第三領域を過剰に社会化された空間、つまり「見られていないかもしれない私」にたえず向かい合わねばならない過剰な儀礼空間へと変容させてしまったのである。 (p. 162)

ジジェクが〈覗かれ〉系サイトに見た脱出後のトゥルーマンの姿、すなわち、「見られていないかもしれない」不安にとり憑かれ、メッセージなきコミュニケーションを反復する身体のあり方は、かくして、ケータイに全面接続された〈ポスト八〇年代〉日本の都市空間に先鋭的に立ち現れることとなる。 (p. 163)

記号的意味(「文化的」「パルコ的」)と空間(パルコ界隈の空間編成)との対応を前提とする広告=都市の原理は、外部を絶えず持ち込んでくるケータイというメディアによって失効を余儀なくされたのだ。 (p. 165)

いまや、あらゆる文化領域において、特定の記号体系(趣味のハビトゥス)を共有し、その内部での差異を競うというサブカルチャーの文法、情報内容のフィルタリングによって共同体の内部/外部を差別化する〈消費社会の論理〉は崩壊しつつあるように思われる。(p. 168)

唯一無比の渋谷性を背負った都市・渋谷は観光客向きの文化的幽霊としてならともかく、もう実在しない。どの郊外都市にもタワーレコードがあり、Q-frontがあり、公園通りがある。それは渋谷や池袋とまったく同じようにコスモポリタンだ。 (p. 170)

いわゆる広告-都市とは、公的でも私的でもない第三領域を浮遊する人びとの身体を、なだらかに記号論的・物語的な空間(資本の意味空間)へと誘導し、消費社会の〈柔らかな〉支配体制を、イメージ生産装置としてのマスメディアを動員しつつ、再生産していくものであった。…… しかし、私たちは、ディズニーランド的なもののなかにこそ、究極的な形をとった空間-メディアをめぐる近代の欲望、すなわちつながりの社会性を秩序の社会性によって隠蔽しうるという不遜な欲望を見いだすべきなのだ。 (p. 177)

この近代的な欲望がもはや果たされえないことを、「脱文脈的=メディア寄生的」な広告の本能は察知しつつある。近代の空間-メディアの編成を広告=都市という形で完成させた広告は、「差異を作り出すためには、手段を選ばない」という、資本の論理に突き動かされる自らの香具師的な本性を貫くためならば、近代的な空間-メディア編成を捨てることさえいとわない。広告、そして資本の論理が、建築学が前提としてきた空間神話や、文学やジャーナリズムが暗に陽に自明視してきたマスメディアの論理との連携をすべて解除し、「イマ-ココにある空間の脱舞台化」と「つながりの社会性」とを結びつける方法を見つけ出したとき、パノプティコン的な支配は終焉し、消費社会は新たな局面(真のポストモダン?)を迎えることになるだろう。 (p. 179)

 

結 広告化せよ! そして広告にあらがえ

……〈ポスト八〇年代〉における広告=都市の瓦解(脱舞台化)は、その信憑が、「空間と意味の対応関係を操作しうる」と考える近代的な空間神話、そして「マスメディアが記号操作を行う」というマスメディア信仰のうえに成り立つ、きわめて近代的なイデオロギーにすぎないことを明るみにだしてしまった。つながりの社会性が肥大化しつつある現代にあって、なおも「都市空間を再編する建築家の社会的責任」を語ったり、「都市を記号化するマスメディアの権力」を指弾したりするのは、実は〈八〇年代〉的な論理にすがっているという点できわめて反動的であるばかりか、批判の的をはずし続けることによりその的=対象を温存させてしまうことにもなる。(p. 189)

もはやだれも渋谷やヴィーナスフォートに物語性を見いだしていないというのに、その「ディズニーランド化」を批判し続けるとすれば、それこそ、批判のアクチュアリティは失われてしまうだろう。私は、批判的言語としての社会学、文化研究(カルチュラル・スタディーズ)がアクチュアリティを維持するためにも、サブカルチャーなるものの実在を前提とした「書を捨て、街に出よ」的な空間神話も、「マスメディアを批判的に解読する」という逆立したマスメディア信仰もきっぱりと捨て去るべきと考える。 (p. 189)

 

あとがき

私は、パルコの渋谷の高揚感も、コギャルたちが闊歩していたセンター街のリアルも知らない。もちろん、いずれも横目には見ていた。しかし、その内的なリアリティ、表層的な批評言語やマスコミの言説では捉えきれない当事者たちの体温のようなものをどうしても感受することがないまま、私は渋谷という空間――レコード店や映画館、クラブといった点的空間――を消費・受容してきたのだった。地理的な遠さでも、心理的な遠さでもない。文化的な体温の感じ取れなさとでもいえようか。とにかくそのような微妙な渋谷への異和が、高校生だった八〇年代から今にいたるまでの私の身体を覆い続けてきている。 (p. 193)

(2011/6/20)