加藤典洋 |
スタートのライン -日の丸・君が世・天皇- わたしはスタートの報がゴールより大事だと思う。スタートの中には無限がある。一番手前からスタートを切る時、わたし達が、一番遠くまでいくことができるのは、そのためである。(p. xii) I 「日本人」の成立 「日本人とは何か」という問いには、「(われわれ)日本人とは何か」という問いと「(かれら)日本人とは何か」という問いと、二つの問いが含まれている。そしてこの二つは、それを問うのが“日本人”である限り、同じではない。ここには、即自・対自的に自己のアイデンティティにかかわってくる「わたし(達)とは何か」と翻訳されうる問いと、対自・対他的に、客観的・普遍的な水準で合理的に問われうる「「日本人」とは何か」という問いとが併存しているが、この両者の間にあるのは、自己の問題を内在的に考えると外在的に考えるといいうる種類の、無視することのできない問いの本質の違いだからである。いわゆる学問的な考察が、この設問に内在している二重性に気づき、これを繰り入れるということをしていないことが、あの日本論、日本文化論、日本人論の二分されたあり方の原因なのである。(p. 13) |
広く、わたし達が「日本人の起源」を考えるようになるのは、モースら明治新政府が招いた「お雇い外国人」が、これを論じるようになってから、つまり明治以降のことである。 II 失言と癋見 -「タテマエとホンネ」と戦後日本- 小熊〔英二〕は、日本人の単一民族説が実は思われているほど古くから日本で語られているのではなく、戦前は植民地支配のもと、蔭にひそんでおり、日本が植民地と植民地人口を失った戦後になって、一挙に前面に現れた、戦後日本に特有のイデオロギーにすぎないと述べた。タテマエとホンネについても、同じことがいえるのではないかというのがわたしの考えである。つまり戦前には、このような「思考様式」は、存在していなかったとわたしは考えている。(p. 112) |
失言には二つの共同性がある。一つは社会的了解の共同性である。これについては、これを公共化することがこれを解体・昇華することになる。しかし、もう一つ、このホンネの共同性がある。この共同性は、語られない(語られればタテマエになる)。公共化されないことが、この共同性の本質であり、これについては、わたし達は、そのカラクリを明るみに出す以外に、解体の方法が、ないのである。 |
タテマエとホンネを批判するのに、このアーレントの公共性の考えをもってくるとして、そこに、すきま風がすぎるような腰高な感じが否めないのは、なぜだろうか。タテマエとホンネという考え方は、なるほど浅薄な劣者の自己欺瞞装置かもしれないが、あの最低の場所、前面屈服の経験から生まれている。それは、ギリシャ人のいうバルバロイ、野蛮人の愚劣な考えかも知れないが、しかし、その愚劣さを通じ、いわば正しい者の正当性がもつ政治性、何が正当であるかをみずから定義する力の非正当性ともいうべきものを逆照しているのである。(p. 180) 「瘠我慢の説」考 -「民主主義とナショナリズム」の閉回路をめぐって- わたし達はこの対項関係の中で、民主主義に外来の普遍的な価値を代表させ、ナショナリズムに土着の特殊固有な価値を代表させている。この二つは、それぞれこうした役割分担を行うことで、戦後についていえば、革新派と保守派の対立を代弁してきた。“代弁”されるその当のものが本来鏡像的な一対の概念であることを反映して、空の入れ物としてその二つを代弁するこの戦後型の対項関係は、これもやはりそれをなぞり、鏡像的一対の対項関係になり終わっているのである。(p. 191) |
たとえば、現在の西欧における民主主義をめぐる問題設定を枠づけているのは先に述べたように民主主義対自由主義という対項関係である。カール・シュミットは、一九二三年に書かれた『現代議会主義の精神史的地位』で、民主主義が民衆に同質性を要求するのに対し、自由主義は異質性を要求すると述べ、両者の対立する所以を明らかにしている。(シュミット-一九二三、二一―二二頁)。また、一九三二年の『政治的なものの概念』では、ヤーコブ・ブルクハルトなどの民主主義観に触れ、民主主義が「国家と社会の間の境界を消し」「すべてを絶えず論議可能かつ変更可能なものとして留保することを欲」する世界観であるのは、政治的なものへの治外法権の領域はないとする国家総動員体制の全体主義への第一歩だという、これもいまのわたし達からして意表をつく見方を披瀝している(シュミット-一九三二,一〇-一一頁)。この点に関しては、政治的立場に置いてシュミットの対極に立つハンナ・アーレントも例外ではない。彼女は一九五一年に書かれた『全体主義に起源』で、民主主義の「条件の平等」の追求が構成員の集団的同質性を高める一方、今度は逆に人種という集団間の異質性を浮上させる結果になったと述べ、シュミットと逆の立場から、やはり民主主義の逆説の根拠を、こう説明している。(……)(アーレント-一九五一,一〇一-一〇二頁)。(p. 197) |
西欧の文脈に照らすなら、この福沢の「立国は私なり、公に非ざるなり」には、すべてのもとにあるのは「力への意志」であり、世界解釈はその結果にすぎないという、ニーチェ的な響きがある。(p. 220) チャールズ・ケーディスの思想 |
III 二つの視野の統合 -見田宗介『現代社会の理論-情報化・消費化社会の現在と未来』を 冷戦構造における社会主義陣営の依拠した「資本主義の基本的矛盾」は、恐慌の必然性という論理を支柱としていた。「拡大しつづけることでしか存続しえない資本主義的な生産力が、市場(需要)の有限性の前に、周期的に破綻するほかはない」という論理である。しかし、資本主義体制は、その後、消費者の欲望を喚起することを通じて、需要の根拠を消費者の「必要」から「欲望」にシフトし、この「市場の有限性」を変えることで、この限界を突破する。これにより、古典的な資本制システムの前に、システムではどうすることもできないその「外部」として現れていた「市場」は、その「内部」にくり込まれることになる。以後システムは、自分で市場(需要)を創出し、自給自足の体制を確立する、つまり、自己準拠化する。(p. 260) 戦後的思考の原型 ―ヤスパース『責罪論』の復刊に際して- かつて江藤淳は占領軍による日本の言論統制を「不当」と考え、その結果、日本の言説空間は骨抜きにされたという占領政策批判を行った。ここにあるのはそれとちょうど逆の認識であり姿勢である。ヤスパースによれば、非占領国民である自分たちに言論の自由がないのは当然である。本書の分類する罪の概念でいえば、これは敗戦国の「政治上の罪」に該当している。この罪を裁くのは「戦勝国の権力と意思」であり、いやしくも生を賭した国家間の実力行使である戦争で負け、しかも生き残ることを選んだものは、それがどのようなものであれ、「戦勝国の権力と意思」が定めるこの罪を甘受しなければならない。 |
ヤスパースの中では、いってみれば丸山が美濃部に肩車されて立っている。そこに対話があり、関与がある。その対話と関与に、その結果として、生き生きした「ねじれ」と「開口部」のあることが、ヤスパースの戦後に切り開いた新しい思想の地平だったのである。 (p. 317) (2012/3/24) |