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〔水行・広瀬川 7〕 澱橋から牛越橋 |
![]() 澱み橋上から上流、松淵の方向を眺める。 (2010/10/18) |
さて、ここで問題。「広瀬川を詠んだ島崎藤村の詩ならびに土井晩翠の詩と上記の萩原朔太郎の詩を比較して、日本における近代詩から現代詩への時代的変容を示す文学的表現の差異を論ぜよ。」 これらの三編だけでも時代に応じた差異がそれなりに見られるのは面白い。
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澱橋の上下は、一つの大きな淵である。淵尻は良い瀬肩と続いている。橋上の淵の上部は、トップ写真に見るように鏡のようになっているが、岩盤と石が入っていて、時としてよいアユ釣り場となる。ただし、右岸寄りは高低差のある岩盤溝が複雑で、沖まで静かに泳がせてやるにはある程度の技術の高さも必要だろう。
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Photo A (2009/5/26) 上流右岸から澱橋を見る。 |
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Photo B (2009/5/26) Photo Aと同地点から上流、岩盤瀬を眺める。 |
MAPに示した淵名と位置は、大正元年発行の「仙台地図さんぽ」 [1] に記されているものである。澱橋のすぐ上には「澱瀬」という言語矛盾の甚だしい瀬があったそうである。少し位置が上流側にずれるが、強いて言えば、澱の淵(これは同義反復だが)への落ち込み付近(Photo A の手前の波立ち)と言えなくもない。問題は松淵の位置である。上流に新兵淵、観音淵と示しているが、最近これらの名称は使われていないようだ。松淵という名称がもっぱら使われていて、それはMAP上の新兵淵を指しているようである。
Photo C、D はMAPに「松淵」と記したあたりで、岩盤瀬である。立ち位置のあたりは、長い瀬の中では岩盤の溝が1番深いところで、これが淵の名残かもしれない。特に右岸側はずーっと岩盤なのだが、上も下も極端に浅い岩盤であることを考えれば、そうらしいのである。 柳が生えている左岸は、厳密には中州である。柳の林の向こう、河川敷公園の間に細い分流がある。左岸の藪岸に比べれば、右岸の崖沿いは、上の淵まで浅い岩盤の上を楽に川通しで歩ける。 ここも瀬が長すぎて、アユの入れ替わりが遅い場所である。私自身は解禁すぐに入ったことがないので確信はないが、解禁直後とか、出水の後の場所ではないだろうか。私はそう思うのだが、ここはいつでも入川者の多い場所である。 |
Photo E、F は瀬の最上流部である。右岸寄りは浅い岩盤で釣りの対象外である。釣り人が二人立っているように、左岸側に石が詰まっていて、そこが狙い場である。余計なことだが、私なら写真の立ち位置から左岸を釣る。そうすれば草付きのヘチも釣ることができる。
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Photo G (2009/5/26) 岩盤瀬の瀬肩。「新兵淵」の淵尻。 |
Photo H (2009/5/26) Photo Gと同じ場所から上流「新兵淵」を眺める。 |
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長い岩盤瀬の瀬肩に相当する場所は、浅く広い瀬である(Photo G)。さらにその上の広い淵尻(Photo H)は、土用過ぎの暑い盛りのアユの狙い場ではないかと、ずっと思ってきた。30年も前に何度か通ったが、良い結果は1度もなかったところである。小石と岩盤底で、似たような他の場所と較べても、いつも食(は)み跡が少ない。岩盤質が違うのかも知れない。アオダイショウの写真に見られるような化石を含む柔らかい岩盤が沖まで広がっているのかも知れない。
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Photo I、J は新兵淵(通称松淵?)への落ち込み付近である。この日はコロガシが三人いて、さらに後からもう一人が加わっていた。写真で見るとおり、アユ釣りには絶好の場所である。そのため、最近はここで友竿を出せたことがない。昔は良かったなどと言うのは意味がないけれども、これだけ張り付いているのだから現在も良いはずである。 観音淵は、「仙台33番観音札所の1番で修験の寺。仙台城内にあったものをものを政宗がこの地に移す。現在はお堂のみ。」 [7] と説明される観音堂がここの崖上の川内亀岡地区にあることに由来する。しかし現在では、広い平瀬、あるいは浅いトロ瀬となっていて、とても淵があったとは想像しにくい。古地図上の観音淵はもう少し下流に位置しているように記され、実際に観音堂は新兵淵に一番近いので、新兵淵と観音淵が合体して現在の大淵になったと想像できないこともない。
シーズン初めに、最初のオトリを手にするとき、その手が震えるという話をよく聞く。私もそうである。それに加えて、私は釣りの最後に、リザーブしたヤマメやアユを絞めるとき、後頭部から背中にかけて寒気のようなものが走るのである。殺すことが怖くて震える脆弱な神経のせいなのだ。情けないことだが、臆病なのである。ライオンがガゼルを捕まえるシーンなどもとても見ていられない。どうしたってライオンではない私は、ガゼルにわが身が重なるのである。羽仁進が嫌いになった理由である。
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Photo K (2009/5/26) 新兵淵の上の瀬。水あたりの強い |
Photo L (2009/5/26) Photo Kの上を同じ地点から。 |
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Photo M (2009/7/14) 新兵淵への瀬の上は広く |
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Photo N (2009/7/20) 下流右岸(Photo Mの左端付近)から |
新兵淵へは2段の瀬で落ち込む(Photo K、L)。下の瀬落ちは、前述のようにコロガシがよく張り付いているが、上の瀬落ちはヤマメ釣りがよくいる。2009年の春には、早朝に近くの堤防を散歩したときはいつもこの場所に同じ釣り人が立っていた。その背落ちの右岸、護岸寄りは深くて水が巻くところもあって、確かにヤマメには良さそうである。彼がさんざん釣った後で、竿を出してみたら2尾掛かったことがある。だいぶ溜まっているような感じであった。その釣り人は、アユの時期にはなぜか地下鉄東西線のピア付近にいつもいる人である。
さらにその上は、大石がごろごろ入っていて、流れも変化に富む絶好の瀬である。したがって、ここから三居沢発電所の放水溝までの間は、鮎釣り人が集中する(Photo P、Q)。上の写真の釣果は、その付近に私も含めて七人の友釣りが入っていたときのものである。みんなで分け合ってもこの程度は釣れるのである。ただ、短時間で止めてしまう私の釣り方では、一日中釣れ続くかどうかは定かではない。 |
発電所放水溝の下流は、大石と岩盤の淵があって Photo R のように泳がせが適している。底はかなり複雑になっていて、泳がせ釣りが楽しいところでもある。ここはもちろんヤマメの大場所でもある。釣りを見物に来た近所のおじさんによれば、アユのコロガシに尺ヤマメがよく掛かるということである(ヤマメ釣りのときの私には今のところ来てはいないけれども)。
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![]() 牛越橋上から下流を眺める (2010/10/21) 左岸の草木が切り払われ、川底も浅くなっている。右岸の白波は三居沢発電所の放流口。 世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる 読人知らず (古今和歌集) [9] |
藤助淵(牛越淵)というのも、どこかは判断が難しい。近辺で淵らしいのは発電所放水溝の下流である(Photo S、T、U)が、地図上の位置は、放水溝合流点か、その上流が相当しているように見える。確かに、合流点の本流側の上流にかつては淵ではなかったかと思わせるやや深い平瀬があった(Photo W)。
発電所放水溝の合流点の上流は、当然のことながら流量は少なくなる。それでもかつては、大石の平瀬が牛越橋直下まで続いていたのである。ヤマメにもアユにもとても良い場所に見えていたのだが、じつのところ私自身は余りよい思いをしたことはない。魚は、どうしても下流の大きい場所の方に寄るのではないかと思う。 |
牛越橋は、仙台城築城の際、石垣用の石を運ぶために橋を架け、この橋を牛に引かせて渡ったところから、その名が付いたそうである [10]。
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