テオドール・W・アドルノ |
第1部 ヴァルター・ベンヤミン論 1 ベンヤミン回想
2 ベンヤミンの特性描写 死ンタ自然という意味の静物というフランス語は、彼の哲学的地下牢の戸口の上に掲げられているかもしれないのだ。自己自身を疎外した人間的諸関係の対象化としての、第二の自然というへーゲル的概念、商品呪物崇拝というマルクス的範疇は、ベンヤミンにおいて決定的な位置を獲得する。彼を魅惑するのはアレゴリーにおいてそうであったように、石化したものにおいて凝固している生を、覚醒させることでありそれに留まらず生命あるものが夙に過去のものと化して、太古史に属するものとして出現し、突如として意味を手渡すところまで、生命あるものを観察することなのだ。哲学は商品呪物崇拝をおのれ自身のために横領する。(p. 18) 直接聞いたところによると、ベンヤミンは自我をたんに神秘的なものとして承認しても、形而上学的でかつ認識批判的なものとして、実体性としては承認していなかった。内面性とは彼にとって鈍感と不透明な自足の住みかであり、人間の可能性としての像を歪める幻なのだ。それに対して彼は真に外的なものをいたるところで対比させる。かくて自律といった概念に留まらず、全体性、生、体系といった、ことごとく主観的形而上学の勢力圏に属している底の概念を彼において求めるなら、それは所詮、徒労に終わるであろう。(p. 22) 判り切った解釈はすべて断念し、もつばら素材の衝撃的モンタージュを通して、意味を出現させることがベンャミンの意図であった。哲学にシュールリアリズムを援用させるに留まらず、それ自体をしてシュールリアリズムたらしめたのである。「彼の研究からの引用文は、いきなり姿を現わして読者から確信を取り上げる,待ち伏せする盗賊のようなものだ」という『一方通行路』に由来する文章を、彼は文字通りに受け取っていたのだ。(p. 26)
3 『ベルリンの幼年時代』 というのも本書が奇異な感じを抱かせるところまで身近なものにする像は、牧歌的なものでもなければ観照的なものでもないからである。その上にはヒトラー帝国の影が横たわっている。それに対する戦慄をこうした像は、夢のようにはるか以前に存在していたものとめあわせる。市民的天分は自分自身の自伝的過去の崩壊して行くアウラによって、おのれ自身に気づき、仮象としてのおのれ自身に気づいて、戦慄に襲われる。(p. 32) |
4 ベンヤミンの思考像 哲学的幻想とは彼にとって最小のもののうちで書きこみをする能力であり、観照された現実の一細胞は、これもまた彼自身の公式であるが、残余の全世界に匹敵する。ベンヤミンには有限なものにおける諦念同様、体系の厚かましさも無緣である。それに留まらず彼にとって両者は、その根底において同一のものと思われている。彼は神学に住みつく真実を、世俗的なものへと忠実に徹底的に翻訳しょうとするが、体系はその神学の真実の空しい妄想を素描するのである。自己外化のための彼の力に地下において見合うものとして、すべての通路を結びつけているもぐらもちの穴がある。彼は分類的な表面の組織化にきわめて深い疑惑を抱いていた。(p. 39) ベンャミンは観念論と体系からいたるところにおいて脱出しようと努めていた、哲学的世代に属しているが、こうした努力のより古い世代の代表者との関係も欠けていない。客観的で意味分析的な、言語において遂行され、術語の恣意的確定に反対して提出された、実在に関する定義の方法、それがとりわけ青年時代において、彼と現象学とを結びつける。『暴力批判論』はこうした方法を模範的に代弁している。「生命あるものの罪連関」としての運命の定義から、アウラという晩年の定義にいたる定義の古代風に厳格な力を、ベンヤミンはつねに意のままにしてきた。(p. 40) 具体的なものを暗黙裡に、すでに前もって思考された概念の単なる見本としてすりかえ、それによって具体的陳述を擁護しながら、非合法化された概念を実体的で経験を含むものとして密輪入しょうとする誘惑に対して、彼は極度に敏感だったのである。思想一般に許されている限りにおいては、彼はつねに具体的なものの接点、具体的なものにおける解消し難いものを、そのうちに具体的なものが真に癒着しているものを、対象として選んだ。事柄に細心に没頭し、核心に触れてはたえず彼の哲学は歯をかみ折ることになる。(p. 41) 意図を嚙み砕き、意図を欠く状態へと押しやり、あるいはそれがかなわぬなら一種のシシュフォス的労働によって意図を欠くものそれ自体の謎を、彼は解明しょうとする。ベンャミンが思弁的概念に課す要求がより大きければ人きいほど、こうした思考の素材への帰属はより一層遠慮のないものとなり、盲目的なものとなるとさえ言うことができる。真面目な思想を考えることができるためには、ぼくには相当量の愚かしさが必要なのだ。冗談としてではなく、大真面目にかつて彼はそう語ったことがある。(p. 42) 哲学において思考する市民的個人が心の底まで疑わしいものと化したこと、現存在においては個別的主観は抑圧されることなく精神的に止揚されようとも、超個人的なものは実体的に存在することはないということ、こうした対立を、彼は哲学する人間のなかの最初の人間の一人として認めた。みずからの階級を去るが、しかし他の階級に属すこともない人間として自己を規定し、彼はそれによって対立に表現を与えたのである。青年運動は当時は言うまでもなくその後の宣言と極度に相違していたが、彼はその最初の中心的協力者の一人に数えられ、ヴイネケンと彼は前者が第一次大戦の弁護者へと移行する時期まで,親交を結んでいた。そこにおける彼の役割は、またおそらくその上神政国家的諸観念に向かうであろう彼の傾向は、彼が創造的誤解においてそれに関して行なったところのものを、予感することなしに、彼が正統派的に教義として受け取ることを考えた、彼流のタイプのマルクス主義と同一の型を持っている。(p. 50) |
5 『一方通行路』 あるいは「人を知る者、それは人を希望なく愛すものに限られる」。あるいは「愛し合う二人はなによりもまず、互いの名前に執着する」。こうした認識の悲哀は日常においては、認 ベンャミンの定義は確定する概念規定ではなく、傾向からして、事柄がおのれ自身に到る瞬間の永遠化なのだ。次のような定式化は今日亡霊のように立ち戻ってくる立法的議論に、永久に終止符を打たずにはおかないであろう。「犯罪者の殺害は道徳的かもしれない。だがその殺害の合法化は断じて道徳的ではない」。(p. 57) 批判の概念を否定し、時代精神を信頼して振る舞いながら、彼自身がもっとも恐怖を感じていたものを集団的実践の名において批判概念と対比させている、例の個所がその一例である。『一方通行路』の全文章のなかで次の文章はもつとも陰鬱なものである。「再三再四示されてきたことはいまやとうの昔に失われた日常的な生への彼らの愛着が、あまりにも硬直しており、知性に人間的な使用である予見が、ほかならぬ苛烈な危険のさなかでそれによって挫折したことである」。救いとしての覚醒をもたらす声を、夢のうちから聴取する以外には、何一つとして意図することがなかったベンヤミンその人が、ほかならぬ当の救済に失敗したために、これはもつとも陰鬱な文章なのだ。(p. 60) 6 『書簡集・ドイツの人びと』 際立つ冷静さの言語的形式が簡潔な表現である。余計な部分は捨てられるが、しかし捨てられたものはツェルターの手紙の終わりの部分のように、それが言葉のなかへ放射する力を通して、名状し難いものへと高められる。簡潔な表現は事柄にあまりにも身近なので、事柄はいわば個々のものへと収縮する。しかしかかる収縮過程において事柄は、単にそれ自身であるところのものを越えたものへと変わるのだ。(p. 68)
7 ベンヤミンとの出会い 理論的にもまたベンヤものに、哲学的力が彼においては拡大し、非哲学的対象まで、つまり一見盲目的で志向を欠く素材にまで到達しているといったことがある。彼の語る対象が哲学のいわゆる公的対象であることが、より少なければ少ないほど、哲学的に彼はいつそう光彩陸離として来たとさえ言えるのだ。そのため対話をテーマに即して限定することはむずかしくなる。しかしたとえ狭義において哲学的である事柄について議論しても、しばしば簡潔ないささか箴言風な文章によって、並み外れた印象を与えられたことが思い出される。(p.72) |
8 ベンヤミン哲学の展開
9 手紙の人・ベンヤミン 手紙を書くことは硬直した言葉という媒体のなかで、生命あるものを捏造する。手紙においては孤独を否認し、それにもかかわらず遠方の人、孤独な人でいつづけることが可能なのである。(p. 86) ひとえに生命あるものを犠牲とすることによって、ベンヤミンは精神と化したのだ。その精神は犠牲を求めることがない状態という理念によって、生きていたのである。(p. 93)
10 仮判決 わたしがべンヤミンとともにすごした最後の晚のことである。それは一九三八年一月サンレモの突堤でのことであるが、当時すでに目睫の間に迫りつつあった戦争と、フランスの破局が不可避であることを確信して、ベンヤミンができるだけ早くアメリカに行くよう努力すべきことを、わたしと妻とは執拗に重ねて忠告した。アメリカに行けばその先のことはすべてどうにかなるのですからと。ベンヤミンはそれを拒み、一語一語嚙みしめるようにこう語ったのである。「ョ— 口ツバには守るべき陣地があります」。(p. 98)
11 スベテノ潮流ノ傍ニテ 初期のベンヤミンの場と考えられるところ、つまり若い文学者たちのあいだでは彼を見出すことは不可能であった。彼の人並み外れてすぐれた点を、それが完全に実現されるに先立って、彼は前もって処分してしまった。その代わりに自分がほとんど十分には順応できないグループに、彼は与したのである。しかしその結果、自分の母親とさえ統一戦線など組みたくなかったという、『ベルリンの幼年時代』における文章の意味において、いかに順応できないかを経験したにすぎない。彼の特異体質的態度を強化し、彼を文学的結社から遠ざけたのはこの点である。彼はひそかに自己を形成するといつた才能ではなく、流れに抗して死にもの狂いに泳ぎながら、自分自身にたどりついた天才なのだ。 (p. 102)
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第2部 ヴァルター・ベンヤミンへの手紙
1 一九三四年一二月一二日 ベルリン
2 一九三五年八月二日 シュヴァルツヴァルト山中のホルンベルク ホルクハイマ—が述べているように、集団的自我は地震と大災害の場合には存在しても、その他の場合においては客観的剰余価値はほかならぬ個々の主観において、個々の主観に反して貫徹されるのです。集団意識は真の客観性とその相関概念から、すなわち疎外された主観性から注意をそらすために、単に考え出されたものにすぎません。こうした意識を社会と個々人とによって弁証法的に対極化したり、解体してそれを商品的特性の比喩的相関概念とし、それに電気メツキを施さぬようにすることがわれわれの責任なのです。夢見る集団概念のうちにおいては、階級という点についてはいかなる相違も存在しないという事実が、このことを十分に明瞭にかつ警告的に語っております。 (p. 120) わたしは次のように公式化してみました。神話とは真の社会を求める無階級的憧憬ではなく、それは疎外された商品そのものの客観的特性であると。(p. 125)
3 一九三六年三月一八日 ロンドン あなたが魔術的アウラの概念を自律的芸術作品の上へ今やいきなり移行させ、後者を天真爛漫な方法で反革命の機能に加えるという、ある種のブレヒト流モチーフのきわめて洗練された名残りを、わたしはここに見ます。市民的芸術作品における魔術的要素をわたしが完全に意識していることは、(美的自律性の概念に分類される観念論の市民的哲学を、再三再四、十分な意味において神話的なものとして、わたしは暴露しようと試みているのですからなおさら)、あなたに断言するまでもありません。だが自律的芸術作品の中心はそれ自体が神話の側に属するのではなく、こうした常套句的言い回しをお許し下さい、それ自体において弁証法的であり、かかる中心はそれ自体のうちにおいて、自由のしるしと魔術的なものとを組み合わせているように、わたしには思われます。 (p. 134)
4 一九三八年十一月十日 ニューヨーク 理論の空白は経験に影響を及ぼします。それは一面において、経験に欺瞞的叙事的特性を付与し、他面において、まさに単に主観的に経験されたものとしての現象から、その真の歴史哲学的重量を奪うのです。これは次のようにもまた表現することができます。率直に言って、神学的モチーフは単なる事実に驚嘆して描写するだけのものへと一転する傾向があると。(p. 147) |
5 一九三九年二月一日 ニューヨーク
6 一九四〇年二月二十九日 ニューヨーク アウラとはつねに物における忘却された人間的なものの痕跡であって、あなたが経験と命名されるものと、ほかならぬこうした種類の忘却をとおして、関連するものではないでしょうか。観念論的思弁の基礎におかれる経験の基礎を、こうした痕跡を把握する努力のうちに、それもほかならぬ無縁なものと化した物において、把握する努力のうちに見るというところまで、徹底したいと思います。多分観念論全体は、それがたとえいかに華々しく登場しようと、それ自体このボードレール研究がそのモデルをこのように模範的に展開しているところの、そうした企ての一つにほかならないでしょう。(p. 169)
[一九九〇年版による増補] ベンヤミン解釈(断章) べンヤミンのマルクスについての知識と理解は、きわめて狭かった。このことは言っておかなければならないことである。ブレヒトの場合はさらに彼以上であった。剰余価値説についての出鳕目。作家あるいは哲学者として、彼等にはそうした知識あるいは理解は必要無かったといった論拠には、反対すること。理解しなかったことは教えることも、あるいは理論的に主張することもできない。他方、ベンヤミンは彼流の経験を救い上げて、彼のマルクス主義を作りあげたこと、そのため両者のあいだに深刻な対立が生じることになった。こうしたことはおそらくは真のマルクスを知らない、賢き無知といったことをとおしてだけ、可能であったのかもしれない。ベンャミンの思考における直接性の契機をレー二ンの要請と対比すること。全ての媒介を考えあわせなければならないという要請である。 (p. 208)
補足部分 |
訳者後書き アドルノはべンヤミンの能力を、微妙な経験を言葉に置き換えていく能力として規定する。経験の対象としての現実は、経験に見合うところまで、つまりそのぎりぎりの細部にいたるまで顕微鏡的に観察される。観察はあくまで現実のうちにおいて行われるが、現実を社会学的に把握するのが目的ではない。むしろ観察は現実の細部に籠もる神を、顕現させるためのものなのだ。この神はあくまで現実の細部にひそむのであって、その背後あるいは上に存在するものではない。したがって観察は現実に密着する形でおこなわれ、観察は言葉に置き換えられる。言葉は経験の敵である。経験は言葉でもって置き換えられるなら、雲散霧消するのが常である。これが常識である。ベンヤミンという個性は、その常識を転倒させる。語り得ないものを語ること、そこにベンヤミンの個性がある。アドルノが描くベンャミン像は二つのあい反する方向を目指す傾向によって、大きく引き裂かれている。こうした場合、個性は崩壊するのが常である。だが彼の場合、二つの力からその合力がつくり出されて、分裂は免れる。引き裂く力の統一、そこに彼の才能があり、彼の個性がある。このアドルノのべ |
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