西部邁、中島岳志 |
第一章 保守思想とは何か 西部 (……)こういう一文があるんです。 |
中島 (……)安易な形で政治の世界に美を持ち込むことの危険性を指摘したのはベンヤミンですが、彼は「政治の美学化」ということを言いました。これはヒトラーのような陳腐な芸術家こそが、美の概念を政治に持ち込むことで、均質なファシズム的社会を構築してしまうという事態を指しています。 |
中島 いまの世論は、完全にセンチメント(感傷)です。ここに輿論と世論の問題があります。「輿」という字を使った「輿論」というのは、英語にするならばパブリック・オピニオンです。それに対して「世論」というのは、ポピュラー・センチメントです。今は、ポピュラー・センチメントのみが世の中を支配しています。 |
第二章 保守思想の伝統と核心 中島 「大衆」をどのように見るかは、保守思想の核心部分ともかかわってくるように思います。保守思想では、伝統や共同性を静かに保ち、共同体に根付いている「自生的秩序」を重んじる「庶民」を重視する一方で、熱狂的で気分に流されやすい「大衆」を厳しく批判する傾向があります。ヨーロッパではオルテガの『大衆の反逆』が代表的ですが、多くの思想家が大衆社会というもの対する警告と疑念を表明しています。 |
中島 鶴見〔俊輔〕さんは、こうも言っています。日本では昔から銭湯に来た人間同士が、殴り合いもせず風呂に入っている。これは立派な人道思想ではないか、と。しかし、明治以降の高等教育では、人道思想はヨーロッパ哲学のなかに存在し、大学教授が権威を使って教示するものとなっている。しかし、庶民の生活に依拠した伝統感覚の中にも、自生的な哲学が存在するのではないか、と。 |
市民的公共圏と言うと、直ぐに保守派の人たちは「左翼だ」というわけですが、保守こそがこの市民的公共圏の重要性を、ほんらいならば説かなければならない。社会が共有する価値や秩序の形成に積極的にコミットし、時に国家や行政の施政に対する異議申し立てをすることで社会的存在たることを引き受けようとする「市民」の存在は、保守にとって重要です。しかし、「市民運動」というと、保守の人たちはすぐに単純な「反国家」「反行政」的左翼活動だとみなして、それを忌避してしまいます。保守こそ、よき「市民」として活動し、時に地方行政などに参画し、時に行政の誤りを厳しく批判するあり方を確立すべきです。「お上」に盲目的に従属することが「公の精神」ではありません。 (p. 187) 中島 人間の感情の相剋を直視し、その中で平衡感覚を保とうとした漱石は、保守思想と同様の人間観・社会観をもっていたということができるのではないでしょうか。人間の悪を直視し、個別的な理性による社会のコントロールを疑う。個人の孤独を引き受けつつ、他者との葛藤の中に人間の本質を読み解く。このような漱石の立っている場所は、保守思想と近接します。 |
西部 (……)やっぱり小林秀雄も福田恒存もみんなそうなんだけれども、社会科学というものをどこか、軽蔑している。軽蔑されてしかるべきものだと僕も思う。 |
パンドラの函の底にまで手を入れてもらいたい 西部邁 (……)私は、ずいぶん前から、「時代とは世代間交流の在り方である」と考えてきました。要するに、年寄りと若者とがどう付き合うか、その交際の仕方が時代の性格を決める主足り色調だということです。単一の世代だけがほかの諸世代を押しのけて時代を代表するというような光景は、時代が衰弱に入ったことのまぎれもなき証拠といわなければなりません。それのそのはず、時代の推進力とは、世代間の葛藤を乗り越えんとする各世代の努力の集積のことにほかならないのです。 |