ブリコラージュ@川内川前叢茅辺 <書 抜き書きメモ21>

森達也
『東京番外地』

新潮社、平成18年

第一弾 要塞へと変貌する「終末の小部屋」――葛飾区小菅一丁目

でもこれだけは書いておきたい。素顔の広瀬憲一は、とても聡明で心優しい男だ。争いの絶えないこの世界をどうしたら変えられるのか、どうしたら人々が幸せに暮らせる世界を実現できるかを彼は考え続け、そしてオウムに入信し地下鉄にサリンを撒いた。結果としてその決断は明らかな過ちだった。彼の行為はもちろん重大な犯罪だ。でもその行為に至る意識には、人の命を奪いたいとか苦しみを与えたいとかの悪意は一片も介在していない。良かれと思う善意なのだ。(p. 20)

人は人を裁くとき、自分たちが帰属する共同体の規範と法という名の正義を規準に、その罪の重さを決めて刑を執行する。でも人を殺すのは悪意だけじゃない。むしろ善意や正義のほうが、後ろめたさを伴わないぶん大量に人を殺す。虐殺や戦争はそんなメカニズムで発動する。彼らは特別な男たちじゃない。僕自身であり、僕の父であり、僕の息子かもしれない。だからこそ戦争はこの世界から絶えない。だから僕は逡巡する。(p. 21)

 
第二弾 「眠らない街」は時代の波にたゆたう――新宿区歌舞伎町一丁目

客席に座る男たちの年齢層は様々だ。「もっと遅くなれば酔っ払いが多くなります」と土屋が言う。舞台上手のかぶりつきでは、大学を退官したばかりの教授といった雰囲気の初老の男性が、隣の土建屋の社長といった雰囲気の中年男と並んで、すぐ目の前で足を広げる彼女の股間を食い入るように見つめている。(p. 29)

阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件を契機にして日本社会に芽吹いた危機管理意識は、その後もずっと、この社会を内側から揺さぶり続け、少しずつ変えていった。見知らぬ他者への不安と恐怖は社会に拡散しながら飽和し、その帰結として犯罪を取り締まる各種法は改正され、厳罰化が進み、様々な形で警備は強化され、危機管理評論家なる肩書きがもてはやされ、警備会社や防犯グッズの会社は、我が世の春を迎えている。
もちろん危険な環境より安全なほうがよい。ただしあまりに直情的な安全への志向は副作用をもたらす。視野が狭窄するからだ。治安に対しての疑心暗鬼が慢性化し、敵がいない状態が逆に不安を煽り自ら敵を作り出す。すべての戦争はこうして始まる。だから他国化すれば侵略でも、自国にとって大義ある自衛のつもりなのだ。今のアメリカの話では無い。かつてこの国もそうだった。(p. 31)

チャタレイ裁判や四畳半襖の下張り事件などを引き合いにするまでもなく、性の領域は取り締まりの対象にされやすい。でも同時にこのリビドーは、ほうやきせいのりょういきから、なぜかいつもはみだしてしまう。従軍慰安婦論争も同様だ。彼女たちが強制されたのか自ら志願したのかの二点の対立がこの論争の常だけど、本当に必要不可欠な存在だったのかとの論点はなぜかない。アジアを開放するために聖戦に赴いたはずの兵士たちならば、一年や二年禁欲するくらいのストイシズムをなぜ保てなかったのかとの視点に、ぼくはこれまでお目にかかったことがない。 (p. 33)

体内の免疫細胞による過激なセキュリティが発動し、本来は害などないスギ花粉を敵と勘違いすることで、花粉症は発現する。要するに誤爆による副作用だ。近年、この症状が増殖する背景には、杉ばかりを植えてきた戦後の植林政策の過ちに加え、社会の清潔度が上昇して雑菌が減ったことで、敵を失った免疫細胞が暴走しやすくなったとの説もある。これはまさしく冷戦後のアメリカだ。
最初は自衛だった。だから大義はあった。でもいつからか、他者を攻撃していることに気づかなくなった。そしてすべて終わってから、屍が累々と横たわる焼け野原で、どうしてこんなことになったのだろう? と、空を仰ぐ。歴史はずっとそんなことの繰り返しだ。 (p. 37)

 
第三弾 異国で繰り返される「静謐な祈り」――渋谷区大山町一番地


第四弾 「緑のない骸」が永劫の記憶を発する――台東区浅草一丁目

提灯の裏に回る。「風神雷神」と大きく墨書されている。これが正式名称なのだろうか。ふと思いついて、前面に回りこみ、もう一度二つの木彫り像を眺める。なるほど、向かって右側の木彫り像は大きな袋を抱えており、左側は背中に、丸い輪にいくつもの太鼓(連鼓などと呼称されるらしい)を背負っている。要するに風神と雷神だ。でもならば、なぜ「雷門」との俗称が一般的になったのだろう。風神は忘れられた。ここにいるのに。(p. 61)

年間二百人。平均すればほぼ二日に一人、この東京のどこかで誰かが、この社会との関係を、自らが生きてきた証を、断ち切られながら、生命活動を中止する。誰も悲しまないし、誰も喜ばない。だって誰も知らないのだから。
人は他者とともに生きる。単独では生き続けられない。世界有数の人口密度を誇るこの大都会で、彼らは他者から存在を黙殺されながら死んでいる。過去形ではない。誰かが名前を思い出さないかぎりは、死んだことはまだ認知されていない。だから彼らは、この先もずっと、ネットや資料の世界に閉じながら、現在形で死んでいる。
遺留品は一定の期間、保存されるが、期限を過ぎれば処分され、(東京の場合は)骨壺は発見された地区の区役所などに戻され、無縁仏として埋葬される。
ふと思う。彼らは死んで黙殺されたのではなく、黙殺されたから死んだのだ。彼らがこの世界に生きていた記憶は、こうして消滅する。永劫に。消滅し続ける。この先もずっと。(p. 67)


第五弾 彼らとを隔てる「存在しない一線」――世田谷区上北沢二丁目

では実際に、精神障害者による事件はどの程度なのか、統計を見れば明らかだが、触法精神障害者の精神障害者全体に示す割合は、一般人における犯罪者が発生する割合よりもはるかに低い。
凶悪事件の頻度はたしかに少しだけ高い。でもそれも、悪意の介在と考えるよりも、抑制が効かないからこそ、僕らの感覚では凶悪に見えてしまう事件なのだと考えたほうがいい。
つまりごく一部を除き、精神障害者の大半は、穏やかで善良な人たちだ。こんな言い方をすると、その「ごく一部」が問題なのだと、治安維持や危機管理を訴える人たちは声を荒げる。
一部は常にある。この社会にだって一部はある。当たり前だ。一部のない全体などありえない。でも今、日本社会はその一部を、少しずつ排除しようとしている。セキュリティの名のもとに抹消しようとしている。少年犯罪の凶悪化との言説も同様だ。戦後から原罪までのスパンで見れば、少年事件は明らかに減少している。ところが人は、そんな安心材料となるデータを好まない。なぜか不安を掻きたてるデータばかりを好む。そして危ないじゃないかと騒ぐ。バカじゃん。(p. 77)

かつて「放送禁止歌」をテーマとしてドキュメンタリーを作ったとき、人は無限の自由に絶えられないのだとつくづく実感した。放送禁止歌は言ってみれば、「禁忌の共同幻想」だ。ここから先は危険だとの表示は、ここから内側は安全だとの意味と同義でもある。その表示を目にして、やっと人は安心する。多少の制限がないと逆に不安になる。同様に人は、安全であることにも絶えられない。どこかに危険があるはずだと思いたくなる。このあいまいな不安に具体的なレッテルを貼ることができれば、人はもっと安心する。つまり仮想的だ。冷戦の頃は、ソ連や中国が、最近では、オウムに始まって北朝鮮の脅威、アルカイダのテロリストなどが、この仮想的のレッテルに使われる。
このレッテルに、一部の在日外国人や先進障害者、凶悪な少年たちが、「内なる仮想的」として嵌め込まれた。このダイナミズムが一旦発動すれば、客観的なデータになど、人はもう興味を示さない。危険を煽るほうが部数や視聴率は上昇するから、メディアもこの傾向に加担する。こうして彼らは危険だとの思い込みが、法を変え、システムを変え、意識を変える。つまり彼ら危険な因子を、選別し、排除し、不可視の領域に押し込めて、それで安心を得ようとする。(p. 78)


第六弾 「微笑む家族」が暮らす一一五万m2の森――千代田区千代田一番地


第七弾 隣人の劣情をも断じる「大真面目な舞台」――千代田区霞が関一丁目


第八弾 「荒くれたち」は明日も路上でまどろむ――台東区清川一丁目


第九弾 「世界一の鉄塔」が威容の元に放つもの――港区芝公園四丁目

第十弾 十万人の呻きは「六十一年目」に何を伝えた――墨田区横網二丁目

平成一六(二〇〇四)年に公開されたドキュメンタリー映画「フォッグ・オブ・ウォー」(監督エロール・モリス)は、ケネディとジョンソンという二人の大統領の下で国防長官を務めたロバート・S・マクナマラのインタビューによって構成される作品だ。「人間の本質は変えられない」とつぶやきながら、戦争漬けの自らの人生を赤裸々に語るマクナマラは、東京大空襲の作戦立案者の一人だったことをカメラの前で明かし、「いかに多くの人を効率的に殺傷するか」をテーマにした空爆だったと回想する。その時の彼の上官で作戦立案を命じた男の名は、カーチス・エマーソン・ルメイ。「俺たちは戦争で負ければ戦争犯罪人だ」とルメイが口にしたことを明かしながらマクナマラは、「勝ったからと言って許されるわけがない。我々は皆、戦争犯罪人だ」と苦悶する。このルメイの指示のもとに、東京大空襲の作戦は練り上げられ、実践された。
第二次世界大戦後にルメイは空軍中将に昇格し、キューバ危機勃発時にはキューバ空爆をケネディ大統領に提案し、結果としては却下される。ベトナムにおける北爆でも、ルメイは推進者として大きな役割を果たしている。要するに戦争屋だ。映画のなかでルメイについて語るとき、マクナマラの口許には明らかな嫌悪が滲んでいた。
昭和三十九年、ルメイは来日した。日本の航空自衛隊創設の際に戦術指導などで貢献したとして、日本政府から勲一等旭日大綬章を授与されたからだ。
戦時における指導者を極悪人と糾弾して戦後処理の一環にすることについて、基本的に僕は馴染めない。戦争は一部の邪な指導者によって国民が騙されたから起きるのではなく、その国の民意や世相も含めての全体の構造によって起きると考えるからだ。善と悪との二項対立を続けるかぎり、過剰な自衛意識と報復の連鎖が帰結する戦争から、決して人類は脱却できないと思うからだ。でもよりによって東京を焦土にした張本人に勲章を授与したことについては、やっぱり唖然として言葉を失う。記憶中枢に重大な欠陥があるとしか思えない。(p. 156)

「十年後、二十年後のこの法要が心配ですね」
こみ上げる嘔吐感を咽喉の奥に押し戻しながら、僕は土屋のこの言葉に頷いた。体調はともかくとして、土屋が口にしたその危惧を、まさしく僕も感じていたからだ。東京都慰霊協会主催のこの慰霊祭を、昨年石原都知事は、体調不良を理由に欠席した。今日は来ているのだろうか。姿は見えない。毎年の靖国参拝の理由を、「二度とあのような悲惨な戦争を起こさないことを英霊たちに誓うため」と説明する小泉首相だって、当然この場にいていいはずだ。でも来ていない。彼は一度も来たことがない。もちろん閣僚の姿は一人もない。
六十一年前の三月十日。この地で十万人に近い人々が、紅蓮の炎に包まれ悶え苦しみながら息絶えた。でもその記憶の回帰がうまく作動していない。僕はそう感じる。(p. 158)

語り継ぐべきことは被虐だけではない。加虐についても僕たちは忘れてはいけない。これほどの惨事となった東京大空襲で米軍が投下した爆弾の総量は、日本軍が中国戦線で繰り返してきた重慶爆撃における全投下量の十パーセントでしかないとの試算もある。(p. 164)

第十一弾 桜花舞い「生けるもの」の宴は続く――台東区上野公園九番地


第十二弾 高層ビルに取り囲まれる「広大な市場」――港区港南二丁目

 

第十三弾 夢想と時とが交錯する「不変の聖地」――文京区後楽一丁目

 
第十四弾 「異邦人たち」は集い関わり散ってゆく――港区港南五丁目

 

第十五弾 私たちは生きていく、「夥しい死」の先を――府中市多磨町四丁目

墓所は死んだ人のためではなく、生きている人のためにある。だからこそ残された人の都合が最優先され、生前のイメージが継承される。靖国を例に挙げるまでもなく、現世の価値や基準や評価などの雑念から解放されないのは、死んだ人たちではなく残された人たちの側なのだ。死者の本質は墓にはない。寺や神社にもないし、靖国だってもちろんない。そこに滞留しているのは、生きている人たちの思いや哀切、少しばかりのノスタルジーと愛憎、言い換えれば、残された側の勝手な都合なのだ。
でも「倶会一処」という救済がある。やがて墓は朽ちる。故人を知る人もいなくなる。死後の世界の不平等も、やっぱり永劫には続かない。(p. 249)

 

(2011/8/31)