ブリコラージュ@川内川前叢茅辺 <書 抜き書きメモ26>

ユルゲン・ハーバーマス
法と正義のディスクルス

河上倫逸編訳、未来社、1999年

第1章 異文化間の相互理解 ――東洋と西洋

フランス革命の伝統が根づいているフランスでは、国民主権などの普遍的理念とナショナリズムが結びついています。ドイツではナポレオン支配に対する解放闘争からナショナリズムが育ったので、自己に固有なものと文化や血統に関するパトスが結びついているのです。このような分立主義が、いまだにわれわれの国民意識を特徴づけています。この分立主義はまた、第二次世界大戦後「ドイツ特有の意識」と呼ばれるようになったものを形づくってきたのです。(p. 11)

 
第2章 歴史意識とポスト・伝統的アイデンティティ ――ドイツ連邦共和国の西欧志向

こうしたタイトル[ヘール・ヴィルジングの「中間ヨーロッパとドイツの未来」]は中欧諸国におけるヘゲモニーという夢と、ロマン主義者からハイデッガーにいたる「ドイツの文化伝承に潜む反文明的、反西欧的伏流」に深く根ざしたあの中央というイデオロギーを反映している。地理学上の中央に位置することに着目したこの自己意識は、ナチの時代には社会ダーウィニズムによっていま一度先鋭化された。そしてこのメンタリティこそ、完全に文明化した一国の全住民が大量犯罪に目を閉ざすということが、どのようにして起こりえたかのかを説明する要因の一つなのである。西欧諸国からの隔絶と彼らに対する特権とをもたらす「特別な道」をドイツは歩んできたのだという意識は、アウシュヴィッツを経てはじめて信用すべからざるものになった。(p. 14)

ナショナリズムは次の三点でそれ以前のアイデンティティ形成と区別される。まず第一に、そこではアイデンティティを創出する諸理念が教会や宗派によらない世俗的遺産から引き出されている。それは当時成立した精神科学が発掘し提供したい産である。このことからいくらか明らかなように、この新しい理念にはすべてのものにたいして貫徹されると同時に個別的に自覚されるという二つの性格が認められる。すなわちこの理念は住民の全階層を一律に把握し、しかもそれは伝統の習得という自発的で反省的な形態を取らざるをえない。第二に、ナショナリズムは言語、文学、歴史からなる共通の文化遺産を、国家の組織形態に合致するものと考えた。革命の結果誕生した民主的国民国家としてのフランスは、常にあらゆるナショナリスティックな運動が志向するモデルであり続けた。第三に、ナショナリズムのもとでは国民意識のうちに対立する二つの要素のあいだの緊張が生じている。すなわち、一方で法治国家や民主主義という普遍主義的な価値を志向することと、他方で国民が自己を外部から区別するさいに示す個別主義とのあいだの緊張である。この二つの要素はかつての古典的国家の諸国民、つまり既存の国家の組織形態の枠の中でようやく自己の存在を意識するようになった国民においては、程度の差こそあれ均衡を保たれていた。(p. 21)

収容所には今世紀のもっとも奥深い本質的特徴が象徴されているとハンナ・アレントは言った。彼女が挙げるのはナチの絶滅収容所だけではなく、広く政治犯や捕虜のための収容所、難民収容所、さらには政治的亡命者、国外追放者、経済的難民、そして外国人労働者等々のための仮の、一次的な収容所にまで及んでいる。戦争や政治的弾圧、経済的困窮、国際的労働市場によって強いられてるこうした途方もない人口移動によって、いずれの先進社会においても人種構成を不変のままに保つことはまず不可能なこととなった(p. 28)

宗教的著作家あるいは哲学者ゼーレン・キルケゴールは、実存主義哲学の枠をはるかに越えて今日にいたるまでわれわれの思考に刺激を与えてきた。彼は民族運動の同時代人でありながら集合的なアイデンティティについては一言も語ることなく、もっぱらここの人格のアイデンティティのみを問題にした。『あれか、これか』のなかで彼がひたすら追求しているのは、孤独のうちにくだされる決断である。この決断を通じて道徳的な個人は自己の生活史にたいする責任を引き受け、みずからを「現にそうであるところの彼自身たらしめる」。自己の変容をもたらすこの実践的行為にはまた認知的側面があり、つまりこれによって個人は「倫理的人生観」へと転じる。「彼はいまや、みずから選んだ自己が無限の多様性をはらんでいることに気づく。というのも、その自己には歴史があり、その歴史に彼は彼自身のアイデンティティを見いだすのだから」。(p. 31)

(……)一九世紀の半ばにキルケゴールがカント倫理学の前提のもとで考察しなくてはならなかったこと、そして彼がカントの普遍主義的道徳をいささか問題のあるやり方で「具体化」しようとするヘーゲルの試みに代わるものを提示しようとしていたことがわかる。ヘーゲルは、なるほど主観的な自由と道徳的な良心のよりどころを理性的国家の諸機関に求めた。だがマルクスと同様にこの客観的精神を信用しなかったキルケゴールは、それに代えて自由と良心の二つをともに徹底した内面性に基づくものとした。こうした経路をたどって彼は人格的アイデンティティの概念に到達したが、これは明らかにわれわれのポスト・伝統的な世界、ただしそれ自体ではいまだ理性的なものとはいえない我々の世界に、いっそうふさわしいアイデンティティ概念である。(p. 32)

キルケゴールのモデルは個人が自己の生活史を責任をもって引き受けるというものであり、これと伝統の習得という集合的過程とのアナロジーにはおのずから限度というものがあるだろう。個人的生活に関してさえ、「あれか、これか」の決断主義は極端な様式化を招いている。だがここでキルケゴールが「決定」に重きを置いているのは、何よりも自己を把握するということの自立的かつ意識的な性格を強調するためである。そして相互主観的に共有され一個人の意のままにはならない伝統の習得というレベルでこれに対応しうるのは、唯一、公共の場でたたかわれる論争の自律的、意識的な性格である。(p. 35)

個人と集団のあいだにはこれ以外にも等しく重要な相違がある。キルケゴールは自己の選択という行為を終始、道徳的に正当化するという視点から眺めている。だが道徳的な評価が要求されるのは、われわれが個人の人格に帰することのできる行為に限られる。歴史的過程にたいして個人的行為にたいするのと同じ意味の責任を感じることはできない。後から生まれた者にとって世代を越えて伝えられる生活形態の歴史的連関から生ずるのは、ある種の相互主観的責務に限られる。ただここにも、個人が自己を確認するやいなやただちに彼を悔恨へと向かわせる、あの契機に対応するものを見ることはできる――償われざる犠牲者を前にするときのメランコリー、われわれをある義務のもとに置くあのメランコリーである。この歴史的責務をベンヤミンのように幅広くとらえるかどうかはともかくとして、われわれは今日かつてなく大きな責任を負っている。それはわれわれが次代に伝える生活形態のなかに占める連続性と非連続性との比率に対する責任である。(p. 36)

 

第3章 西欧工業社会における社会国家的妥協のモデル

この[マルクス主義的機能主義とでも呼びうる]国家論は、経済システムから生ずる機能的命令を遂行するものとして、国家の活動を完全にとらえうるという考え方から出発する。市場つまり交換価値の媒体をとおして操作される行動システムのみが、それ固有のダイナミズムを展開できるのであって、その他の社会的諸過程は、究極的にはこのダイナミズムによって規定されている。これにたいして、わたしは(たとえば、T・パーソンズの)システム論で展開されている見解、すなわち、国家装置や公共的管理もまたシステム――このシステムは市場ではなく権力の媒体で操作される――を構成する、そしてそれらは経済システムと機能的な相互補完関係にあるという見解を、認めるものである。(p. 47)

正当マルクス主義は、国歌干渉主義、大衆デモクラシー、福祉国家をもっともらしく説明しようとして、苦境に立っている。経済学的説明は、階級闘争の鎮静化や長期にわたる経済繁栄に直面して役に立たなくなった。これらの成果は、第二次世界大戦以後、ヨーロッパ諸国で改良主義が広義の社会民主主義の政策要綱というスローガンをかかげて、獲得してきたものである。(p. 48)

資本主義とデモクラシーのあいだに解決できない緊張関係がある。つまり、相互に対立し合い・競合する社会的統合の二つの原理が、優位を争っている。民主主義的な憲法条項のなかに表現されているように、当然、近代社会は、制度的秩序から分肢するサブシステムよりも生活世界が優位するのだと、主張されている。民主主義の規範的意義を社会理論的に定式化すれば、次のようになるだろう。システムに統合される行動領域の機能的必然性を充たそうとすれば、社会的統合を目指す行動領域の要請である生活世界の充実という問題にぶつかって、その限界を示さざるをえない、と。他方で、経済システムが資本主義特有のダイナミズムをどれほど保持しうるかは、蓄積過程が使用価値志向(生活世界)から分離される度合によって決まるのである。(p. 52)

これまで社会的富の生産手段に関する私的処分権をめぐっておこってきた社会的対立は、階級闘争の制度化によって、社会的集団の生活世界の構造を形成する力をいよいよ失っていく。もっとも、経済システムそのものの構造についていえば、社会的対立はいぜんとして本質的な要素であるのだが。後期資本主義はシステムと生活世界との相対的分離を、それなりの仕方で利用している。階級構造が生活世界からシステムに移されると、かつてのように歴史的に認識できるような姿を失う。社会的保障の不平等な配分は特権の型を映し出しているのだが、この方はもはや直接に階級状態に還元できない。確かに、不平等を生む古い源泉はけっしてなくなってはいない。だが、別の型の不平等や福祉国家の弁償が、この古い源泉と相互に作用しあっている。これを特徴的に示しているのは、身分差別だとか、社会的周辺グループの闘争である。私経済形態の蓄積によって社会のなかに組み込まれている階級闘争が抑制され、影を潜めるようになればなるほど、階級にのみ還元できる利害状態とは直接にはかかわりのない諸問題が前面に出てくることになる。(p. 58)

社会民主主義的妥協によって、システム(経済と国家)と生活世界(私的領域と公共性)とのあいだの四つの交換関係は変化する。この交換関係のために、従業員としての役割と消費者としての役割、公的官僚制度の被保護者としての役割と市民としての役割も決まってくる。マルクスの価値論は労働力と賃金との交換だけに集中していて、労働世界における物象化の徴候を見おとした。マルクスは歴史的に制約されている型の疎外に注目したのであって、たとえば、エンゲルスはこの疎外を、『イギリスにおける労働者階級の状態』のなかで説明している。工業化の初期段階での疎外された工場労働をモデルとして、マルクスは疎外の概念を展開し、これを賃労働者の生活様式、つまりプロレタリアートの生活世界全体に適用したのである。(p. 59)

 
第4章 惨禍から何を学ぶのか ――短き二〇世紀を顧みて

今世紀の半ば以来、そうした[匿名化された無数の個人が、集団的に行為するマクロ主体]多数者の現われ方は、その相貌を大きく変えることになった。招集された人民、行軍する隊列、すし詰めにされた群集などといった現われ方は、もはや、多くの者の意識をなんらかの象徴によって束ねることで生ずるのではなく、急速に拡大するコミュニケーション・ネットワークに移行しつつある。かつて一所に集められていた大衆は、マスメディアを享受してばらばらに散在する観客へと姿を変えているのである。(p. 67)

生活世界の経験の現象学的読み替えをおこなうならば、この[農業部門の従事者人口はほぼ壊滅寸前となった]ことは、過去との徹底的な断絶を意味している。新石器以来、はるか一九世紀まであらゆる文化に同一の特徴を与えてきた田園の生活形式が、先進諸国においてはまがいものと化したのである。農民階級の零落によって、都市と田園との伝統的な関係にも革命が生じた。今日、世界人口の四〇%以上が都市で生活している。都市化の過程は、旧ヨーロッパにおいて成立した都市の生活形式のみならず、都市そのものをも破壊しているのである。(p. 69)

今日では、より大きな単位のなかで思考することをいまだに好む歴史家たちのあいだには、「長き」一九世紀(一七八九年-一九一四年)ののちに「短き」二〇世紀(一九一四年-一九八九年)が続くというコンセンサスが存在している。この第一次世界大戦の始まりとソ連崩壊のあいだには、両世界大戦と冷戦によって生みだされた敵対関係が含まれている。とはいえ、この区分法には三つの相異なる解釈をおこなう余地が残されている。それは、社会システムの経済の次元、超大国の政治の次元、イデオロギー文化の次元であり、このそれぞれの次元において、前記の敵対関係を描くことができる。(p. 73)

 

こうした三つのパースペクティヴのいずれからも、短き二〇世紀にはそれぞれに固有の相貌が与えられる。第一の見解によれば、行ける人間を用いた巨大な実験による資本主義的世界システムへの挑戦によって、二〇世紀は駆り立てられてきたことになる。つまり、無残な犠牲を生みだしつつ野蛮に強行された強制的な工業化は、確かにソ連を政治的には超大国へと上昇させる道を開いたのであるが、経済的・社会政策的に生産力のある土台を確保したわけではなかったために、西側モデルに対する優れたオルターナティヴにも、あるいはただ生き残りうるだけのオルターナティヴにも、なりえなかったのである。第二の見解によれば、二〇世紀は、全体主義がもつ陰惨なさまざまな傾向によって彩られている。全体主義は、啓蒙とともに始まった文明化の過程を断ち切り、国家権力を馴致し社会的交流を人間的なものとするという希望を潰えさせた。(……)このパースペクティヴからは、全体主義的勢力とその自由主義的な対抗勢力が光と影にはっきりと区分されることになる。第三のポストファシズム的な見解によれば、同じ地位とはいわないまでも、類似したメンタリティをもつ党派のあいだでイデオロギー的聖戦が闘われ、二〇世紀はその陰に覆われていたことになる。両陣営は、それぞれがもつ歴史哲学的に基礎づけられたプログラムに立脚しつつ、世界観的対立を戦い抜いたのであるが、そうしたプログラムはいずれも、始源的には宗教的でありながら世俗的目的に転用されたエネルギーから、その狂信的な力を得ていたのである。(p. 75)

これらすべての解釈に現れているのは時代の陰惨な過程である。すなわち、ガス室と総力戦、国家的に実行された大量虐殺と絶滅収容所、洗脳・国家保安のシステムと全人民へのパノプティコン的監視、これらを「考案した」時代の陰鬱な過程なのである。この世紀は、それ以前には想像することすら不可能であったほどの多数の犠牲者、すなわち、多数の戦死者、多数の殺害された市民、殺された民間人、迫害された少数民族、多数の被拷問者、被虐待者、餓死者、投資者、多数の政治的虜囚、政治的亡命者を「産出」したのである。暴力と野蛮という現象がこの時代の特徴を表すことになる。ホルクハイマーとアドルノからボードリヤールとジーグムント・バウマン、ハイデガーからフーコーとデリダにいたるまで、時代の全体主義的傾向は、時代診断の構造におのずと刻み込まれていた。このように、これらの悲観論的解釈はさまざまなイメージの恐怖に捕らえられているが、しかしこれからは惨禍の裏面が抜け落ちている。(p. 76)

一九四五年に生じた文化的気候の変動は、八〇年代までの戦後時代にそれぞれ別の相貌を与えた。それは、(a)冷戦、(b)脱植民地化、(c)ヨーロッパにおける社会国家の建設である。(p. 79)

以上の三つの発展は、エリック・ホブズボームのようなマルクス主義的歴史学者にとっては、戦後の数十年間を「黄金時代」として褒め称える根拠として充分なものである。しかし、遅くとも一九八九年以来、公共圏ではこうした時代の終焉が気づかれている。幾多の諸国において、社会国家は少なくとも社会政策上の成果としては顧みられているものの、その一方では、あきらめがひろがっている。二〇世紀末を特徴づけるのは、社会国家的に馴致された資本主義の構造的危機と、社会を斟酌しない新自由主義の復活の徴候である。(p. 81)

社会国家的妥協を取り消せば、当然、それが食い止めていた恐慌の傾向を再燃させることになる。自由主義社会の統合能力に過大な要求をしかねない社会的コストが必要となるわけである。所得格差の増大にともなう貧困と社会不安の強まりを示す徴候が明らかに見られるし、また、社会的統合の解体傾向も明白である。完全雇用者・不完全雇用者・失業者、それぞれのあいだでの生活条件の格差は広がる一方である。さまざまな排除――雇用システムと進学からの排除、国家による外貨支払・住宅市場・家庭財産からの排除――によって、「下層階級」が発生する。こうした、ほかの部分の社会からはっきりと分離された貧困な集団は、もはや自らの力でその社会状況を変えることはできない。民主主義的に構想された社会は、自由主義的政治文化の普遍的自己理解に立脚しているのだが、比較的長い目で見れば、このような貧困階層との連帯の欠如は、この自由主義的政治文化を破壊せずにはいないのである。多数決は形式的には適正に成立するが、しかしそれは、没落に脅える階層がもつ、自己の地位に関する不安や自己主張を、つまりは有権者のポピュリズム的気分を反映するにすぎない。それゆえ、このような多数決は、制度そのものがもつ手続きと正統性をみずから空洞化することになってしまう。(p. 84)

どうひねくってみたところで、経済のグローバル化は、社会国家的な妥協を一次的に可能にした歴史的な布置を破壊してしまうのである。資本主義に内在する問題の理想的な解決ではないとはいえ、この社会国家的妥協こそが、これまでに発生した社会的コストを受容可能な範囲に収めてきたのであるが。(p. 87)

第5章 公共的な理性使用による宥和 ――ジョン・ロールズ『政治的リベラリズム』の批判的検討

近代社会において、自由で平等な人格である市民たちの公正な共同が保証されるには、当の社会がなんらかの原則にしたがっていなければならない。ロールズが基礎づけて見せたのはそうした原則であった。まず第一段階では、公正な共同のあり方について非党派的に答えるために、火葬場の代表者が取るべき観点が解明される。そのさい、当事者たちがいわゆる原初状態において二つの原理に同意する根拠が明らかにされる。二つの原理とは、すべての市民に等しく主観的な行為の自由を確保するリベラルな第一原則と、公共的な役職に就く権利を等しく保障すると同時に、抑圧された市民に有利になるかぎりでのみ社会的不平等を認める第二原則である。第二段階では、この構想自体が多元主義を促すものであることを認めつつ、多元主義のもとでもなおこの構想が合意を得られるものであることを明らかにする。つまり、ロールズのこの政治的リベラリズムは世界観的に中立である、というわけである。それは、彼の正義の構想が真理請求を掲げることなく、理性的な構成をとっていることに由来している。(p. 98)

 

原初状態を構成するにあたり、ロールズは政治的自律の概念を二つの要素に分解している。ひとつは、合理的な利益を求める当事者に帰せられる、道徳的に中立な性質である。もうひとつは、公正な共同を実現するのに必要な原則の選択を当事者に求める、道徳的な実質をもつ状況制限である。この規範的制限のおかげで、当事者は過分な能力を与えられることなく、「合理的存在として、その時どきの善の構想に基づいてのみ行為するという適正な権能」だけをもつことになる。だが、目的合理的な検討だけをおこなうにせよ、生活設計の倫理的な観点をも考慮するにせよ、いずれにしても当事者の決定は、常に自分自身の価値観から(つまりは代表されている市民のパースペクティヴから)おこなわれる。全員の等しい利害関心を考慮するような道徳的観点から物ごとを見る必要はないし、またできもしない。なるほど非党派性ということが言われてはいるが、それは、無知のヴェールによって当事者――相互に無関心で、自由・平等であるような当事者――の視野を制限することで得られるにすぎないのである。こうした制限のもとでは、当事者は、自分の属する社会のなかでの自分の位置を知ることができない。それゆえ、何が全員にとって等しく良いのかと考えることが、むしろ自分の利害関心と一致することになるのである。(p. 100)

そうした当事者の正義感覚というものは、合理的エゴイストのものの見方とは無縁なものではあるまいか。どう考えても、道理的エゴイズムの限界内では、当事者の取り得るパースペクティヴには限界がある。彼らに代表される市民は、全員にとって等しく善であるものに公平な立場から定位するときには、相互的なパースペクティヴをとる。しかし、合理的エゴイストの視点を脱しきれない当事者に、そうしたパースペクティヴをとることができるとは思えないのである。(p. 103)

権利を平等な分配の対象にするには、法仲間が自由かつ平等な存在として互いに承認しあっていなければならないのである。ところが、もちろん、権利は財や機会の公正な取り方を目的とするものとはいえ、権利そのものは行為者同士の関係を規律するものである――そして物とは異なって、行為者に「所有」されることなどありえない。それゆえ私の見るところ、ロールズは、合理的選択という依然有効なモデルの概念戦略に強いられるあまり、基本的自由を基本権として構想するのではなく、あらかじめ基本罪に解釈替えするという羽目に陥っている。このため、義務を課す規範の義務論的意味が、選好される価値の目的論的意味に取り込まれてしまっているのだ。つまりロールズは本質的な差異を消し去っているのである。(p. 105)

各自の自己理解に、超越論的意識、つまり普遍妥当する世界理解が反映されていれば、ある個人から見て全員に等しく善であることが、各自の等しい利害関心のなかに事実的に存在していると言えよう。しかし、現代社会の世界観的多元主義という条件下では、こうしたことはもはやありえない。もしカント的な普遍化原則を救済しようとすれば、この多元主義という事実に直面しなければならないのである。これにたいしてロールズのとったやり方は、次のようなものであった。すなわち、原初状態の当事者に与えられる情報を制限することで、彼らが共通のパースペクティヴをとらざるを得ないようにし、それによって、各自の主張するパースペクティヴのばらつきを巧みに中和するのである。だがこれとは反対に、討議倫理学においては、相互主観的に遂行される論証手続きに道徳的観点が具体化されると考える。この手続きでは、当事者それぞれのパースペクティヴの限界を脱するような理想化がおこなわれるからである。(p. 108)

 

原初状態にある当事者が無知のヴェールによって情報を剥奪されるという理論構成をとったばかりに、ロールズは、非常に困難な証明を課せられるはめになっている。それゆえ、こうした負担を軽減するために、道徳的な観点の位置づけを別なふうにやり直してみては同化と考えるのは自然であろう。わたしの念頭にあるのは、開かれた手続きによる論証実践である。これは、「理性の公共的使用」という想定のうえに実施されるもので、信念と世界像の多元性がはじめから考慮されている。この手続きであれば、ロールズが原初状態の構成に用いたような実体的基本概念を引き合いに出さずとも、説明が可能である。(p. 111)

明らかに、哲学者にできることはたかがしれている。おそらく多元主義的社会という条件下でおこなわれるであろう現実の討議の経過を、頭のなかで先取りするといった程度にすぎない。しかも、こうしたかなり実在主義的な先取りを理論に組み込ませるとしても、公正な社会を想定してそこから自己安定化可能性を導きだすという手続きは、もはや用いることができないのである。
しかしながら、たとえいただけない平行性であっても、正義原理が見いだすべき「重なり合う合意」を正しく描き出すのであれば、有害だとはいえまい。だが、ロールズは安定性の確保の方を重視するあまり、「重なり合う合意」[overlapping consensus]に機能的な意義だけしか与えていない。正義の理論はこの合意を、社会的共同の暴力なき制度化のために用いるにすぎない、というのである。むろんその場合は、理論事態はすでに正当化が終わっているとされ、その内的価値が前提されることになる。だが、こうした機能主義的な見方をとると、次のような不首尾が生じてしまう。すなわち、理論について、公共性、つまり公共的な理性使用のフォーラムにおいて、多様な世界観のパースペクティヴに一致を見いだせるかどうかが問題になるが、機能主義的な見方をとると、この問題が当の理論自身に関わる認識論的な意味を失ってしまうのである。そうなると、「重なり合う合意」は、もはや理論の正しさを保障するのではなく、それが利用に耐え得ることを示すだけのものでしかなくなる。(p. 116)

(……)彼の意図は、間主観的な承認を基礎づけつつ、認識論的な意味を不問にしたうえで、この承認から生じる拘束力を規範的言明に――したがって正義の理論全体に――付与することにある。このために彼は、「真」の実践的反対概念として、「理性的」という述語を導入するのである。だが、この二つの概念がどのような意味で反対概念であるかを精確に示すことは難しい。さしあたり二つの解釈が考えられる。ひとつは、(a)「理性的」を「道徳的に真」と同値のものとして、実践理性の意味において理解するものである。それは真理に類似した妥当概念であり、命題的真理とは別のものでありながら、同じ平面にある。ロールズの論証をたどっていくと、むしろこちらに行き着くように見える。いまひとつは、(b)「理性的」を、討議の対象になりうる意見について「反省を経ている」という意味で解するものである。この場合、「理性的」という述語は発言の妥当性にではなく、むしろ「理性的不一致」、つまり可謬主義的意識と市民的人格としてのふるまいにかかわると解され、より高次の段階を現わすものとなる。ロールズが本来目指しているのはこちらのようである。(p. 118)

(……)このような時代にあっては、形而上学的世界像や宗教的世界像がたとえ「理性的」であるとしても、この種の世界像の真理性によって正義の構想の有効性を担保するのは不可能である。これを踏まえたうえで、むしろ別の方策を試みたほうが有意義であろう。すなわち、形而上学的世界像や宗教的世界像ではさまざまな妥当請求がないまぜになっており、明瞭さを欠いている。そこで、こうした包括的世界像に特有の症候群を避けるべく、記述的、評価的、規範的といった(相異なるタイプの)言明と結びついたそれぞれの妥当請求を別個に分析するのである。(p. 123)

第6章 民主政の三つのモデル ――協議政治の概念について

共和主義的着想において、政治的公共圏と、その土台としての市民社会は戦略的意味を得る。この両者は、公民の了解実践に、その統合能力と自律性とを保証すべきものなのである。政治的コミュニケイションの経済社会からの分離は、行政権力が、政治的意見及び意思形成から生じるコミュニケイション的権力にふたたび結びつくことに対応する。(p. 129)

自由主義的見解によると、市民の地位は、国家および他の市民にたいしてもっている主観的権利を指標として規定される。彼らは主観的権利の担い手として、法律によって引かれた境界線内で自己の私的利害を追求しているかぎりにおいて、国家の保護を享受する。さらに、制定法上留保されている介入の限度を越えるならば、国家の干渉にたいしてさえ保護を受けるものである。主観的権利というものは、法人格が外的強制から解放され、任意の選択が許される空間を与えるもので、消極的権利なのである。(p. 129)

共和主義的見解によると、市民の地位は、市民を私人であると同じく扱いうる消極的自由権のモデルで規定されるものではない。公民の権利は、第一に、政治参加および政治的コミュニケイションの権利で、より積極的な自由である。それは、外的強制からの自由を保障するのではなく、共同の実践への参加を保障するのであり、市民は、そうした実践によりはじめてみずからが欲する存在になること、すなわち自由で平等な共同体における政治的に責任ある主体になることができるのである。(p. 130)

自由主義的見解では、法秩序の意義は、個々の場合に誰にどのような権利が帰属するかを確定できるという点にあるが、一方で共和主義的見解によると、こうした権利はある種の客観的法秩序に依存している。このような法秩序は、平等かつ自律的で、相互の尊重に基づいた共同生活の不可侵を実現し、同時に保障するのである。このように一方では、法秩序が主観的権利を前提として構成され、他方では、客観的法としての内容に優位が認められているのである。(p. 131)

自由主義的観点からすると、本質的に政治というものは、行政権力を自由に行使しうる地位をめぐる闘争である。公共圏や議会における政治的意見および意思形成のプロセスは、権力の座の獲得あるいは保持のために戦略的に行動する集団的行為者たちの競合によって規定される。その結果は、人物と政策綱領に対する有権者の投票によって数量化された、市民の同意で測ることができる。有権者は、投票によりみずからの選好を表明する。彼らの選択決定は、成果志向的に行動する市場参加者の選択行動と同じ構造をしている。(p. 133)

共和主義的見解によると、公共圏と議会における政治的意見および意思形成は、市場プロセスの構造にしたがうのではなく、了解志向の公共的コミュニケイションのもつ、強固な自律性を備えた構造に倣っている。公民の自己決定の実践という意味での政治にとって、パラダイムとなるのは市場ではなく対話なのである。(p. 134)

 

今日、とりわけ合衆国で、いわゆる共同体主義者たちと「自由主義者」たちとの論争を規定している二つの民主主義モデルの比較は、このくらいにしておこう。共和主義モデルはには、長所と短所がある。わたしが長所とみるのは、このモデルが、コミュニケーション的に連帯した市民による社会の自己組織化という、ラディカルな民主政の本旨に忠実であり、集団の目的を、相対立する私的利害関心のあいだでのたんなる「取引」へと貶めていないからである。短所としてわたしが見ているのは、このモデルが理想主義的すぎることと、民主政のプロセスを、公共善を目指す公民の徳に依存させてしまうことである。なぜなら、政治とは、倫理的自己了解を云々することだけで成り立っているものではなく、またこの問題がまず第一になっていることなどけっしてないからである。欠点は、政治的討議を厳に倫理的に遂行していこうとすることにある。(p. 136)

共和主義的見解からすると、市民の政治的意見および意思形成が一つの媒体をなし、これを通して社会は政治的のまとまった一つの全体として成立するのである。社会は国家の中心に置かれる。なぜなら、市民の政治的自己決定の実践において、共同組織はみずからを一体のものとして自覚するようになり、市民の集団的意志を通してみずからに作用することになるからである。民主主義は社会の政治的自己組織化と同義なのである。ここから好戦的に国家装置に対する政治理解が生まれる。政治に関するハンナ・アレントの著述には、共和主義的論証の方向が読み取れる。再生した市民層が中央集中のない自己管理という形態で、官僚制的に自立した国家権力を(再び)手に入れることができる程度に、脱政治化した住民の公民としての個人主義に対抗し、また国家化された政党による正統性の調達に対立して、政治的公共圏が広範に活性化するべきなのである。(p. 139)

討議理論は、自由主義的モデルより強い規範的含意を、また共和主義的モデルより弱い規範的含意を民主主義的プロセスと関連させるが、両者から要素を取り入れ、それを新しい方法で組み合わせる。政治的意見および意思形成プロセスを中心に据えるという点で、討議理論は共和主義と一致しているが、そのさい、法治国家の国制を第二義的なものと捉えることはない。むしろ、法治国家の基本権と主原則を、民主主義的手続きの、要求の多いコミュニケイション条件がいかに満たされうるかという問いにたいする、首尾一貫した回答であると理解しているのである。討議理論は、協議政治の実現にさいして、集団的行為能力を有する市民を拠りどころとするのではなく、適切な手続きの制度化に依拠している。それはもはや、目的志向的に行動する主体としてもっぱら想定されている、国家の中心に位置する社会的全体という概念を取り扱うことはない。(p. 141)

 
法制化をめぐる問題と民主政論の展開        飯野靖夫

(……)ハーバーマス教授の問題関心全般の根底にあるのは、一つの近代批判であり、同時に「未完のプロジェクト」としての近代の潜在力を解放することである。ここで問題とされる「金だ」という事態は、そもそもは生活世界と密接不可分の一体をなしていた行政的行為・経済的行為が、それぞれ独自の媒体(権力・貨幣)をもって行政システム・経済システムとして生活世界から自立し、これらがひるがえって生活世界を蚕食し、不当に抑圧すること(植民地化)であり、その背景をなす価値志向の徹底的な分化であると言ってよかろう。(p. 145)

(2011/10/11)