中野淳 |
1享年三十六歳
2「運河風景」
3生きている画家 アトリエに自分の絵をひろげるとき、私はいつも恥ずかしい思いをした。ゴテゴテと絵具を塗り重ねるばかりの自作にくらべ、松本さんの絵は深く透明である。アトリエに入るとき、狭い入口に立てかけた大作「画家の像」が顔とすれすれになるが、近くで見るその絵肌の美しさにいつも魅きつけられてしまう。褐色で透明な色相の下に堅固なマチエールや描線が透けていて、微妙で繊細な表現が詩的である。その描法に私はひそかな好奇心を抱いた。ヨーロッパ古典絵画技法である。 藤田絵画のさまざまをユニークな角度で推理し語る。あるとき、
4戦時下の一画家の信念 |
5俊介から竣介へ 「画家松本竣介が一貫してたどった道は、近代的ヒューマニズムの道であった。彼もまた戦争時代に戦争画を描いたが、それは苦汁にみちた、あきらかに反戦的な意志を示したものであった。その意志をもつた作家でも多くは韜晦したり自己欺瞞したりしていたのにくらべて、彼はたぶん積極的意力をもつてそれを描いたのだと思う。そういう戦争画の描き方もあった、というよりも、画の上で反戦的な意志を示すとすればこれが一つの正しい道だったはずである。ピカソがフランコやファシストたちの諷刺画を描いたのももちろん一つの道だが、それにはピカソがフランスにいたから描けたという別の条件がある。『航空兵群』を描いた彼と、『生きている画家』を書いた彼とのあいだには、いさゝかの矛盾もなかったのである。」(水沢澄夫「生きている画家――松本竣介遺作展を見て」(昭和二四年))(p. 38)
6空襲と本郷洋画研究所
7東京大空襲 ただいうまでもなく松本竣介の風景画は、何処と何処をモンタージュしたからできるという絵ではない。むしろ、現場の実景の感銘が発想の動機となり、造型化するために如何に他の構成的要素を加えるかの知的選択だと思う。更に絵画としての美しさを成立させるために、形、色彩、明暗、線が実景から離れるほど自由に駆使されている。それは内面の詩的世界を醸成するための精神労働とも言えようか。 (p. 54)
8生涯で一番長い日
9絵具がない!
|
10油絵具の秘法 溶き油の混合について、私は松本さんから何ひとつ聴いていない。記述もないと思う。アトリエでは、テレビン油、リンシード油の瓶を見かけたが、「画家の像」の画面にはポピー油の瓶が描き込まれている。けれどパレットの二つの壺に、小さな柄杓が入れてあつたのをみると、松本さんが油の混合に神経をつかっていたことを感じる。
11戦争画の眠っている場所 戦争画家たちは戦争画をずっと描き続けるベきだということを松本さんは戦後たびたび言っていた。
12絵の精神
13一点だけの版画
14国画展の懇親会 「梅原龍三郎、安井曽太郎とならび称されますが、どちらの画家が好きですか?」
15第一回美術団体連合展
16第十一回自由美術展の初日 |
17思い出の芝生会議 ところで、二科は松本さん自身が長く出品していた会なので、あれこれ言ってみたものの、私がそこに入選したのはやはり嬉しいらしく、早速、一緒に見に行き、「道と煙突」というその入選作を良い絵だと喜んでくれた。帰路、公園のベンチで休み、遠い空見つめながら、絵のこと、人生のことをしみじみと語っていた。そして、
18師•阿以田治修
19自由な精神
20鶴岡政男の大福餅
21塊の裸婦
22最期の微笑み 数日後、私は松本さんの病気見舞いを思い立ち、初夏の微風が吹きぬける午後の街を歩いた。途中、新宿の果実店で新鮮な枇杷が目にとまり包んでもらった。
23竣介没後
(2012/4/22) |