ブリコラージュ@川内川前叢茅辺 <書 抜き書きメモ38>

大澤真幸
不可能性の時代

岩波書店、2008年

序 「現実」への逃避

その戦後という一つの時代を、現実を意味づけている中心的な反現実のモードを規準にして眺めたとき、見田宗介によれば、その反現実のモードは、「理想→夢→虚構」と遷移してきた。すなわち、戦後は、さらに、「理想の時代」「夢の時代」「虚構に時代」の三つに内部区分できる、というのだ。見田がこのようなテーゼを打ちだしたのは、戦後四五年目に当たる一九九〇年のことである。彼は、その四五年を三つに等分したとき、その一つひとつが、ちょうど、「理想の時代 一九四五-六〇年」「夢の時代 六〇-七五年」「虚構の時代 七五-九〇年」のそれぞれに対応している、と主張した(見田『社会学入門』)。(p. 2)

 東浩紀は、「理想の時代から虚構の時代へ」という戦後史の転換に関する私の論を受けて、虚構の時代のあとに、「動物の時代」と彼が名付けた新しい段階がやってきている、と論じている。このとき注目されていること(のひとつ)は、やはり「現実」への逃避である。東によれば、オタクたちは、ほとんど麻薬中毒者を連想させるようなやり方で、ゲームやアニメにはまる。彼らが求めているのは、ほとんど虚構の意味(物語)の理解を媒介としない、神経系を直接に刺激するような強烈さである。それは自傷行為へのアディクションに似ている。ここには、将来テクノロジーが発達すれば、自傷の代わりに、ニューロンに直接強い刺激を与えることに耽るアディクションが出てくるのかもしれない、と思わせるものがある。人間は、神経系を備えた生理的身体として、つまりは動物としてのみ生きている、というわけである。(p. 5)

 同じことは、二〇〇五年一〇月から一一月にかけてフランスで起きた暴動、すなわち、パリ郊外で警察に負われていた北アフリカ系の若者三人が変電所に逃げ込み、その中の二人が感電死したことをきっかけに、フランス全土に広がった移民の若者たちによる暴動についても言える。この二〇〇五年のフランスの暴動に関しては、これを一九六八年の五月革命の暴力と比較してみるとよい、五月革命には、ユートピア的な展望があり、暴力には理由があっった。言ってみれば、それは「理想の時代」に内在する暴力だった。しかし、二〇〇五年のフランスの暴動には、そのような展望がない。車が燃やされる理由はない。その暴力は、むしろ、自己破滅的である。(p. 8)


I 理想の時代

柳田は、敗戦がもたらした空白を埋めるものを、日本社会の堅固な――と彼が信ずる――伝統の中に見出そうとした。それは、日本社会の過去の伝統の中に、すでにある、と。だが、この解決策には、明らかに問題がある。戦争の死者たちは、別に、家のために死んでいったわけではないからだ。少なくとも、「主として家のために死んだ」とはいえないからである。(p. 18)

柳田の場合には、(近代)天皇制や皇室崇拝を、それらの基礎にあって、それらを規定してもいた先祖信仰へと深化させようとした。それに対して、折口は、民俗宗教である(近代)天皇制を全的に否定し、日本の古代の観念の中から、キリスト教に匹敵するような普遍宗教(人類教)に繋がる要素を掬い出そうとした。その際、折口は、系譜の一貫性・同一性を保証する神、つまりは祖霊的な神を、根底から否定することになる。柳田が全力を挙げて復活させようとした当のものこそ、折口にとっては、拒否の対象だったのだ。(p. 20)

 折口や柳田の構想が暗に示していることは次のことだ。「敗戦」とは、われわれの「現在」がそれに対して有意味であり、それによって正当化されるような超越的なまなざしを喪失することであった、と。柳田は、そのようなまなざしを、家の伝統の延長線上に再確認しようとした。折口は、それを、半ば捏造された古代の伝統の中に見出すことで、むしろ革新的に構築しようとした。
そのような超越的なまなざしは、典型的には、理念化された「共同体の支社」によって担われる。このような超越的なまなざしの担い手を、私は、「第三者の審級」と呼んでいる。(p. 21)

 これらの試みは、しかし、どちらも成功したとはいえない。神道が、普遍宗教へと鍛え上げられることはなかったことは、言うまでもない。柳田が、その存在を学問的に実証した「いえ」や「祖霊崇拝」は、戦後の歴史の中で、著しく衰えていった。
ところが、柳田や折口が心配していた困難は、少なくとも敗戦の直後には現れなかった。本来、最も大きな混乱に見舞われているはずの敗戦の直後は、意外なほどに平穏だ。混乱は、もっぱら物質的な貧困に関わるものであった。(p. 22)

 柳田や折口が心配していた、精神的な大混乱が生ずることがなかったのはなぜか、が鍵である。混乱が生じなかったのは、共同体の「現在」に意味を与える、超越的な他者(第三者の審級)が、速やかな、ほとんど間髪を入れない交替があったからである。つまり、柳田や折口が憂慮したような「不在」は、生じなかったのである。どのような交替があったのか?
「天皇によって義認された死者」が占拠していた座に、速やかに、「アメリカ」が就いたのである。日本人の精神を支える、形式的構造は、敗戦によって、壊れることがなかった。「内容」は変化したが、「形式」は保持されたのである。(p. 26)

占領当局が原爆による破壊への言及を禁止した九月半ばまで、日刊新聞は毎日のように広島・長崎の恐怖に言及している。このことから判断して、原爆による被害に対しては、日本人は痛烈な自覚をもっていたはずだ。にもかかわらず、ジョン・ダワーが述べているように、この自覚はアメリカの憎悪には繋がらなかった。どうしてだろうか? 戦後の日本人にとって、そのアメリカこそが、みずからの存在が正統性を有することの根拠だったからである。そうだとすれば、アメリカからどんなにひどい仕打ちを受けたとしても、アメリカを否定しさることはできない。(p. 28)

 現在を肯定的に承認する超越的な他者の以上のような交替の政治的な内実は、次の二点であろう。第一に、天皇の処刑も退位もなく、天皇の戦争責任が問われずにすみ、天皇制の存在が、それこそ、(アメリカに)「許された」ということを、この交代劇は意味していた。(……)ある月刊誌は、『世紀の遺書』〔一九五三年に出版された戦犯の遺書〕を「偉大なる聖書」であるとまでいっている(『曙』一九五四年一月特別号)。よするに、BC級戦犯の戦争犯罪は赦免されたのである。ダワーは、「奇妙なことにこのような赦しは、天皇がアメリカから受けた扱いに、ごく自然に、ほとんど鏡に映したように、そっくりだった」と述べている。アメリカの天皇に対する赦しを、日本人は戦犯に対して反復したのである。言い換えれば、アメリカが天皇を赦していなければ、日本人は戦犯に対してあれほど「寛大」になれなかったかもしれない。
第二に、アメリカの「意志」の内容を示すものとしての、「日本国憲法」が与えられたことを挙げることができるだろう。(p. 28-29)

 こうして「理想の時代」が始まった。「理想」とは、端的にいってしまえば、(日本人が想定した)アメリカの視点にとって、肯定的なものとして現れる、社会や個人の状態のことである。アメリカを準拠とし、そのまなざしに対してポジティヴに映現する――と日本人が想定した――社会状態を、日本人は、「戦後民主主義」と呼んだ。アメリカという超越的な他者を受け入れ、措定することに成功しなかったならば、理想は機能しなかっただろう。(p. 29-30)

 われわれにとって興味深いのは、しかし、「八月一五日」という認識が国民的に確立するまでに、なぜ一〇年の時間を要したか、ということである。「占領」も終結し、理想の時代の熟成期に至ったとき、ようやく、日本人は、安んじて、勝者である「アメリカ」の視点に同一化して、自ら自身を眺め、対象化することができるようになったからではないか。このとき、日本は、敗者でもなく、さりとて純粋な勝者でももちろんなく、どちらともつかない者として現れ、戦争は(負けたのではなく)単に終わったことになる。(p. 34)

 家は、通時的には、縁ある具体的な死者との交流を、共時的には、有機的で親密な遅延共同体への参入を、それぞれ与えるユニットであった。マイホームは、この二つの機能を停止するか、あるいは圧倒的に縮小することで得られる。①まず、通時的な機能に関しては、これをほとんど無化し――芹沢俊介が明仁皇太子以後、家族のテーマが「世代家族」(親子)から「エロス的家族」(夫婦)に移ったと述べている(芹沢『皇室・家族論』)ように――、先祖との関係ではなく、性愛の次元で、生を主題化する。②地縁的な機能に関しては、家庭それ自身を、ミニマムな家郷(ホーム)と化す。③(中範囲の共同体への連絡を失ったことの)その反作用として、家庭を市場において貨幣を用いる消費の主体となすことで、全域的な社会秩序へと一気に接続する。「マイホーム主義」という語は、六三年に生まれたといわれる。(p. 35-36)

 土地神話に準拠した国土開発のいびつな結果が、さまざまな都市問題であり、そして都市と農村の間の経済格差である。内田〔隆三『国土論』〕によれば、ここには二つの怨恨が生ずる。一方に、「取り残された者」の怨恨があり、他方には、「追い出された者」の怨恨がある。両者の宥和の儀式が、盆と正月の熱心な帰省である。この帰省のときだけ、先祖との交流がなされる。まさしく、「言え」が「普遍宗教」としての「土地神話」の一契機に成り下がっている。柳田も折口も、大きく歪められたかたちで求めていたものを得たことになるわけだ。
このように、高度成長期の「理想」は、二つの焦点をめぐって展開する。マイホームと土地である。そうであるとすれば、「アメリカ」という仮面を被っている超越的な他者の真の姿がはっきりしてくる。それは何か。「資本」だ。資本は、一方では、「マイホーム」で消費すべき理想の商品を与え、他方では、「土地」をどこまでも抽象化していく。 (p. 40-41)

 『砂の器』『飢餓海峡』そして『人間の証明』のいずれにおいても、戦争の混乱期に関連した他者の来訪を受ける。彼ら来訪者は、戦死者の換喩的な代理人ではないだろうか。リアリズムに則った小説において。戦死者が直接に現れるわけにはいかないので、彼らは、戦死者に成り代わって、理想の時代の成功者たちを糾弾しているのだ。

こうして、一九六〇年代末期から七〇年にかけての時期に、理想の時代を成り立たせていた基本的な構造が瓦解し始める。社会学的に興味深い問題は、なぜこの時期だったのか、ということである。敗戦直後ではなくて、この時期になってようやく問題が露呈してきたのは、どうしてなのだろうか? ベトナム戦争からニクソン・ショックへと展開していく過程の中で、「アメリカ」に象徴される第三者の審級への信頼が、決定的な既存を被ったからではないだろうか。(p. 46-47)

II 虚構の時代

(……)約三〇年の時を隔てた二つの少年犯罪においては、ほとんど何もかもが対立している。犯罪を条件づける、あるいは犯罪を構成する諸要素を取り出してみるならば、両事件は対称的で、互いに互いを逆立ちにさせたような関係にある。
Nの犯罪は、「家郷→都市」と向かうベクトルを基底に置いているが、Aの犯罪は、「都市(郊外)→自然」という回帰の運動の中で生じている。Nにとっては、都市の他者たちのまなざしは地獄であったが、Aにとってはまなざしの不在が地獄である。Nは覗き見る人だが、Aは覗き見られる人である。Nを束縛したまなざしは、彼を、社会システム内の位置に対応した諸性質に還元しようとするが、Aが奉ずる「顔の神」は、名前(聖名=生命)に、つまりそうした諸性質に解消できない余剰Xに照準している。さらに、Nにとっては、都市のまなざしは外的な超越性をもって君臨するが、Aを規定する神=魔物は、徹底した近接生・内在性によってこそ特徴づけられる。
Nの犯罪は、理想の時代に内属している。それに対して、Aの犯罪、Aの自己目的的な殺人は、本書の冒頭に指摘した、「現実」への飛び込み、激しく暴力的な現実への愛着を、典型的に具現してはいないだろうか。Nの事件とAの事件との間に、その犯罪を構成する諸要素のすべてを反対にしてしまうにたるだけの何かかがあったのだ。この二つの事件の間に、一つの時代がすっぽりと収まっている。その一つの時代こそ、「虚構の時代」に他ならない。(p. 66-67)

吉見〔俊哉『都市のドラマトゥルギー』〕のよれば、近代史の中で、東京の盛り場の中心は、浅草→銀座→新宿→渋谷と移動してきた。その内、千語に対応する、新宿→渋谷の変遷が、ほぼ「理想の時代」から「虚構の時代」への転換に対応している。一九七〇年代中盤以降、主として、西部系資本による大規模な演出によって、渋谷は、おしゃれでファンシーな遊園地的空間となった。これこそ、虚構の時代の盛り場である。(p. 69)

 家族の本来の自然な関係が弱体化し、解体へと向かっていることを、一目で印象づけるのは、この映画〔『家族ゲーム』〕で最も有名で、何度も繰り返される場面、家族の食事のシーンである。伝統的には、食事シーンは、当然、食卓を囲むように家族のメンバーを配置する。ところが、この映画では、全員が、横並びになって、同一の方を――観客の方を――向いているのである。互いの視線は交わることなく、並行している。

このような家族は『非現実的』だとして、このシーンを批判した者もいた。しかし、見田が述べているように、この時代、ほとんどの家族が、実際に、この映画のように、互いの視線を交わらせることなく、並行させたまま食事をとっているのである。その並行した視線が収斂する地点には、虚構のボックス、すなわちテレビがある。(p. 70)

 理想の時代の末期に現れたのが、一九六〇年代の全共闘運動である。全共闘運動は、社会の革命・改革を求める運動であった以上は、理想の時代に属する出来事であったと、とりあえずは言わなくてはならない。だが、この運動がめざしていた理想、指向されていた理想社会とは、どのようなものだっただろうか? 全共闘運動に参加した若者たちがめざした理想は、しかし、具体的・実質的な内容をほとんどもっていなかった。それはただ、従来の権威、従来の理想を否定するということ以外の内容をもってはいない。理想の否定だけが理想であるとするならば、この運動は理想の時代の末期的なしょうじょうであると見なさざるをえない。(p. 74-75)

連合赤軍事件に関して、笠井潔や大塚英志は、次のような面白い観察を披瀝している。すなわち、連合赤軍には、二つの価値観がせめぎあうようにして共存していた、というのである。「かっこいい」という価値観と「かわいい」をよしとする価値観が緊張関係を保っていた、というのだ。「かっこいい」とは、内容を無化され、純粋な形式にまで還元された「理想」ではないだろうか。それに対して、「かわいい」は、すでに虚構の時代に属する感覚であろう。要するに、連合赤軍事件の中に、理想の時代に由良瑀するベクトルと虚構の時代へと向かおうとするベクトルとがともに作用していたのである(大塚「サブカルチャー/文学論」。(p. 75)

 三島〔由起夫〕/大江〔健三郎〕から村上〔春樹〕へと繋がれるこうした関係を概観したときに、導かれてくる仮説は、次のようなものである。理想の時代から虚構の時代への転換は、単純に前者を拒絶し、否定することによってではなく、前者を駆動させていた原理を徹底させることを通じてこそもたらされているということ、これである。理想の時代は、自己否定を通じて、虚構の時代として再生しているのではないか。(p. 79)

(……)セーフティ・セックスは、セックスをセックスたらしめていた本性を抜き去ったセックス、セックスを「現実」たらしめていた何かを失ったセックスになるはずだ。それは、ほとんど虚構の中のセックスと変わらない。実際、究極のセーフティ・セックスは仮想現実の中でセックスを体験することだ。それは、たとえば「エロげー」「ギャルげー」あるいは「美少女ゲーム」などという名で呼ばれている、「危険抜きの恋愛」「恋愛抜きの恋愛」のゲームの形で、実際に、具体化されてもいる。(p. 82)

虚構の時代はどのように解消されたのか? 虚構の時代の後の段階はどこに向かっているのか? 現実を秩序づける上での参照点となっていることは何なのか? ここまでの考察が含意していることは、虚構の時代は、まったく相反する方向に分かれている二つの傾向の間で分裂し、解消されているように見える、ということである。一方では、準拠点の「反」現実度が次第に高まっていくというこれまでの傾向に反するかのように、「現実」への回帰、「現実の中の現実」への回帰が見られる。他方では、虚構の時代に胚胎していた傾向が限度を越えて強化され、現実に現実らしさをあたえる暴力性・危険性を徹底的に抜きとり、現実の相対的な虚構化を推し進めるような力学が強烈に作用している。(p. 83-84)


III
 オタクという謎

オタクを専門家や一般の趣味人から区別する特徴は、意味の重さと情報の密度の間の極端な不均衡である。一般には、意味の重さと情報の密度の間には、比例的な関係がある。要するに、有意味なことだから情報が集積されるのである。だが、オタクに関しては、こうした法則が成り立たない。情報は、有意味性への参照を欠いたまま、つまり意味へとつながる臍の緒をもたないまま、それ自体として追求され、集められていくのである。(……)「情報」は、そうした外側のコンテクストへの参照を欠いている。オタクは、自らが関心を向ける情報的な差異に関して、それをより包括的なコンテクストに位置づけて、その重要度を説明することができないのである。(p. 87-88)

一九八〇年代初頭の若者とは、一九六〇年前後に生まれたコーホートであることを意味する。これは、メディア論的には、注目してよい事実である。というのも、これは、日本では、「生まれたときにテレビがあった――あるいは少なくともテレビがない家庭についての記憶がない――最初の世代」にあたるからである。テレビが我が家に入った日のことを記憶しているような世代は、オタクにはならない。(p. 88)

 ここから次のような仮説を立ててみよう。鉄道マニアは、鉄道に、鉄道のネットワークに、広域的な社会空間の、普遍的な世界の全体を、言ってみれば、写像しているのではないか、と。鉄道それ自体は、無論、世界の中の部分的な要素にしか過ぎない。が、その部分的な要素を楽しむことにおいて、普遍的な世界の全体を享受することができるのだ。(p. 92-93)

 大塚英司は、一九八〇年代最後の年に、オタクのマンガへの関わり(など)をもとにして、「物語消費」なる概念を提起している(大塚『物語消費論』)。誤解されやすい概念だが、ここで大塚が主張していることは、オタクたちが真に欲望しているのは、特定の作品――個々の物語――を一部として含む「大きな物語」だということ、その特定の作品を有意味なものとする背景の設定や世界だという点にある。だから、ジャン=フランソワ・リオタールが、「ポストモダンの条件」は「大きな物語の終焉だ」と論じたときの「大きな物語」とは、意味が違う。(p. 95)

 こうした事実〔虚構の世界、虚構の歴史にへ向かうオタクの情熱〕は、オタク的な関心が直接に向けられている――客観的には――きわめて特殊な領域が、普遍性の代理物になっていると言うこと、先に提起したこのような仮説を支持しているように思える。普遍性が特殊性として反転して現れているのである。(p. 96)

(……)データベース構築への情熱を支えているのは、そこから任意の物語を派生させることができるような、普遍的な物語の収蔵庫への欲望なのだ。実際、データベースにあっても、個々の分類されたデータが、稀薄な物語性や歴史性を帯びている。たとえば、特定の「萌え要素」の来歴や系譜関係を追うと、それは、一種の物語・歴史の体裁を取るのだ。
だから、データベース消費は、求められている普遍性の水準が上昇したときに現れるのである。それは、物語消費からの連続的な延長線上に位置づけられる。(p. 99)

 情報的な濃密性と意味的な稀薄さとの間の、オタク固有の不均衡が生ずる理由は、ここにある。オタクたちが最も苦手としていることは、自分たちがやっていることを、より包括的なコンテクストの中に位置づけることである。有意味性は、常に、「それ以上のコンテクスト」を背景にすることで、弁証される。だが、オタクたちが関心を示している、アニメならアニメ、ゲームならゲームといった特定の領域が、すでに普遍的な世界、一つの宇宙であるとすれば、彼らにとっては、より包括的なコンテクストはあってはならないし、またあるはずもない。つまりは、外へと通ずる窓はないのだ。こうして、外部の包括的なコンテクストへの一切の参照を欠いたまま、内部の情報を徹底して精査しようとする欲望だけが、無限に展開することになる。 (p. 101)

オタクによるオタク論を読むと、しばしば、わずか二〇年程度の「歴史」が、ちょっと行き過ぎではないかと思わせるほど細かく段階区分され、些細な出来事が大げさに言挙げされる。たとえば、まるで西洋史の「古代/中世/近代」のように、オタクの「第一世代/第二世代/第三世代……」などと区分され、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の最終回が、第二次世界大戦の終結と同じくらい一大事であったかのように語られるのだ。端的に言えば、多くのオタクは、個々の主題領域に関してだけでなく、オタクという現象自身についてのオタクである。(p. 101-102)

(……)オタクは、現実に対して、あるいはそもそも任意の可能世界に対して、冷ややかな距離をとる相対主義者である。相対主義は、述べてきたような、オタクの普遍性への欲求、極端に強い普遍主義の産物である。それぞれの特殊な世界を律する規範や価値は、包括的で普遍的な領域の内部で相対化されてしまうのだ。こうした態度を起源の近くまで遡れば、たとえば、われわれは浅田彰の『逃走論』(筑摩書房、一九八四年)を見出すことになるだろう。こうした相対主義を、私は「アイロニズム」と呼ぶ。(p. 103)

オウム信者のハルマゲドン幻想に対する態度や、さらにオタクのアニメなどの虚構に対する態度は、まさにアイロニカルな没入として記述することができる。彼らは、それが幻想=虚構に過ぎないことをよく知っているのだが、それでも、不動の「現実」であるかのように振る舞うのである。オタクたちは、虚構と現実を取り違えていると言う、評論家的な批判が見逃しているのは、意識と行動の間のこうした捩れである。彼らに、いくら、「あれは虚構に過ぎない」と主張しても意味はない。彼らは、それをよく知っているからである。(p. 105)

 「カザノヴァ」は、オウム真理教の教祖麻原彰晃の実に見事な隠喩ではないか。麻原を、詐欺師と呼びたければ、そう呼んでよいかもしれない。信者たちを、彼が創作したハルマゲドン幻想のなかに巻き込み、テロや殺人すらもやらせたのだから。だが、カザノヴァの例は、詐欺師が、自分の詐欺から自由ではない、ということをよく示している。詐欺に最も強力に巻き込まれてしまうのは、他ならぬ詐欺師本人なのである。「これは詐欺だ(嘘だ)」という意識を保っていたとしても、それは、あまり変わらない。麻原は、カザノヴァと同じような、詐欺師的な魔術師だったのであろう。

ここで注意しておかなくてはならないことは、カザノヴァの喜劇の中で、雷が二重の機能を果たしている、ということである。一方で、それは、生の〈現実〉の断片、意味づけを欠いた純粋な偶然の出来事である。だが、他方で、カザノヴァが驚いて「魔法の円」の中に飛び込んでいるときには、すでに「天罰」である。後者の解釈ととともに、一度は斥けた神が、より強力なものとなって、回帰してくることに注意しよう。田舎娘を騙そうと画策しているとき、カザノヴァは、一旦は、神を信じない者のように振る舞い、神を事実上、拒否している。だが、このことが原因となって、彼は、神にかえって呪縛されてしまう。それは、神を罰する、彼にとって否定的な意味をもった神だが、先にも述べたように、それでも、神なしに、無意味な〈現実〉にさらされるよりはよかったのだ。(p. 107-108)

 先に、オタクにおいて、普遍性が特殊性へ反転する、と述べた。この項で見出したもう一つの逆説、もう一つの反転は、アイロニカルな距離化から、絶対化する没入への、急転直下の転換である。あるいは、第三者の審級を徹底して抽象化し、不可視化したとき、それが、具象的で、内在的な他者として、突如として回帰してくると言う、逆説である。(p. 109)

マスコミ・ギョウカイトハ、シロウトたちを上から見下ろし、社会全体を見通すことができる普遍的で超越的な視点が帰属する場所である。アイロニカルな態度を取るためには、人間の諸類型を相対化し、俯瞰するようなメタ的な視点を必要とする。そうしたメタ的な視点の帰属の場として想定されたのが、まずは、ギョウカイだったのだ。いわば、ギョウカイに精通し、ギョウカイの只中にある(と想定されている)視点から眺めて、さまざまな現象や態度がアイロニカルに批評されるのである。北田によれば、今日では、そのようなギョウカイへの信頼は失われ、ギョウカイは、内輪空間を盛り上げる素材(話題、ネタ)へと失墜した。とはいえ、われわれとしては、2ちゃんねるの内輪空間――オタク的な趣味にアイロニカルに没入する者たちの共同性――に、ギョウカイからの転態を見るべきではないか。(p. 113)

本来、異質な他者たちを含む普遍的な社会空間を見通しうる超越的な視点の座が希求されていたのである。そうした視点の座が、今日では、同質的な他者たちのみが参加する、排他性の強い――しばしばサイバースペース上で展開する――共同性へと投射されているのではないか。つまり、社会性に関しても、普遍性が特殊性へと反転して現象するところに、オタクの特徴があるのではないか。社会性が、その反対物として――非社会性として――現象するという逆説に、オタクのもうひとつの不思議がある。(p. 113-114)

IV リスク社会再論

『L’Enfant』は、はっきりと救済の場面を描いているのに、それにはリアリティが欠け、主人公が救済されたようには感じられない。それに対して『三丁目の夕日』は、登場人物たちの誰も明示的には未だ救済されていないのに、観客は、彼らがすでに救済されているかのような安心感をもつことができる。すでに救済された者が本当は救済されておらず、未だ救済されていない者こそ実はすでに救済されているのだ。
(……)昭和三〇年代には、下層の悲惨のうちに、到来すべき救済を見ることができるような視点が存在しており、当時を生きた者たちは、そうした視点を我が物にしつつ、自らの下流的な現実を生きていた、とわれわれは(半ば幻想的に)想定できるのである。(……)『三丁目の夕日』の映像の背景には、昭和三十三年当時、まさに建設中だった東京タワーが常に映っている。東京タワーは、物語のしんこうに従って、徐々に高くなっていき、最後の「夕日」の場面で完成する。東京タワーの、この高みへの伸張が、やがて実現するはずの「理想」への前進を暗示してはいないか。(p. 126-127)

 こうして、二つの下層は、まったく異なった様相を呈することになる。下層をシンに過酷な物にするのは、その物質的な現状そのものではなく、それを捉える視点の(不)可能性である。そして、「格差社会の到来」という不吉な時代診断に説得力をあたえているのは、格差という現状そのものではなく、来たるべき救済を読みとりうる視点の不在である。われわれの現在は、理想の時代から遠く隔たったところにある。 (p. 128)

ルーマンがとりわけ強調していることだが、リスクは、選択・決定との相関でのみ現れる。リスクは、選択・決定に伴う不確実性(の認知)に関連しているのだ。リスクとは、何事かを選択したときに、それに伴って生じると認知された――不確実な――損害のことなのである。それゆえ、地震や旱魃のような天災、突然外から襲ってくる敵、(民衆にとっての)暴政などは、リスクではない。それらは、自らの選択の帰結とは認識されていないからである。とすれば、リスクが一般化するのは、少なくとも近代以降だということになる。社会秩序を律する規範やその環境が、人間の選択の産物であるとの自覚が確立した後でなければ、そもそも、リスクが現れようがないからである。

だから、リスクの一般化は、アンソニー・ギデンズが近代の本質的な特徴としてあげている「再帰性reflexivity」を必要条件としている。どのような行為も規範を前提にしている。ギデンズによれば、近代社会においては、その規範への反省的・再帰的な態度が浸透し、常態化している。すなわち、規範を「変えることができる/変えるべきである」との自覚を前提にして、規範が不断にモニタリングされ、修正や調整がほどこされるのが、近代社会である。リスクは、再帰的近代に至らなければ、ここかしこに見出されるような状態にはならない。(p. 129-130)

リスク社会は、社会システムが、マクロなレベルでも、ミクロなレベルでも、人間の選択の所産であることが自覚されている段階に登場する。システムの再帰性の水準が上昇し、システムにとって与件と見なされるべき条件が極小化してきた段階の社会である。このとき、ときに皮肉な結果に立ち合うことになる。リスクの低減や除去をめざした決定や選択そのものが、リスクの原因となるのだ。たとえば、石油等の化石燃料の枯渇はリスクだが、それに対処しようとして原子力発電を導入した場合には、それが新たなリスクになるのである。あるいは、テロへの対抗策として導入された、徹底したセキュリティの確保は、それ自体、新たなリスクである。このように、リスク自体が自己準拠的にもたらされるのである。(p. 131-132)

リスクをめぐる科学的な見解は、「通説」へと収束していかない――いく傾向すら見せないからである。たとえば、地球が本当に温暖化するのか、どの程度の期間に何度くらい温暖化するのか、われわれは通説を知らない。あるいは、人間の生殖系列の遺伝子への操作が、大きな便益をもたらすのか、それとも「人間の終焉」にまで至る破局に連なるのか、いかなる科学的な予想も確定的ではない。学者たちの時間をかけた討論は、通説への収束の兆しを見せるどころか、まったく逆である。時間をかけて討論をすればするほど、見解はむしろ発散していくのだ。(……)知から実践的な選択への移行は、あからさまな飛躍によってしか成し遂げられないのだ。(p. 135)

 これら〔市場経済における自由意志による選択・決定など〕の例では、すべて、あるタイプの「第三者の審級」(見えざる手、理性、予定説の神)が前提にされている。その第三者の審級の「本質」に関しては、不確実で、原理的に未知であり、それゆえ空虚である。何を意志しているのかということに関して、あらかじめ知ることはできない。だが、その第三者の審級の「実存」に関しては、確実であり、充実している。予定説の神は、何を考えているのかはわからないが、確実に存在しているのだ。(p. 138)

リスク社会化とは、「本質に関しては不確実だが、実存に関しては確実である」と言えるような第三者の審級を喪失することなのである。第三者の審級が、本質においてのみならず、実存に関して空虚化したとき、リスク社会はやって来る。(p. 139)

リスク社会においては、一旦は撤退した第三者の審級が、言わば裏口から――独特の変形を伴って――回帰する可能性があるのだ。自由であること自体への命令が帰属する他者として、第三者の審級が再生するのである。カフカの主人公たちは、ただ生きている。つまり、何かを選択してしまっている。このとき、彼らは、知らない内に罪を犯してしまっているかもしれない。気づかぬうちに有罪かもしれない、という感覚にさいなまれる。だが、誰に対する罪なのか? 罪の感覚は、「それ」を罪として判定する超越的な他者の視線を前提にせざるをえない。つまり、自由が規範化されたとき、第三者の審級が再措定されているのである。(p. 147)

彼ら〔ビル・ゲイツやホリエモン〕は、われわれとよく似た俗っぽい欲望にまみれた、欠点の多い人物として、自己を提示している。そして、この事実は、彼らのカリスマ性に対して逆接しているのではなく、むしろ順接しているのだ。一般には超越性を浸食するような事実によってこそ、彼らの超越性は維持されている。このような、逆説的な第三者の審級の、日本における最もあからさまな例は、「俗物」と揶揄された麻原彰晃であろう。

裏口から回帰する第三者の審級は、インターネットの世界にも棲息している。先に、グーグルに言及しながら、ネット自身についての知的判断を、民主的自己決定的に導き出す、と述べておいた。しかし、やがて、「民主的」とされるそうした集計結果が、ネットそのものの現実とは自立した、「ネットの意志」と見なされ、ネットの世界に神のように君臨するようなる。(p. 148-149)

われわれは、監視されていることを恐れ、そのことに不安を覚えているのではなく、逆に、他者に――われわれを常時監視しうる「超越的」ともいうべき他者に――まなざされていることを密かに欲望しており、むしろ、そのような他者のまなざしがどこにもないかもしれないということにこそ不安を覚えて覚えているのではないだろうか。私生活をただ映すだけのサイトや、「ブログ」のような私的な日記を公開するサイトが流行る理由も、こうした欲望や不安を前提にしないと説明できまい。あるいは、若者が、ケータイへの着信やメールを待ち焦がれるのは、自らがだれかのまなざしと配慮の下にあることを確認し、安心するためであろう。(p. 151)

 伝統的には、一方で、主体の側に、欲望や快楽への衝動があり、他方で、そうした欲望や快楽の直接の発露としての自由を抑制したり、制限したりする、権力の側の監視がある、こういう構図で、われわれは考えてきた。しかし、ここまで述べてきたように、私生活における自由な行為が、(超越的な)他者のまなざしを織り込み済みの前提としており、さらに、そうしたまなざしは、自由であること、自由に欲望したり快楽したりすることを要求し、命令してさえいるのだ。この(超越的な)他者こそ、先に述べた、「裏口から回帰した第三者の審級」であろう。(p. 152)

 フーコーのパノプティコンの監視者は、まだ予定説の神と同じである。彼は何を禁止しているのかははっきりしないが、その存在(の確実性)によって、実質的には(何かの)禁止として機能する。そして、人を、規律訓練し、従順な主体へと成形する。このとき、監視は、まだ自由への制限として機能している。だが、この後にやってくる、もうひとつのタイプの第三者の審級がある。それは、自由を触発し、強制する。だが、まさにそのことでかえって、自由は萎えるのである。(p. 153)


V
 不可能性の時代

ここまでの考察が含意していることは、虚構の時代は、まったく相反する方向に分かれている二つの傾向の間で分裂し、解消されているように見える、ということである。一歩では、準拠点の「反」現実度が次第に高まっていくという、戦後史のこれまでの傾向に反するかのように、「現実」への回帰、「現実の中の現実」への回帰が見られる。他方では、虚構の時代に胚胎していた傾向が限度を越えて強化され、現実に現実らしさをあたえる暴力性・危険性を徹底的に抜きとり、現実の相対的な虚構化を推し進めるような力学が強烈に作用している。現実への回帰と虚構への耽溺という二種類のベクトルの中で、虚構の時代は引き裂かれることで、消え去ってきた。次章で詳しく論じるように、思想的には、前者が原理主義、後者がルベラルな多文化主義に、それぞれ対応しているだろう。

(……)ただちに気づくことは、両者はまったく正反対をむいており、あまりにも完全にバランスを取っている、ということである。このことは、逆に、これら二つが、同じことの二側面ではないか、と考えさせるものがある。実は、ここまでの考察の中で、すでに、こうした説明を示唆する事実の一つである。あるいは、虚構の世界に耽溺していたオウム教壇が、ハルマゲドンという「現実」へと逃避しようとしたという事実もまた、こうした説明を支持しているように見える。(p. 156-157)

 この映画〔『パッション』(メル・ギブソン監督、二〇〇四年)〕の成功は、一説によれば、ムスリムの自爆テロと無関係ではない。つまり、キリスト教的な伝統の中にある西洋人の、自爆テロリストに対する負い目が、この映画の成功を支えているというのである。「やつらに本物の殉教を見せつけてやれ」、というわけである。そうであるとすれば、現代社会における、「現実」への逃避の究極の形態こそ、ニューヨークのWTCビルに突入していった、飛行機だということになる。あの塔の崩壊を、二〇世紀芸術の到達点と見なした。作曲家、カールハインツ・シュトックハウゼンの挑発的な言葉にも、一理あったということになるだろう。(p. 158)

 (……)虚構の時代の後に、現実を秩序づける準拠点となっているのは、この認識と実践から逃れゆく「不可能なもの」である。すなわち、現代の現実を秩序づけている反現実は、直接には見えていない「不可能性」である。「理想→虚構→不可能性」という順で、規準的な反現実の反現実性の度合は、さらに高まっているのである。われわれが今、その入口にいる時代は、「不可能の時代」と呼ぶのが適切だ。
しかし、それにしても――と人は問うだろう――、その不可能なものXとは、なになのか? (p. 166-167)

 多文化主義的な状況で、第三者の審級は、どこにいるのだろうか。公式には、その状況を全体として統括するような第三者の審級は存在しないはずだ。すべての規範、すべての文化が対等に共存しているのであれば、それらを全体として通訳するような普遍的正義を体現する第三者の審級は、存在してはならないからだ。とはいえ、これは、言ってみれば、表向きの“公式見解”である。実際には、諸規範・諸文化が葛藤を孕まずに共存しうる可能性を保証する第三者の審級の存在が、隠された前提になっているのだ。(p. 167-168)

二〇〇三年一一月一日未明、大阪河内長野市で、一八歳の大学生少年、家族を包丁で刺した。母親は死亡し、父と弟も重傷を負った。少年は、幼馴染の一六歳の少女と交際中であった。少女も、自らの家族の殺害を計画していた。二人は、それぞれの家族を殺害した後に、しばらく二人で暮らし、その後、心中するつもりだったらしい。
この事件の最大の謎は、二人はなぜ家族を殺そうとしたのか、ということである。彼らがそれぞれの両親に対して深い憎しみを抱いていた、という痕跡はない。実際、弁護士によれば、少女は、事件後、少女と両親の「確執」を詮索するマスコミの報道を知って、失笑したという。両親たちが、少年や少女の恨みをかうようなことを行っていたわけでもない。そして、双方の両親は、二人の交際に反対してはいなかった。家族を敢えて殺さなくてはならない理由は、どこにも見当たらない。(p. 169)

 戦後史のスパンで捉えた場合に、青少年による犯罪は、この時期にとくに増えているわけではない。法務省の『犯罪白書』によれば、一九六〇年前後の方が、九〇年代よりも少年犯罪の件数は多い。少年の凶悪犯罪(強盗、殺人)の数は、一九六〇年前後をピークに、激減している。が、しかし、本節の冒頭に掲げた河内長野市の事件のような不可解な犯罪は、九〇年頃より、突如、登場し、その後、毎年のように繰り返されるようになった。こうした犯罪があまりにも注目されたため、九〇年代に少年犯罪が急増したとの錯覚が蔓延したが、注目すべきは、反罪数の変化ではなく、そうした錯覚を誘発するほどに人々を驚かせた、犯罪の質の変化である。
この種の「不可解な犯罪」を調べてみると、そこでは、しばしば、家族関係の徹底した否定――ほとんど排除と呼んでもよいような強い否定――が、潜在的な主題として随伴していることがわかる。(p. 170-171)

 一九九〇年代以降の犯罪の中で、最も規模が大きかったもの、オウム真理教事件の場合に関しても、家族関係を否定し、排除しようとする強い指向性を抽出することができる。もとより、教団と(信者の)家族の間の葛藤は、ありふれたことである。だが、オウム真理教の場合、こうした一般的な事実に解消されない過剰がある。そのことは、「イエスの箱船」のリーダー千石剛賢が、オウム信者に向けて言い放った、ほとんど呪詛にも近い激しい非難の言葉が暗示している。
(……)イエスの箱船は、たしかに、家族との関係に不遇感を覚えている若い男女を集めはしたが、自ら自身が、真のあるべき家族たらんとしていたからだ。つまり、彼らの「現実の家族」の拒否や否定は、「理想の家族」への強い肯定に、「理想の家族」への希求にこそ支えられていたのだ。(p. 172-173)

(……)誰にとっても、家族は――選びようのない――必然として体験されるのだ。ところが、しかし、二〇世紀末期以降の、先に見たような若者たちの奇妙な犯罪が示しているのは、家族関係の「偶有化」とでも呼ぶべき感覚である。偶有性とは。「他でもありえた」ということであり、必然性と不可能性の双方の否定によって定義できる様相だ。(p. 177)

 本来最も自然なものとして受容されるべき家族の内的な関係を偶有化してしてしまう別の関係、それは何か? 今や、答えの見通しをえた。それは、他身体が自身体に参入してくるかのように感受される、極限的に直接的なコミュニケーションではないだろうか。客観的に捉えれば、これは、身体の共振・共鳴の関係であって、実際に、ごく初期の母子の間身体的な関係は、まさにこうしたものだろう。だが、その後の親子関係に堆積は、こうした関係を背後に覆い隠し、また排除しもするはずだ。従って、極限的に直接的な関係を、本来的なものとする視座からすれば、家族内の関係すらも、日本来的だ偶有的なものとして現れることになるに違いない。
「前世名」を雑誌に公開する若者は、地上のどこかに散らばっている「前世」の未知の仲間が、物理的な距離を超えて――まるでテレパシーのような仕方で――彼(彼女)の「前世名」に感応してくれることを期待している。彼らは、幻想の前世の関係に、極限的に直接的にコミュニケーションを投射しているのである。(p. 180-181)

 ここで想起されるのが、この国で、二〇〇三年頃よりしばしば起こる、いわゆる「ネット心中」である。互いに見ず知らずの若者たちが、インターネットを通じて呼びかけあい、一緒に自殺するのだ。自殺に至った背景や理由に冠して、自殺者たちが互いに何かを共有しているわけではない。従来、心中は、結束の固い家族が行うものだった。言い換えれば、ネット心中は、家族による心中を代替するものとして登場してきたことになる。ネット上の呼びかけに――まさに説明されるべき理由もなしに――呼応してきたという事実が、彼らの間に、家族以上に本来的で原初的な関係が成立していたことの証左になっているのではないか。無論、客観的には、だれかがネット上の呼びかけに応じたということこそ、偶然的・偶有的な事実である。ここでは、純粋な偶然性が、当人たちの感覚では、逆のものとして、つまり家族のつながりを越える強い必然性として現れていることになる。(p. 185)

 われわれは、今や、〈不可能性〉とは何か、不可能な〈現実X〉とは何かを、推定しうるところにきた。〈不可能性〉とは、〈他者〉のことではないか。人は、〈他者〉を求めている。と同時に、〈他者〉と関係することができず、〈他者〉を恐れてもいる。求められると同時に、忌避もされているこの〈他者〉こそ、〈不可能性〉の本態ではないだろうか。
われわれは、さまざまな「××抜きの××」の例を見ておいた。カフェイン抜きのコーヒーや、ノンアルコールのビールなど。「××」の現実性を担保している、暴力的な本質を抜き去った。「××」の超虚構化の産物である。こうした「××抜きの××」の原型は、〈他者〉抜きの〈他者〉、他者性なしの〈他者〉ということになるのではあるまいか。(たしゃ)が欲しい、ただし〈他者〉ではない限りで、というわけである。
実際、〈他者〉との直接の関係を求め、〈他者〉がわたしのブログや日記サイトに接続してくることを求めているが、しかし、そのような〈他者〉は、一歩間違えれば、恐ろしいストーカーである。〈他者〉に愛されたいが、しかし、その愛とハラスメントとは紙一重である。
〈他者〉抜きの〈他者〉と出会おうとすれば、こうした矛盾した要求を純化していけば、どうなるのか? その論理的な帰結は、いうまでもない。「引きこもり」である。(p. 192-193)

資本主義社会を特徴づける要素的な相互行為は、言うまでもなく、(商品)交換である。交換と対立する相互行為は、贈与または収奪だ。贈与は(あるいはその反面としての収奪は)、垂直的な関係を基礎づける。たとえば、気前のよい贈与者は、尊敬され、受け手の彼に対する負債感をばねにして、超越的な位格を獲得することができる。それに対して、交換は、関係を水平化し、だれかが特権的・超越的な位置に立つことを許さない。交換が支配的な関係として、社会システムの内部に波及すればするほど、第三者の審級の存立は困難なものになっていくだろう。(p. 208)

(……)われわれの社会は、今、終わりということへの感覚を、鈍化させてきている。一九九〇年代の初頭に、「歴史の終わり」ということが言われたことがあるが、そのとき以降に終わったこと――終わり始めたこと――は、まさに「終わり」への感覚だったのかもしれない。終わりの感覚が終わったときに、何が困るのか? 偶有性への思い(他でもよかったのではないか、他でもありえたのではないか)がいつまでも解消されず、現実を「必然(これしかないこと)」として引き受けることができなくなるのだ。

こうした傾向に抗して、「終わり」を徴づける感覚を取り戻そうとすれば、どうなるのか?第三者の審級が摩耗していく(相対化されていく)傾向に対抗して、あえて第三者の審級を再構築しようとすれば、どのようなことがなされるだろうか? 「終わり」ということを真に徹底したものにすること、要するに、全的な破局をもたらすこと、これが解答である。なぜか? 第三者の審級が相対化されてしまうのは、それが、何ごとかを「善」として、あるいは「理想」として措定し、肯定しているからである。どのような積極的な善や理想も、より包括的な枠組みの中では、相対化されてしまう。だが、一切の肯定的な善をも措定せず、すべてを否定したとすれば、これを相対化することはできない。このとき、この破壊の力の担い手として、徹底した否定の作用の帰属点として、超越的な第三者の審級が回帰してくるだろう。まさに、すべてが破壊され、すべてが否定されるがゆえに、かえって、何かが、超越的な何かが残るのである。(p. 211-212)




VI
 政治的思想空間の現在

「現実」から逃避するのではなく、「現実」へと逃避する者たちがいる。現代社会を特徴づけているのは、伝統的な前者(「からの逃避」)ではなくて、後者(「への逃避」)である。このように論じてきた。この場合、「現実」というのは、日常のそれではない。それは、現実の中の現実ともいうべきもの、つまり激しく、ときには破壊的でもある現実である。現代の大衆文化の中では、このような破壊的な「現実」への嗜好や期待が、広く共有されている。そのような嗜好の最も分かり易い形態が、「世界最終戦争(ハルマゲドン)」をめぐる幻想である。(p. 218)

今日の実効的に影響力のある政治思想を、「物語る権利」と「真理への執着」の鋭い対照として要約しておくことができるだろう。「物語る権利」を擁護するのは、典型的には、多文化主義である。「真理への執着」として現象しているのは、たとえば、原理主義だ。多文化主義の出現は、今日において、無条件に普遍的と見なしうる正義や真理は存在しえない、という断念の上に立っている。(……)各自のアイデンティティの根幹を規定するような個別の物語を、互いに蹂躙することのないように尊重すべきだとするのが、多文化主義である。多文化主義の見地から捉えると、特定の法や規範の普遍性に執着する原理主義は、時代遅れの反動のように見える。(……)原理主義は、多文化主義の全的な否定だ。(p. 221)

 理論的には、多文化主義の優位は動かしがたいように思える。「先進国」の多くの知識人は、そう認めるだろう。だが、ここで、一瞬立ち止まる必要がある。原理主義の「真理への執着」は、あの「現実」への衝動と、指向を共有していないだろうか。少なくとも、「現実」への逃避は、物語=虚構からの逃避、つまり多文化主義が「真理」の代わりに置いた多様な物語からの逃避である。それは、物語への――それぞれが抱懐する世界がただの虚構であることへの――根本的な欲求不満の表現だ。前衛的な哲学や思想においてすら、「現実」への衝動が支配的であったことを思うならば、多文化主義の優位は、一見そう思えるほどには自明ではない。(p. 221-222)

(……)具体的な例を少しばかり思い起こすだけで、多文化主義がそれほど結構なものか、疑問が湧いてくる。たとえば、二〇〇〇年に、味の素が、インドネシアでイスラム教徒の激しい抗議を受け、二〇〇一年には、今度は、マクドナルドが、インドでヒンドゥ教徒に非難された。前者は、味の素の製造過程で豚の成分を使い、後者は、ポテトチップスを牛脂で揚げていたからだ。味の素もマクドナルドも、それぞれ問題の成分を使わないことを約束したので、今では両教徒ともに、安心して、味の素を使ったり、チップスを食べたりしている。これぞまさしく、多文化主義的配慮とも言うべきものだが、これらの例が教えてくれるのは、多文化主義がグローバル資本主義にきわめて適合的な主張だということだ。ラディカルな左翼に好まれる多文化主義は、資本主義の今日的な発展の関数かもしれないのだ。(p. 224-225)

岡本裕一郎は、だから、今日のネオリベラルは「反転したリバタリアン」だとする。実際、マイケル・サンデル等コミュニタリアンも、レーガン以来のネオリベラリズムに対して、あからさまに歓迎の意を表している。
ならば。こう問わざるをえない。リバタリアンが、その反対物に短絡していってしまうのはなぜなのか、と。サラに、われわれはここで、三幅対の中で、「真理への執着」(原理主義)が、コミュニタリアンと同じ側に配されていたことに留意すべきだ。実際、原理主義者によるテロに対抗したアメリカの行動が、それ自体、宗教的な原理主義を連想させるものではなかったか。アメリカがアフガニスタン攻撃に際してかかげたスローガン「無限の正義」には、「真理への執着」が表明されていないか。フセイン政権が世俗的な政権であったことを思うと、イラクとアメリカの戦争においては、宗教的な原理主義者はどちらか、と問いたくならなかっただろうか。だが、立ち止まって考えてみよう。もともと、「物語る権利」を称揚する多文化主義は、とりわけ、アメリカにおいて流行した思想であった(今でもそうである)。その同じアメリカでこそ、今度は、「真理への執着」が表明されるのだ。とすれば、激しく対立しているはずの両極を直結させる、見えないルートがあるのではないか。本来、「真理への執着」を拒否して提起されたのが「物語る権利」だったことを思えば、この短絡は、思想的な自己破壊を含意していることになる。(p. 228-229)

(……)今日、西洋の多文化主義者が、イスラムに結びつけている不寛容さこそ、本来は、西欧キリスト教の特徴であり、逆に、今日では西洋が誇る文化的多様性や宗教的寛容は、イスラム帝国の中に見出されたのである。それならば、イスラム世界で、原理主義的なものが、いつ、いかにして孕まれたのか。結局、それは、西洋近代が導入されたときであったと見なすほかない。実際、二〇世紀に入ってから、イスラム世界で起きた、悲惨な民族虐殺――たとえばトルコでのアルバニア人虐殺やクルド人弾圧、またイラクでのクルド人虐殺等――は、すべて伝統的なイスラム政権によるものではなく、西洋風の国民国家をめざすナショナリストによるものである。
そうだとすれば、われわれは、イスラム世界の原理主義に、西洋近代の反対物ではなく、西洋近代の真実の姿を見るべきではないか。(p. 229-230)

(……)信仰も、言わば外部委託されているのだ。アイロニカルに没入するためには、どこかに、信じている他者が存在していなければならない、と述べた。どこにいるのか。第三世界の原理主義者のところに、である。このことによって、「先進国」の多文化主義者は、「自分たちは決して狂信的な信仰をもってはいない」と主張することができる。このような形式で、多文化主義と原理主義、「物語る権利」と「真理への執着」は依存関係にある。
さらに付け加えておけば、「信じている他者」を、第三世界に想定する必要は必ずしもない。(……)第三世界の原理主義者が「信用」できないとなれば、先進国で引き受けるしかない。抗して、「物語る権利」と「真理への執着」が、国内に共存することもある。(p. 234-235)

(……)第二次大戦中、ナチスのユダヤ人強制収容所には、隠語で「ムーゼルマン」と呼ばれた人たちがいた。ムーゼルマンとは、収容所のあまりに過酷な環境の中で、人間性の零度にまで到達してしまったユダヤ人たちのことである。気力も体力も完全に失い、一切の人間的な反応を示さなくなった――それどころか動物的な反応すらも見せなくなった――、文字どおりに「生ける屍」の状態を呈するユダヤ人が、ムーゼルマンである。(p. 239)

 ムーゼルマンについて論じた著書の中で、ジョルジュ・アガンベンは、次のような重要なことを述べている。すなわち、ムーゼルマンのような「人間の破局」を前にしたとき、倫理は、停止してしまうのだ、と(アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』)。なぜか。ムーゼルマンを前にして、なお倫理的な威厳を保ち、通常の倫理の諸ルールを守って、上品に振る舞う人を、想像してみれば理由はわかる。この「上品な人」の振る舞い以上に下劣なことはないだろう。つまりアガンベンが述べていることは、ムーゼルマンの前で倫理的であることは、究極の反倫理に転じてしまうということだ。(p. 239-240)

今、破局の否定性を強調することによって、その反作用として、崇高性や超越性の次元が表現されうる、と述べてきた。しかし、そうした逆説が作用するのは、そこでの「破局」が、ムーゼルマンのような、人間性の零度にまで落ちた真の〈破局〉ではなかったからだ。(p. 240)

 こうした考察が含意していること、それは、現在の「破局」の強調は、真の〈破局〉の可能性から眼をそむける方法として機能していたということである。つまり、現代の政治思想は――物語る権利を擁護する多文化主義も真理に執着する原理主義も――、共通の回避の上に成り立っているのだ。〈破局〉が、積極的に認識し、追体験することが決してできない〈不可能なこと〉になっているのである。真の〈破局〉を〈不可能なこと〉として排除することを通して、政治思想の対立のための地平が構築されていたのだ。それならば、〈破局〉を視野にしっかりと収めたとき、われわれは何を、どのような教訓を得ることができるのだろうか。(p. 240-241)

アガンベンは、ムーゼルマンを「証言の不可能性」という問題と結びつけている。ナチスの収容所の現実について証言することができるのは、まさにその恐怖に立ち合い、生き残ったムーゼルマンだけだが、しかし、まさにそれがゆえに――つまり彼が目撃した恐怖のあまりの大きさのゆえに――、彼は何ごとも語ることができない。
ここにわれわれが付加すべきことは、この証言の不可能性はもうひとつの不可能性と対になっているということだ。(その証言を)聴くことの不可能性である。証言を受け取り、証言されたことがらがそこから捉えたときに肯定的な意味をもつような、そんな他者を想定することができないのだ。(……)収容所の体験は、ユダヤ人にとって、あまりにも無意味で、〔マックス・ヴェーバーがそう呼んだ苦難の〕神議論への回収を許さない。神に取ってすら、収容所の苦難は合理性を欠いている。結局、証言の不可能性は、それを承認する超越的な他者――第三者の審級――の不在と対応しているのだ。(p. 243-244)

われわれは、不定の〈他者〉によって見られている(かもしれない)という原初的な感覚をもっている。「監視」という形式で、〈他者〉を具体化・物質化したときの失われるのは、〈他者〉のこのような本来的な不定性である。余すことなく張り巡らされた監視のネットワークがわれわれから奪うのは、監視カメラの物質的な現前には解消されない、〈他者〉の余剰性なのだ。監視社会が浸食し、奪い取っているのは、〈他者〉から離れた孤立した時空間ではなく、逆に、〈他者〉とのある種の関係性の法である。(p. 251)

第三者の審級への関係を優先させることで、親密な特殊な〈他者〉たちを無視し、相対化することが可能になる。第三者の審級を媒介にしてもたらされることで、正義には「普遍性」が宿ることになるのだ。固有な意味での「普遍性」は、ここに登場する。(p. 260)

(……)愛する対象が、「憎悪」にも連なりうる特異的な欠点や歪みを有するのはなぜなのか? 愛において志向されていること、真に愛されていることが、その特異な性質の直接的・積極的な現象形態に回収しえない過剰性だからである。愛されているのは、他者の内にあって、何ものとしても積極的には特徴づけられない「それ以上の何か」なのだ。特異的な性質は、その「それ以上の何か」の代理物に過ぎない。それは、「それ以上の何か」との対照において「不足しているもの」として、つまりは否定性を帯びて現前することになるわけだ。言い換えれば、その特異的な性質は、否定性(欠点であること)を通じて、「それ以上の何か」を暗示することができるのである。(p. 262)

(……)〈私〉は「触れられること(求心化作用)」において「触れられていること(遠心化作用)」を直感するし、「まなざすこと」において「まなざされていること」を直感するが、〈私〉がまさに、〈私〉へと差し向けられたそれらの「触れたり、まなざしたりする能動性」そのものを捉えようと探索すれば、それらは、たちまち、〈私〉の触覚や視覚の単なる対象へと転じてしまう。このように〈私〉への現れから逃れていくもの、それこそが〈他者〉――他者としての他者――である。他者の他者性は、だから、「現れる性質に解消できない」ということにこそある。(p. 263-264)

憎悪と完全に合致した愛こそが、つまり裏切りを孕んだ愛こそが、われわれが求めていた普遍的な連帯を導く可能性を有しているのではないか。ところで、これこそ真の無神論であろう。正義を基礎づける「超越的な第三者の審級=神」が与えられている中で、その神への愛を神への裏切り――神の存在の否定――と等値することが重要だからだ。(p. 264)


結 拡がりゆく民主主義

(……)「現実」への逃避へと人を駆り立てる閉塞からの解放の鍵は、もうひとつの暴力に、「純粋暴力」と呼ばれてもいる神的暴力に求められなくてはならない。ベンヤミンは、神的暴力について、「法を否定するrechtsvernichtend暴力」であると言っている。すなわち、これは、法や規範という形式で、われわれの行為と体験の領域を限定することから、われわれを一般的に解放する暴力だというわけである。(p. 269)

市野川〔容孝〕は、「暴力批判論」を精密の読解しつつ、当時のドイツの社会状況を参照し、神的暴力とは、要するに、ローザ・ルクセンブルクのことだった、と断定しているのだ。議会制民主主義を基本的には肯定しつつ、その不完全性を、プロレタリアートの革命的な運動によって克服しようとしたルクセンブルクの試みこそは、神的暴力(の一例)だというのである(市野川『社会』)。(p. 270)

要するに、神的暴力とは、その形容詞とはまったくまったく逆のことを、つまり神(第三者の審級)の不在やその無力をこそ含意する行動である。従って、神的暴力は、純粋な無神論のもとにある暴力である。われわれは、第VI章で、『物語る権利』と『真理への執着』の間の相互依存的な対立の閉鎖からの出口は、真の無神論であると結論した。神的暴力こそ、まさに、その無神論に対応する実践の形態であることと解することができるだろう。また、神的暴力と法措定暴力との相違は、この点にこそある。法措定暴力は、法とともに、法に妥当性を与える第三者の審級(神)を措定することになるからだ。(p. 271)

〔エドゥアルト・〕ベルンシュタインは、客観的な条件が揃う前に、権力奪取をめざして革命を起こしてしまい、失敗することを恐れている。それに対する、ルクセンブルクの反論は、こうである。革命の好機を待っていたら、それは永遠にやってこない。というのも、最初の革命の試みは、必然的に時期尚早だからである。ルクセンブルクの考えでは、プロレタリアートは時期尚早の試みの何度かの失敗を通じて、初めて成熟し、革命にふさわしい主体になることができるのだ。
(……)彼〔ベルンシュタイン〕は、神の「ゴーサイン」の前にフライングして、革命のスタートを切ってしまうのを恐れているのである。それに対して、ルクセンブルクの見解は、そのような神はどこにもいない、というものである。だから、プロレタリアートは、自らの責任で、革命の開始を決断しなくてはならない。これこそ、まさに神的暴力である。(p. 271-272)

(……)神的暴力という概念の政治的な含意は、何であろうか。それは、活動的で徹底した民主主義以外のなにものでもあるまい。統治される人民の意志のほかに、あるいはその外に、神(第三者の審級)の意志を想定することはできない、ということになるからだ。統治者と被治者の厳密な同一性によって定義できるような、活動的な民主主義こそ、神的暴力の理念の直接の具体化である。(p. 273)

もし、すべての個人の間に直接的で深い関係がなければ、活動的な民主主義は不可能だと言うことになれば、グローバルな社会の上にそれを構築することは絶望的である。しかし、今、小規模で民主的な共同体が分立しつつ、他方で、それらのどの共同体にも、外へと繋がる、外の異なる共同体(のメンバー)と繋がる、関係のルートをいくつかもっているとしよう。そうすれば、共同体の全体を覆う、強力な権力などなくても、何億、何十億もの人間の集合を、個人が直接に実感できる程度の関係の隔たりの中に収めることができるのだ。この直接の関係の上にこそ、述べてきたような活動的な民主主義を築き上げることができるのだとすれば、市民参加型でありつつ、なお広域へと拡がり行く民主主義は十分に可能だ、ということになるのではあるまいか。(p. 283-284)


                                      (2011/12/30)