ブリコラージュ@川内川前叢茅辺 <書 抜き書きメモ24>

フランツ・ファノン
黒い皮膚・白い仮面

海老坂武・加藤晴久訳、みすず書房、1998年

序      フランシス・ジャンソン

彼は「ニグロ」であった。そして彼はそのことを認めた。「それは事実だった」と彼は言った。そのとおりだ、ただそれだけでは十分ではなかった、更にそれ以上のことが求められていたのだ。もちろん、それは事実だった! だがおまけに、それが悪であることを認めねばならなかった。悪であることをみずから認めねばならなかった。黒人であるという罪を犯した、と。世界の光に照らされて、この事実は呪いとなっていった、この「所与」は宿命に、この偶然的な黒さは本質的な欠陥になっていったのである。(p. 8)

理性はあらゆる次元での勝利を掌中に収めていた。私は人間集団に復帰した。だが幻滅を味わう破目になった。
なぜなら、理性の勝利は、実存の諸問題を解決しないからである。確かに、ニグロは、理性の上では人間となった。理想のニグロとは人間だ。だが、現実のニグロは、いぜんとして黒い皮膚をもったまま、現実の白人にあいだに生きていた……。そして――白人の学問(サイエンス)によっては解決された――さまざまな問題が、ニグロの肉体のただなかで、絶えず、生々しく提起され続けたのである。(p. 10)

人間を解き放たねばならぬ、とファノンは言った。このような表現は、明らかに、徹頭徹尾破壊的なものでしかありえない。もしこれが一つの要求事項であるとするなら、それは、行政上の慣習に対する全面的な無視を表している。なぜなら、この要求をうっかり真面目にとったとき、いつこれが満たされたと考えるべきか、それを知ることは絶対といってよいくらいできないからである。またもしこの表現が一つのスローガンであるなら、そこから生じうるものは、もっと徹底した無秩序だけであることは明らかである。なぜなら、このスローガンは、いかなる理論にも、いかなる学問にも根拠をおいておらず、どんな権限もせせら笑い、どんな権威にも異議を申し立て、いかなる綱領をも決定せず、いかなる計画化にも賛同しないからである。(p. 11)

ファノンは、「黒人とは人間ではない。(……)黒人とは黒い人間である」ことを確認する。実際、あまりにも多くの場合、黒人は罠にはめられたままになっていた。事実としての差異の価値化と、それがこの世界の心臓部で持続させている深い傷口とを。暗黙のうちに認めてきた。そのとき、彼は、白人になることに野心を託そうが、あるいは逆に自己の「ネグリチュード」を賞揚し、白人文明の全面的な拒否によって黒人の諸価値の優位を証明することに力を尽くそうが――徹底して否定的な態度をとることになる。この二つの道は、等しく出口のないものである。だがその各々について、これを袋小路としている個々の理由を区別する仕事は、どうでもよいことではないのである。(p. 17)

(……)ファノンが黒人に対し、精神的に「健全な」、「ノーマルな」、平衡のとれた人間になるようにすすめるとき。彼の主要な関心が、革命勢力に、できるだけ最良の質の闘士たちを供給する点にあるとは、私は思わない。そして、黒い皮膚をもった同胞が客観的な疎外を自覚したからといって、彼らの要求や彼らの人間的な力の方が犠牲にされてはならない、ということが彼にとってあれほど重要であるのは、何よりもまず彼があまりにも深く人間たちを愛していて、マルクス主義の歴史哲学のオプチミズムが未来にかんし提出している確言に、心を安んじられないからである。(p. 23)

はじめに

人間は何を欲するか?
黒い人間は何を欲するか?
たとえ黒い皮膚の兄弟たちの怨みを買うとしても、私は言おう、黒人は人間ではない、と。
非存在の地帯(ゾーン)というものが存在する。驚くべきほど不毛で乾ききった地帯、極度にむき出しにされた丘の斜面、本来的なほとばしりはここに源を発するかもしれない。多くの場合、黒人は、真の〈地獄〉へのあの降下を実現する特権を有していないのだ。(p. 30)

黒人とは黒い人間である。すなわち、一連の感情の錯乱によって黒人は一つの世界のなかに身を置いてしまったが、そこから彼をうまく抜け出させなくてはならない。
問題は重要である。目的とすることはただ、黒い皮膚の人間を、彼自身から解放するということだけである。われわれはごくゆっくりと進むことになろう。なぜなら二つの陣営があるからだ。白人と黒人の。(p. 31)

この本の建築は時間の中に位置している。人間にかんする問題はすべて、時間から出発して考察されることを必要とする。現在は常に未来を構築するのに役立つことが理想だからだ。
そして好みライトは宇宙の未来ではない。そうではなく、まさしく、私の世紀、私の国、私の現実の生の未来なのだ。私のあとに来る世界を準備しようなどともくろむべきでは決してない。私は、いなみがたく、私の時代に属している。
そして、この時代のためにこそ、私は生きなければならない。未来とは、現実に存在する人間によって支えられた建築物であらねばならぬ。この建築は、私がこの現在を乗り越えるべきものとして想定する限りにおいて、現在に結びついている。(p. 36)

1 黒人と言語

植民地化された民族はすべて――言いかえれば、土着の文化の創造性を葬り去られたために、劣等コンプレックスを植えつけられた民族はすべて――文明を与える国の言語に対し、すなわち本国の文化に対して位置づけられる。植民地の原住民は、本国の文化的諸価値を自分の価値とすればするだけジャングルの奥から抜け出たことになる。皮膚の黒さ、未開状態を否定すればするだけ、白人に近くなる。植民地の軍隊では、もっとはっきり言えば、セネガルの歩兵隊では、原住民の将校は、まず通訳である。彼らは、同じ国の仲間に、司令官の命令を伝えるのに役立つ。また彼ら自身、幾分かの尊敬を払われている。(p. 40)

これらすべての発見は、これらすべての研究は、ただ一つのことだけを目指しているのだから。人間はなにものでもない、まったくなにものでもないと――そして人間は他の「動物」とは異なっているのだと思い込ませているあのナルシシズムを捨てねばならないと――人間に認めさせることだけを。
そこには、まさしく、人間の降伏がある。
要するに、私は、私のナルシシズムを両手一杯で握りしめ、人間を機械にしようとするものの卑劣さをしりぞける。もしこの討論が、哲学の次元では、すなわち、人現現実の基本的な要求の次元では開かれえないなら、精神分析学の次元、すなわち、エンジンに点火しない(ラテ)という意味での「落伍者(ラテ)」の次元で、この討論を行うことに同意する。(p. 45)

(……)司祭が、片言で話しかけるという事実は、さまざまな考察を呼ぶことが理解されよう。
(1)「私は黒人をよく知っている。彼らにはやさしく話しかけ、彼らの国のことを話す必要がある。彼らと口を利くすべを知ること、これが問題です。いいですか、むしろ……」誇張しているのではない、ニグロに話しかける白人は、大人が子供に対するのとまったく同じように振る舞っている。作り笑いをし、ささやきかけ、やさしく扱い、口でうまくごまかし、行ってしまうのである。(……)
(2)ニグロに対して片言で話すということは、彼を不快にする。なぜなら、彼は「片言を話すもの」となるからだ。もとより、不快にしようという意図も、意志もないのだと言うかもしれない。これは認めてもよい。だが、まさに、この意志の欠如、この無造作、この無頓着、このくつろぎ、こういった態度で彼を見つめ、彼を身動きできなくさせ、原始人扱い、非文明人扱いすることこそ、不快を与えるのである。(p. 54)

そうだ、黒人は、良いニグロであることが求められるのだ。とするなら、残りのことはひとりでに定まってくる。黒人に片言をしゃべらせるのは、彼を黒人というイメージにぴったりと張りつけ、鳥もちで捕え、身動きできなくさせ、彼自身には責任のない、ある本質の、ある仮象の犠牲とすることである。そしてもちろん、気前よく金を浪費するユダヤ人と同じように、モンテスキューを引用する黒人は警戒されるにちがいない。この点を理解していただきたい。警戒される、というのは、彼とともに、なにごとかが始まる限りにおいてだ。(p. 58)


2 黒い皮膚の女と白人の男

私は、フランスにいる女子学生で、自分は黒人の男とは結婚することはできない(せっかく逃げ出したというのに、自分からすすんでまた国に帰るなって、ああとんでもない!)と、無邪気に、まったくにごりのない〔白い〕無邪気な調子で告白する多くの同国人を知っている。それに、と彼女らはつけ加える、それは黒人の価値をまったく認めないからではなく、白人である方がずっとよいからなのよ、と。(……)このような態度は稀ではなく、私は不安を告白せざるをえない。混ぜなら、このマルチニックの若い娘は、数年足らずのうちに大学を卒業し、アンティル諸島のどこかの学校で教鞭をとることになるのだから。そのとき、どういう事態が生じるかは容易に推察されよう。(p. 70)

アブドゥラーユ・サッジの小説の数節を分析しながら、ヨーロッパ人の男を前にしたときの黒い皮膚の女の反応を、ありのままに捉えてみよう。
まず、黒人の女と、混血の女とがいる。前者には、ただ一つの可能性、ただ一つの関心しかない。白くなることだ。後者は、ただ単に白くなるだけではなく、逆行するのを避けたいと思っている。実際、混血の女が黒人の男と結婚すること以上に非論理的なことがあろうか? なぜなら、これは絶対に理解せねばならぬことだが、血統を救わねばならないからだ。(p. 76)

心理学的な観点からすれば、次のような問題を立てることはおもしろいかもしれない。教育を受けた混血の娘、とくに女子学生には、二重に曖昧な行動が見られる、ということ。彼女は言う、「ニグロは野蛮だから嫌いだわ。食人種という意味で野蛮なのではなく、繊細さに欠けているという意味で」。これは抽象的な観点だ。そこで、この面において黒人が彼女よりも優れていることがありうる、と反論をすると、今度は黒人の醜さを持ち出してくる。事実性の観点だ。黒人が実際には美しいという証拠を前にすると、彼女は、この美しさがわからない、と言う。そこで、美しさの標準を示してやろうとする。すると、小鼻を波打たせ、一瞬呼吸を停止させ、「自分の夫を選ぶのはわたしの自由だ」と言う。最後には、主観性に訴えるのである。(p. 80)

3 黒い皮膚の男と白人の女

私の魂のもっとも黒い部分から、点々と線影のついたちたいをよぎって、完全に白人になりたいというあの欲望が湧き上がってくる。私は黒人として認められたくはない。白人として認められたいのだ。
ところが――そして、これはヘーゲルが記述しなかったところの認知なのだが――それをなし得るのは、白人の女でなくして誰であろう。白人の女が私を愛するならば、彼女は、私が白人の愛に値するものであることを証明してくれることになる。私は白人のように愛されることになる。(p. 85)

ニニやマヨット・カペシアの行動から、白人の男性に対する黒人の女性の行動の一般法則を引き出そうとする点に瞞着の試みがあったのと同様に、ヴヌーズの態度を、かかるものとして、黒い皮膚の人間に拡張するなら、それは客観性を侵すことになると私は主張する。ジャン・ヴヌーズのような男の挫折を彼の表皮の黒色素の濃度の多少に帰そうとする試み一切を、私は挫いてしまったと考えたい。
疎外された意識を通じて運ばれてきたあの性の神話――白人の肉体の探求――が、積極的な理解行為を二度と妨げないようにしなければならない。
私の皮膚の色は、いかなる場合にも欠陥と感じとられてはならない。ヨーロッパ人によって押しつけられた裂け目を受け入れる瞬間から、ニグロはもう休息を知らない。そして「それ以来、彼が白人の域にまで上昇しようと試みるのは理解できるのではないだろうか? 皮膚の色階に一種の階層(ヒエラルキー)を設け、その中で上昇しようと試みるのは?」
わたしたちは、別の解決がありうることを見ていこう。それは世界の再構造化を内に含んでいる。(p. 104)

 

4 植民地原住民のいわゆる依存コンプレックスについて

(……)次のような文章を読むとき、私は彼〔O・マノニ〕と対立していることを知る。「他の環境において孤立した成人のマダガスカル人が、古典的なタイプの劣等性に敏感になりうるという事実は、幼年期以来彼のうちには、劣等感の芽があったということを、ほとんど異論の余地なく証明している。」
この箇所を読むとき、私はなにかが崩れ落ちてゆくのを感ずる。それに、著者の《客観性》なるものは、読者を誤った考えに導くおそれがある。(p. 107)

最終的に、私は次の原則を立てるものだ。すなわち、一つの社会は人種差別的(ラシスト)であるかないかである、と。この明白な真実が把握されない限り、無数の問題が脇にほったらかされることになろう。例えば、フランスの北部は南部に比べて人種差別(ラシスム)がより激しいとか、人種差別は下層の人間の作り出すもので、したがってエリートには関係がないとか、フランスは世界中でもっとも人種差別の少ない国であると主張することは、正確にものを考えることのできない人間のなすことだ。(p. 108)

マノニ氏は続けている。「植民地的搾取は他の搾取形態と混同されてはならない。祝ミンチの人種差別は他の形の人種差別とは異なっている……。」著者は、現象学について、精神分析学について、人間の統一性について語っている。だが私は、これらの言葉が、彼のうちで、より具体的な性格を持つものであって欲しいと思う。あらゆる形態の搾取は互いに似通っている。それらはすべて、聖書ふうの掟のようなもののうちにおのれの必然性を求めに行く。あらゆる形態の搾取は同一なのだ。なぜなら、それらはすべて、ただ一つの同じ《対象》、人間に及ばされるからだ。甲なり乙なりの搾取の構造を、抽象の次元において考察しようとするとき、主要な、根本的な問題、すなわち人間をそのあるべき位置に置き直すという問題を自分に覆いかくすことになる。
植民地的人種差別は他の人種差別と異なるものではない。(p. 111)

私の躊躇の一つ一つが、私の卑劣な行いの一つ一つが人間を顕わにする。ふたたび〔エメ・〕セザール〔マルチニック島出身の黒人詩人、一九一三―〕の声が聞こえてくるような気がする。「私がラジオのスイッチをひねり、アメリカでニグロがリンチを受けているということを耳にするとき、私は言おう、人々はわれわれを欺いた、と。ヒットラーは死んではいないのだ。私がラジオのスイッチをひねり、ユダヤ人がののしられ、侮辱され、虐殺されているということを知るとき、私は言おう、人々はわれわれを欺いた、と。ヒットラーは死んではいないのだ。私がラジオのスイッチをひねり、アメリカにおいて強制労働が制度化され、合法化されているということを知るとき、私は言おう、人々は本当にわれわれを欺いた、と。ヒットラーは死んではいないのだ。」(記憶による引用――一九四五年、フォール・ド・フランスにおける選挙運動時の『政治演説集』より)(p. 111)

先ほど私は、南ア連邦には、人種差別的な構造がある、と言った。もっと徹底させて、私は、ヨーロッパには人種差別的構造がある、と言おう。マノニ氏がこの問題に注目しなかったことは明らかである。なぜなら彼は「フランスは、世界中でもっとも人種差別的でない国である」と書いているからだ。わがニグロの友よ、フランス人であることを喜びたまえ、たとえそれがいささか辛いことであるにしても。なぜならアメリカでは君たちの仲間は、君たちよりずっとひどい目に会っているのだから……。フランスは人種差別的な国である。なぜなら、悪しきニグロの伝説は、集団の無意識の一部をなしているからである。(p. 114)

アードラーの発見や、それに劣らず興味深いクエンクルの発見が、ある種の神経症の行動を説明するとしても、そこから法則を引き出してきて、限りなく複雑な諸問題に適用すべきではない。劣等意識を抱くことは、ヨーロッパ人が優越意識を抱くことの土着的相関物である。劣等コンプレックス症を作るのは人種差別主義者であると明言するだけの勇気を持とうではないか。
以上の結論によって私はサルトルに一致する。「ユダヤ人とは他の人間がユダヤ人とみる人間のことである。これは単純な真理であり、ここから出発しなければならない。(……)ユダヤ人を作るのは反ユダヤ主義である。」(J=P・サルトル『ユダヤ人問題』八八頁) (p. 115)

(……)ニグロがキリストの教えに無関心であるとしても、それは、彼らがこの教えを吸収できないからではない。新しい何かを理解するというときわれわれは、その用意をすること、準備をすることを求められ、新たな精神形成が要求される。ニグロやアラブ人がほとんど食うか食わずかというときに、彼らに抽象的な諸価値をその世界観のうちに組み入れる努力を期待するのは空想にひとしい。ニジェール川上流に住むニグロに対し靴を履くように要求し、彼にはシューベルトのような人間になることはできないと言うことは、ベルリエの労働者が、インド文学における抒情の研究に毎晩を費やしていないからといって驚き、あるいは、彼は絶対にアインシュタインのような学者にはならないだろうと宣言することに劣らず、馬鹿げているのである。(p. 117)

だが、とマノニ氏は私たちに言う、あなた方にはできない、なぜなら、あなた方の心の奥深くに、依存コンプレックスがあるからだ、と。
「あらゆる民族が植民地化されやすいというわけではない。ただ、この欲求を持っている民族だけが植民地化される。」更に先のところでは、「ヨーロッパ人が、今日《問題になっている》ような型の植民地を築いたほとんどいたるところで、彼らヨーロッパ人は待たれていた、彼らの臣下となったものの無意識においては欲望されてさえいた、と言うことができる。いたるところで、伝説は、彼らを、海の向こうからやって来て、恩恵をもたらすはずの外国人、という形で予示していた。」ごらんのとおり、白人は権威コンプレックスに、指導者コンプレックスに従い、マダガスカル人は依存コンプレックスに従っている。誰もが満足しているわけだ。(p. 120)

少なくとも、私たちが近づき、分析できる唯一の形としてのマダガスカル人の《依存コンプレックス》についていえば、それは、それもまた、白人の植民者が島へやって来たことに由来するのである。そのもう一つの形、白人の到来に先立つ期間全体にわたりマダガスカル人の心性を特色づけたとされる、あの、純粋状態における本源のコンプレックスなるものから、マノニ氏は、現時点における土着民の状況、問題、あるいは可能性にかんするどんな結論も引き出してくることは許されない、と私には思われる。(p. 128)

5 黒人の生体験

「ニグロやろう!」あるいは単に、「ほらニグロだ!」。
私は事物に意味を担わせるつもりでこの世界に生まれて来たのであった。私の心は世界の根源に存在したいという欲求に充ち溢れていた。ところが私は他の数多くのもののうちのひとつにすぎぬ自分を発見したのだ。
この圧倒的なものとしての性質のうちに閉じこめられて、私は他者に哀願した。他者の眼差しは私を解き放つ。他者の眼差しを受けて私の身体は急に滑らかになり、失ったものと考えていた軽やかさを取り戻す。他者の眼差しは私を世界から不在ならしめることによって世界に私を返すのだ。(p. 129)

『ユダヤ人問題』でジャン=ポール・サルトルは述べている、「彼ら〔ユダヤ人〕は彼らについて他人が抱いているある種の表象によって毒されてしまい、自分の行為がその表象に符合しはすまいかと恐れながら生きているのである。それゆえに彼らの言動は絶えず内部から多元的に決定されている(surdéterminé) と言えるだろう」〔一二三頁〕と。
とはいえユダヤ人はユダヤ人であることを知られずにいることもできる。(……)もちろんユダヤ人はいやな目に会わされる。それどころではない。追跡され、虐殺され、焼却炉に放りこまれる。だがしょせんは内輪喧嘩だ。ユダヤ人はユダヤ人であることをかぎつけられた時から嫌われはじめる。ところが私の場合は一切が新しい相貌を呈する。私にはいかなるチャンスも認められない。私は外部から多元的に決定されているのだ。私は他人が私について抱く《観念》の奴隷ではない。私のみかけ(apparaître)の奴隷なのだ。(p. 135)

時として投げ出したくなる。現実を表現するのは至難の業だ。だが実存を表現しようと考えたりすると、非在にしか出会わないおそれも大いにあるものだ。確かなことは、私が自分の存在の把握を試みるその瞬間に、依然として他者であるサルトルが私を名指し一切の迷蒙を奪ってしまうと言うことだ。私が彼に、

わがネグリチュードは塔でもなく伽藍でもない
それは大地の赤い肉に食いこんでいるのだ
それは大空の燃え上がる肉に食いこんでいるのだ
それは真直ぐな忍耐で不透明な沈滞を突き破るのだ……

と言っているのに、生体験と憤激の絶頂でそう宣言しているのに、サルトルは、私のネグリチュードは弱拍にすぎないと指摘するのだ。実際、正直にそう言うのだが、私の肩は世界の構造を滑り落し、私の足はもう大地の愛撫を感じなくなってしまった。ニグロとしての過去も未来も取り上げられ、自分のニグロ性を実存することは不可能になった。まだ白人ではなく、もうまったく黒人でもなく、私は呪われたものだった。サルトルは、ニグロは白人と違う仕方で自分の身体のうちで苦しんでいることを忘れてしまったのだ。白人と私とのあいだには、超越関係が厳としてあるのだ。(p. 162)

しかし私は自分の全存在を賭してこの切断を拒否する。私は自分の心が世界と同じくらい広大なのを感ずる。真実、私の心は最も深い河と同じくらい深いのだ。私の胸は無限に広がる力をもっている。私はこの世へのささげ物だ。だのにその私に不具者の謙譲さを勧めるのか……。きのう私は世界に目を開いたとき、空が顛倒するのを見た。私は身を起こそうとした。だが内臓を摘出された沈黙が翼もなえて私の方に逆流してきた。無責任に、〈虚無〉と〈無限〉に馬乗りになって、私はさめざめと泣き出した。(p. 165)


6 ニグロと精神病理学

黒人の場合はどうだろうか? ユングの言う集団的無意識という、あのめくるめくような所与――それほどこれはわれわれを狂わせるものなのだ――を用いないかぎり、全くなにも理解できない。植民地では日毎にドラマが演じられている。例えば、哲学の博士号を得るためにソルボンヌにやってくるニグロの学生が、葛藤を生み出す状況が彼の周囲に形成されるよりも前に身構えた態度をとるという事実はどう解釈すべきなのか? ルネ・メニルはこうした反応をヘーゲル的用語で説明した。彼によればそれは「奴隷の意識のうちに、抑圧された《アフリカ》精神の代わりに、「主人」を表象する力域(instance)が確立された結果であり、またこの権威は集団の深層心理のうちに根を下して、駐屯部隊が征服地を警備するように集団を監視するものなのだ。」
(……)振るいたい剣があり、それが無意識の中に抑圧されているのだろうか? 黒人の子供は父親が白人に殴りつけられたり、リンチを受けたりしたのを見たことがあるのだろうか? 実際に精神的外傷を与えられたのだろうか? 以上のすべてにわれわれは答える、否(ノン)と。(p. 168)

〔G・〕レグマンの説を聞こう、「ごく少数の例外を除けば、一九三八年に六歳であったアメリカの子供は少なくとも一万八千にのぼる残酷な拷問と血なまぐさい暴力の場面をこれまでに消化したことになる。……ボーア人を除けば、有史以来アメリカ人は彼らが定住したと地から原住民を完全に放逐した唯一の近代国民である。したがってアメリカだけが「悪いインジャン」(Bad Injun)の神話を作り出して民族的疚しさを和らげ、その上で聖書と鉄砲で武装した侵略者に対しみずからの土地を守って滅びる勇ましいインディアンの歴史的人物像の再導入を可能ならしめる必要を感じたのである。われわれが受けてしかるべき刑罰は、罪を被害者になすりつけて、悪の責任を否定してしまって始めて、免れることができる。つまり先制攻撃を加えしかもその一撃だけで敵を倒す場合も、ひとえに正当防衛のためであったことを――少なくともわれわれ自身の目に――証明することによってである……。」(p. 170)

人類学者たちにも自分の文明のさまざまなコンプレックスがしみこんでいる以上、研究の対象にした民族のうちに、それらの複製を探し出そうと努力しなかったかどうかということの他に、フランス領アンティル諸島においては、九七パーセントの家族はエディプス・コンプレックスによる神経症が発生する気づかいはないことを示すのは比較的容易である。この事態が大いに喜ぶべき事態であることはもちろんだが。(p. 1745)

7 ニグロと認知

白人と黒人の間には公然たる闘争は存在しない。
ある日、〈白人の主人〉は闘争なしにニグロの奴隷を認知した。
しかし旧奴隷は自分を認知させることを欲する。
ヘーゲル弁証法の基礎には、ある絶対的相互性がある。これを強調しなければならぬ。
私が他者の存在を自然的な、また自然的以上の現実として把握するのは、私が自分の直接的な現存在(étre-là)を乗り越える限りにおいてである。私が回路を閉じ、二方向の運動を実現不可能にするならば、私は他者を彼自身のうちに閉じこめておくことになる。極端な場合には、私は彼からこの対自存在をさえ奪い取る。
私を私自身に送り返すこの地獄の悪循環を断ち切る唯一の方法は、媒介と認知とによって、他者に自然的現実と異なる彼の人間現実(réalité humaine)を取り戻させることである。他者も同じような営為を実行すべきである。「一方的な営為は、起るべきことは両者の営為によって始めて起ることができるものであるがゆえに無益である」。「……彼らは相互的に認知し合うものとして互いを認知する」(ヘーゲル『精神現象学』)。(p. 235)

私を認知することを躊躇するものは私に敵対するものだ。苛烈な闘いにおいて私は、死の衝撃、不可逆的な分解にさらされることを受け入れる。だがまた不可能性の可能性をも容認する。
しかしながら、他者は闘争なしに私を認知することもできる。
「自分の生命を賭さなかった個人は人格(personne)として認知されることはできる。しかしそれでは独立した自己意識の認知という真理に到達したことにならない。」(ヘーゲル『精神現象学』)
歴史的に見れば、隷従の非本質性のうちに埋没していたニグロは主人によって解放された。彼は自由のための闘争をみずから闘わなかった。 (p. 237)

自我は他に対立しつつ自己を措定する、とフィヒテはいった。ウイでありノンだ。
私は序文の中で人間はひとつのウイである、と言った。それを繰り返し主張することを止めまい。
生へのウイを。愛へのウイを。高邁な精神へのウイを。
だが人間はひとつのノンでもあるのだ。人間蔑視に対するノン。人間の卑賤に対するノン。人間搾取に対するノン。人間にあって最も人間的なもの、すなわち自由の圧殺に対すノン。
人間の行動は単に反応的なものではない。それに、反応(réaction)のうちには常に怨恨が混じっている。『権力への意志』においてニーチェはすでにそのことを指摘した。(p. 240)

結論に変えて

ひとりの人間が精神の尊厳を勝利せしめるたびに、ひとりの人間が彼の同胞を奴隷化する企てにノンと言うたびに、私はその行為との連帯を意識したのだ。
私は、決して、黒い皮膚を持つ民族の過去から私本来の使命を絶対に引き出すべきではないのだ。
私は不当にも無視されてきたニグロ文明を復活させることに絶対に執着すべきではないのだ。私はいかなる過去の手先にもならぬ。私は私の現在と未来の犠牲に於いて過去を賛美することを欲しない。
インドシナ人が蜂起したのは彼らが固有の文化を発見したからではない。《要するに》いかなる意味でも呼吸することが不可能になってしまったからなのだ。(p. 244)

過去は非原本的な態度の延長線上で《凝固し》、個人に形を与える(informer)にいたることをサルトルは明らかにした。それは価値に変わった過去だ。だが私には私に過去を取り返し、私の継起的な選択によって、それを価値づけたり、断罪したりすることもできるはずだ。
黒人は白人のごとくありたいと願う。黒人にとっては、ただひとつの運命しかない。そして、その運命は白いのだ。もうずっと昔のこと、黒人は白人の異論の余地のない優越性を認めた。そして今も彼の努力のすべては白い生存を実現することに向けられている。(p. 245)

私はある日、事物が苦しみを与える世界、闘うことを要求されている世界、破滅か勝利かが常に問題とされる世界で自己を発見する。
人間であるこの私は、語(ことば)が沈黙の総縁(ふさべり)をつけている世界、他者が果てしなく身を硬くしていく世界で自己を発見する。
いや、私は白人に憎悪を叫び立てにやってくる権利を持たない。私は白人に感謝をささやく義務を持たない。実存の投縄に捕らえられた私の生がある。私を私自身稲毛返す私に自由がある。いや、私は黒人である権利を持たない。
私はこれとかそれとかである義務を持たない。(p. 246)

私は私自身の礎であるのだ。
そして私が私に自由のサイクルを導入するのは、道具である歴史的所与を乗り越えることによってなのだ。
黒人の不幸は奴隷化されたということである。
白人の不幸と非人間性はどこかで人間を殺してしまったということである。
それはまた、この非人間化を組織化しているということである。しかし私は、黒人であるこの私は、絶対的に実存することが可能であるかぎりにおいて、遡及的な償いの世界に立て籠ってしまう権利を持たない。(p. 249)

ファノンの認知     フランシス・ジャンソン

ところで私は、一九五二年に、ファノンは、真に革命的な精神の持ち主であった、そして以後もそうあり続けた、と主張するものである。アルジェリア人ファノンはアンティル人ファノンの約束を守った。『地に呪われたる者』は『黒い皮膚・白い仮面』の確認である。(p. 255)

ファノンは知識人であり、彼の哲学的強要は計り知れない。だが、彼は、彼もまた、この世界へ生まれ出て、自己の人格を組み直し〔再構造化し〕、植民地化された黒人としての具体的な状況から出発して他人との関係を作り出しつつ、生を受け入れねばならなかったことを忘れていない。サルトルとフロイトとマルクスがこの点において彼を助けた(aider)、これは確かだ。ただそれは、自分の問題をくすねるためでなく、これと対決するために、彼らを使った(s’aider de)という限りにおいてである。これら数人の思想家たち、また他の多くの思想家たちが、彼の眼に、どのように魅力あるものに映ったにせよ、彼らは奴隷としての過去も、皮膚の色も乗り越える必要はなかった。階級のない社会、あるいは人間による人間の認知について語ったとき、彼らは、言うまでもなく、抑圧されたものたちを念頭においていた、だが彼らは、決して抑圧されたものではなかった――実際、彼らが必要としていた認知は、これら他の人間たちによる認知だけであった。(p. 267)

ところで、ファノンが、きわめて時宜を得て、われわれに示し、証明してみせるのは、われわれの歩みと、植民地原住民の歩みとが対称的ではない、それは重ね合わすことができない、われわれは、どんなにしても、われわれの歩みから彼らの歩みを引き出してくることはできない。彼らにかわって彼らの歩みを創り出すことも、また、彼らがこれを言葉に表すにとどまるときはこれを理解することさえもできない、というそのことである。(p. 269)

彼は言った。「ニグロは自由の値を知らない、なぜなら、自由のために闘ったことがないからである。。」あのヘーゲル的直感の、一世紀後におけるアンティル版である。ヘーゲルによれば「自分の生命を危険にさらさなかった個人も、むろん、人格としては認められうる、だが(……)あの、自立的な自己意識として認知されているという真理には達しないのである。」(ヘーゲル『精神現象学』) (p. 273)

 

 (2011/9/24)