ブリコラージュ@川内川前叢茅辺 <書 抜き書きメモ 51>

ヴァルター・ベンヤミン
ドイツ悲劇の根源

川村二郎/三城満禧訳、法政大学出版局、1975年

認識批判的序説

真理が美しいといわれる場合、それは、エロス的求愛の諸段階を記述する『饗宴』との関連において理眸されるべきである。エ口スは――このように理解されねばなるまい――その憧憬を真理のほうに向けたとしても,本来の志向を裏切ったことにはならないと。なぜなら,真理もまた美しいからである。真里は,それ自体美しいというよりも、エロスに対して美しいのである。人間間の愛においても同じ関係が成り立つ。ある人間は、その人間を愛しているものにとって美しいのであって、それ自体美しいわけではない。それというのも、その人間の身体が、美しいものの次元よりも高い次元においてあらわれるからである。真理も同様である。それ自体美しいというよりは、それを探し求めるものにとって美しいのである。(p. 10)

理念的なものとして-真理の存在は、現象の存在様態と異なるのである。したがって構造上、真理の存在は、無志向性という点では単なる事物の存在に等しく、恒存性という点ではそれにまさるような存在でなければならない,経験によって規定される志向としてではなく、この経験の本質をそもそも決定する力として真理は存在するのである。このような力をもちうる唯一の、あらゆる現象性から遠く離れた存在は、名称である,それは理念の所与性を規定する。理念は、しかし、根源的言語といったものに与えられているのではなく、むしろ、言葉が認識的意味とひきかえに命名の品格を未だ失っていない根源的了解に与えられているのである。(p. 17)

理念の分類整理を断念することによって、帰納が理念を概念に格下げしてしまうとするならば、演繹は理念を似非論理的な連続体の中に投影することによって、格下げしている。哲学的思考の世界は概念的な演繹による切れめのない輪郭によって浮かび上がるのではなく、理念の世界の記述に描き出されるのである。この記述は、新しい理念の度ごとに,それを本源的なものとして扱いながら、新たに書き起こされる。つまり理念とは、他に還元することのできない多様にほかならないからである。(p. 26)

根源は、なるほど全く歴史的な範疇ではあるが、発生ということとはなんの共通点もない。根源においては、発生したものの生成ではなくて,むしろ、生成と消失の中から発生していくものが問題になるのである。根源は、生成の流れにおける渦であり、発生の素材を自己のリズム体系の中にまきこんでしまうのである。根源的なものは、むき出しの,あらわな事実の山の中に、その真の姿を見せることは絶対にない。そのリズム体系は、二重の洞察によってのみうかがい知ることができる。その本質は、一方では復古、復元であり、他方ではまさに復古、復元における未完成、未完結であることが明らかにされなければならない。(p. 30)

(……)表現主義と同様バロックも、本来の意味での芸術的習熟の時代ではなく、むしろ一心不乱な芸術的意欲の時代なのであるから。いわゆる凋落の時代においては、事情はいつでも同じである。芸術の最高の現実は,孤立した、完結した作品である。時にはしかし、完成した作品は、亜流によってしか達成されないことがある。こういう時代が芸術の「凋落」の時代であり、芸術の「意欲」の時代である。リーグルが、この術語を編み出したのが、ローマ帝国の最後の芸術についてであったのも、このためである。意欲によって達成できるのは形式だけであって、完成された一つの作品では決してない。ドイツの古典主義的文化が崩壊した後の、バロックのアクチユアリティの基盤も、この意欲にある。(p. 43)

バロック悲劇とギリシア悲劇

「悲劇は、尊厳さに即してこそ英雄的文学にふさわしく、身分卑しき者や卑賤な事柄の登場を許さない。それというのも、悲劇が扱うのは、これすベて、王の意志、殺害、絶望、子殺し、親殺し、火災、近親相姦、戦争、反乱、嘆き、わめき、溜息などの事柄であるからである。」(『ドイツ詩法』) この定義は、一見悲劇の素材の範囲を言い換えたものにすぎないようにみえるため、多くの美学者は、それほど高く評価することはできないかもしれない。したがって、この定義は、非常に含蓄のあるものと見なされたことは一度もなかった。しかし、これは、あくまでも見せかけにすぎない。(p. 55)

当時考えられていたような歴史的な生が悲劇の内実であり、その対象であった。この点で、ギリシア悲劇と異なっている。というのは、ギリシア悲劇の対象は歴史ではなく、神話である。そして、登場人物の悲劇的状況というものは、その身分——絶対的王位——によるのでなく,その存在の前史——過去の英雄時代——によるのである。オーピツのいう意味では、王侯が悲劇の主人公になるべく定められているのは、彼らが神や運命と対決するからでもなければ,また、生きた民族性の鍵である古い古い過去を体現しているからでもなく、王侯らしい徳を発揮し、王侯らしい悪徳をあらわし、外交のからくりを看破し、ありとあらゆる政治的陰謀を企むことができるからなのである。(p. 55)

ルネサンスの画家は、天を高く描く術を心得ていたが、パロックの絵画では、雲は黒々とあるいは光りながら、地面のほうへたれこめてくるのである。バロックに対してルネサンスは、非宗教的、異端的な時代としてでなく、世俗的な、自由な信仰生活の許される時代として登場するのであるが,それに対して、反宗教改革の時代になると、中世の階層的特徴は、彼岸に至る直接の道が閉ざされているような一つの世界を支配することとなる。(p. 78)

へーゲルが定義しているように、名誉は「可侵性そのもの」である。「名誉は人格の自立のための戦いであるが、この人格の自立は、共同体のための勇気、または、共同体における公正の評判や、私的な生活圏における誠実さの評判を守るための勇気ではない。むしろ、それは、個々の人問の価値の尊重とその抽象的不可侵性のために戦うのである。」この抽象的不可侵性は、ひっきょう、もっとも厳密な意味での物理的人間としての不可侵性であって、作法上の抽象的な要請の根源も、その血と肉の無垢としての不可侵性の中にひそんでいるのである。(p. 89)

たとえば、ショ—ペンハゥァ—は次のように言っている。「最近よく問題とされている古典主義的文学と口マン主義か文学の違いは、前者が純粋に人問的、現実的、自然的なモチーフしか知らないのに対し、後者は作られた、約束ごとによる,架空のモチーフをも有効なものとして認めるという点にあるように、私には思われる。キリスト教の神話に由来するモチーフ、さらには、名誉についての騎士的な、極端な、奇想天外な考え方に基づくモチ—フは、この後者に属する。(……)」(p. 90)

悲劇的プロット、悲劇的主人公、悲劇的死などのギリシア悲劇の諸要素を、たとえそれが無理解な人々の模倣のためにゆがめられてはいても、バロック悲劇の中に再び認めることができる、しかもその本質的な要素として認めることができるように人は思ったのである。他方,ギリシア人の悲劇の中に、のちのバロック悲劇と本質の似かよったバロック悲劇の早期の形態が認められるとも考えられたが、この考えこそ、芸術哲学の批判的歴史においては、はるかに重要な意味をもっていた。悲劇の哲学は、したがって、歴史的な事実内容に関係なく、「罪」とか「贖い」とかいった概念によって支えられていると考えられた一般的な感情の体系の中で、道徳的世界秩序についての理論という形をとつてきたのである。(p. 110)

このように芸術が存在の中心の位置を占め、人間をほかならぬ芸術の基盤として認めないでむしろ人間を芸術の現象と化してしまう――人間を芸術の創造者としてでなく、その存在を芸術の永遠の素材とみなしてしまう――ところでは、冷静な思量などそもそも必要ないであろう。人間を芸術の中心という座から、このように引きずりおろしてしまったとき、これに取って代るものは、ショーペンハウァーの場合のように、涅槃や生への意志の入滅であれ、あるいは、二―チェにおけるように、人間をも含めた人間界の現象を創造した「不協和の人問化」であれ、ともかくどちらもプラグマティズムであることには変わりはない。というのも、絶対的意志の所産である芸術作品は、世界が価値を失えば自分自身も価値を失うの
であるから,一つ一つの芸術作品を生み出すといわれている霊感が生への意志であろうが、あるいは滅亡への意志であろうが、大差ないのである。(p. 114)

(……)芸術作品に表現されているような行動や挙動に、現実の模像としての道徳的意味が認められるであろうかという問題と、作品の価値を決定する内実を的確にとらえることができるのは、けっきょく道徳的認識であるのかという問題である。この問いに肯定的に答え
ること、というよりはむしろこの問いを無視することが、在来の悲劇論や悲劇解釈の何よりの特徴であった。それに対して、この問いに否定的に答えれば、それによって、悲劇文学の道徳的内実を悲劇文学の価値を決定する究極のものと見なさないで、それを作品全体の真理内容の一契機としてとらえる必然性、すなわち歴史哲学的にとらえる必然性が明らかになってくる。第二の問いに否定的に答えることが主として芸術哲学上の問題であるとすれば、第一の問いに対して否定的に答えねばならない根拠は確かに、別の関連の中に求めねばならないであろう。(p. 116)

道徳的なるものはすべて窮極のところで――すなわち、生が自己を全く所有する、あの危険の座である死において――生と結びついているのである。道徳的にわれわれとかかわる、すなわち、われわれの唯一性とかかわる生は、芸術的造形という観点からは常にネガテイヴに見え、またそのように見えなければならないのである。というのは、芸術の方としてみれば、その作品において芸術が精神的問題の助言者に出世したとも、また.表現自体よりも表現された内容が注冃されているとも、いかなる意味においても認めるわけにはいかないからである。この全体的なるものの真理内容は、一つの抽象的命題の中にとらえることはできないし、ましてや道徳的命題の中にとらえることはできないのであって、ひとえに作品自体の、批判的な、注釈を伴った展開の中に見出すことができるのであるが、このような真理内容には、とくに道徳的非難は、きわめて間接的な形でしか含まれない。(p. 116)

(……)英雄はその行為、その知見が大きければ大きいほど、またその影響が遠くに及べば及ぶほど、それらをますます強圧的に身体的自我の境界の中に文字通り閉じ込めなければならない。英雄が自分の本分を守ることができるのは、言葉のおかげでなく、自分の身体のおかげであって、だからこそそれを死のうちに成就するのである。悲劇的決断についてルカ—チが述べている次のような言葉は、同じょうな事情に注目しているのである。「人生におけるこのような偉大な瞬間の本質は、自我を純粋に体験することのうちにある。」(ルカーチ『魂と形式』 (p. 121)

「(……)悲劇において異教的な人間は、自分が神々よりすぐれていることに思い当たるのである。しかし、この悟りは、彼から言葉を奪い、曖昧ままにとどまっている。この悟りは旗幟を鮮明にせずに、ひそかに力を結集しょうとする……< 道徳的世界秩序 > が回復されたなどとはとうてい言えないのであって、道徳的人間が、無言の未成年のまま、――だからこそ、彼は主人公の名に値いするのだ――苦難にみちた世界の震撼の中から立ち上がろうとするのである。道徳的沈黙、道徳的幼児性の中に創造的精神が生まれるという逆説が、悲劇における崇高ということである。」(ベンヤミン『運命と性格』) (p. 123)

ソクラテスは死の運命を免れえぬ一人の人間として――何なら最良の、もっとも道徳的な人問として、といってもいい――死を直祝したが、彼は死を何か自分とは無関係なものとしか見ず、それを超えた彼方では、すなわち不死の世界では、再び自分を取り戻せるのではないかと期待していたのである。悲劇の主人公はこれとは異なる。彼は、死の力を、なじみ深い、自分固有の、手も足も出ないように呪縛する力として感じて、恐れおののくのである。悲劇の主人公の生は死の中から繰り出されるのであり、死は終焉ではなく、一つの形式なのである。というのも、悲劇的存在が自身の使命を見出すことができるのも、もとはと言えば、言語的および身体的生命の限界が、最初からその存在につきまとい、その存在の内にすでに与えられているからにほかならない。(p. 129)

近代悲劇(Trauerspiel)はその名前が示しているように、その内容が見るものの心に悲しみ(Trailer)を呼び起こすことなのである。だからといって、近代悲劇の内容が、ギリシア悲劇の内容よりも経験的心理学の諸範疇の中で展開するのに適していることを意味するわけでは全くない。――むしろ、悲しみの描写にはこれらの近代悲劇の方が悲哀の状態そのものよりも適していることを意味する。というのは、近代悲劇は、悲しく (traurig)させる劇(spiel)のことではなくて、悲しみを十分に満足させる劇であるからだ。すなわち、悲しい人々の前で演じられる劇のことである。この種の劇にはある種の誇示がつきものである。その各場面は、見られるものとして設定され、こう見てほしいと思う順序に配列されている。(p. 136)

(……)いずれにしてもギリシアの三部作は反復可能な誇示ではなく、悲劇的訴訟の上級審における一回限りの再審なのである。劇場が屋外にあること、および同じような繰り返しを決して許さない演出ということからもわかるように、ギリシア悲劇において演じられるのは、宇宙における一つの決定的な成就である。この成就のために.そしてそれを裁く裁判官として共同体は招かれているのである、ギリシア悲劇の観客が,まさにこの悲劇にとって不可欠であり,悲劇によって正当化されるのに対して、近代悲劇は見る者の側から理解される。近代悲劇の観客は、舞台の上で、宇宙とは全く関係のない屋内で、種々の状況が押しつけがましく演じられるという経験をする。バロック劇の顕著な特徴である悲しみと誇示との間の関係を言葉が簡潔に表現する。(p. 136)

(……)ノヴァーリスの言うように「喜劇と悲劇は、微妙な、象徴的な結合によって大いに得をするばかりか、それによつて本来初めて詩的なものになりうるのである」が、この言葉は、少なくとも近代悲劇に関する限り、全く正鵠を射ている。この要諳は、シェークスピアの創造的天才によって実現されたとノヴァーリスは見ている。「シェークスピアにおいては、詩と反詩、調和と不調和が交替し、卑しいもの、低劣なもの、醜いものが、ロマン的なもの、高尚なもの、美しきものと,現実と架空とが交替することが少しも珍しくない。ギリシア悲劇には、こういうことは全く見られないのである。」ドイツのバ口ック演劇のいかめしさは、ギリシア演劇に由来するとは決して言えないが、ギリシア演劇を引き合いに出して説明することのできる数少ない特徴の一つであるかもしれない。(p. 148)

バロック期のドイツの大劇作家はルター派の新教徒であった。反宗教改革期の何十年かのあいだにカトリシズムがその宗規の全力をあげて世俗的生活に滲透していったのに対し、ルター派の新教は以前から日常というものに対して敵対的な姿勢を示していた。ルター派の新教は厳格に道徳的な市民生活を説く一方、「善業」を否定した。善業が奇跡を起こす特別なる宗教的力を有することを認めず、霊魂を信仰の恩寵にゆだね、現世的・国家的領域を市民的徳の証したるべく定められた、間接的に宗教的な生の試演の場とすることによって、ルター派の新教は国民の間に厳格な義務に対する服従心を植えつけはしたが、国民の中の偉大な人間は意気沮喪させることとなった。晚年の九年間というもの、心の鬱屈がいよいよつのっ
ていったルター自身においてすら、善業に対する攻撃に鈍りが見える。彼の場合はしかし、「信仰」のおかげで、まだなんとか切り抜けることができたが、それでも生が味気ないものになってしまうことはいかんともしがたかった。 (p. 163)

アルブレヒト・デューラーの『憂鬱』の周辺に活動的な日常生活の道具が、使われもせずに
思い煩いの対象として地面に散在しているのは、この概念にふさわしいことである。この版画は、多くの点でバロックを先取りしている。夢想家の知見と学者の探求が、バロックの人間におけるように、この絵の中で密接に混和している。ルネサンスは宇宙を探査し、バロックは図書館を渉猟する。バロックの思念は、書物という形をとる。「世界には、世界以上の大きな書物はない。そのもっともすぐれた部分はしかし、人間であって、その人間に神は、美しい口絵の代りに、他に類のない自分の似姿をまず捺したのである。その上、人間を、この大きな世界という書物の他の部分の精髄、中核、珠玉としたのである。」(ザムエル・フォン・ブッチュキー『寓喩と箴言』) 「自然という書物」と「時問という書物」が、バロックの思念の対象である。 (p. 167)

非ストア派的にして非キリスト教的、擬古的にして擬敬虔主義的なバロックの硬直した憂鬱者像を打って、キリスト教的な火花を散らすことに成功したのは、一人シェークスピアあるのみである。ローフス・フォン•リーリエンクローンは炯眼にもハムレットの特徴として、土星の血を受けていることおよびアケーディアの烙印を押されていることを見てとっているが、この劇において、それがキリスト教精神によって克服されるというまたとない見物を見のがしてしまえば、一番の見せ場を見のがしたことになろう。この王子においてのみ、憂鬱なる沈潜はキリスト教精神に到達する。ドイツの近代悲劇は自らに魂を吹き込むことがついになく、また,自分の内部に自覚の銀色の光輝を打ち出すことについぞ成功しなかった。ドイツ近代悲劇は、自分でも驚くほど朦朧としたままにとどまり、憂鬱者をも、中世の気質論の書物のけばけばしい、使い古された色でもって描くことしかできなかった。(p. 188)

寓意と近代悲劇

ゲーテの次のような断片的な言葉,は、寓意の否定的な追構成といってもよいであろう。「詩人が普遍に対する特殊を求めるか、あるいは、特殊のうちに普遍を見るかは大いに異なる。前者からは寓意が生まれ、その場合、特殊は一例、普遍の一例にすぎない。後者の方が、しかし、本来、文学の本質をなしている。それは、普遍を考えずに、またそれを指示することなしに、特殊を言い表わす。この特殊を生き生きと捉えた人が、それと知らずに、――あるいは後になって初めて知るのであるが――普遍を同時に受け取るのである。」シラーの手紙がきっかけとなって、ゲーテは寓意に対してこのような見方をしていた。ゲーテは、寓意の中に、考察に値いするようないかなる対象をも見出しえなかったにちがいない。(p. 193)

叙事詩は、たしかに、意味ある自然の歴史の古典的形式であり、同じように、寓意はそのバロック的形式である。この二つの精神方向が同系のものであっただけに、ロマン派は、叙事詩と寓意を相互に近づけざるをえなかったのである。このようにして、シェリングは、寓意的な叙事詩解釈に、あの有名な言葉の中で明確な方向を与えている。すなわち、オデュセイァは人間精神の歴史であり、イリアスは自然の歴史であると。(p. 201)

寓意は、人を驚愕狼狽させることがその本質の一部をなしているので、すぐに古くさくなる。対象が憂鬱の眼のもとで寓意的なものと化し、内部の生が排出されて、死物と化しながら、しかも永遠性を保証されたものとしてあとに残るときは、対象は寓意家にもう完全に生殺与奪の権をにぎられている。ということは、つまり、対象は一つの意味、一つの意義を自分から発散することは、もはや全くできないのである。それが、何か意味をもっとすれば、それは、寓意家の与えた意味である。寓意家は、その中に意味を投げ入れ、その深部にまで到達する。それは、1つの存在論的な事態であって、心理学的な事態ではない。寓意家の手にかかると、物は何か別の物に変じ、それによって、寓意家は何か別の物について語ることになる。それは彼にとってかくれた別の領域への鍵となる。そして、彼は、その物をこのかくれた領域の寓意画として尊重するのである。寓意が文字的性格をもつのはこのためである。(p. 222)

(……)シェークスピアの場合、寓意的なものは単に隠喩の形式にとどまらず、より深いところにまで達しているのである。もっとも、ゲーテの目にとまったのはこのような隠喩としてである。「シェークスピアは、擬人化された概念から成り立つ奇怪な比喩にみちていて、それをわれわれが用いても似つかわしくないが、シェークスピアの場合にはおかしくない。それというのも、彼の時代の芸術はすべて寓意に支配されていたからだ。」ノヴァーリスはもつとはっきり言っている。「シヱークスピアの作品の中に、勝手な観念やら寓意やらを指摘することは可能である。」ドイツにおいて、シェークスピアを発見したシュトウルム・ゥント・ドラングは、シェークスピアにおける寓意的なものでなく、その自然的な面にしか注目しなかった。ところが、この両面が、同じように本質的であったという点に、シェークスピアの特徴がある。(p. 284)

「涙ながらにわれわれは、休閑地に種をまき、そして悲しみにくれながら帰る。」寓意も素手で帰る。寓意が、不変の深みとしていだいてきた純粋悪は、寓意の中にしかないし、寓意以外の何ものでもなく、それ自体とは別個の何かを意味しているのである。しかも、純粋悪は、それが表わしているものが、実は存在しないことをこそ意味しているのである。専制君主や陰謀家によって代表されるような、諸々の純粋の悪徳は寓意である。それら諸々の悪徳は現実の存在ではない。そして、純粋な悪徳が、それが現在ある姿であるのも、憂鬱の主観的な目を通して見るからにほかならない。(p. 290)

創造の後の神については、しかし、次のように言われている。「そして神は、自分が創造したものをことごとく見た。そして、それらは、まことに良きものであった。」悪についての知見には、したがって、対象がない。それは、現世の中には存在しない。知見を楽しむようになって初めて、とくに判断において、人間自体の中にそれは根を下ろしてくる。善についての知見は、知見としては二次的なものである。それは、実践からえられるものである。悪についての知見は知見として一次的なものである。それは、冥想の中から生まれる。したがって、善と悪についての知見は、すべての即物的な知見の反対である。そして、それは主観的なものの深みにまで引き戻せば、結局は、悪についての知見に帰着する。それは、キルケゴールの言う深い意味での「おしゃべり」である。主観性の勝利および物に対する専制的支配の始まりとして、この知見はすべての寓意的観想の根源である。(p. 291)

 

(2012/4/13)