ブリコラージュ@川内川前叢茅辺 <書 抜き書きメモ 43>

西部邁、中島岳志
保守問答

講談社、2008年

第一章 保守思想とは何か    

西部 (……)こういう一文があるんです。
「保守の理論なんてものは簡単なことであり、大事なのは保守の生活だ」というんです。
つまり認識として、生活とか経験といった、家庭でどういう生活をしつづけるか、友人とどういうふうに酒を飲むか、仕事において、どういう活動をしつづけるか、そういうことがなければ伝統と慣習の違いとかを理解するための感覚は深まらないし、研ぎ澄まされもしませんよね。でもしかし、僕にいわせれば、いろんな色合いの怪しげなものこそが生活ってもの、経験ってものです。生活とは何か、経験とは何か、ということを認識として分析し、総合することが必要なのに、それを怠ってきた。日本においては、理論的営為が保守思想家を自称している人たちに乏しかっただけじゃなくて、おっしゃるように、日本民族全般に、そういうものがあったのかもしれませんね。 (p. 50)

中島
 (……)保守は「裸の理性」を疑う理性を重視します。人間の理性に対する過度な過信を諫めることと、人間の理性そのものを否定することは異なります。保守思想家は、人間に神の如き「完全なる理性」が備わっているという大それた発想を放棄した上で、社会的経験値を背景とした理知的な判断を重視します。これは懐疑的精神に基づいて人間の限界を認識し、その上でようやく認められる論理的・理知的側面を重視するものです。
だから、保守思想家は、どこかでニヒリズムを経由しています。 (p. 52)

中島
 近代リベラリズムは、基本的に「色即是色」です。神を持ち出さずとも、この世の中の原理を理性によって把握できるという発想が、根本のところにあります。マルクス主義は、その典型でしょう。
一方、ポストモダン思想は、「色即是空」といってみただけだと思うんです。この世の中には絶対的な価値など存在しないというところまでは宗教家や保守思想家も同意できるわけですが、すべての価値を引き受けないとする「永遠の脱構築」を志向する点において、完全に袂を分かちます。
保守というのは、結局のところ「空即是色」をどう引き受けるのかという哲学なはずです。「空」は世界各地の多様な「色」の世界に現れる。保守は、その「色」の世界の構成がどのような歴史をたどって成立してきたのかということを考える。また、時間的経過と空間的制約のなかで蓄積されてきた諸価値が、現在の自己の形成に決定的な意味を持っていることを認識する。そして、その「潜在的英知」を引き受ける意志こそを重視する。これが保守思想の構えだと思います。 (p. 57)

西部
 (……)現実から離れない理想、理想に率いられる現実、そういう見事なバランスの状態においてこそ人間は真の活力を持続させて生き、そして死ねる。そこまでは抽象的にいえるんです。ところが、具体的にそれこそ「色」の次元で活力ってどういうこと、っていわれたら、じつは具体状況が示されなければならない。たとえばあなた、中島岳志くんと対談をするという情況のなかで、自分の言葉の自由と自分の言葉の秩序が「俺の活力はこういうものです」というふうに状況が与えられないと、具体的には言葉のバランスを示しえないですね。
そこからさらに進めていうと、「色即是空」、「空即是色」といってはみるものの、具体的状況のなかでしか人間の感情・感覚からさらには理性にいたる平衡感覚は提示し得ない、実行し得ないとすると、色と空の統一はどうなるか。実は人間の認識というのは、こういう状況の中における人間のアクション、実戦といっても行為といってもいいけれども、具体的な「行為」の中でしか、自分のバランス感覚は表現できないということになります。 (p. 59)

中島 (……)安易な形で政治の世界に美を持ち込むことの危険性を指摘したのはベンヤミンですが、彼は「政治の美学化」ということを言いました。これはヒトラーのような陳腐な芸術家こそが、美の概念を政治に持ち込むことで、均質なファシズム的社会を構築してしまうという事態を指しています。
ベンヤミンは、ナチスドイツの政治が美的支配を目指して、さまざまなプロパガンダ的演出を試みたことを指摘します。この演出は権力的なスペクタクルをともなうものです。党大会の会場、パレードの行進、そこに建てられた凱旋門……。これらは美的に醜悪であればあるほど、大衆を熱狂させる魅力を持っているわけです。大衆の美的な動員は、芸術家になりそこねたヒトラーによってこそ達成されたものでした。
ともかく、設計主義的な社会改革を根本から疑ってきた保守思想家は、ファシズムがもつ「理想社会を構築できる」という妄想を拒絶し、熱狂に溺れることを嫌います。この点において、政治に美を取りこむことに対しては、保守思想家は極めて慎重な態度を示します。
ひるがえって現代日本のことを考えると、安倍晋三首相が「美しい日本」といった瞬間に、保守の側からクレームが出るかと思いきや、それを礼賛する言説ばかりが登場した。殆どの自称保守は、政治に美の概念を持ち込むことの危険性について、気づきもしていないわけです。(p. 62)

中島
 石原慎太郎の発想は、とにかく目障りなものは排除して、権力的スペクタクルを構築したいというものです。築地市場が汚いからきれいにしてしまえ、とか、道路をどーんと造ったり都市設計を安藤忠雄にまかせろとか、カラスが邪魔だとか。障碍者に対する問題発言も同様の精神構造に依拠したものでしょう。
このような観点から、東京マラソンも私は問題だと思うわけです。石原慎太郎が、ランナーに嬉しそうに手を振っている図、ランナーも嬉しそうに手を振り返す図、これはまさにナチスそっくりだなあと。ここでもし彼が「美しい日本」と言ったりしたら、これは非常に危なっかしいと思ったんですね。東京マラソンのワンシーンは、本当に嫌なものを見せ付けられた気分になりました。 (p. 64)

西部
 そこで守るべきものは何なんだ、保守すべきものは何なんだ、という中島さんの問いでいうと、それも僕の場合はあまり実体化ができないんです。ひと言でいうと、日本の伝統を守るんだということです。も島由起夫もそういってましたけど、伝統の精神というものが、疑いもなくあるはずなんだ。その精神は、ヨーロッパともアメリカとも、アジア諸国とも、明確に違うものである。具体的に何が違うのかは状況の中で、人々がたくみな言葉遣いで暫定的に表現するしかないだろうものの、しかしながらあるはずなんだ。その違いをシンボライズするものとして、伝統の精神というものがあるのだろうということです。もちろん、その国家の差異は、国際関係の中で、国家間の同一も確認されるということを前提にしてはいますがね。(p. 74)

中島
 (……)財界ってひどいな、と僕が思うのは、この国の文化の基盤となってきたものをマーケットの論理で次々と破壊していきながら、「愛国心が重要だ」と言う。地方の風景を破壊し、駅前の商店街を破壊し、町工場を潰して高層マンションを建てる。極端な格差に苦しむ同胞には全く見向きもしないで、自分たちの利潤を追求し、貧困に苦しむ人々には「自己責任」と言い放つ。 (p. 84)

中島 いまの世論は、完全にセンチメント(感傷)です。ここに輿論と世論の問題があります。「輿」という字を使った「輿論」というのは、英語にするならばパブリック・オピニオンです。それに対して「世論」というのは、ポピュラー・センチメントです。今は、ポピュラー・センチメントのみが世の中を支配しています。
これはグロテスクだなと思ったのは、二〇〇六年の八月一五日でした。この日、当時の小泉首相が、靖国に参拝したわけですけれども、その直前の世論調査では、首相の靖国神社参拝に関して七割が反対だったんです。しかし首相が行った瞬間に、その直後の世論はひっくり返ったんですね。七割賛成になったんです。
これはオピニオンではなく、完全にセンチメントです。ここで国民の四割が小泉の姿を見て動いたわけですが、この人たちにはオピニオンは存在しない。「反対を押し切ってよくやった」とか「毅然とした態度に感動した」とか、ともかく論理はそっちのけで、熱狂だけが存在する。 (p. 96)

西部
 僕、冗談でいうんだけども、北海道のミートホープ社が牛肉と称して豚肉や羊の肉を混ぜた。ミートホープ社は偉大な貢献をしてくれてるわけですよ。つまり、日本の主婦たちがまともな主婦業をやっていないということ、そのことに亭主たちが気づいていないということ、子供たちはその状態を当たり前のこととして慣れ親しんでいるということ、そういうことを今の市場社会の最先端としてミートホープ社はやってくれている。で、とうとう、中国人が段ボールを肉マンに混ぜたという。僕は彼らは偉大な民族だと思う(笑)。さすが四千年の歴史があるだけあって、資本主義というのはどれほどでたらめか、ということを体現してくれてるんじゃないかな。 (p. 99)

西部
 (……)大衆社会の恐ろしさというのは、オルテガのセリフを借りると、「大衆は有能な人材を引きずりおろす」わけです。エリートが威張っているとかいって引きずりおろそうとする。オルテガがいったのは、大衆は有能な人材を次々引きずりおろして、自分たちが主権者として統治してみせるといいながら、主権者にふさわしい能力をこれっぽっちももっていないがゆえに、有能な人材を引きずりおとしてその国の、家族から国家にいたるまでの、統治の状態はがたがたにくずれてしまう。そのときに、大衆はただ嘆いてみせるだけだ。どう嘆くかというと、「人材がいなくなった」と(笑)。
自分たちで人材を絞め殺したくせに人材不足を嘆いてみせる。まさに今それが始まっている。 (p. 104)

西部
 多くの人に、圧倒的な力にどうすれば対抗できるでしょうか、みたいなことをしょっちゅう質問されるんです。対抗なんかできるわけがない。する必要もない。それどころか僕はこういうふうに思ってる。政治とは何か、って考えたときに、みんな錯覚してると思う。つまり選挙が政治であるとか、国会における議論が政治であるとか、役人の政策提案が政治であるとか思うらしいけど、僕はずいぶん前からそんなふうには考えていない。
たとえば今、中島くんとしゃべっているのが政治であるとか、社交でもいいし、こういう書物を出してみましょうかとか、それも政治で。こういう講演会をやってみましょうかとか、そういうことのほうが本当の政治であって、みんなが政治といっているものは、あんなものはほとんど幻想なんだ。僕は別に無理してそう思っているんじゃなくて、かなり腹の底からそう思ってる。
 そういう意味ではどうする必要もないわけですよ。ほっとけばいい。 (p. 109)

第二章 保守思想の伝統と核心

中島 「大衆」をどのように見るかは、保守思想の核心部分ともかかわってくるように思います。保守思想では、伝統や共同性を静かに保ち、共同体に根付いている「自生的秩序」を重んじる「庶民」を重視する一方で、熱狂的で気分に流されやすい「大衆」を厳しく批判する傾向があります。ヨーロッパではオルテガの『大衆の反逆』が代表的ですが、多くの思想家が大衆社会というもの対する警告と疑念を表明しています。
保守思想は、エリートの理性や合理的統治というものを懐疑的に見ていますが、同時に大衆を無謬のものとみなす見方もとりません。エリートも大衆も不完全な人間であるという点においては、同様の存在です。そもそも、オルテガのような思想家においては、社会的地位や階層、学歴などがエリートと大衆を分かつものではありません。エリートも、総合的思考を失い大衆社会の熱狂の中で溺れている存在であるならば、まさにその存在は大衆そのものであるわけです。無責任で嫉妬やエゴイズムを抑制することなく他者を引き摺り下ろそうとする大衆は、自生的秩序を崩壊させ、他者との高貴なる交流を阻害する。しかも、大衆はメディア報道に熱狂しやすく、冷静な議論を阻害する。他者との価値の葛藤に耐えることができない。 (p. 112)

西部
 (……)自由というものには、自律性、あるいは主体性、積極性というものが必要なんだという。そういうポジティブな自由じゃなくて、フロムがエスケイプ・フロム・フリーダム、『自由からの闘争』と名づけたように、自律性・主体性・積極性を持たずに、たとえば一握りの政治的エリートに扇動される、操作されるような、そういう人々を大衆と呼んだ。そしてそういう大衆が、全体主義の呼び水となった。一九二〇-三〇年代の、イタリアのムッソリーニのファシズムとか、少し遅れてドイツのヒットラーのナチズム、ソ連のスターリンの社会主義の呼び水となった大衆というものは、否定的にとらえられてきたわけです。
僕は戦後に育った人間だけど、二〇世紀後半の、つまり第二次世界大戦後の世界の状況なり日本の状況にはそういう一九世紀的な定義というか、貴族主義的定義、教養と財産を持たない大衆の定義も、あるいは二〇世紀前半の民主主義というものに責任を持とうとしないそういう大衆――民主主義的定義とあとでいわれるんだけれども――その両方ともね、二〇世紀の後半のこの時代に適当じゃないなと思う。 (p. 116)

西部
 僕、インテリというのは哀れなものだなあと思う。その『ラ・リベリオン・ド・ラ・マサス』が翻訳されたときに、『大衆の反逆』と訳して、序文その他でこういう解説を彼らはつけるんですよ。いわゆる左翼的理解なんです。「大衆が反逆している」。
日本でこういうと、なんとなく素晴らしいことでしょう。オルテガの本はそういう本だと。しかしそんなことは本文には一行も書いてない。中に書いてあるのはこういうことで、彼自身がはっきりと説明してるんです。
そもそも社会をガヴァメント(統治)する能力も気力もない人間たちが、そういう能力をもっている人間たちに対して反逆を起こし、そういう人たちを次々と権力の座、責任ある立場から追い払って、自分たちが統治してみせると構え、そして、とうとう統治する能力のある者がいなくなったときに、途方に暮れて人材はもういないのかと嘆いている。そういう無責任な人間たちを指して、彼は人間階級としての大衆、マス、というふうに呼んでいるんです。 (p. 119)

中島 鶴見〔俊輔〕さんは、こうも言っています。日本では昔から銭湯に来た人間同士が、殴り合いもせず風呂に入っている。これは立派な人道思想ではないか、と。しかし、明治以降の高等教育では、人道思想はヨーロッパ哲学のなかに存在し、大学教授が権威を使って教示するものとなっている。しかし、庶民の生活に依拠した伝統感覚の中にも、自生的な哲学が存在するのではないか、と。
このような発想は、保守の思想に部分的につながっていると思います。保守は歴史感覚に依拠する「常識」の中に、一哲学者の理性的構想を超えた叡智を見出すわけで、その点では、庶民のコモンセンスを重視する鶴見さんの思想は、保守にとっても非常に納得のいく部分が多いように思います。 (p. 124)

西部
 (……)わが国の戦後ではどちらかというとトクヴィルは民主主義を擁護しているというように受け取られている。どこをどう読めばそういう解釈になるのかねえ。
そういうことにちなんでいうと彼ははっきりいってます。ティラニ・オブ・ザ・マジョリティ(多数者の専制政治)だと。デモクラシーの多数決とは、要するに、ミディオクリティ、凡庸ということなんです。これは平凡以下のマイナスの価値観。多数者が自分らの凡庸なる意見を専制的に、ティラニカルに、専制的な支配を社会に対して押しつけてくるということです。
(……)
マスコミは第四の権力だ、みたいなふやけた意見がありますけど、すでに一八三五年に、いや第II巻のほうだから一九四〇年かな、マスメディアというか、ペリオディカル・プレスはアメリカ社会の主要な権力である、とトクヴィルは喝破した。その理由も書いてあるんです。世論、パブリック・オピニオンというが、けっきょくのところ、ソウイウペリオディカル・プレスに動かされてるじゃないか、だからそれが主要な権力なんだ。主要というのはほとんど第一のことですから、第一権力だ、と。今から百七十年も前に、はっきりとそういうふうにいっている。そのことすら日本のインテリどもは気づかない。(p. 128)

西部
 そういう意味じゃ、冗談半分にいうんだけど、僕がしてきたのは楽な商売でした(笑)。だって書いてあるんだもの。書いてあることをこう書いてますよといえばよかった。その書かれてあるものは日本社会の現状にかなりあたってまっせ、ということをいっただけのもんなんです。(p. 134)

西部
 (……)言論する者たちのあいだで、お互い「そういうことだよな」という大前提における――たとえ暗黙にせよ――共通の理解がなければならない。さもなければ何かを分析したり予測したりしても、実にむなしいどころか、下手をすると完全に方向が違って、部分的な知識の暴走を起こしかねないものなんだ。そう考えるのが保守思想の認識における第一歩なんです。
問題は、その予めの判断、大前提がどこからくるかということです。それは国民の歴史的常識、コモンセンスからくるとしかいいようがない。 (p. 141)

中島
 国家が間違えた方向に行こうとしているとき、それを言論や行動によって正そうとすることも、重要な「公」の精神です。しかし、どうもこの国では「お上」に追随することが、、公民の義務だと考えられがちです。ここでは、行政的公共圏と市民的公共圏の区別が付けられていないことが問題です。

市民的公共圏と言うと、直ぐに保守派の人たちは「左翼だ」というわけですが、保守こそがこの市民的公共圏の重要性を、ほんらいならば説かなければならない。社会が共有する価値や秩序の形成に積極的にコミットし、時に国家や行政の施政に対する異議申し立てをすることで社会的存在たることを引き受けようとする「市民」の存在は、保守にとって重要です。しかし、「市民運動」というと、保守の人たちはすぐに単純な「反国家」「反行政」的左翼活動だとみなして、それを忌避してしまいます。保守こそ、よき「市民」として活動し、時に地方行政などに参画し、時に行政の誤りを厳しく批判するあり方を確立すべきです。「お上」に盲目的に従属することが「公の精神」ではありません。 (p. 187)


第三章
日本の保守思想の可能性

中島 人間の感情の相剋を直視し、その中で平衡感覚を保とうとした漱石は、保守思想と同様の人間観・社会観をもっていたということができるのではないでしょうか。人間の悪を直視し、個別的な理性による社会のコントロールを疑う。個人の孤独を引き受けつつ、他者との葛藤の中に人間の本質を読み解く。このような漱石の立っている場所は、保守思想と近接します。
そして、このような文学的人間観こそが、昭和一〇年代から二〇年代の保守思想を支えてきたのではないかと思います。たとえば、福田恒存や小林秀雄、江藤淳といった文学を基盤とした保守の流れです。第一章でも触れましたが、とくに戦後の日本では、保守思想はこのような文学者によって主に担われてきました。(p. 202)

西部
 思想的にいえば、繰り返しになるけれども、バークからはじまり、トクヴィルを経て、さらにニーチェからオルテガになり、ヤスパースやハイデッガーなんていう実存主義にいたるまで、こぞって近代主義というものに背を向ける。半ば命を賭けたような思想の闘いを近代主義に対して挑んでいる、というのが西洋思想の生命線なんです。
そのことが「近代の超克」の人たちには伝わっていないようだ。そういうことが如実に読み取れたというのがひとつです。
そのことのつながりとしていうと、アメリカと戦争していた時代なんですけど、やっぱりヨーロッパとアメリカの違いについて、一片も認識されていないということがあります。これはちょっとびっくりするほどだ。ヨーロッパには、たとえばホイジンガのものなど、アメリカ批判がいろいろあるわけです。 (p. 220)

西部
 (……)戦後すぐ、日本共産党と共産党に影響をうけた左翼が平和主義、進歩主義、ヒューマニズムをばら撒いた。それに対して彼〔福田恒存〕は強い反発をおぼえた。社会科学は九十九匹を救済できるかもしれない、科学的政策をもってすれば。ところが一匹は救済できない、その一匹とは文学のことなんです。
文学に限りませんが、真・善・美について苦悩している、見つけたくても見つけられずに苦悩しているすぐれた一匹ですね、その一匹を社会科学は救済できない、というふうにして彼は抵抗するんです。でも、保守思想の見地からいうと、その言い方には問題があると思う。
たとえば慣習という実体、その中に含まれている伝統という平衡の意思、意識の形式、それは百匹のものです。全部に、無意識でも共通している意識の根源、それを指して、伝統というわけです。そうなら保守思想は、百匹丸ごと救ってみせると構えなければ、伝統という観念が出てこない。それを一匹だけの美意識でやってしまうと、小林秀雄さんに吸収されてしまうのではないだろうかというのがひとつ。 (p. 246)

西部 (……)やっぱり小林秀雄も福田恒存もみんなそうなんだけれども、社会科学というものをどこか、軽蔑している。軽蔑されてしかるべきものだと僕も思う。
そして彼らは社会科学に対し、社交辞令として敬意のようなものを示すことによってうとんじる、というやり方をしている。僕も、社会科学といわれるものを渉猟したとき、尊敬する気は毛頭おこらない。でたらめなことが山ほど書かれている。でもそれを全部眺め渡したときに、社会科学的な知見と、文学的な感性、あるいは哲学的な洞察は、相互補完といえばいかにも安易ですけど、対立軸においてみるような必要は何もない。ついでにいうと、理想と現実、両方とも必要なわけですね。
僕なりに言い換えれば、理想と現実のバランスこそが必要なんだ。そのバランスを具体的な状況の中でいささか具体的に述べようとすると、いやおうなく社会科学的なヴォキャブラリーとかグラマーが とうぜん出てくる。(p. 249)

西部
 共産党系だけが治安維持法にひっかかった。維持法にひっかかった保守派がいないというのは問題だねぇ。人の悪口はいいたくないけど。国家として死を決意した、ある意味では偉大な瞬間がかつてあったのだ、と思いたい気持ちと、そんな偉大な気持ちを神ならぬ身が持つのは傲慢だという気持ちの両方が僕にはある。それにしても、思想というのは根性のないものだなあ(笑)。 (p. 268)

西部
 世界観の時代というものがあるとしたら、抽象的に、普遍的とみなされる理念を、世界人類が、人類のすべてが、強かれ弱かれ受け入れざるをえない時代において、世界観というものが成り立つ。しかし、普遍的な理念は具体的になんですか、といわれたら、すべて個別的な国柄、国柄どころか人柄にまで――分解すればね――すべて個別的なものに還元せざるを得ない。したがって、個別具体としていえば、世界観なるものはかつて一度も表現されたことはないし、今後ともないであろう、というのが僕のいう意味でのナショナリズムです。狭隘な自閉的な排外的なナショナリズムではなくて、隣の人と関係を持って、あるときはけんかもやるだろうが、あるときには妥協も、あるときには強力もするようなそういう意味でのナティオから人間は逃れられない。
もっというと、我々が過去を振り替えるときも未来を展望するときも、これは認識の限界なんだけど、我々の認識の基盤のまた基盤に、ナショナルなものが、主として言葉を通じてできている。そうである以上ね、我々はナショナルを超えたものを展望することは、あるいは回顧することも、不可能であるということになる。間違っているかな。 (p. 268)

西部
 (……)どっか人間は、町へ出て行かざるを得ない。寺山修司みたいに、喜び勇んで(笑)、うれしがってじゃなくてね。町じゃなくてもいいな、自分のカミさん相手でもいい、酒場の飲み友だちでもいい、そういう広い意味での他人の場へ出る姿勢がないと、知識の生き方が貧相なものになる。 (p. 287)

パンドラの函の底にまで手を入れてもらいたい     西部邁

(……)私は、ずいぶん前から、「時代とは世代間交流の在り方である」と考えてきました。要するに、年寄りと若者とがどう付き合うか、その交際の仕方が時代の性格を決める主足り色調だということです。単一の世代だけがほかの諸世代を押しのけて時代を代表するというような光景は、時代が衰弱に入ったことのまぎれもなき証拠といわなければなりません。それのそのはず、時代の推進力とは、世代間の葛藤を乗り越えんとする各世代の努力の集積のことにほかならないのです。
その点で、進歩主義という文明観は出発の当初から挫折を運命づけられている、といってよいのではないでしょうか。なぜといって、その文明観は、新しい変化に進歩が宿っているという独断に立っているため、若者文化が時代を代表するかのように際立たせられ、それにつれ、年寄りが若作りに精出す、というみっともない風景が社会の隅々にまで広がっていく始末なのです。 (p. 300)

 いえ、この列島の惨状はもっとひどい段階に達しました。構造改革とやらが極点にまで届き、そこでアメリカ流の酷さが、私の予告通りに、過剰格差社会の出現といったような形で、剥き出しにされました。平成列島人はいわば「パンドラの函」を開けたのです。構造会かうという極端な進歩主義のイデオロギー・ボックスから、ありとあらゆる災厄が飛び出てきました。もう少し正確にいうと、構造改革の打ち上げ花火は見栄えのする見世物ではあったものの、無数の火玉が空中で消えないままに、「民意は神意」と叫び立てて喜んでいるデモクラシー・コメディの観客席に降りそそいできたもので、列島人たちはあわてふためいてその函を閉じたのです。そして予言者パンドラの言い伝えの一番の妙味は、最後に函のなかに封じ込められることになったのは「希望」であったということです。
つまり、自分らで招来した構造改革が害悪だらけであると知って、列島人たちは社会民主主義の揺り籠に戻ろうとしています。アメリカ流の左翼の個人(=自由)民主主義から北欧流左翼の社会(=規制)民主主義へと舵を切り換えようというのです。平静のパンドラ・ボックスに封じ入れられたままの希望、それが真正保守なのだと私は思います。中島くんを初めとする若い世代には、その函をふたたび開け、函の奥底にまで手をつっ込んでもらいたいものだと、と私は思います。(p. 302)


                                    (2012/2/12)