ブリコラージュ@川内川前叢茅辺 <書 抜き書きメモ 40>

小熊英二、上野陽子
〈癒し〉のナショナリズム
――草の根保守運動の実証研究
慶應義塾大学出版会、2003

第一章 「左」を忌避するポピュリズム    小熊英二
      ――現代ナショナリズムの構造と揺らぎ

歴史的にみても、ナショナリズム運動が反官僚・反政府の姿勢をとったことは珍しくない。丸山眞男は、戦前日本の民間右翼運動の特徴を、「郷土的農本主義の立場に立っての反官的、反都市的、反大工業的傾向」と形容している。ナチス党の初期の事例などをみてもわかるように、ナショナリズム運動が急激に草の根レベルの支持を広げるのは、反特権階級や反官僚という民衆の不満を吸いあげることに成功した場合である。(p. 17)

(……)現在この運動を支えている「健全」な「常識」の正体は何であろうか。
結論からいうと、現代のライフスタイルの多様化を反映してか、藤岡や小林などこの会の主要メンバーの著作類をみても、共通した「常民」像は浮かび上がってこない。しかし皮肉なことに、彼らの著作からは、まさに確固とした「常民」や「常識」の姿が見えないこと、すなわち頼るべきモデルがない「価値観の揺らぎ」への不安がうかがえる。(p. 21)

(……)国家は、手にとることもできず目にもみえることもない「想像の共同体」であり、具体的に接触できないからこそ、決して期待を裏切らない。わけても過去の歴史は、国家の諸要素のなかでも最も具体的接触が不可能であるがゆえに、公共性や共同性の願望を託せる幻想の場として、特権的な位置を確保しえたのである。
現代社会では、友人やクラブ、会社、運動団体など、家族や地域に代るべき関係性も存在はする。しかしこれもまた、やはり具体的な関係性が存在するがゆえに、しばしば参加者の過剰かつ一方的な期待を裏切る。その意味で、小林が薬害エイズ問題で自己の政治的関心を「政治運動」に託して失望し「裏切られた」あと、ナショナリズムにのめりこんでいったことは興味深い。そして、国家の名のもとに自分を裏切る政策があったとしても、それは薬害エイズがそうであったように、腐敗した官僚や政治家の責任であって、国家が裏切ったわけではないと認識されていると思われる。(p. 23)

 総じて彼らは、自分にあらかじめ内在していた「健全な常識」に従ってナショナリズム運動を開始したのではなく、その逆に、現代社会において規範となるべき「健全な常識」が見いだせないがゆえの不安からナショナリズムを求めたのであろうと思われる。原理的に考えれば、こうしたナショナリズムへの期待は、価値観の揺らぎが激しくなればなるほど、家族や友人といった現実の人間関係が崩壊すればするほど進行する。その意味でも、孤立感やミーイズムの蔓延とこの種のナショナリズムは対抗関係にあるものではなく、いわば同じコインの表裏だといえるだろう(p. 24)

(……)批判に反論する過程で、歴史を語る上での確固たる自前の言葉を持っていなかった彼らは、休息に従来の保守派に接近し、「保守の言葉」をつぎあわせて自己の主張を固めていった。皮肉にも彼らは、批判のまなざしを浴びるなかで、まなざされるとおりの存在、すなわちまなざす側が想定したとおりの存在となっていったといえる。(p. 28)

 彼らの主観では、自分は「特定のイデオロギー」ではなく、「世間一般」の「健全な常識」に従っているだけの「中立」な立場にあり、そうした自分が孤立した原因は、「左翼」の「言論抑圧」に記せられる。それゆえ、「左翼」の「イデオロギー」の砦である「自虐史観」を打ち破れば、自己を苦しめている「言論抑圧」(=発話の困難)と孤立感が改善されると期待し、保守系ナショナリズムに接近してゆくのだと思われる。(p. 28)

この〔小林の従来の歴史教科書に対する〕ような、既存の「戦後民主主義」の言語体系への(誤解を含んだ)違和感の表出は、近年に始まった現象ではない。かつて一九六〇年代には、やはり若年層から「戦後民主主義」が微温的かつ体制内的な言葉になってしまったとみなされ批判されたとき、よりラディカルな「左」よりの学生運動の言葉が生産され、若年層の支持を集めていった。すなわち六〇年代から七〇年代までは、人びとが既存の言語体系に違和感を抱いたとき、その受け皿となっていたのは、「左」の言葉のほうだった。(p. 36)

(……)筆者が恐れ、重視しなければならないと考えているのは、この運動そのものよりも、その出現が示した現代日本社会の心の闇である。あらゆる共同性が、実感できる関係性が、有効で開かれた公共性が崩壊し、政治への不満も、経済的失速への焦りも、日常や未来への不安も、すべて表現する言葉が失われているかのような閉塞感。そのなかで、幻想の希望を集めて膨れあがってゆく、無定型で「健康」なナショナリズム。たとえ「新しい歴史教科書をつくる会」が数年後に消滅したとしても、この団体を生んだ土壌そのものは生き残る。そのとき、第二第三の、あるいはより恐るべきナショナリズム運動が出現する可能性は、決してゼロではないだろう。思想、歴史、文筆、報道など、「言葉」の生産にかかわるものの力量と責任が、現在ほど問われている時はない。(p. 38)


第二章 『新しい公民教科書』を読む    小熊英二
     ――その戦後批判を検討する

そもそも佐伯さんや、『新しい歴史教科書』の著者である西尾幹二さんなどは、ニーチェがお好きだそうですけど、義務教育の教科書を書いて『道徳の大切さ』を説いているニーチェなんて悪い冗談ですよ。行動が思想的立場を裏切っています。(p. 54)


第三章
〈普通〉の市民たちによる「つくる会」のエスノグラフィー  上野陽子
    ――新しい歴史強化書をつくる会神奈川県支部有志団体「史の会」をモデルに

「史の会」の参加者たちを観察して強く感じたのは、「価値観を共有している」ことを示すためにある特定の言葉が繰り返し用いられるということだ。「アサヒ」「北朝鮮」「サヨク」という言葉は、非常に心地よいフレーズとなって参加者の耳に響いている。朝日新聞にもさまざまな記者がいるだろうし、記事も同じ論調で揃っておりことはありえないが、「史の会」では「朝日」を批判すれば、隣に座っている年齢も社会的立場も異なる人とも、とりあえず話のキッカケがつかめる、そんな風に感じ取れた。
「史の会」において、「異質な言葉」を話す人は存在しない。講師と参加者は、拠って立つ言葉(世界)がほぼ同じであることを前提としているため、緊張した議論というのはほとんど展開されることがない。
逆にいえば「弱気な日本」を笑うことくらいしか、会員全員に共通しているコードはないのではないか。「つくる会」としてのまとまりは、まず幹部たちがお互いに衝突することによって破壊してしまった。「良き観客」は、「つくる会」のどこまでを自分たちのものとして吸収し、笑えばよいのかが判断できず、わかりやすい仮想敵の言葉を引き合いに出すほかない、といった現状に置かれている。(p. 138)

(……)「戦中派」とそれ以外の若い世代とがお互いにうちとけていないという現状は、「古き良き保守」の主張から考えてもかなり皮肉な状況なのではないか。「史の会」の参加者を見ていて思うのが、皆個人主義」であるということだ。「史の会」以外でメンバーに連絡を取り合うことはほぼない。自分自身の「史の会利用目的」が存在して、それを満たすために時間を作って公民館に勉強しに来るのだ。 (p. 142)

目には見えない「国(くに)」に憧れを抱き、「伝統的な」と銘打たれた保守思想に安心感を覚え、日本人として誇りを持てる「物語のような」歴史を待ち望んでいる人たちが確かに存在する。しかしそれが本当に「今、生きている人たちのリアリティに基づいた」健全なナショナリズムなのだろうか。この保守運動を見ていると、彼らのリアルな世界、すなわち日常世界において夢や希望が持てないからこそ「こうであればよい」という幻想を抱いているような気がしてならない。彼らは、たくさんの本を読み、同じような考えの人々と交流しながら「理想の日本人像」を自分の中で形成する作業が楽しいのであって、今の世の中をほんとうの意味で変えていく力にはなれないのが本当のところではないだろうか。(p. 147)


第四章 不安なウヨクたちの「市民運動」   小熊英二

客観的に見れば、全国平均の購読率が四パーセントほどである産経新聞を、半数以上の参加者が購読している「史の会」は、平均的な集団とはいいがたい。それにもかかわらず、彼らは「普通」を自称する。だがその「普通」がどんな内容のものであるのかは、彼ら自身も明確に規定することができていないのだ。
そうした彼らが行うのは、自分たちが忌み嫌う「サヨク」や「官僚」や「アサヒ」を、非難することだけである。あたかも、否定的な他者を〈普通でないもの〉として排除するという消去法以外に、自分たちが「普通」であることを立証し、アイデンティティを保つ方法がないかのように。(p. 197)

といった現状に置かれている。(p. 138 )

(……)「あの戦争」を美化したい若い世代の参加者、上野の表現にしたがえば「頭のなかで作り上げた『戦時中の日本人像』」をとりあえずの核としてアイデンティティを構築したい参加者にとっては、こうした「戦中派」のリアリティはむしろ障害になる。
(……)
「戦中派」の具体的な記憶を消滅させ、自分の志向に好都合な「抽象化」を施したあとに下されるものが、果たして「正しい評価」というに値するかは疑問である。しかし、ナショナリズムの創出に必要なものは忘却であるという社会科学のテーゼを、これほど無慈悲に示している事例は少ないであろう。こうした戦争の「抽象化」によって、彼らはアイデンティティの不安を埋めようとしているのである。(p. 207)

かつて社会学者の宮台真司は、「つくる会」が掲げる歴史観を批判して、「オヤジの慰撫史観」と形容した。しかし上記のような二層構造を踏まえるならば、「史の会」で共有されている歴史観は、年長者の「慰撫史観」であると同時に、〈若者の癒し史観〉でもあるといえる。そして両者は、必ずしも交わることのないまま、後者の優位のもとに同床異夢の連合を形成しているのだ。(p. 209)

もともと「保守」という立場は、「伝統」や「普通」といった、既成事実を基盤とする感覚に根ざしている。そうであるだけに、「保守」が体系的な思想を形成することは困難である。思想史の流れをみても、ほとんどの保守思想は独自の体系を築いたものではなく、もっぱら近代的な理性や「主義」に懐疑をつきつけ、「常識に還れ」「伝統に還れ」などと主張するものであった。
しかも現代においては、近代化やグローバリゼーションのために、もはや確たる「伝統」や「普通」はどこに存在するのかも不明になり、「既成事実」ですらなくなってしまっている。いまや「保守」は、存在しない「伝統」や「普通」を求めて、漂流するしかない存在となっているともいえる。(p. 210)

このように、もはや依拠するべき「伝統」を失い、「主義」として「保守」を構築しなければならなくなった立場のことを、西部は「真正の保守」である「コン」と区別して「ポップコン」とよぶ。まさに「戦中派」を除く「史の会」参加者たちの「保守」は、こうした性格のものであるといえるだろう。(p. 211)

(……)「史の会」の参加者たちの特徴を総括してみよう。総じて参加者たちは、他者と結びつきたいと願いながら、相互の距離が破れることを恐れている。彼らは「サヨク」を「自己中心的」だと批判するが、そう述べる彼ら自身が「個人主義」的だ。参加者たちは、「最近の若者」を「おとなしい」「弱い」「根無し草」などと批判するものの、彼ら自身は受動的な「良き観客」にとどまっているのである。
そして「史の会」参加者たちは、「サヨク」を「病人」「グロテスク」「気色悪い」などと嫌悪する。しかし前述したように、彼らは実際の「サヨク」をほとんど知らない。すなわち彼らのいう「サヨク」とは、実体ではない。それは彼ら自身の影、彼らの内面にある〈否定したい自分〉〈認めたくない自分〉の投影にほかならないのではないか。(p. 217)

「ふつうの市民」という言葉を社会運動のなかで広めたのは、ベ平連の旗揚げ役を担った小田実である。しかしその「ふつう」は、「異常」を排除するものではなかった。小田は一九六五年のベ平連のデモに集まった「ふつうの主婦、ふつうの教師。ふつうの少年。ふつうの失業者」など雑多な人びとを「『ふつうの市民』としかいいようないしろもの」と形容し、「ぼくはふつうの会社員ですが」と声をかけられたとき、「ぼくもふつうの作家です」と回答している。そこでいう「ふつう」とは、既存の認識枠組みや党派性、そして排除の構造を拒否した、分類不能で種々雑多な人びとを形容するための言葉だった。
しかし「史の会」のメンバーたちがいう「普通の市民」とは、そのようなものではない。それは、つねに自分が「普通」であることを立証したいという不安におびえ、そのために〈普通でないもの〉を発見し、排除し続けてゆくことでアイデンティティを保とうとする人びとによってつくられる共同体なのである。(p. 218)

そして彼らが考える〈普通でないもの〉が、彼ら自身の内面の投影であるのなら、それは決して消滅することはなく、永遠に発見され続ける。最初は「サヨク」が、そして「アサヒ」や「北朝鮮」が、次には「フェミニズム」や「夫婦別姓」が、そしていつかは「在日」や「外国人労働者」が、排除すべき〈普通でないもの〉として発見されるだろう。(p. 219)

だが問題なのは、以下のようなことである。すなわち、そうした「普通の市民」たちが、石原慎太郎などの右派ポピュリストを当選させる基盤となり、結果としてマイノリティへの抑圧や国際関係の悪化を招いていること。一人ひとりは「普通の市民」である彼らが、自分の不安を持ちよって集まることで、排除の暴力を内包した右派集団が形成されるということ。そして、こうした不安を抱えた「普通の市民」が今後も増加してゆくであろうことである。もし彼らが異常な少数派であるのなら、問題はむしろ少ない。問題は、彼らがあまりに「普通」であり、現代日本社会に広範に見られる特徴の一部を、極大化しただけの存在であることなのだ。(p. 220)

 (2012/1/24)