I ライプツィヒから
II ベルリンから
III ヴロンケから
ヴロンケ監獄 一九一七年一月一五日
ああ、今日は辛さを感じた一瞬がありました。三時一九分、機関車の汽笛がマティールデの出発を知らせたときです。わたしは檻の中のけもののように、いつもの塀沿いの「散歩道」を行きつ戻りつしていました。心臓が痛みに締めつけられました、わたしもここから出てゆきたいのに出られない、ここを出られさえしたら! だいじょうぶですよ、わたしの心臓はすぐにぴしゃりと平手打ちを喰らって、おとなしくなりました。もう慣れっこになっているんです、よく躾けられた犬のように命令に従うことに。こんな話はもうやめましょうね。(p. 27)
ヴロンケ監獄 一九一七年二月一八日
プフェムフェルト〔出版人〕にゴールズワージーのお礼をお伝えください。うれしいことに昨日、最後まで読みおえました。ただこの小説は『資産家』ほどは気に入りません。この作品のほうが社会小説的な傾向が強いにもかかわらずではなくて、その傾向のせいです。わたしが小説に求めるのは傾向ではなく、芸術的価値です。この点から見ると『友愛』ではゴールズワージーが才気走りすぎているのが気になります。妙なことを言うとお思いでしょうね。でもこれはバーナード・ショーやオスカー・ワイルドと同じタイプ、いまイギリス知識人のあいだにとても広まっている一類型ですよ、とても利口で洗練されてはいるけれど倦怠している高慢な人たちで、この世のすべてを懐疑的な苦笑を浮かべて眺めている。(p. 32)
ヴロンケ監獄 一九一七年五月二日
聞いてくださいな、昨日、五月一日に出会ったのは――だれかおわかり?――輝くばかりに活きのいいヤマキチョウですよ! うれしさのあまり胸がふるえました。チョウは飛んできてわたしの袖に止まり――ライラック色の上着を着ていたので、その色に惹かれたのでしょう――それからゆらゆらと塀の向こうに消えてゆきました。午後には三種類のきれいな小さい羽毛を発見、ジョウビタキのくすんだ灰色の羽毛と、ホオジロの金色の、それにナイティンゲールの灰色がかった黄色のと。ここにはナイティンゲールがたくさんいて、はじめての歌声はもう復活祭の日曜日の朝早くに聞こえましたし、それからは毎日わたしの庭の大きなウラジロハコヤナギに来ます。三枚の羽毛は、きれいな青い紙箱に入れたわたしのささやかな蒐集品に加えます。この箱にはバルニム街監獄の中庭でみつけた羽毛も入っているんですよ――ハトとニワトリの、それにズュートエンデで拾ったすばらしくきれいな青いカケスの羽も。「コレクション」はまだとてもわずかですが、ときどき眺めて愉しんでいます。どれをだれに贈ろうか、もう心づもりをしているんですよ。
ところが今朝、塀のほうに近寄ってみると、なんと塀ぎわにそっと隠れるようにしてスミレが咲いているのを見つけました! わたしの小さな庭全体で一輪きりのスミレ。ゲーテはなんと詠っています?
すみれが一輪、野に咲いていた、
頭を垂れて、だれにも知られずに、
小さな、可憐な花すみれ!
〔Das Veichen, モーツァルトがこれに曲を付けている〕 (p. 48) |
ヴロンケ監獄 一九一七年五月二日
それともご存じかしら? わたしは自分がほんとうは人間ではなくて、なにかの鳥か動物かが出来損ないの人間の姿をとっているのじゃないかと、感じることがよくあるのです。心のうちでは、ここのようなささやかな庭とか、マルハナバチやかこまれて野原にいるときのほうが、はるかに自分の本来の居場所にいる気がする――党大会なんかに出ているときよりも。あなたになら、なにを言っても大丈夫ですね、すぐさまそこに社会主義への裏切りを嗅ぎつけたりなさいませんものね。にもかかわらずわたしは、あなたも知るとおり、自分の持ち場で死にたいと願っています。市街戦で、あるいは監獄で。けれども心のいちばん奥底でのわたしは、「同志」たちよりずっとシジュウカラたちの仲間なのです。(p. 52)
ヴロンケ監獄 一九一七年二月一八日
ゾニューシャ、あなたはわたしの長い拘禁に憤慨してお訊きですね、「どうしてこんなことになるのでしょう、人間がほかの人間の運命を決定することが許されるなんて。いったいなんのために?」と。ごめんなさい、これを読んで思わず声をあげて笑ってしまいました。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に、まさしくそういう質問をいつもするホフラコーヴァ夫人というのが出てきますね、彼女は社交の場にいる面々を困ったように見回すのですが、だれかがなんとか答えようとしたときにはもう別の話に飛び移っている。わたしの小鳥さん、人類の文化史は控え目に見積もっても二万年あまり続いていますが、その全体が「人間がほかの人間の運命を決定する」支配関係に基づいていて、それは物質的な生活諸条件に深く根ざしているんですよ。この先、苦難に満ちた一つのさらなる発展が、はじめてこれを変革できるのであって、わたしたちはまさしくいま、この苦難に満ちた章の一つを目撃している証人なのです。(p. 67)
ヴロンケ監獄 一九一七年六月三日
日曜日の朝
雨はすっかり小降りになって、木々の葉を同じ間隔で軽く叩く。稲妻がいま一度、鉛色の空にたてつづけに赤紫の光を放ち、雷の遠鳴りがなおも、岸壁に砕ける最後の弱まった波のように聞こえてくる。するとこの禍々しい雰囲気のまっただなかで、わたしの窓のまえのカエデの木のうえで突如、ナイティンゲールが声を張りあげたのです! 雨のなか、稲妻と雷鳴のさなかに、その声は明るい鐘のように響きわたりました。陶然と、取り憑かれたようになって、雷鳴を歌い負かそう、夕闇を追い払って光を取りもどそうとしているかのように――これほど美しい歌声をわたしは聴いたことがありません。その歌は、かわるがわる鉛色と紫に色を変える空を背景にきらめきゆれる銀色の閃光さながらでした。じつに神秘的で、じつに捉えがたい美しさ、わたしはわれ知らずあのゲーテの詩〔「愛する人の身近に」〕の最後の句を繰りかえし口ずさんでいました。「おお、いまここにあなたがいれば!」…… (p. 77)
ヴロンケ監獄 一九一七年六月八日
このあいだあなたの手紙にあったあのモーパッサンの詩、確かにわたしのものの見方に合致しています。けれども彼の短編や長編の小説となると、もうとても読めません。こういうご婦人私室向き文学はぜんぶ、過去に属す世界と同様、わたしにはもうけりがついているのです。それが時代のせいなのか、わたしのせいなのかは、わかりません。わたしたち、このことでは意見が一致しないかもしれませんね。あなたはたいへんなフランス人贔屓ですもの。(p. 87)
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