ブリコラージュ@川内川前叢茅辺 <書 1>

揺動する心
初めて出合ったハンマースホイ(1)-

【ハンマースホイ展】

  2008年の秋、定年退職を翌春に控えた秋に「大琳派展」を見に上野の国立博物館に出かけた。妻と一緒である。老年に近付くにつれて、尾形光琳や酒井抱一の様式美というか、意匠化された絵画や工芸に惹かれるようになっていたので、楽しみにしていた展覧会であった。
   貯まっている年休を消化したいのと、妻は火曜日だけ休めるということもあって、仕事をさぼっての遊びである。上野駅公園口から向かう道すがらの西洋美術館の看板に、全く知らない画家の展覧会の案内が出ていて、暗い室内を描いた絵のポスターが奇妙に気になったが、そのまま通りすぎた。妻も全く聞いたことがない名前だという。帰り道でハンマースホイという名前を記憶するだけでその日は終わった。
  
  後日、何気なくテレビのチャンネルを変えていったら、NHK教育テレビの「新日曜美術館」という番組でヴィルヘルム・ハンマースホイを取り上げているのを見つけた。ゲストの小栗康平(映画監督)、国立博物館の佐藤直樹という人の鑑賞、解説を面白く聞かせてもらった。
  司会の壇ふみが「ほとんど何も語っていないのに、でも何かを語っているように感じる」という感想を述べていて、これが「奇妙な構図」、「奇妙な静けさ」を持つハンマースホイ絵画に対する率直でど真ん中の感想のようで、番組はそのような趣旨で進められ、構成されていたようであった。
  たとえば、佐藤直樹さんはフェルメールの強い影響を指摘され、構成のよく似ている室内に立つ婦人像を描いた両者の絵を比べて、フェルメールは人が主題で解釈可能なのに、ハンマースホイの絵は人物ではなく室内のドアが主題のようにさえ見え、解釈が困難である旨の解説をしていた。
  また、小栗康平さんは人物に動きを想像させる要素がないこと、後ろ向きの人物像が多く描かれていることが見る側の想像力を解放しているのではないか、という解釈を示された。テレビ画面を通していくつかの絵を見ながらただひたすら「なるほど」と思いながら見ていたのだった。

  テレビを見た時からハンマースホイ展を見に行きたいという思いが募り、妻におそるおそるそのあたりの気持を匂わせると、意外にあっさり「行ってみたら」というので、ふたたび休暇を取って、今度はひとりで、いそいそと出かけたのである。仕事をさぼっての遊びが後ろめたいこともなく結構楽しいと感じるようになったのはいつ頃からだろうか。年を重ねて、ただただ図々しくなったのだ。

図1.
「ヴィルヘルム・ハンマースホイ」展の入場券

  さて、「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」と銘打たれた展覧会である。相変わらず人の多い東京に閉口しながらも、「奇妙な、静かな感動」の一日だったのは間違いない。ただ、テレビ番組で仕入れた知識や鑑賞の仕方と私の印象には微妙にずれがあって、ちょっとだけ考え込んでしまった。

【リルケは何を見たのか】

    ギリシャ古代彫刻の素描から始まった展示に早々に出てくるのは《若い女性の肖像、画家の妹アナ・ハンマースホイ》という画家21才の作品で、当時の肖像画の基準に合わないと言うことでコンピティションで落選させられ、デンマークの美術界で論争を引き起こしたとされる油彩画である。
  美術史に素養もなく美術史的な事柄に関心が薄い私には事情はどうであれ、黒い衣服に身を包み、どのような感情も顕在的でないまま、どこか遠くを見つめている19才の少女自体もその絵も美しいと思えた。その「どこか遠くを見つめている」ということが問題だったらしいのであるが、それこそがその絵の、あるいはその少女の美しさの源泉であるとしか、私には思えないのだ。

  そのすぐ後に展示されていたのが《イーダ・エルステズの肖像、のちの画家の妻》(図2)で、この絵を見たマリア・ライナー・リルケがハンマースホイに会いに行ったという解説が付された絵である。
  リルケの詩に惹かれて15才ころから19才くらいまでのあいだ何度も読み返していた私にとっては、当然ながら、この絵のどんなところにリルケが魅せられたのか、強い興味がかき立てられたのである。ハンマースホイとリルケの出会いについては、展覧会に合わせて出版された図録の中でフェリックス・クレマーという人が触れているが、リルケが何に惹かれたのかは残念ながら記されていない[1]

図2
ハンマースホイ《イーダ・エルステズの肖像、のちの画家の妻》 [4]

1890年
油彩、カンバス
106.5×86 cm
コペンハーゲン国立美術館

  私の本棚にあるリルケ全集の中の美術論 [2] や書簡 [3] のどこにもハンマースホイの名は見あたらない。簡単な手がかりはないようである。

  この絵には左の瞳が青色、右の瞳が茶色で描かれているという「驚くべき」特徴がある [5]。しかし、私の強い興味を引いたのは、同じ図録の解説に、画家はこの絵を「真っすぐにカメラの方を見つめている」イーダの「写真を元に描いた」にもかかわらず、「彼女は放心しているように虚空を見つめている」と記されている箇所である。
  また、フェリックス・クレマーは、「この画家の、会話を妨げるような固い沈黙に言及している」リルケのことを述べ、さらに、画家が「神経衰弱症に苦しみ、1900年頃には、しばしば診断を受けていたこと」がよく知られており、「デンマークで最初の神経症の画家」と呼ぶ美術史家がいる」と指摘している [1]。
  これらはきわめて重要なキーに思われる。これらの指摘が、ヴィルヘルム・ハンマースホイの画業の基底を指し示しているのではないだろうか。

  ハンマースホイは家族、知人の肖像画も、コペンハーゲン市内の建築物を含む風景画も、田園や農家の風景画も、妻イーダがいる室内、いない室内の絵も、絵を描く自画像すらも描いている。つまり、画題がけっしてある範囲に偏っているとは言い難いのである。
  それは、誰もいない室内を静物画とみなせば、画家の日常、周辺を画題としていて、私たち凡庸な人間が画家一般を想像した時、その想像された画家が描くであろうごく普通の画題にすぎない。
  しかし、全ての絵に通底する特徴はきわめて個性的、ハンマースホイ固有的である。それは、どのような絵を描いても、その基盤には、社会性、日常性の拒否への静かな志向性があることである。
  画題の選択、決定に際しては、日常性も社会性も引き受け、その現在性を一心に担っている画家がいる。それは、社会性をきちんと生きようとする画家の努力、または、生い立ちや家族との暮らしがもたらす正しい(とみなされる)知恵として作用しているのだろう。
  ところが、一方で、カンバスに向き合っている表現の時空では、日常的な事柄、周りの事物、人間関係を拒否したい、忌避したいという感情に突き動かされている精神がある。

  そのような二重性が、ヴィルヘルム・ハンマースホイに固有、個別的な意味ををもたらしているのではないか。そんなふうに思えるのである。芸術表現と精神病理の問題ということである。

   図2の絵に戻ろう。画家は、写真とはいえ、こちらをしっかりと見つめているイーダを見ていたはずである。「写真に黒鉛で方眼を書い」ていたそうであるから、私たちが物を見る時とは異なり、画家は強く、かつ精細にイーダを、イーダの眼を見ていたに違いない。
  しかし、対象をしっかりと見つめる眼、瞳としてではなく、「放心しているように虚空を見つめている」ように描いたのは、あきらかに画家の心象として像が成立する(描かれる)ためであろう。イーダの眼がどのような対象と切り結ぶことがないように描いたのは、社会性や日常性をまとった現実のいかなる事象からも逃れようとしている画家の精神がイーダの眼の表現へと顕在化しているからだ。

  画家の精神は、イーダを描きながらもひたすら内部世界へ、内在性へと向かっているのではないか。イーダの瞳は、画家の精神の象徴ではないか。それはおのれの実存への固執とも見えないわけではない。

  通りすぎる格子のために
  疲れた豹の眼には もう何も見えない
  彼には無数の格子があるようで
  その背後に世界はないかと思われる

  このうえなく小さく輪をえがいてまわる
  豹のしなやかな 剛(かた)い足並の 忍びゆく歩みは
  そこに痺(しび)れて大きな意志が立っている
  一つの中心を取り巻く力の舞踊のようだ

  ただ 時おり瞳の帳(とばり)が 音もなく
  あがると—─そのとき映像は入って
  四肢のはりつめた静けさを通り
  心の中で消えてゆく
           リルケ「豹」(富士川英郎 訳)全文 [6]

  この豹の眼こそ、イーダの眼、ハンマースホイが現実と向き合おうとしながらも、現実の拒否へと志向する画家の眼そのものではないか。私の遠い記憶では、この詩は実存主義を強く示す詩として大いに論じられたのである。

  ハンマースホイとリルケという同時代人が出会う契機は、「1929年にフッサールが講義し、すぐあとに変更されてフランス語に翻訳され、出版された『デカルト的省察』は、……やがて[ハイデッガーの]『存在と時間』の問題に遭遇する。それは、1935年にサルトルの「自我の超越」という論文を生み出す。」とミシェル・フーコーが指摘するように [7]、実存主義と関係しているだろう。

  絶対的な歴史や世界から語るヘーゲル的精神でもなく、客観理性から議論するカント的精神でもなく、明証的な直感から世界へ向かうエトムント・フッサールや、その弟子で実存主義の祖ともいわれるマルチン・ハイデッガーなどと同時代を生きたリルケが、内在性に沈潜しつつ、そこから表現を立ちあげるハンマースホイの芸術が醸し出す同じ時代の空気、実存主義的感性に共鳴したのではないかというのが、一つの私の推論である。

  図3の絵は前述のNHK番組でも取り上げられ、詳しく解説されたものの一枚である。3人は画家の家族で、左から義兄の妻インゲボー、妻イーダ、妹アナである。画家に近しい家族が集まりながら、それぞれは誰とも眼を合わせず、図録の解説は「空間を共有しながらも心理的な接点を持たない3人の女性は、現代社会の象徴ととることも出来るが、それはむしろ、画家から明確な「語り」を徹底的に排除した画家の芸術的志向の必然的な帰結」としている。
  そうなのである。3人の女性が実際に心理的な接点を持たないのかどうかはわからない。解説の前半部の記述はさておき、画家は3人の像が目を合わせたり、触れたり、表情を交わしたりする日常の家族が持つ関係性を排除している。現実の時間にまつわる可能な物語性を拒否しているのである。
  ここでも、リルケはハンマースホイと同じカンバスに向き合っているかのような詩を残している。

  ごらん ふたりが同じ出来事を
  別々に身につけ べつべつに理解するのを
  それはまるで異
(ちが)った時間が ふたつの
  同じ部屋をよぎってゆくかのようだ

            リルケ「姉妹」(富士川英郎 訳)部分 [9]
    

  おのれの実存に正しく向き合う者は、内面の表現を同じくする。ひとりは精神病理のゆえに、ひとりは精神の言語化の辛い作業のゆえに--というのは言い過ぎだろうか。

  そして、物語性の排除(というよりも物語性の忌避というのが正確だろう)は、図2の場合と同様に、モデルとしての3人の側の在りようの問題でも、画家と3人の関係の在りようの問題ではない。ただ、ひたすらに社会性、日常性を避けたいと強く志向する画家の心性のもたらす結果であるだろう。
  図2における結婚前のイーダは、当然のように画家の愛の対象であったろうし、この絵の3人も、普通に幸せな家族を形成していると考えて何の不思議もない。前述したように、現在性がもたらすあらゆる社会性の忌避は、ハンマースホイの全てに通底しているのはないか。

  我が家の室内を描く時には、妻イーダが登場するのはごく自然だが、そのほとんどは図1のように後向きか、横向きでもその表情は判然とは描かれず、そしてついに室内は無人になるのである。
  風景画には人の姿は登場せず、現在の日常を示唆する事物もほとんど現れない。市内の城も農家も自然の一部であるかのように描かれる。あの精神を病んでいるようなユトリロですら、ゴミのような描写であれ、風景画に人物の点描を添えているのに。
  そして、これらは画家の時間的発展として現れるのではなく、画業の全プロセスにおいて、全ての画題に向き合おうとする〈健全〉な社会性を持つ画家と、現在性、社会性にまつわる物語を忌避しようとする引きこもりのような心性のもとで表現に向かおうとする画家との二重の存在として、ふたつのかけ離れた心性の間をきわめて大きな振幅で揺れ動く画家の描いた絵として私たちに立ち現れてきているのである。この揺動こそがハンマースホイの固有性であり、結果的にリルケの実存主義的表現意識に強く訴求したものだと考えられる。

  国立西洋美術館のキュレーターである佐藤直樹氏は、前述したように、17世紀オランダの画家ヨハネス・フェルメールの影響を示唆している [10]。指摘のように、ハンマースホイの《手紙を読むイーダ》という作品は、フェルメールの《手紙を読む青衣の女》ときわめて親近性が高い構図をしている。構図だけを取り上げれば、鏡映対称であるようにすら見える。しかし、イーダの顔から表情は読み取れず、手紙を読むという人間の行いに関係するであろう事象は一切描かれていない。

図3
ハンマースホイ《3人の若い女性》 [8]

1895年
油彩、カンバス
128×167 cm
リーベ美術館


   一方、フェルメールでは旅行中である夫(あるいは愛人)を示唆する地図、その関係性を強く示唆するように妊娠姿(そうではなく単なる流行のスカートがそう見えるだけだとする説もある)の婦人が描かれ、その日常性、物語性は過剰なまで表現されている。
  フェルメールの絵における物語の過剰性は、「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」1点から1編の映画が制作されるほどに私たちを物語想像へかきたてるのである [11]
  ここに、佐藤氏が指摘しているように、ハンマースホイとフェルメールの解釈不可能性、解釈可能性という大きな差異が現れる。残された作品の少ないフェルメールにも室内に人物を配置した絵は多いほうで、ハンマースホイの室内画との類似性を探せばもっとあるに違いないし、画法の影響関係も議論できるだろうが、しかし、それは専門的な絵画技術の問題で私の手には負えない。

  ハンマースホイとフェルメールの二人はその目指す表現において全くの対極に位置している、と私には思える。フェルメールは、徹底した17世紀の風俗の画家であって、物語性こそが彼が絵に込めた価値の重要な一つであるだろう。そのため、彼は《二人の紳士と女》や《取り持ち女(放蕩息子)》のような官能的な性愛を顕在的に表現する物語も描くのである [12,13]
  ハンマースホイは、これまで明らかにしたように、物語性どころか、ささやかな日常性を示唆するような事物、眼差しのように人と人との関係性を表象するものですら、可能であれば忌避したいという強い心性のもとで表現しようとしている。たとえ、人物画を描いている時でも。

  ハンマースホイの画題がどのようにして生まれてきたか、小さいけれども私なりの結論に達したと思う。次の問題は、大きな二つの心性を揺動する表現がどのようにして高い芸術性を獲得したのか、という点にある。

(2009/10/16)
  1. 「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」 佐藤直樹、フェリックス・クレマー編(以下、「ハンマースホイ図録」)(日本経済新聞社、2008年) p. 11。
  2. 「リルケ全集」第8巻 富士川英郎編(彌生書房、昭和37年)。
  3. 「リルケ全集」第10, 11巻 富士川英郎編(彌生書房、昭和36年)。
  4. 「ハンマースホイ図録」 p. 49。
  5. 「ハンマースホイ図録」 p. 48。
  6. 「世界文學大系53 リルケ」(筑摩書房 昭和34年)p.83。
  7. ミシェル・フーコー「生命─経験と科学」(廣瀬浩司訳)(「フーコー・コレクション6 生政治・統治」小林康夫、石田英敬、松浦寿輝編、筑摩学芸文庫、2006年) p. 422.
  8. 「ハンマースホイ図録」 p. 93。
  9. 「世界文學大系53 リルケ」(筑摩書房 昭和34年)p.101。
  10. 「ハンマースホイ図録」 p. 33。
  11. 「真珠の耳飾りの少女」トレイシー・シュヴァリエ原作、ピーター・ウェーバー監督(イギリス、2002年)。
  12. 尾崎彰宏「西洋絵画の巨匠⑤ フェルメール」(小学館、2006年)。
  13. 朽木ゆり子「フェルメール 全点踏破の旅」(集英社、2006年)。