ヴァルター・ベンヤミン |
複製技術の時代における芸術作品 高木久雄・高原宏平訳 複製技術は、一九〇〇年をさかいにしてひとつの水準に到達し、従来の芸術作品全体を対象として、その有効性にきわめて深刻な変化をあたえはじめたばかりでなく、それ自身、もろもろの芸術方法のなかに独自な地歩を占めるにいたったのである。この水準を明らかにするためには、それをもっとも顕著にあらわしている複製芸術と映画芸術というふたつの異なった現象によって、従来の芸術がいかなる逆作用を受けたかを調べるのが、もっとも有効であろう。 (p. 12) どれほど精巧につくられた複製のばあいでも、それが「いま」「ここに」しかないという芸術作品特有の一回性は、完全に失われてしまっている。しかし、芸術作品が存在するかぎりまぬがれえない作品の歴史は、まさしくこの存在の場と結びついた一回性においてのみかたちづくられてきたのである。さらに、時のながれのなかで作品がこうむってきたその物質的構造の変化や所有関係の変遷をここで考慮しないわけにはいかない。(……)所有関係の変遷のほうは、伝統の対象であり、伝統を追求するには、なによりもオリジナルの所在から出発しなければならない。 一つの芸術作品が「ほんもの」であるということには、実質的な古さをはじめとして歴史的な証言力にいたるまで、作品の起源からひとびとに伝承しうる一切の意味がふくまれている。ところが歴史的な証言力は実質的な古さを基礎としており、したがって、実質的な古さが人間にとって無意味なものとなってしまう複製においては、ひとつの作品のもつ歴史的証言力などはぐらつかざるをえない。もちろんここでぐらつくのは、歴史的証言力だけであるとはいえ、それにつれて、作品のもつ権威そのものがゆらぎはじめるのである。(p. 14) 芸術作品の一回性とは、芸術作品が伝統とのふかいかかわりのなかから抜けきれないということである。伝統そのものは、もちろんどこまでも生きたものであり、きわめて変転しやすい。たとえば古代のヴィーナス像は、それが礼拝の対象であったギリシャ人のばあいと、災いにみちた偶像であった中世カトリックの僧侶たちのばあいとでは、それぞれ異なった伝統にかかわっていたのである。しかし、両方のばあいに共通していえることは、ヴィーナス像のもつ一回性であり、換言すれば、そのアウラであった。 (p. 18) (……)芸術作品のこのアウラ的性格がどうしても儀式の道具という機能から徹底的に解放されえない事実には、きわめて重大な意味がある。ことばを換えていえば、「ほんもの」の芸術作品が比類のない価値をもつ根拠は、ほかならぬ儀式性にあり、芸術作品の本源的な第一の利用価値もそこにあった。 (p. 18) |
(……)最初の真に革命的な複製手段である写真技術の登場によって(同時に社会主義の台頭によって)芸術の危機が迫り、さらに百年後にそれがだれの眼にもはっきり映るような事態に立ちいたったとき、芸術は「芸術のための芸術(ラール・プール・ラール)」という芸術の神学の教義のなかに逃げこんだのである。そこから、やがて、あらゆる社会的機能を拒否するだけでなく、なんらかの具体的な主題によるあらゆる規定を拒否するいわゆる「純粋」芸術という理念のもとに、ひとつの裏返しの神学が生じてきた(文学でこのような立場を代表することになった最初の詩人はマラルメであった)。 (p. 19) 芸術作品の複製がひとたび生じると、こんどは、あらかじめ複製されることをねらった作品がさかんにつくられるようになる。たとえば写真の原板からは多数の焼付が可能である。どれが本当の焼付かを問うことは無意味であろう。こうして芸術作品の制作にさいして真贋の規準がなくなってしまう瞬間から、芸術の機能は、すべて大きな変化を受けざるをえない。すなわち、芸術は、そのよって立つ根拠を儀式におくかわりに、別のプラクシスすなわち政治におくことになるのである。 (p. 19-20) 芸術作品に接するばあい、いろいろなアクセントのおきかたがあるが、そのなかでふたつの対極がきわだっている。ひとつは、重点を芸術作品の礼拝的価値におく態度であり、もうひとつは、重点を作品の展示的価値におく態度である。芸術作品の制作は、礼拝に役立つ物象の制作からはじまった。このばあい、それをひとびとが眺めるということよりも、それが存在しているという事実のほうが、重要であったと想像される。(p. 20) 写真の世界では、展示的価値が礼拝的価値を全面的におしのけはじめている。もちろん礼拝的価値がまったく無抵抗に消えてなくなるわけではない。それは、最後の堡塁のなかに逃げこむ。すなわち人間の顔である。(……)遠く別れてくらしている愛するひとびとや、いまは亡いひとびとへの思いでのなかに、写真の礼拝的価値は最後の避難所を見いだしていたのである。古い写真にとらえられている人間の顔のつかのまの表情のなかには、アウラの最後のはたらきがある。これこそ、あの哀愁にみちたなにものにも代えがたい美しさの実体なのだ。(p. 22) 演劇のばあいには、原則的にいって、舞台のうえで進行する出来事をすべてイリュージョンであると、認めることのむずかしい場所がかならずある。ところが映画におけるイリュージョンの性格は、第二次的なものである。それはカッティング(フィルム編集)の結果なのだ。 (p. 34) 画家は、仕事をしているとき、所与の外界との自然な距離を観察する。カメラマンはこれに反して、所与の外界の構造のなかへふかく侵入する。両者がそこからとりだしてくる影像は、まったく異なったものである。カメラマンのつくる影像はばらばらに寸断された影像で、それはあとからあらたな法則にしたがって合成される。このように、芸術作品にたいして当然要求される外見、すなわち装置にわずらわされぬ現実的な光景が、器械装置そのものの強力な徹底的な浸透にもとづいてのみ生みだされる以上、リアリティの映画的表現は、こんにちの人間にとって、絵画とは比較にならぬ重要性をもっている。 (p. 35-36) |
こうしてカメラに向かって語りかける自然は、肉眼に向かって語りかける自然とは、別のものだ、ということがあきらかになる。意識に浸透された空間のかわりに無意識に浸透された空間があらわれることによって、自然の相が異なってくるのである。 (p. 40) 現代の人間のプロレタリア化の進行と広範な大衆層の形式は、おなじひとつの事象のふたつの面である。あたらしく生まれたプロレタリア大衆は、現在の所有関係の変革をせまっているが、ファシズムは、所有関係はそのままにして、プロレタリア大衆を組織しようとする。ファシズムにとっては、大衆にこの意味での表現の機会を与えることは、大いに歓迎すべきことなのだ(それは大衆の権利を認めることと同一では絶対にない)。所有関係の変革を要求している大衆にたいして、ファシズムは、現在の所有関係を温存させたまま発言させようとする。当然、行きつくところは、政治生命の耽美主義である。大衆を征服して、かれらを指導者崇拝のなかでふみにじることと、マスコミ機構を征服して、礼拝的価値をつくりだすためにそれを利用することは、表裏一体をなしている。(p. 46-47) 「芸術に栄えあれ、よし世界のほろぶとも」とファシズムはいう。ファシズムは、マリネッティが告白しているように、技術によって変化した人間の知覚を芸術的に満足させるために、戦争に期待をかけているのだ。これは、あきらかに「芸術のための芸術の完成」である。かつてホメロスにおいてオリンポスの神々のみせものであった人間は、いま人間自身のためのみせものとなった。人間の自己疎外はその極点に達し、人間自身の破滅を最高級の美的享楽として味わうまでになったのである。これが、ファシズムのひろめる政治の耽美主義の実体である。共産主義は、これにたいして、芸術の政治主義をもってこたえるであろう。 (p. 49)
ロシア映画芸術の現状 田窪清秀訳 ロシア映画がたしかな基盤を獲得したと言えるのは、ボルシェヴィズム社会の諸関係(たんに国家生活の次元だけではない!)が安定し、新しい「社会風刺劇」が、新鮮なパンチを利かせて、典型的な状況を担いうるにいたったときであろう。 (p. 58) |
写真小史 田窪清秀・野村修訳 (……)詩人ダウテンダイの父である写真家ダウテンダイの、婚約時代の妻と一緒の写真を開いてみよう。その妻は後年、六人目の子を産んだ直後のある日、かれのモスクワの家の寝室で、動脈を切って倒れているのをみつかったひとである。写真ではかの女は、かれと並んで映っており、かれがかの女を支えているように見える。だが吸いこむようなかの女の視線は、かれのかたわらを過ぎ、不吉な遠方に釘づけされている。こういう写真をじいっと見つめていると、ひとは、ここでも二つの対極が密接に触れ合うことを、精密きわまる技術がその産物に魔術的な価値を付与しうることを、認識する。そういう価値は、われわれにとってはもはや、絵画はけっしてもちえない。写真家の技量も、モデルの身ごなしの計画性も疑えないが、こういう写真を見るひとは、その写真のなかに、現実がその映像の性格をいわば焼き付けるのに利用した一粒の偶然を、凝縮した時空を、探し求めずにはいられない気がしてくる。その目立たない場、もはやとうに過ぎ去ったあの分秒のすがたのなかに、未来のものが、こんにちもなお雄弁に宿っていて、われわれは回顧することによってそれを発見することができるのだから。じじつ、カメラに語りかける自然は、眼に語りかける自然とは違う。その違いは、とりわけ、人間の意識に浸透された空間の代わりに、無意識に浸透された空間が現出するところにある。(p. 64) かれ〔アジェJean-Eugéne-Auguste Atget(一八五七-一九二七)フランスの写真家〕は、行くえ知れずになったもの、どこかへ吹き流されたものを探しだしてきて、それらの映像をも、市名のエクゾティックな、華やかな、ロマンティックなひびきと向かい合わせる。すると映像は現実からアウラを、ちょうど海が沈んでゆく船から吸いとるように、吸いとってしまう。――アウラとは何か? 空間と時間とが織りなす、ひとつの特異な織りものであり、どんなに近くてもなおかつ遠い、一回限りの現象である。(p. 74-75) 一回性と持続性が、映像には密接にないあわされているとすれば、複製には、反復可能性と一時性が、同じく密接にないあわされている。対象の外皮を剥ぎとり、アウラを粉砕することは、地上の同等のものすべてにとって大きな意味をもつひとつの知覚の、あかしなのだ。なぜならそういう知覚は、複製という手段をつうじて、一回限りのものからも、同等のものを作り出すのだから。(p. 75) |
アジェによる撮影が、犯行現場の撮影に比せられたのは、理由のないことではなかった。だが、われわれの都市のすべての地点は、犯行現場ではないのか? そこを通行するすべての者は、加害者ではないのか? 写真家――予言者や卜占者の後裔――は、その映像で犯罪をあばきだし、犯罪者を指摘するべきではないか? 「文字ではなく、写真に通じない者が」と、かつていわれたことがある、「未来の文盲だろう。」しかしかれに劣らず、自身の撮った映像を読めずにいる写真家も、文盲とみなされて当然ではないか? 説明文が、撮影のもっとも本質的な一構成部分に、なるのではないか? これらの問いのなかには、現代人をダゲレオタイプから隔てている九〇年間の時間の、歴史的な緊張が放電されている。この放電の火花に照らされればこそ、初期の写真は祖父の時代の暗がりから、あれほど美しく、近寄りがたく立ち現れてくるのである。(p. 84-85)
エードゥアルト・フックス――蒐集家と歴史家 好村富士彦訳 エンゲルスは二つの傾向に対して反対している。すなわち一方では歴史において新しい教義を古い教義の発展として、新しい文学の流派を過去の流派の反作用として、新しい様式を古い様式の克服として記述する習慣に反対している。しかし彼は明らかに同時に、このような新しい形成物を、それが人間に対して、また人間の精神的および経済的な生産過程に対して及ぼす影響から切り離されたものとして記述する慣習に対しても暗に反対しているのである。これによって憲法なり自然科学なりの歴史としての精神科学、宗教なり芸術なりの歴史としての精神科学は粉砕された。この爆発力はその領域とその領域の形成物がもつ完結性を疑問にする。たとえば芸術に関していえば、芸術そのものの完結性と、芸術の概念がそれを包括するのが当然であるような作品の完結性とを疑問にするのである。史的弁証法論者としてこれらの作品にかかわりを持つ者にとって、これらの作品はその前史と後史を補うことによって完全なものとなる。その後史に応じてその前史も絶えず変化するものとして把握してこそ認識可能になる。それらの作品は史的弁証法論者に、その創作者が死んだ後にも、作品の機能はいかに生き続けるか、それらの作品がいかに創作者の意図よりも先に進んでゆくことができるかを教える。 (p. 89-90) 彼が眺望する芸術と学問は、ことごとく嫌悪を感ぜずには観察できない由来を持っている。それはその存在を、創造した天才たちに負うているだけでなく、多かれ少なかれその天才たちの同時代人の無名の賦役にも負うているのである。文化の記録で同時に野蛮の記録でないようなものはけっして存在しない。この事実の根底にあるものを、どの文化史も公平に取り扱ったためしはない。また文化史にそれを期待しても、およそ無理な話である。(p. 101) 要するに、文化史は見せかけだけは洞察[Einsicht]の推進力を記述しても、弁証法の推進力は見せかけですらも記述しない。なぜなら文化史には、破壊的要素が欠けており、この破壊的な要素が弁証法的思考と弁証法論者の経験を確かな根拠のあるもの[authenntisch]として保証するのである。たしかに文化史は人類の背中に堆積する財宝の重荷を増加させる。しかし文化史はその財宝を手に入れるために、それをふり落とす力を人類に与えない。同様なことが、文化史を導きの星にした、世紀の変わり目の社会主義的教育活動について言える。(p. 102-103) |
そもそもの始めからフックスの芸術的関心は、美しいものに接する喜びと呼ばれるものとは別なものである。そもそも初めから真実が遊びの中に混じっていた。フックスは価値の源泉であるカリカチュアの信頼性を強調して倦むことがない。「真実は極端にある」と彼は折にふれて定式化している。彼はさらにこれを進める。カリカチュアは彼にとって「いわばすべての客観的な芸術の源となる……形式である。民俗博物館に一度でも入ってみれば、この命題は証拠づけられる。」(p. 108-109) 芸術史の経過は必然的に見え、様式の特徴は有機的に見え、異様な感を与える芸術的形成物は論理的に見える。芸術的形成物がそう見えるのは分析の過程においてというより、むしろ印象に従ってすでに最初からそう見えているのである。ちょうど焔の翼と角をもったあの唐代の空想の動物が絶対的に論理的、有機的な印象を与えるのと同様に。(p. 112) フックスにとってフランスは三つの偉大な革命の土壌であり、亡命者たちの故郷であり、空想的社会主義の源泉、専制君主を憎んだキネとムシュレの祖国、パリ・コンミューンの戦士たちの眠る大地である。マルクスとエンゲルスにおいてフランスのイメージはこのように生きていた。それはメーリングに受け継がれた。フックスにとってもこの国は「文化と自由の前衛」として映っていた。(p. 115) 旅行家、放浪者、役者、名人らの人間像はロマン派的である。収集家の人間像はその中に見当たらない。この像を、大道商人から社交界の花形役者にいたるまで、ルイ・フィリップ治下のパリの蝋人形展のどの像でも、揃わないものはない「生理学」の中に、求めても無駄である。それだけに収集家がバルザックの作品において占める地位はなおさら重要である。バルザックは収集家のために記念碑を建てたが、この記念碑は決してロマン主義的なセンスで扱われていない。バルザックはそもそもロマン派とは無縁である。(p. 116) フックスの人間像、その活動性と充実性に近いのは、ロマン主義者にわれわれが期待して得られるであろうような姿よりも、バルザックが収集家について描いて見せてくれた姿のほうである。いや、この男の生活の核心という点からいっても、収集家としてのフックスは真にバルザック的である、といってもよいだろう。彼はこの作家の構想を越えてさらに成長したバルザック的人物の一人である。(p. 117) (……)彼は自分の道徳主義的歴史考察と史的唯物論が、互いに完全に調和すると確信していた。ここに幻想が生じる。その幻想の基盤は、市民階級自身によってとなえられているように、市民(ブルジョア)革命はプロレタリア革命の本家本元であるという、広汎に広がった修正を必要とする見解である。これに対して、これらの〔市民〕革命に織り込まれている精神主義(スピリチュアリズム)に目を注ぐことが決定的である。その〔精神主義の〕金の糸は道徳によって紡がれている。市民階級の道徳は――その最初の徴候はすでに恐怖政治に現れているのだが――内面性のしるしを帯びている。その極点は良心である――たとえそれがロベスピエール的シトワイアンの良心であろうと、カント的な世界市民(コスモポリタン)の良心であろうと〔変わりない〕。(p. 121) 搾取の初期の諸形態に対しても、特権を有する者たちの「やましい良心」は決して自明なものではない。物化によって不明瞭になるのは、人間同士の諸関係だけではない。それにとどまらずさらに諸関係の現実的主体そのものも霧におおわれる。経済生活の実権を握る者と搾取される者たちの間に、法的・行政的官僚制の機構が入り込む。これら諸制度の成員は、もはや完全に責任を負える道徳的主体としては働いていない。彼らの責任意識はこの奇形化の無意識な表現以外のなにものでもない。(p. 123-124)
(2012/1/3) |