仲正昌樹 |
第一章 現代思想の閉塞状況(からの離脱に向けて) 著者が大学に入った八〇年代前半には(……)少なくとも見かけ上、スターには事欠かなかったし、”思想に共通の言葉”(コード)らしきものが何通りかあったように思われた。受け入れるか、拒絶するか、あるいは離脱していくか、といったスタンスの取り方に違いはあっても、「マルクス」を軸にした地の見取り図が、漠然と都ではあるが存在していた。例えば、浅田彰は八三年二月に書いた文書で、次のように述べている。 そもそも「脱構築」というのは、深層において「主体=私」の行為を規定している不可視の「構造」を(私に対して)可視化することによって、脱力化していこうとする試みである。デリダ式に言えば、一つの「構造」の境界=限界線(limite)を画定する(delimiter)ことは、同時にその“構造”の作用を脱・限界化(de-limiter)→脱構築することを含意している。「構造」が“構造”として現れた時、それはもはや不可視の“構造”としての機能を 果たし得なくなるわけである。言い換えれば、触れてはいけない社会の決まりごと、「タブー」に敢えて触れることで、タブーをタブーでなくすのが、「脱構築」だと理解してもよい。(p. 17) 全共闘が壊せないはずのものを壊そうとするかのようなポーズを取りながら、結局、何も変えられないままに(五五年体制的に)ずるずると押されていったのと比べると、「 熱くなりながら冷めていよう」という浅田の流儀は「カッコ良く」見えた。しかしこの浅田の“カッコいい”戦略というのは、裏を返すと、自分自身がどんな失態を演じようと、「そんなこと最初から分かってやっているのさ」、と超然ぶって逃げを打つのに都合のいい戦略である。実際、浅田はスキゾ・キッズとして非常に巧妙な逃げを打ち続け、左翼陣営から足を引っ張られることなく、今日まで思想論壇で生き残ってきたわけである。(p. 25) |
朝だが嘲弄し続けたマルクス主義的な二項対立図式も中心から崩れてしまうと、もはや「“誰”が“何”から“どうやって”」逃げているのか分からない混迷状態に陥っていく。彼の後継者と目されている(あるいはそう目されたがっている)東浩紀の言説には、スキゾ・キッズ風の軽やかさは見当たらない。むしろ、見通しが全くきかない情報のカオスの中で、意味不確定のメッセージを、よく分からない相手に向かってぶっつける、“ぎごちなさ”の方が目立つ。東は、そうした自らの言説の“ぎごちなさ”を「郵便的不安」と呼んでいる。(p. 26) ハイデッガーに限らず、「不安」という言葉が出てくる文脈は、通常、「超理論的なもの」を回復しようとする形而上学的な傾向と繋がりがちだ。実際、東自身、「考えるべきなのは、想像的関係に覆い尽くされたこの状態から、どうやって言葉の力、シンボリックな社会的領域の力を復活させるかと言うことです」(東浩紀『郵便的不安たち』(一九九九、朝日新聞社)三三頁)と明言している。九〇年代オタク世代を“代弁”していたはずの東が、「父性の復権」の林〔道義〕や、「流れて行かない言葉」を求める中島〔義道〕のような「父親たち」と同じような結論に達しているのは、非常に奇妙な現象である(ひょっとすると、至極当然の帰結かもしれないが)。(p. 28) 九六年の『情況』に掲載された文章で、福田〔和也〕は自分の“求めるもの”について以下のように述べている。 強いて言うならば、伝統への喚起からではなく、唯物論的な闘争の意識から、超歴史的な持続の感性を回復する事。日本文芸の復興を、敬虔な文化主義ではなく、卑俗な言語の暴力、テロルにおいて実現すること。(福田和也『日本/古典主義/ファシズム』:『南部の慰安』(一九九八、文藝春秋)二九四頁) 福田のおどろおどろしい“言葉”には、ポストモダンに疲れたスキゾ・キッズたちを引きつける奇妙な魅力があるようだ。ポスト全共闘に反発する東も福田に対しては、それほど違和感を感じていないらしい。ポストモダンと保守主義の結びつきは、まさにグロテスクである。福田の言説の気持ち悪さや、小林よしのりの漫画の影響力をいたずらに過大評価するのは、「郵便的不安」の罠の自ら陥ってしまうことに他ならないので、厳に慎まねばならないが、彼らのこけおどしめいた言動が奇妙に受けてしまう状況が生まれてしまったことは、きちんと認識しておく必要があるだろう。(p. 30) 自分の存在の根拠について、“不安”を感じながら、常に「他者」との対話を通して、自分の拠って立つべき根拠を解体しては、また再構築しようとする営みを繰り返すことこそ、ハンナ・アーレントの言う『人間の条件』である。言表主体として「語って」いる以上は、その都度、何らかの“象徴的なもの”に依拠しているはずだが、そうした“暫定的に象徴的なもの”をあえて実体化する必要はないだろう。(p. 32) |
第二章 マルクスと自然の「鏡」――現代思想から見た『経哲草稿』 そもそも資本主義的生産過程の中で失われてしまった「行き来した労働」や「(労働者としての)身体性」を取り戻そうとする疎外論的な問題構制自体が、“失われた自然との交わり”をめぐって展開される近代の形而上学のパターンに見事にはまっている。自分がかつて経験したことがない“もの(=本来の自然)”を「有る」と言い切ってしまうのは、形而上学に他ならないであろう。現状が生き生きした本来的な世界と乖離していることを強調し、“失われた根源”への復帰を力説するという点では、マルクス主義はもっとも典型的な「自然の鏡」の哲学である。(p. 38) マルクスは、(国民経済体制の中で構築された)鏡に映った“自然”が、所詮は、イメージにすぎないことを暴露してしまう。労働を通して社会的に生産(対象化)された事物世界には、「感性的な自然」の入り込む余地はない。労働者の生活が現存する事物世界の価値法則に拘束されている限り、フォイエルバッハの言うように自己の内に残存する「感性的に確実sinnlichgewiss」なものを手がかりに「疎外」を克服しようとする試みは、原理的に不可能なのである。(p. 51) 肉体を基盤とした生命活動を営んでいるという側面から見れば、人間は「自然的な現存在」であるが、その“自然的な現存在”は人間自身がそれを意識していない限り、彼にとっては“現存”していない。「自然」と直接的に“一致している”(と感じている)人間には、そのような自己意識はない。「社会」の中での対他関係を通して、つまり他者(=他の「主体」たち)のまなざしを通して自らの「(社会的)現存在」を意識するに至って初めて、同時に自らの「自然的な存在」をも意識するようになるのである。いわば、「社会的な現存在」に媒介されることを通して初めて「自然的な現存在」が『現存』化してくるのである。(p. 55) そうした意味での「歴史」〔ヘーゲルが描いた壮大な「精神」の「歴史」〕は、(あるがままの)「自然」における諸物の「生成」の運動が、間主観的に構成された“我々”の世界の中で意識的に再構成されたものである。「物=客体/意識=主体」の間の根源的亀裂から生まれてきた「歴史」は、「知られた歴史」としての自己の本質を止揚して、[意識された存在=有るがままの存在](即自・対自的存在)に到達することをそのテロス(目標=終わり)とする。その意味で「歴史」とは「自然=史」であると言うことができる(p. 59) 外化した人間の類的本質の現われである貨幣には、単に「対象」を獲得しようとする私の願望を充足するだけでなく、「対象」を欲する“私の願望”それ自体を生み出す作用がある。我々は自分が欲しい「物」を頭の中に表象し、それを「貨幣」で購入する。その意味で「貨幣」は、「表象された存在das vorgestelle Sein」へと変換する。しかし翻って考えてみれば、そもそも「私」が“対象X”について何らかの「願望」を抱いていることが「社会」の中で認められ、現前化するのは、「私」が貨幣を媒介として交換行為を営んでいるからだと言える。「私」の手元に交換のメディア(貨幣)がなかったら、他者(=他の「私」)から見て、“私の願望”なるものはないに等しいのだ。(p. 64) |
“自然”の再獲得を目的として生み出された(はずの)「社会」において、“自然なもの”あるいは“自然な労働の産物”の価値が、人為的な交換の「対象」である商品の側から規定されるという倒錯した事態が生じているのである。「実存し、活動しつつある価値の概念としての貨幣は、すべての物を取り違え(verwechseln)、置換=交換(vertauschen)する」(経哲草稿四三八頁)のである。(p. 66) ベンヤミンに言わせれば、「歴史」は決して「移ろい行く自然」に追いつくことができず、「歴史」の中で意味論的に再構成された“自然”は、「自然」の残骸=廃墟にすぎない。「自然・史」は、「自然」と「歴史」の果てしなき鬼ごっことして展開していくのである。そうした意味で、ベンヤミンは、「自然・史」のことを、弁証法的な性質を持った「意味作用あるいは志向性の原史die Urgeschichte des Bedeutens oder der Intention」とも言い換えている。「自然」が過ぎ去った“瞬間”に、そこに“残ったもの=残骸”に意味を付与しようとする「意味作用」がおこってくるのが、「歴史」の根源=原史なのである。(p. 69) マルクスの「自然・史」は、「自然」から取り残され、「歴史」の中に置かれている「労働者」による“自然=本性”回復運動として弁証法的に展開していく。ベンヤミンの「自然・史」も基本的にはそれと同じ弁証法によって進展していくわけであるが、彼の場合は、「自然」との再・合一化が原理的に不可能であることが、予め「歴史」の前提として組み込まれている。「プロレタリアート」としての近代の労働者たちとは違って、バロックの芸術家たちは、自らの“自然”探求の営みが、「廃墟」にしか突き当たらないことを知っている。初期マルクスの「自然・史」がもっぱら自然=本性回帰の「願望」を原動力にしているとすれば、ベンヤミンの「自然・史」は、「願望」と「絶望」の弁証法的な交差から生まれてくる、という形で対比することが出来るだろう。(p. 69) ベンヤミンは、ブルジョワたちの「欲望」を囚えている商品世界の壮大な「ファンタスマゴリー(幻影装置)」を、“自然”の廃墟から生まれてくる「意味作用=歴史」の連関としてアレゴリー(寓意)的に「読も」うとしたのである。(p. 70) 俗流ヘーゲル主義的な「自然/歴史」観がもはや無効であるのははっきりしているが、初期マルクス、そしてベンヤミンが提起した、よりラディカルな「自然・史」の現代思想的な可能性はまだ汲み尽くされていない。我々の「社会」の中には、もはや「自然」そのものは見出されないが、過ぎ去った“自然=本性”の痕跡を探求する「自然・史」的な方法は、微かに開かれている(ように見える)「外部」への出口を指し示しているのである。(p. 72) |
第三章 マルクスの学位論文における「偶然」の問題 自然の「偏差」によって「主体」であることを強いられるというのは、ヘーゲル-マルクス的な「主体性」論の文脈ではなかなか理解しにくいところであるが、アルチュセール-デリダ以降の現代思想の文脈における「主体性」論としては、ある意味で当然の話である。アルチュセールは、「主体」は最初から“主体”として存在するのではなく、「構造」の「呼びかけ」によって「主体」になると論じた。アルチュセールの構造主義を批判的に継承したデリダは、自らの「声」を発する主体がアプリオリに成立しているわけではなく、エクリチュール(書字)化された意味の連鎖の中で、「主体」が事後的に形成される、という立場から独自の哲学を展開した。デリダによれば、自己を再生産し続けるエクリチュールの連鎖の中で「偶然」に生じる「逸脱」から、新たな「意味」が生まれ、それに伴って(意味作用の)「主体」が“後から”形成されてくる。(p. 90) 柄谷のマルクス読解は、当時、リオタール、ドゥルーズ、デリダなどフランスの現代思想家が進めていた西欧哲学の「脱構築」路線の延長線上にあると見ることができる。そのキー・コンセプトは、近代(資本主義)的な「同一化」の論理に抵抗する「差異」と「たわむれ」の思想である。ヘーゲル主義、及びヘーゲル主義を唯物論に応用した俗流マルクス主義が依拠してきた「弁証法」の論理は、「世界」の中心に位置する「主体」が「対象」を自己と「同一化」していく運動としてイメージされる。ヘーゲル=マルクス主義の弁証法においては、「主体」が「対象」を認識するということは、無定型の“自然物”を自らの支配下に取り込んで(=搾取)、自己と「同一化」することなのである(=生産)その「中心」に「物質」があるのであれ「精神」があるのであれ、「歴史」は、強い求心力を持って、「対象」を従えていく「主体」の同一化作用を通して進行してきた。それに対して現代思想は、そのように自己を再生産し続ける同一化の論理それ自体ではなく、同一化作用から「逸脱」していくもの、つまり「差異」化の運動を重視する。自己同一的な状態が続いているところには、決して「意味」は生まれてこない。規則的な運動の内部に、「不規則的なもの」「異なるもの」が、「偶然」によって出現してくるからこそ、「差異」としての「意味」が生じてくるのである。偶然的に産出される「差異=意味」の連なり(延長)の中に「歴史」がその瞬間ごとに“ある”わけであるから、歴史の最終的なEnde」を確定したり、予見することはできない。「歴史」は、「絶対精神」もしくは「運動する物質」の「自己展開」であるという場合の「自己」は、もともとどこにもないのである。(p. 92) 柄谷は、「偶然」による「主体の脱構築」という文脈でマルクスを読む姿勢を貫いている。しかし、ここまで「主体」の「主体性」を解体してしまうと、果たして、そうした偶然性の中で「変革」に向かって、“活動”することに“意味”があるのか、という疑問が生じてくる。差異化としての「変革」が、常に我々の「意識」の自発性に先行しているのだとすれば、我々が“自発的”に「新しいもの」を作り出すことにそれほど“意味”があるとは思えない。我々が“新しい”と思う以前に、既に「逸脱」によって「新しいもの」が生じているのであれば、我々自身が改めて「意識」的に努力してもしなくても“大差”はないはずである。(p. 97) |
誰でもすぐに気がつくのは、「消費」の場では「主体性」を発揮して、資本の運動を阻止できる、と柄谷が明言していることである。これは、「主体性」が実は、文字どおりの意味での“自発的な主体性”ではなく、「差異のたわむれ」の中で「偶然」に生じてきた“主体性らしきもの”にすぎない、というかつての議論と矛盾しているのは明らかだ。「生産」の場で「主体的」に振る舞っている「資本家」が、個人として「主体」なのではなく、「運動する資本」の「人格的担い手」にすぎないという認識を示している点を見れば、単純に、古典的マルクス主義の「主体性」論にまで先祖返りしようとしているわけではなさそうだが、問題は、主体性の基盤になる「運動する資本」の“正体”である。(p. 100) 「運動する資本」というのが、かつて浅田彰が『逃走論』(一九八四)で、「反乱が日常的に起り、それによってシステムが日常的に組み変えられていくダイナミズム」、「脱コード化メカニズム」を本性とするものとして特徴づけた「近代資本主義」と同質のものであれば、マルクスの差異化論の延長線上で理解することは可能であろう。「資本の運動」も、偶然性による「意味の戯れ」の連鎖ということになる。柄谷自身も『言語・数・貨幣』(一九八三)で、「きんだいしほんしゅぎ」は、「『不均衡』を部分的に解放することによって、累積的な差異化と自己増殖をとげるシステムである」と述べている。しかし、そうだとすれば、「資本」の中で引き起こされている差異化=脱コード化の行方を、科学的な法則とか計画性によって誘導することは不可能である。(かつての)浅田が言っているように、意図的に「混乱の反乱」を引き起こすことによって、「資本」のコードを破壊しようとする試みは無意味であろう。(p. 101) 柄谷や浅田にしろ、「二一世紀のマニフェスト」を掲げるポスト団塊世代のポスト・モダン派論客たちにしろ、自分たちがかつて「“予言不可能”な“不意打ち”」と呼び、「読解を通してのみ現れてくる」としていたものを、自分で企画・立案するという「遂行矛盾」を犯している人が最近やたらと目立つ。 他によって規定(同一化)されていながら、他と区別されているから、「自己」なのである。「自己」は、自己の支配下に入らない他者、“自己”の意識を「超越」しているものと常に遭遇しているからこそ、「自己」でいられるのである。これは、フィヒテの自我中心主義哲学の後を継いだシェリング、ヘーゲル、ヘルダリン、シュレーゲル、ノヴァーリスたちの間で論議された中心的なテーマである。
|
NAM(New Associationist Movement)の原理は、「主観的に諸関係を超越した」かのような態度を取るのではなく、「こうした関係構造を廃棄しようとする態度にこそ」マルクスの倫理性がある、という見解を示している。これは非常にカッコいい言い方であり、またマルクス主義者の態度としては至極当たり前である。しかしながら、ではどうして、自由な「倫理的主体」となりうる潜在的能力を備えた「私」が、そのような非倫理的「関係構造」にわざわざ嵌まり込んでしまうのか? また「関係構造」を廃棄するといっても、すべての社会的関係性を廃棄する――他者との関係性のない状態は、「自由」がないことを意味する――のは不可能なわけであるから、どのような「関係」をどこまで廃棄するつもりなのか? また、そのような廃棄は、「私」個人の自発的な努力によって可能となるのか? そこに入り込んでくる「偶然性」という要素をどう考えるのか? こうした問いを抜きにして、ただ「関係構造」を「廃棄」するというのでは、従来のマルクス主義思想の緒言説を脱構築するどころか、疎外論-『経哲草稿』以前の素朴マルクス主義に逆戻りしてしまう。(p. 114) 「実践!」という呪文によってあらゆる(面倒くさい)言説を片づけてしまうマルクス=レーニン主義のやり方に嫌気がさして、「左翼」から距離をとるようになった人はかなり多いはずであり、その余波はいまだに続いている。その意味では、フォイエルバッハ批判の第十一テーゼは、マルクス主義が全体主義の汚名を着せられるに至った元凶であるといえるわけだが、かつて、そうした通俗的・暴力的な理解とは全く異なる、テーゼ「解釈」の可能性を示唆した哲学者が旧東欧圏にいた。ルカーチ、ベンヤミンの友人であり、東ドイツのライプチッヒ大学で教鞭を取ったマルクス主義者エルンスト・ブロッホ(一八八五-一九七八)である。彼は、“物”の微細な構造に徹底してこだわる唯物論的な立場と、シェリングのロマン主義的哲学を結合した独自の哲学を展開したことで知られている。(p. 120) ブロッホは、いわゆる『実践』重視という視点から、プラグマティズムと結びつけようとする論調を批判している。ブロッホに言わせれば、「真理とは、イメージの実務的な有用性に他ならない。」とするプラグマティズムの道具主義的な思考法は、マルクスの[認識=実践]論とは根本的に異質のものである。(……)プラグマティズムにしろ、社会主義を“プラグマティズム的”な発想で改編した実践主義(Praktizismus)にしろ、[認識=実践]における「真理」性を問題にしない思想は、マルクスとは無縁である。マルクスの議論が“純粋に客観的な真理”に到達することの不可能性を示唆していたとしても、だからといって、真理を“単なる行動のうえでの有用性”へと還元することがマルクス的発想であると言うことはできない。それは、『フォイエルバッハ・テーゼ』において示されたマルクス的な認識論からの大きな後退である。 |
(ブロッホの)マルクスが言う「世界の変革」とは、我々の「認識」の中に歴史的に組み込まれている事物の意味関連を、批判的に「解釈」し、それを通して、我々自身(主観)と事物(客観)の双方を共に変化させていく営みである。認識主体が自らの立っている立脚点を詳細に探求することこそが、「感性的活動」に影響を及ぼし、「主体/客体」関係を根底から組み変えることに繋がる。表面的にのみ潔い英雄的行動は、物の表面を上滑りするだけである。関係を絶えず認識し続ける「哲学の変革」によって、新しい「現実」を見出だしていくことが、「世界」の変革に通じる。(p. 131) ブロッホ=マルクスの未来学は、「現実」の中に潜在する「未来」の客観的可能性を見出だし、それと能動的に関わりながら、新しい歴史的「傾向」として再形成していこうとする(非観想的な)「実践」的学問である。未来学は、そうした意味でのもう一つの「客観性」を追求しながら、過去の歴史を基盤にして客観的歴史法則を展開するヘーゲル主義や、その延長線上から抜け出していない正統派の唯物史観に戦いを挑む。言い換えれば、未来学は、出来合いの“客観性”を扱うのではなく、「過去」に連なる“客観性”と、「未来」からやって来る“客観性”がぶつかり合う闘争の場を知的に設定するのである。(p. 135) ブロッホの議論は、いわば、「未来」からやって来つつある「共産主義」の「亡霊=妖怪Gespenst」の兆候(記号)を「物質」の中から探り出し、それを、「現在」に取り憑いている「過去」の「亡霊」にぶつけるものである。彼にとって、『テーゼ』やそれに続く『共産党宣言』は、単なる檄文などではなく、「未来」の霊を呼び寄せるための哲学的なプログラムである。このように、未だに姿を見せない「未来の霊」を――キリスト教的終末論というレッテルを貼られることを恐れず――使っていこうとするブロッホの戦略は、「マルクスの亡霊たち」をむしろ積極的に活用していこうとするデリダのそれと極めて類似していたといえる。(p. 137) 「未来の霊」を呼び出して、支配的な「過去」と対決させるという点で、ブロッホとデリダは共通している。ある意味で、マルクス主義+ドイツ・ロマン派の言葉で語られたブロッホのマルクス論を、ポスト・モダンの言葉に翻訳したのが、デリダの議論であるとも言えよう。ただし、両者の間には、他に用語の違いとは言い切れない大きな違いもある。ブロッホが「ユートピア」について語る「希望」の原理の哲学者であったのに対し、デリダは、『ツァイト』紙とのインタビューの中で、「ユートピア」という言葉への警戒感を表明している。何故かと言えば、「ユートピア」は、「できるかもしれない」というあやふやな期待を抱かせ、決断への「責任」を曖昧にしてしまうからである。デリダ自身は、「ユートピア」よりも、「不可能なものIm-Possible」の“不”性について徹底的に思考し、それを突き破っていこうとする。デリダは、「来るべきもの」を、希望というよりも、むしろ究極の「決断」を迫ってくる「切迫性」と見ている。(p. 138) |
第五章 ミニマ・モラリアにおける脱・所有化と愛 アドルノにとって、ナチズムとは特殊な現象ではなく、〈自己〉を際限なく拡大しようとする啓蒙の精神〈自我意識〉に産物である。近代的自我を成立させた啓蒙の運動が破局を生み出した以上、もはや自己の意志の格率が普遍的立法として妥当するかのごとく行為しうるカント的な主体を想定することはできない。さらに言えば、そのような行為主体の可能性について語りうる主体(著者としての哲学者)の位置自体が極めて怪しいものになってしまった。アウシュヴィッツの後、啓蒙化された主体を前提として基礎づけられる定言命法はその効力を完全に喪失した。(p. 144) アドルノにおいて〈交換〉は、“我々”が認識・行為の主体であり続けるための不可欠な条件であって、決して〈労働〉に付随する二次的な現象ではない。〈交換〉に基づく交換価値の成立が、労働を基盤とする使用価値の成立に原理的に先行している。そうした主体成立の前提条件としての〈交換〉が、計算的理性によって〈自然〉を支配しようとする〈自己〉の拡大運動、〈啓蒙〉という名のより危険な神話を紡ぎ出す契機にもなっている。交換=計算的理性は“すべて”を軽量化し、〈自己〉にとって有用なものとして支配しようとする欲望を内包している。(p. 148) このように市民社会に抵抗する“我々”の知的良心までも交換価値の産物と見るラディカルな立場は、プロレタリアの前衛意識を特権化しようとする既成のマルクス主義の議論とは相容れない。アドルノに言わせれば、プロレタリア(あるいはその代表を名乗る前衛党)といえども〈等価的なもの〉の支配から自由ではない。否むしろ、プロレタリアートが自らの批判的意識もまたそのように〈物〉に拘束されていることに気がつかないとすれば、〈等価的な物〉へと同一化する〈自己〉の運動にさらに深く巻き込まれることになる。(p. 152) 主体の意識の中でイメージされている道徳自体が交換社会の抑圧的な構造の反映である以上、道徳を実現しようとするのは非道徳的な行為である。むしろ道徳による同一化を阻止する反道徳の立場こそ道徳的である。ただし反道徳による否定は、新しい方向性を具体的に指し示す否定であってはならず、道徳の中に含まれる非道徳な本質を意識化させることにその役割を限定しなければならない。反道徳の否定は抽象的性格のものに留まらざるをえない。アドルノの唯物論は、市民社会の道徳にとって替わるものではなく、その隠蔽された抑圧構造を意識化させるように働く〈物〉なのである。(p. 155) アドルノの結論は非常に明快である。愛というのは本来、相手の中の〈独自なもの=特殊なもの〉に対して引きつけられることである。私たちがそれを真に〈独自なもの〉として経験したのであれば、その〈独自なもの〉を人格という名の全体性と結びつけ、独占してしまう必要などないはずだ。真の愛情はその本質からして反復不可能であり、時間系列による所有化とは無縁のはずである。愛における〈独自なもの〉よりも、社会的全体性の中で保証された所有関係が優先されるようになるのは、相手がもはや愛のパートナーではなく、所有の対象になっているからだ。 |
第六章 ドゥルーズ=ガタリと「資本主義」の運動 フィリップ・グッドチャイルドは、『アンチ・オイディプス』においてドゥルーズ=ガタリがマルクスから継承としているテーマとして、(a)資本によって与えられる(social formations)をめぐる「普遍史」の構築、(b)抽象的労働という視点から見た「機会」観、 (c) 貨幣交換における等価性の虚偽性、(d)資本の展開と投資のための前提としての原初的蓄積、(e)資本主義の限界についての関心――の五点を挙げている。当然、ドゥルーズ=ガタリは、そうした昔からのマルクス主義的なテーマをそのまま引きついだわけではない。グッドチャイルドは共通点と共に、ドゥルーズ=ガタリがマルクス主義を、マルクス主義のカテゴリー自体によって批判することを通して、新しい地平を切り開いたことも指摘している。彼もまた、ジェイムソンと同様に、革命的プロセスの担い手が、実在する「労働者階級=プロレタリアート」による「階級闘争」から、「機械的無意識」のレベルで作用する人々の「想像力」へとシフトさせていることを強調している。(p. 189) 「哲学」の役割の本質は、「欲望する無意識」としての「資本」を「超越」した高みに立って全体を俯瞰することではなく、むしろ「資本」を限界づける「内在平面」を開示することにある。「内在平面」が示されることを通して、「資本」の抱えている自己矛盾、逆説的性格が明らかにされ、それに伴って、属領化を続けようとする「資本」の運動が――少なくとも論理的には――不可能になる。そこで、「資本」が獲得した領土の内で、「脱属領化」の動きが起こってくるのである。そうした意味では、マルクスの『資本論』もまた、「資本」を限界づける「哲学」であったと言える。(p. 192) 「哲学」が「資本」の限界づけのために行う「概念」創造においては、「来るべきもの=ユートピア=新たな大地」と、そこに居住する「新たな民衆」が前提条件として必要とされる。あるいは、創造概念を通して、「内在平面」に基準を与える「ユートピア」が、「資本」の“外部”に創設されることになる、と言ってよいかもしれない。「哲学」とは、「内在平面」を構築することを通して、(資本の)“外部”の「ユートピア」を「未来」から呼び込んでくるという極めて逆説的な営みなのである。(p. 194) リオタールは、「ポスト・モダン」という言葉を、「ポスト産業社会」に重ね合わせて使っており、その点に着目すれば、「ポスト産業社会」における新たな形態の「資本主義-国家」に対するラディカルな「批判」を試みた六八年の運動と同じ文脈に属しているようにも見えるが、彼に言わせれば、ポスト産業社会において生じてきた「ポスト・モダン」状況においては、「資本主義=彼ら/左翼陣営+批判的知識人=我々」という二項図式自体が既に有効性を喪失している。高度に複雑化した「資本」の自己再生産の運動に「社会」全体が巻き込まれているとすれば、その「社会」の中で生きている「私」が、「資本」の「内/外」の境界線を一義的に引けるはずがない。敢えて「引いた」としても、そこで得られるのは、「資本」の「内部」で産出された「内/外」の構造にすぎない。こうした対立図式に囚われている限り、「私」は、「資本」によって動かされるシステムの再生産を反復するだけである。(p. 200) |
インターネット空間で楽しそうに遊んでいるように見える東が、表明している「郵便的不安」、つまり皆、本当に「バラバラ」になってしまい、話が通じないことに対する苛立ちは、この国の「ポスト・モダン」が到達した臨界点を表示しているのかもしれない。東の言う「郵便的不安」という概念が、実際、社会一般に「通用」しているものであるとすれば、全共闘に始まった「同一性」を徹底的に破壊するアナーキズム戦略が最終的に「勝利」をおさめたことになるだろう。 デリダは、「存在しているか存在していないのか to be or not to be」はっきりせず、「存在」の歴史からはみだしていながらも、執拗に「存在」に取り憑いてくる「亡霊」という形象を、「存在」の意味体系(テクスト)からこぼれ落ちていく「残余」として捉える。「残余」としての「亡霊」は、これまで何度も「革命」的な瞬間が訪れるたびに「召喚=招集 conjurer」され、人々を突き動かし、新しい「法」を創設しては再び「去って」いく。『共産党宣言』は、そうした「亡霊」を召喚するための呪文の役割を果たしたのである。無論、「亡霊」と共に作り出された新しい法秩序は、いつしかテクストとして確定化・実体化され、抑圧的な作用を及ぼすことになるわけだが、その時には、また新たに「亡霊」召喚がなされることになる。デリダは、そうした(「存在論ontologie」と表裏一体の関係にある)「亡霊論hantologie」の視点から、『宣言』から百五十年経とうとしている「今」こそ、マルクスの古い“亡霊”たち(の痕跡)をお祓いする(conjurer)ことを通して、新しい「亡霊召喚=革命」を実行すべき時であると「宣言」する。(p. 224) ローティの言うアメリカ本来の左翼とは、(左翼を名乗る人間の間では、「プチ・ブル」的だ、として忌み嫌われてきた)「改良主義的左翼Reformist Left」である。具体的には、「自由主義競争」主導のアメリカ社会の中で、ニュー・ディールのような公共政策を立案し、社会的弱者保護のための福祉・教育政策を実施し、マイノリティーや女性の人権向上を図ってきた「リベラル」な人たちである。彼らの中には、アメリカの中の抑圧的・非民主的体質を是認するかのような姿勢を取った者もいるが、少なくとも徐々にではあるが、事態を「改良」させてきた。 柄谷が少し前まで関心をもっていた『ブリュメール一八日』の中でマルクスは、「新しいもの」を求める「革命」が、現実には“皆が知っている”「古い形態」において現象してくるというアポリア(=ファルス〔笑劇〕としての革命)を指摘しているし、アドルノは、「新しいもの」が(我々の内面世界に蓄えられている)「太古的なもの」のイメージに即して形成されてくる「美的なものの(否定)弁証法」を問題にした。ドゥルーズの『差異と反復』も、基本的にこの問題を扱っていると言っていい。 |
第八章 マルクス主義としてのプラグマティズム 形而上学的な原理が強力に作用していて、社会的目的が予め設定されているような共同体においては、民主主義的な「合意」を通して正義の原理に至る「手続的正義」の余地はない。ロールズ=ローティの見解によれば、社会的「連帯」を支える正義の原理は、アプリオリに与えられるものではなく、民主主義的な討論と実践によって、その都度産出されるべきものである。その意味で、プラグマティックな思考が貫徹した自由な共同体においては、民主主義が哲学に先行するのである。(p. 261) ハーバマスも指摘するように、ロールズの正義論においては、初期状態において措定した「正義の原理」を、人々のコミュニケーション的な行為連関の中で具体的に実現するための「制度」的な補完装置が欠落しているとされているが、ローティは、アメリカの政治文化の伝統においては既に、ロールズ的な正義を実現するのに必要な「文脈」が形成されているという見解を示している。ローティに言わせれば、ロールズの正義は、普遍的で超越的な正義の原理に由来するわけではなく、アメリカの政治文化に歴史的に根ざした、アメリカに固有の正義の形態なのである。ローティはそうした文化相対主義的な視点から、ロールズを解釈しようとする。(p. 261) ローティは、マルクス派が、権力の弾圧に抗してこうした「ボトム・アップ」の運動を組織することに貢献してきたことは評価するが、彼らが「トップ・ダウン」の運動との関係を遮断したため、二つの方向を巧みに交差させる形で発展してきたアメリカ左翼の本来のポテンシャルが破壊されたと指摘する。ローティに言わせれば、既存の「民主主義」的諸制度を「道具」として最大限に使い切り、具体的な改革の成果を出していくのが、プラグマティズムの精神を持ったアメリカの「政治的左翼」のやり方だ。「搾取」「疎外」「物象化」といった概念を原理的に「基礎づけ」、そこまで掘り下げて問題を「解決」しない限り、「解放」はありえないと頑強に主張する「基礎づけ主義」的な態度は、プラグマティスト的左翼のやり方ではない。ローティは、マルクス派によってもたらされた左翼の自己認識の歪みを正し、アメリカ左翼の歴史をもう一度書き直すべきことを提唱する。(p. 273) 「プロレタリアート」と「工場労働者」の間の差異が誰の目にも明らかになったため、「歴史」を最終ゴールへと導く「主体」の位置が空席になった。アルチュセール以降に、フランス現代思想に登場してきたフーコーやドゥルーズ、リオタール、デリダの理論には、「歴史」の牽引車になれるような「強い主体」は出てこない。「主体性」自体が、「歴史」的に構築されたものであることが、いろいろな側面から“暴露”されるようになった。ポスト・モダンの思想が、「自己」を取り巻く、イデオロギー、表象=代理システム、言説、テクストの「外部」に出ることはできないという前提の下に展開している以上、「外部」の超越論的な視点から自己の「現実=土台(下部構造)」を認識することができる「歴史の主体」が不在になってしまうのは当然のことだろう。(p. 297) (2011/11/10)
|