ギー・ドゥボール |
フランス語版第3版への緒言 世界が統一されたとついに公式に宣言することが可能になったのは、全世界の政治経済的現実においてこの融合がすでに生産されていたというただそれだけの理由からである。そしてそれはまた、分離された権力が普遍的に到達した状況があまりに重大であるため、この世界はできる限り早く統一される必要があったためでもある。この世界は、スペクタクル的に偽造されスペクタクルによって保証された世界市場という同意に基づく同一の組織に、単一のブロックとして参加する必要があったのである。だが、この組織も最終的には統一されることはないであろう。(p. 9)
I 完成した分離 1 10 14 26 34 |
II スペクタクルとしての商品 34 44
III 外観における統一性と分割 57 59 60 |
62 65
IV 主体と表象としてのプロレタリアート 88 |
90 109 115 124
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V 時間と歴史 130 137 145
VI スペクタクルの時間 153 |
154
VII 領土の整備 165 168 177
VIII 文化における否定と消費 188 |
191 195 196 200 210 |
IX 物質化されたイデオロギー 213 215
訳者解題 木下誠 (……)『スペクタクルの社会』はその形式において独自である。二二一の断片(断章)の積み重ねという叙述形式は、「大きな物語」であれ「小さな物語」であれ、物語という単一な流れのなかにすべてを巻き込むスペクタクルの社会において、スペクタクルのなかに回収され物語として消費されることを拒むために採られた戦術だ。(p. 204) 「スペクタクル」という概念がボードリヤールやリオタール(二人は、かつて直接・間接にドゥボールと接触している)らの「ポストモダン」の思想と決定的に異なるのは、この実践のレヴェルにおいてだ。「ポストモダン」が、今や大文字の「歴史=物語(イストワール)」も古典的なマルクス主義の文脈で語られる主体という概念も、さらには「現実/非現実」という二項対立までもが向こうになったという理由から、現実の歴史過程や変革の主体の問題を捨象するのに対して、「スペクタクル」は、いかに「現実」を「非現実」化するかに見えても、国家の政策として、産業として、人々の社会的関係として現実に――物質的に――日々再生産されているがゆえに、「スペクタクル」の権力を破壊するという歴史的立場性、そのための歴史的主体の条件の考察、要するに歴史への接合――「状況(シチュアシオン)」の構築――を実現する実践のレヴェルを抜きにしては語れない。(p. 208) |
この時〔一九六六年パリでのSI第六回大会〕に採択された「革命組織の関する最小限の定義」は、革命組織の唯一の目的を「新たな社会分割を生まない手段を用いて、既存階級を廃絶すること」に置き、それを実現できる組織形態を「労働者評議会」に求めている。(p. 234) (……)SIは中国の文革を「偽の文化の偽の革命」として批判し、ヴェトナム戦争についても、ヴェトナムの労働者が国内で真の社会変革をめざして、国内の二つの敵(北の官僚主義者と南の所有・支配者層)を倒すことができるように、アメリカ合衆国の攻撃に反対するという立場をとる。また、アラブ=イスラエル戦争に対しても、イスラエル国家の解体と同時にアラブの既成国家も解体し、評議会権力による統一アラブを実現せねばならないと主張する。(p. 236) 六〇年代のシチュアシオニストの活動のこれら三つの側面――スペクタクル社会批判、革命組織論、政治的実践活動――は、六八年五月に全面的に開花する。 |
「五月革命」は、現実には、政治権力を奪い取ることも、ブルジョワ支配体制を覆すこともできなかったが、一切の権威の否定、組合による代理的闘争方法に変わる直接民主主義的闘争スタイルの確立、生産の現場から日常生活のあらゆる場所への闘争の拡大など、それ以降のブルジョワジーとの闘争の場と性格とを決定づけるような大きな「切断」を持ち込んだ。この「切断」によって、ブルジョワジーとの闘争は、古典的な国家権力(警察・裁判所・軍隊・官僚)から、フーコーの言うような日常生活のあらゆるレヴェルに存在するミクロな権力関係――それはとりわけ「文化」の問題として現れる――を問題とする方向にシフトし、その結果、闘争の主体=主題として、われわれが現在眼にしている女性・少数民族・移民・失業者・精神障害者・身体障害者などの社会的マイノリティが舞台の前面に立ち現れてきた。(p. 241) シチュアシオニストは、この「五月革命」において、第一に、闘争の方法やスタイルという点で広く影響を与え、第二に、具体的闘争への参加によって自分たちの理論を実践のなかで展開し、闘争において大きな役割を果たした。 (……)こうした「五月革命」でのシチュアシオニストの役割は正当に評価されたとは言えない。これは彼らが他の新左翼諸党派とは異なる独自の組織理論に基づいて行動したことに大きく起因する。(p. 245)
(2012/2/29) |