ブリコラージュ@川内川前叢茅辺 <書 抜き書きメモ 45>

ギー・ドゥボール
スペクタクルの社会

木下誠訳、ちくま学芸文庫、2003年

フランス語版第3版への緒言

世界が統一されたとついに公式に宣言することが可能になったのは、全世界の政治経済的現実においてこの融合がすでに生産されていたというただそれだけの理由からである。そしてそれはまた、分離された権力が普遍的に到達した状況があまりに重大であるため、この世界はできる限り早く統一される必要があったためでもある。この世界は、スペクタクル的に偽造されスペクタクルによって保証された世界市場という同意に基づく同一の組織に、単一のブロックとして参加する必要があったのである。だが、この組織も最終的には統一されることはないであろう。(p. 9)

 

I 完成した分離

1
近代的生産条件が支配的な社会では、生の全体がスペクタクルの厖大な蓄積として現れる。かつて直接に生きられていたものはすべて、表象のうちに遠ざかってしまった。(p. 14)

10
スペクタクルという概念は、多様な外観を示す現象を統一し、説明する。この多様性や対照(コントラスト)は、社会的に組織された外観が示すさまざまな現われであるが、社会的に組織された外観そのものは、その一般的真理において認識せねばならない。それ固有の観点にもとづいて考察すれば、スペクタクルとは、外観の肯定であり、人間的な、すなわち社会的な生を単なる外観として肯定することなのである。しかし、スペクタクルの真理をあばく批評は、スペクタクルとは生の明らかな(visible)否定、眼に見えるもの(visible)となった生の否定のほかならないことを暴露する。(p. 17)

14
近代的産業にもとづく社会がスペクタクル的であるのは、偶然でもなければ、表面的なことでもない。そうした社会は本質的にスペクタクル主義的なのである。支配的経済のイメージであるスペクタクルにおいて、目的は無であり、発展こそがすべてである。スペクタクルがなろうとめざしているものは、己れ自身以外の何ものでもない。(p. 19)

26
労働者と彼の生産物との全面的な分離が生じると同時に、彼が成し遂げた活動への統一的な視点も、生産者どうしの間の直接の個人的コミュニケーションも、すべて失われる。分離された生産物の蓄積と生産過程の集中が進むにつれて、統一性もコミュニケーションもシステムの指導者だけの属性となってしまう。分離に基づく経済システムの成功とは、世界のプロレタリア化なのである。(p. 26)

34
スペクタクルとは、イメージと化すまでに蓄積の度を増した資本である。(p. 30)

II スペクタクルとしての商品

34
スペクタクルの中において絶対的に完遂されるものは、商品の物神化(フェティシズム)の原理であり、「感覚しうるけれども感覚を超えたさまざまなモノ」による社会の支配である。そこでは、感覚しうる世界は、感覚を超えたところに存在すると同時にすぐれて感覚可能なものとして自分を承認させた選りすぐりのイメージに置き換えられている(p. 32)

44
スペクタクルは、財を商品と同一視し、満足をそれ自体の法則にしたがって増大する余分な生と同一視することを受け入れさせるための、永遠の阿片戦争である。しかし、消費可能な余分な生が常に増大していかねばならぬ何ものかであるとすれば、それは、そこに、常に剥奪(privation)が含まれているからにほかならない。増大した余分な生にいかなる彼方も、余分な生がその成長をやめることの可能ないかなる地点もないとすれば、それは、余分な生そのものが剥奪の彼方にあるのではなく、より大きくなった剥奪にほかならないからである。(p. 37)

 

III 外観における統一性と分割

57
スペクタクルを有する社会は、単に経済的ヘゲモニーだけで低開発地域を支配するのではない。それは、それらの地域をスペクタクルの社会として支配する。物質的基盤がいまだ存在しないところでも、すでに現代の社会はスペクタクルによって各大陸の社会の表層に侵入している。スペクタクルの社会が指導階級の政策を決定し、その政体を領導するのである。それは、誰もが欲しがる擬似的な財を差し出すとともに、その地域の革命派に偽りの革命モデルを提供する。(……)(p. 47)

59
スペクタクルの多彩な気晴らしの下で、凡庸化の運動が現代社会を世界的に支配しているが、その運動は、商品消費の発達によって、運びうる役割と対象とが見かけ上は増大したそれぞれの地点でも社会を支配している。宗教と家庭――それは依然として階級権力の遺産の主要形態である――の名残、そしてそれらが保証する道徳的抑圧の名残は、この世界を享受することの冗長な肯定と組み合わさって一体のものとなりうる。実際は、この世界は、まさに自らのうちに抑圧を抱えた擬似的な享受としてしか産み出されえないにもかかわらずである。(……)(p. 48)

60
それゆえ、スターという生ける人間のスペクタクル的代理表象は、己れの中にありうべき役割のイメージを集中することによって、この凡庸性を集中しているのである。スターの条件とは、外見的な体験の専門家となることであり、深さのない外見的な生への同一化の対象となることだ。(……)(p. 49)

62
スペクタクルの豊かさのなかでの偽の選択、つまり、排他的であると同時に相互に入り組んださまざまな役割(それは主として事物によって意味を与えられ、事物によって担われる)の羅列のように、互いに競合するとともに強く結びついたさまざまなスペクタクルの羅列のなかでの選択は、量的に少ないものに人々を熱狂的に執着させる目的で作られた幻想(ファントム)的な質と争いながら発展する。こうして、消費の序列における地位の低さを空想上の存在論的優越性に変形する努めを負った時代遅れの偽の対立や地域主義、人種主義が再生してくるのである。また、こうして、スポーツ競技から選挙にいたるまで、亜流の遊びの利害を総動員した、延々と続く下らぬ衝突が再構成されるのである。豊かな消費の始まったところでは、若者と大人の間のスペクタクル的な主要対立が、さまざまな偽りの役割の前面に浮かび上がる。なぜなら、人生の師たる大人などというものはどこにも存在せず、既存のものの変革を意味する若さも、いま若い者の特性ではないからだ。若さとは、経済システムの特性であり、資本主義のダイナミズムなのである。支配するのはモノであり、若いのもモノである。モノこそが追い求められ、次々と自己を取り替えてゆくのである。(p. 51)

65
(……)自動車のスペクタクルが旧市街を破壊して完全な交通循環を望む一方で、都市のスペクタクルの方はと言えば博物館的地区を要求するのである。それゆえ、全体を消費することだと見なされている満足――それ自体、既に疑わしいが――が間違いであることは、実際の消費者が直接触れることができるのは、商品の幸福のばらばらな断片、全体に属すると見なされた質をそのつど明らかに欠いた断片の集まりでしかないという点において、直ちに明らかになるのである。(p. 54)

 

IV 主体と表象としてのプロレタリアート

80
(……)現実と化した歴史にはもはや目的〔=終わり〕などないのだ。マルクスは、偶然に到来するものを前にしたヘーゲルの分離された立場、そして、どのようなものであれ外部の最高作因〔agent supréme〕というものへの凝視〔=観想〕を崩壊させた。理論は、もはや己れの行うことだけを認識すればよい。現代の社会に支配的な思考のなかで経済の運動を凝視することは、それとは逆に、ヘーゲルの円環システムの試みから非-弁証法の側が受け取った転倒されざる遺産なのである。(……)(p. 66)

88
(……)ブルジョワジーが権力に就いたのは、彼らが発展する経済を持つ階級だったからである。プロレタリアートは、意識の階級となることによってしか自ら権力になりえない。生産力の成熟は、それによって惹き起こされる非所有の増大という遠回しの手段によったとしても、そのような権力をけっして保証しない。(……)(p. 74)

90
(……)プロレタリア階級の主体形成とは、革命的闘争の組織化と革命的瞬間のなかでの社会の組織化である。そこにこそ、意識の実践的条件が存在するはずであり、この条件の下で、実践(プラクシス)の理論は強固にうち鍛えられ実践的理論となる。しかしながら、組織化という中心的課題は、労働運動が築かれつつあった時代、つまり革命理論が歴史の思考から生まれた統一的性格をまだ持っていた(そしてそれが統一的な歴史的実践にまで発展する任務を自らに与えていた)時期に、その革命理論がもっとも考察を怠ったものであったのだ。(……)(p. 76)

109
革命的労働運動は、二つの大戦の間に、スターリンの官僚主義とファシズムの全体主義との共同作業によって壊滅させられたが、このファシズムの全体主義は、ロシアで経験を積んだ全体主義的政党からその組織形態を借りてきていたのだ。ファシズムとは、危機とプロレタリアートの転覆の脅威にさらされたブルジョワ経済の過激な防衛策であり、資本主義社会での戒厳令である。(……)(p. 95)

115
否定の新たな徴候が、スペクタクル的な整備によって無理解にさらされ歪められながらも、経済的に最も進んだ国々において増殖している。このことから既に、新たな時代が始まっているという結論を引き出すことができる。労働者による最初の転覆の試みの後に、いまや資本主義の豊かさの方こそが挫折したのである。西欧の労働者の反組合的闘争がまず何よりも組合によって鎮圧され、若者の叛乱の潮流が投げつけるかたちにならない最初の抗議の声のなかに、それでも、専門化された古い政治に対する拒否、芸術や日常生活に対する拒否が直接的に含まれていることを見ると、そこには、犯罪の様相の下に開始されている新たな自発的闘争の二つの面があることがわかる。それらは、階級社会に対するプロレタリアートの第二の攻撃の前兆である。いまだに動かぬこの部隊〔=プロレタリアート〕の迷子の子供たちが、変わったはずであるにもかかわらず同じままのこの戦場に再び姿を現わす時、彼らは新たな「ラッド将軍」の指揮に従うが、この将軍は、今度は、許容された消費の機械の破壊へと彼らを遣わすのである。(p. 105)

124
革命理論はいまやあらゆる革命イデオロギーの敵であり、しかもそれは自分がそうであることを知っている。(p. 110)

 

 V 時間と歴史

130
「冷たい社会」とは、その歴史的部分の速度を極端に遅くし、自然的・人間的環境とその社会との対立、さらにその社会の内的な対立を一定の平衡状態に保った社会である。そのような目的で作られた制度が極端に多様であることは、人間的自然の自己創造の柔軟性の証拠であるにしても、この証拠は、もちろん、外部の観察者、歴史的時間から戻ってきた民族学者に対してしか姿を見せない。これらの社会のいずれにおいても、決定的な構造化は変化を排除した。既存の社会的実践の絶対的な順応主義――あらゆる人間的可能性が永久にそれと同一視されている者――には、かたちのない動物性のなかに再び陥る恐怖以外にもはやいかなる外的な限界もない。そこでは、人間的なもののなかにとどまるためには、人間は同じものであり続けなければならないのである。(p. 123)

137
(……)人生の齢の変遷、旅、すなわち別の場所に意味を有する世界への還ることなき移動と見なされた人生、これらのなかに誰もが個人として、ある種の不可逆的な時間性を認識する。巡礼者とは、円環的な時間の外に出て、誰もが徴候的にはそうであるそうした旅人に、実際になってしまった人間のことである。個人の歴史的な生は常に、権力の圏内で、権力が行なう闘争と権力を争うための闘争に参加することによって実現される。(……)(p. 129)

145
資本主義の発展にともなって、不可逆的な時間は世界的に統一される。全世界がこの時間の発展の下に集められることで、普遍的歴史が一つの現実となるのである。だが同じ時間に世界中どこでも同じであるこの歴史は、まだ歴史の内部での歴史の拒否でしかない。経済生産の時間が、均等な抽象的断片に細分されつつ、一つの同じよう太陽のようにしてこの惑星全体の上に出現するのである。統一された不可逆的時間とは、世界市場の時間であり、その必然的帰結として世界的スペクタクルの時間となる。(p. 137)

 

VI スペクタクルの時間

148
人間的非-発展の一般的時間は、その補完的側面である消費可能な時間の下においても存在する。この消費可能な時間は、社会が一定の生産性を上げると、擬似円環的な時間として社会の日常生活の方に還ってくる。(p. 142)

153
消費化のうなぎ時円環的時間とは、狭い意味でのイメージの消費時間としての、そして同時に、もっとも広い意味での時間消費のイメージとしての、スペクタクルの時間である。あらゆる商品の媒体であるイメージを消費する時間は、スペクタクルの装置が十全に行使される分野と不可分であり、また、それらの装置が、個々の消費すべての場として、またその中心にある姿として、包括的に提示する目的とも不可分に結びついている。(……)時間消費の社会的イメージはと言えば、それはもっぱら余暇とヴァカンスの時間、あらゆるスペクタクル的商品と同様、離れたところに描かれ、誰もが望むことを暗黙の前提とした瞬間によって支配されている。この商品は、ここでは明白に、現実の生の瞬間として与えられ、その円環的な回帰を待つことが求められている。だが、生に割り振られたこれらの瞬間自体のなかに、再びより強度になったスペクタクルが姿を見せ、再生産されるようになる。現実の生として描かれたものが、結局は、単により現実的なスペクタクルの生でしかないことが明らかになるのである。(p. 144)

154
現代という時代は、本質的にはその時間を多種多様な祝宴の迅速な回帰として自己に示す時代であるが、実際は祝祭なき時代である。円環的な時間の中で共同体が生の贅沢な浪費に参加していた瞬間は、共同体も贅沢もない社会にとっては不可能である。対話と贈与のパロディである現代の世俗化された擬似的な祝祭が余分な経済的浪費を促す時、それ阿rの祝祭は、結局は、常に新たな失望の約束で埋め合わされる失望に終わるしかない。現代の余分な生の時間は、スペクタクルのなかで、その使用価値が縮小された分、いっそう高く己れの価値を吹聴しなければならない、時間の現実は時間の広告に取って代わられたのである。(p. 146)

 

VII 領土の整備

165
資本主義的生産は空間を統一し、空間はもはや外部のさまざまな社会による制限を受けなくなった。この統一の過程は、同時に、その広がりにおいても程度においても、凡庸化の進行する過程でもあった。抽象的な空間を持つ市場のための大量生産の蓄積は、あらゆる地域的障壁と法的障壁をくずし、職人的な生産のをとどめていた中世のあらゆる同業組合的制約を破らずにはいなかったが、同様にまた、土地に備わった自律性と質をも解体することになった。この均質化の力こそが、中国のすべての壁を崩壊させた巨大な大砲だったのである。(p. 154)

168
商品循環の副産物として、一つの消費と見なされる人間的循環、すなわち観光が生まれるが、それは結局のところ、本質的に、凡庸化された物を見に行く余暇である。さまざまな土地を訪れるための経済的整備は、既にそれ自体で、それらの土地の等価性を保証するものである。旅から時間を奪ったのと同じ現代化が、旅から空間の現実性を奪いさったのである。(p. 154)

177
(……)テクノロジーによって産み出された擬似的農民階層の「ニュータウン」は、その建設の基にあった歴史的時間との断絶を地面の上にはっきりと刻み込む。それらの街のモットーは、「まさにここでは、これから何も起こらないだろうし、今までも何も起こらなかった」というものかもしれない。というのは、まさに都市に与えられるべき歴史が、そこではまだ与えられてはいないからであり、歴史を持たぬ勢力がただ自分だけの風景を作り始めているからである。(p. 161)

 

VIII 文化における否定と消費

184
文化の歴史の終焉は、次のような正反対の二つの側面によって示される。すなわち、全体的な歴史のなかへと文化を乗り越える企てという側面と、そして、スペクタクル的凝視〔=観想〕のなかで死んだ事物として文化を維持することの組織化という側面である。この二つの運動の一方は、自己の運命を社会批判に結びつけ、他方は階級権力の防衛に結びつけた。(p. 168)

188
独立した芸術が華やかな色彩でその世界を描く時、生の時間は既に老いたものとなっているのであって、華やかな色彩によってもその生の時間は若返らされはせずただ思い出のなかで呼び覚まされるだけである。芸術の偉大さは、生の沈黙の時にはじめて現れ始めるのである。(p. 170)

191
(……)ダダイスムは芸術の実現なしに芸術を破棄しようとした。そして、シュールレアリスムは、芸術を破棄することなく芸術を実現しようとした。シチュアシオニストがそれ以降、入念に作りあげてきた批判的立場は、芸術の破棄も実現も、同じ芸術というものを降り越えるために不可分な両面であることを明らかにした。(p. 174)

195
外観を社会的に組織する思考はそれ自体、それが擁護する低-コミュニケーションに一般化によって蒙昧化する。この思考は、自らの世界のあらゆるモノの起源には衝突があったのだということを知らない。スペクタクルの権力――応答なきその言語システム内部の絶対権力――の専門家たちは、軽蔑と軽蔑の成功を経験することによって、絶対的に腐敗した。というのも、彼らは、自分たちの軽蔑が、実際は観客(スペクタトゥル)にほかならない軽蔑すべき人間の認識によって追認されるのを再び見出すからである。(p. 176)

196
スペクタクルのシステムの完成そのものが新たな問題を引き起こすにつれて、そのシステムの専門化された思考のなかで新たな任務分担が行われる。一方では、スペクタクルのスペクタクル的な批判が現代の社会学者たちによって着手される。彼らは、分離について、分離そのものが産み出した概念的・物質的道具の助けだけを借りて研究する。他方で、構造主義の定着したさまざまな学問分野で、スペクタクルの擁護が無-思考の思想となり、歴史的実践の忘却に魅了される。しかしながら、非弁証法的な偽りの絶望も、システムの純粋な宣伝の偽りの楽観主義も、ともに従順な思考として同じものなのである。(p. 177)

200
(……)現代人があまりに観客的(スペクタトゥール)であるということが原因でスペクタクルが生まれたのだとされる。ブーアスティンが告発する捏造された「擬似的な出来事(イヴェント)」の増殖は、現在の社会生活の大衆的現実のなかで、人間自身が出来事を生きていないという単純な事実から生じているのだということを彼は理解していない。歴史そのものが現代社会に亡霊のように取り憑いているからこそ、現在の凍った時間の脅かされた平衡を守るため、人々は生の消費のあらゆるレヴェルに、人工的に構成された擬似的な歴史を見出すのである。(p. 179)

210
文化を現実に否定することによってのみ、文化の意味を保存することができる。文化の否定はもはや文化的ではありえない。文化の否定が依然として文化のレヴェルに何らかのやり方でとどまるのだとすれば、そのようにしてであるが、その場合、文化という言葉はまったく異なる意味で理解せねばならない。(p. 187)

IX 物質化されたイデオロギー

213
普遍性と普遍性の幻想の抽象的意思であるイデオロギーは、現代の社会において、幻想が普遍的抽象化を行い、実際に社会を独裁的に支配することによって正当化されている。だが、そのとき、イデオロギーとは、もはや細分化の主意主義的な闘争ではなく、細分化の勝利なのである。その結果、イデオロギー的主張が一種の無味乾燥な実証主義的厳密さを獲得し、イデオロギーとは、歴史的選択ではなく、自明の事実と化してしまう。そのようにしてイデオロギーが肯定されるなかで、個々のイデオロギーの特殊な名称は消失してしまった。体制(システム)に奉仕する本来的にイデオロギー的な労働が占める部門でさえ、もはや自己を、あらゆるイデオロギー現象を越えたものたらんとする。一つの「認識論的基盤」の再確認としてしか認識しない。物質化されたイデオロギーは、言葉にしうる歴史的綱領を持たないのと同様に、それ自体の名も持たない。つまりさまざまなイデオロギーの歴史は終わったということなのである。(p. 192)

215
スペクタクルはすぐれてイデオロギー的なものである。というのも、それは、あらゆるイデオロギー・システムの本質――現実の生の貧困化、隷属、否定――を余すところなく示して見せるからだ。スペクタクルとは、物質的に、「人間と人間の間の分離と隔たりを表現」したものである。(p. 193)

 

訳者解題        木下誠

(……)『スペクタクルの社会』はその形式において独自である。二二一の断片(断章)の積み重ねという叙述形式は、「大きな物語」であれ「小さな物語」であれ、物語という単一な流れのなかにすべてを巻き込むスペクタクルの社会において、スペクタクルのなかに回収され物語として消費されることを拒むために採られた戦術だ。(p. 204)

「スペクタクル」という概念がボードリヤールやリオタール(二人は、かつて直接・間接にドゥボールと接触している)らの「ポストモダン」の思想と決定的に異なるのは、この実践のレヴェルにおいてだ。「ポストモダン」が、今や大文字の「歴史=物語(イストワール)」も古典的なマルクス主義の文脈で語られる主体という概念も、さらには「現実/非現実」という二項対立までもが向こうになったという理由から、現実の歴史過程や変革の主体の問題を捨象するのに対して、「スペクタクル」は、いかに「現実」を「非現実」化するかに見えても、国家の政策として、産業として、人々の社会的関係として現実に――物質的に――日々再生産されているがゆえに、「スペクタクル」の権力を破壊するという歴史的立場性、そのための歴史的主体の条件の考察、要するに歴史への接合――「状況(シチュアシオン)」の構築――を実現する実践のレヴェルを抜きにしては語れない。(p. 208)

この時〔一九六六年パリでのSI第六回大会〕に採択された「革命組織の関する最小限の定義」は、革命組織の唯一の目的を「新たな社会分割を生まない手段を用いて、既存階級を廃絶すること」に置き、それを実現できる組織形態を「労働者評議会」に求めている。(p. 234)

(……)SIは中国の文革を「偽の文化の偽の革命」として批判し、ヴェトナム戦争についても、ヴェトナムの労働者が国内で真の社会変革をめざして、国内の二つの敵(北の官僚主義者と南の所有・支配者層)を倒すことができるように、アメリカ合衆国の攻撃に反対するという立場をとる。また、アラブ=イスラエル戦争に対しても、イスラエル国家の解体と同時にアラブの既成国家も解体し、評議会権力による統一アラブを実現せねばならないと主張する。(p. 236)

六〇年代のシチュアシオニストの活動のこれら三つの側面――スペクタクル社会批判、革命組織論、政治的実践活動――は、六八年五月に全面的に開花する。
フランスの「五月革命」は、戦後二〇年を経て経済的には順調な発展をしているフランス社会のなかに、経済危機とは無関係に燃え広がった異議申し立ての運動である。それは生活に困窮し強固な階級意識を持ったプロレタリアートなどもはや存在しないと多くの者が信じていたところに、突然、あらゆる工場や職場で占拠とストライキが始まり、史上初めての自然発生的なゼネストにまで広がり、最も安泰であると思われていたフランスの国家体制を危機に陥れた革命運動だ。(……)フランスの総人口五千万人のうち一千万人が参加した前代未聞のゼネスト……と大学での運動が五月から六月にかけてのわずか1月の間に不乱自然度の向上と職場へと燎原の火のように燃え広がった。(p. 240)

「五月革命」は、現実には、政治権力を奪い取ることも、ブルジョワ支配体制を覆すこともできなかったが、一切の権威の否定、組合による代理的闘争方法に変わる直接民主主義的闘争スタイルの確立、生産の現場から日常生活のあらゆる場所への闘争の拡大など、それ以降のブルジョワジーとの闘争の場と性格とを決定づけるような大きな「切断」を持ち込んだ。この「切断」によって、ブルジョワジーとの闘争は、古典的な国家権力(警察・裁判所・軍隊・官僚)から、フーコーの言うような日常生活のあらゆるレヴェルに存在するミクロな権力関係――それはとりわけ「文化」の問題として現れる――を問題とする方向にシフトし、その結果、闘争の主体=主題として、われわれが現在眼にしている女性・少数民族・移民・失業者・精神障害者・身体障害者などの社会的マイノリティが舞台の前面に立ち現れてきた。(p. 241)

シチュアシオニストは、この「五月革命」において、第一に、闘争の方法やスタイルという点で広く影響を与え、第二に、具体的闘争への参加によって自分たちの理論を実践のなかで展開し、闘争において大きな役割を果たした。
第一の点を表現するのは、闘争のなかで工場や大学、街の壁に書かれた落書きだろう。「消費すればするだけ生は貧しくなる」、「死んだ時間なしに生きること、制限なしに楽しむこと」、「退屈は反革命だ」、「君たちの欲望を現実と見なせ」、「快楽に強制される留保は、留保なく生きる快楽を挑発する」、といった新しい「欲望」の肯定と「余りの生」の告発を「転用」の文体で表現した言葉や、「スペクタクル商品社会打倒」、「決して労働するな」、「労働者評議会に権力を」などといったシチュアシオニストのテーゼそのままの言葉が、当時、ナンテールやソルボンヌ、さらにはパリのあちこちの壁に書かれた。(p. 242)

(……)こうした「五月革命」でのシチュアシオニストの役割は正当に評価されたとは言えない。これは彼らが他の新左翼諸党派とは異なる独自の組織理論に基づいて行動したことに大きく起因する。(p. 245)

 

(2012/2/29)