藤助淵(牛越淵)というのも、どこかは判断が難しい。近辺で淵らしいのは発電所放水溝の下流である(Photo S、T、U)が、地図上の位置は、放水溝合流点か、その上流が相当しているように見える。確かに、合流点の本流側の上流にかつては淵ではなかったかと思わせるやや深い平瀬があった(Photo W)。
ただし、牛越橋の上から下流を写した2010年10月には、川底がいじられてだいぶ様子が変わってしまった。このような議論をするには、広瀬川が自前の力でそれ自体にふさわしい形に戻るまで、もう5~10年ほどの時間を要するかも知れない。その間にまた川底をいじられてしまえばどうにもならないが。
最近は人間が川の様子を変えてしまうので、淵や瀬にまつわる伝説、言い伝えを郷土史家や教育関係者が一生懸命調べ、まとめ上げても、いったいどこの話か、戸惑ってしまうことになりかねないのである。少なくとも、2009年にはPhoto S、T、U の場所は、淵と呼んでも差し支えない場所である。ところが、その場所も含めて、2010年には、藤助淵の面影は完全に消えてしまっている。
Photo S (2009/7/16) 左岸下流から見る本流と発電所放水口の出会い付近。
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Photo T (2009/5/28) 右岸下流から見る本流と発電所放水口の出会いと牛越橋。
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Photo U (2009/5/28) Photo Tと同地点から下流を見る。
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発電所放水溝の合流点の上流は、当然のことながら流量は少なくなる。それでもかつては、大石の平瀬が牛越橋直下まで続いていたのである。ヤマメにもアユにもとても良い場所に見えていたのだが、じつのところ私自身は余りよい思いをしたことはない。魚は、どうしても下流の大きい場所の方に寄るのではないかと思う。
今は、小石底の浅瀬になってしまった。澱橋の下流、胡桃淵の頭は工事のために小石底になって、2010年の秋はサケの良い産卵場になっていたが、ここにもまたサケが産卵に集まり、牛越橋の上からよく観察できて、楽しんだ市民が結構いたはずである。 |
Photo V (2009/5/28) 牛越橋のやや下から下流の本流を見る。
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Photo W (2009/5/28) Photo Vと同地点の右岸。深みがあって、藤助淵の名残か。
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Photo X (2009/5/28) Photo Vと同地点から、牛越橋の下から上流を覗く。
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牛越橋は、仙台城築城の際、石垣用の石を運ぶために橋を架け、この橋を牛に引かせて渡ったところから、その名が付いたそうである [10]。
釣れぬ日の魚籠に摘みため土筆籠 鷹羽狩行 [11]
- 「100年前の仙台を歩く---『仙台地図さんぽ』」(せんだい120アニバーサリー委員会 2009年)。
- 「昭和24年版 復刻 JTB仙台市街圖」(風の時編集部 2008年)。
- 萩原朔太郎「純情小曲集・氷島・散文詩」(新潮文庫 昭和30年) p. 45。
- 「道浦母都子全歌集」(河出書房新社 2005年) p. 116。
- 「季題別 山口誓子全句集」(本阿弥書店 1998年) p. 18。
- 「定本 安部みどり女句集」(駒草発行所 昭和41年)p. 32。
- 仙台市「広瀬川自然植物園ガイドブック」(仙台市健康都市建設推進事務局 昭和58年) p. 9。
- [吉原幸子詩集 オンディーヌ」(思潮社 1974年) p. 59。
- 「日本の古典 別巻2 古典詞華集二」(小学館 昭和63年) p. 122。
- 仙台市「広瀬川自然植物園ガイドブック」(仙台市健康都市建設推進事務局 昭和58年) p. 9。
- 鷹羽狩行「句集 十二紅」(富士見書房 平成10年) p. 88。
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