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〔水行・広瀬川 4〕 霊屋橋から早坂淵 |
鮎釣りの岩にはさまり見ゆるかな 高浜虚子 [1] |
まず、地名の話である。霊屋橋の上下は大きな淵になっている。この淵を「源兵衛淵」とする場合がある [4]。しかし、明治45年発行の地図 [2] ではこの場所に「元三文渡」とある。「渡し」なのだから、一定の深さがある場所で、少なくとも瀬ではなかったろう。
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霊屋橋上流は、下流とは逆に左岸が崖になっている。 淵の上から、源兵衛淵、さらに馬の背淵にかけては、左岸が深さのある平瀬になっていて、いつ見ても好もしい感じがする。ただし、私にはヤマメはともかく、アユはいい記憶がないのである。20年ほど前、ある釣り雑誌に広瀬川・名取川の釣り場ガイドを書いたことがある。その中に評定河原橋近辺も含めたのだが、馬の背橋から下の説明は、微妙に誤魔化して触れなかった記憶がある。友人、知人たちの情報も込みで書いた原稿で、釣ったことのない場所も含まれていたのに、ここだけはなまじ入川の経験があり、かつ 自分では釣れなかったため「良く釣れる」などとは書けなかったのである。少なくとも、当時、釣友諸氏は良く釣れると言っていた場所である。その後、私は敬して遠ざかっていたので、現在の様子はわからない。ヤマメは面白い。
上の写真は、MAPで源兵衛淵としたあたりの左岸の崖に掛かっていた階段である。崖上の片平市民センターの川沿いに公園があり、その北端あたりから下ってくるようだが、以前は岩盤底が露出していたのであろうか。 釣りのためにわざわざコンクリート製の階段を造るとは考えられない。私はその用途を想像できないが、ここでも、川へのアプローチの手段が一つ消えていることはわかる。 |
馬の背淵は、いまやすてきな岩盤瀬という風情であるが、ここが淵であっただろうことは頷ける。かつて馬の背淵は、二つの流れの合流点にできた淵であった。いまは、カーブの上流左岸に堤防ができているが、下流から見たら崖沿いにまっすぐに伸びる流れがあったのである。MAPで言えば、花壇自動車学校の下流で別れた流れが東北大学運動場の西を流れ、評定河原球場の北をぐるりと回って、馬の背淵で合流していた。いまはないその流れは、その流れの形に残っている崖(河岸段丘)から良く想像できる。二つの流れの合流点には、しばしば淵が形成されるのである。 Photo F は、馬の背淵付近から上流、評定河原橋方向を写したものである。評定河原橋から眺めると、その季節には左岸側にずーっとアユの食みあとが見られるところである。 評定河原橋の上流側より変化は少ないが、好場所である。
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Photo F の辺を上流から眺めたのが、
Photo G である。柳の生えている左岸側の流れは平らに見えるが、底に変化はあって、下流の白泡が立っている浅瀬より、アユの付きはよいように思う。 |
Photo H の右手、左岸の堤防に階段があって(手前の大きな柳のところ)、その前は岩盤底である。この区間の初めてのヤマメ釣りのとき、その階段から入川して、川虫を捕ろうとして石がないので困った記憶がある。写真の左手に見えるように、右岸には小石が詰まっていて、川を渡ってしまえば川虫もいっぱいとれたのではあるが。
下のPhoto J は、上記の階段を降りたあたりから上流を見たものである。川中の大石は昔からあったものと同じ石だと思うが、確かではない。35年くらい前、「あの大石は、毎年少しずつ上流に移動しているんだ」という人がいて、アユ釣りの合間の昼食時、河原で話が盛り上がったことがある。
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「少しずつ転がるというのは、石が丸くないと無理だよね。もともと丸かったら、ちょっとした増水で下流へ転がっていってしまうさ。丸くもない石がまだそこにあるしね。」 鮎釣るや奔流に岩さかのぼる 秋本不死男 [10]
この大石の辺から評定河原橋への左岸側は、石もあり、岩盤底も変化があってヤマメもアユも楽しい場所である。ただし、下の Photo L のような浅い岩盤底の場合、アユやヤマメの付き場がごくごく限られていることがあって、広い場所の割りには釣果が伸びないことがあった。こういうところでは、通い慣れた人には敵わないのである。 釣友の一人がアユ釣りに目覚めた頃(30数年前)、釣り道具一切合切、この辺の左岸の河原に置きっぱなしで、ここに通い詰めたというのである。友釣りのハウツー本を片手に釣りをしたと笑っていた。広瀬川は友釣りの川ではなかったので、その頃友釣りを始めた人が良い先生に出会うのはそんなに簡単ではなかったのである。 また、その当時、ここにはテンバ名人がいて、アユを商売にしていたとのことであった。このあたりの石の詰まり具合い、岩盤の溝を知悉していて、たいそうな漁を誇っていたらしい。それでも、商売上約束した釣果に達しないときは、暗くなるまで竿を振るっていて、結局、無理がたたって若死にした、という話はその釣友に聞いたものである。
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大石あたりから元虚空蔵淵のある評定河原大露頭の中頃にかけて、川幅が広くなっているが、
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評定河原大露頭は、小型の猛禽類であるチョウゲンボウが繁殖する場所として昔から有名な場所である。上の写真を撮った日、大露頭の対岸、左岸の岸寄りを上っていくと、薮のなかに望遠鏡を据えた二人の探鳥家がいた。「チョウゲンボウですか」と声をかけると、何となく口ごもったあとに、「チョウゲンボウはもういない」という。それでは何を見てるのか、あらためて尋ねるとハヤブサだという。そして、それは内緒なのだという。 東北の山を歩いていると、ときどきそんな話に出会う。まず一つは、「この山にはクマゲラがいる」という人がいて、やはり内緒だという。40年近く前の話だが、クマゲラがいるか否かは、当時であっても、環境や開発行政の大問題になるのは決定的で、騒動を心配したものだろう。登山者が決して少ない山ではないので、本当にいるのであれば、いずれ明らかになるだろうと思っていたが、それっきりであった。 もう一つはイヌワシが生息しているという山があった。そこでは、山の斜面を悠然と滑空しながら下っていく大きな猛禽類を私も見ている。私がこれまで見た猛禽類では最大だったのは間違いないが、私の知識ではそれがイヌワシであるかどうかは判断できなかった。クマゲラの話と違って、そこはイヌワシが生息していても不思議な地域ではない。 チョウゲンボウとハヤブサの話はどうなっているのか、確認できていない。仮に、ハヤブサに変わってしまったとしても、秘密にしなければならない理由は私には分からない(ので書いてしまっている)。確かにハヤブサは希少野生動植物種(絶滅危惧II類(VU))に指定されているので、チョウゲンボウに較べて扱いは慎重であるべきだとは思うが、市内なので、むしろ公然化してみんなで観察、監視するほうが安全ではないかと考える。 元虚空蔵淵は、そんなに深くもないけれども、淵と言えば淵と言える風情は十分にある。ここは、南流してきた流れがその向きを北に変えるところで、当然のように変化が大きい場所である。大露頭の最上流部付近は1.5mくらいの深さのところがあり、その上流は荒瀬になっている。
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上の写真は、元虚空蔵淵への落ち込みのあたりをパノラマで写したものである。白泡や、大石の瀬、深い岩盤の溝など、釣人の気分がハイになる場所ではある。
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広瀬川がほぼ180゜、その流れの向きを変えるこの付近は、
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上の写真は、
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大きくカーブしたところから上流は、良い平瀬のように見えるが岩盤底である。岩盤底は、いろんな意味で難しい。流れがきつく、岩盤溝が流れに並行であれば、魚が定位するのが困難であることもある。また、広瀬川の岩盤は、場所によっては、非常に柔らかい場合があって、鮎がコケを食むような条件になっていないこともある。 早坂淵はこの辺では、最大の淵であろう。左岸は崖で、右岸もPhoto V に見るように柳などの大きな木がびっしりと生えているが、岸は深くて、ここだけは川通しで行けないのである。早坂淵の上流をホームにする私にとって、この早坂淵の存在は、ここから下流を遠くに感じさせるのである。川を歩くことも、楽しみの一つである私にとって、ここも川通しで歩ければ、どんなに良いだろうと思う。 この右岸の上にホームレスの人たちの集落(?)があって、一度、挨拶をしてそのあいだを抜けて早坂淵の下に降りたことがある。
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