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〔水行・広瀬川 3〕 縛り地蔵から霊屋橋 |
水にそうていちにちだまつてゆく |
2010年の春は異常だった。四月に大雪が降り、奥羽山地には遅くまで雪が残っていた。五月の山歩きでは、ほとんどの山頂で今まで見たこともないような残雪の量を、私としては少し楽しんだりはしたものの、雪代がいつまでも流れるのは、広瀬川のヤマメ釣りはもちろん、アユの遡上、生育への悪影響が心配されるほどであった。それでも、解禁前の調査では、広瀬川、名取川とも順調な生育でが確認されていた。
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この地区は。愛宕大橋~霊屋橋という区切り(MAPではそうしている)がすっきりするのだが、愛宕橋(愛宕大橋のすぐ下の橋)の下流にある愛宕堰のため、縛り地蔵付近まで大淀になっている。昔から漁協の遊漁規則にも「縛り地蔵より上流……」という地区切り表現にあるように、アユ釣りでは愛宕堰~縛り地蔵はほとんど対象とならない。昔は、この間に西光院淵や松源寺淵と呼ばれた淵があったらしい。瀬というほどのこともないが、Photo A には矢込瀬の名残の波立ちが見える。
Photo B の手前、足下に見られるように淵になる上は左岸は小石底、右岸は岩盤の浅い平瀬になっている。下流に大淵が控えているので、サイズはともかく、アユの数は多いに違いないと思える場所である。ヤマメは難しい。少なくとも、私にはどこを狙ったらよいのか、わからないのである。 |
上流にむかって右方向に緩やかにカーブするが、川底は浅い左岸の小石、右岸の浅い岩盤はしばらく続くが、岩盤底には次第に変化が現れてくる。Photo C に白く泡が立っているあたりは、岩盤底の変化による。群アユがよく見えるところでもある。
縛り地蔵から宮城県立工業高校の裏を経て霊屋橋のすぐ下まで、長い河川敷公園が造られている。明治時代にはもちろんこの公園はないのだが、広瀬川や仙台というとよく引き合いに出される文学者の一人である島崎藤村もこの辺を散策したのではないかと、つい想像してしまう。というのも、MAPにあるように、この辺は東北学院大学にもっとも近いので誤解しやすいのである。 「国分の嶺」がどこを指すのか、私にはわからない(国見という丘陵は仙台市西北部にあって、市内からよく見える)。それに、この詩句からは、藤村が名取の地や広瀬川をどのように感じていたのかはよくわからない。七五調で格調を重んじる近代詩の特徴ではある。残念ながら、藤村が広瀬川を散策したのかどうかも、この詩からは推量できない。
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とまれ、川の様子である。Photo D くらいまで上がると、少し深さを増してくる。写真には写っていないが、Photo D や E を写した地点の対岸(右岸)には深い岩盤溝があり、釣友の一人がよく通っているとのことであった。下流はやや浅い岩盤であるが、形状が複雑な溝があって、群アユが飛沫をあげてコケを食んでいるのが見えたりする。群アユの見釣りというのも、それなりに楽しいが、ややアユが小型になるのはやむを得ない。私もここでやってみたが、よく釣れることは釣れる。けれども、どうもすぐに飽きてしまうのである。 ゐるはゐるは小鮎ういもの石めぐり 臼田亜浪 [7]
Photo E のように、このあたりから右岸(写真の対岸)が深くなり始め、さらに川幅が狭くなって、アユ釣り場としてはいっそう好もしくなる。ヤマメも潜んでいそうな気配が濃くなる。写真で川が右にカーブして見えなくなるあたりから、さらに上流を写したのが Photo F である。
2010年7月8日の午後一時頃、縛り地蔵からこのあたりまでで、アユ釣りをしている人は一人だけだった(厳密には、釣り下りながら、それを見に行った私を含めれば二人だが)。その一人は、Photo B にちいさく写っている。小石底のチャラ瀬と浅い岩盤瀬の境界付近を静かに泳がせて釣っていた。縛り地蔵から Photo F の中頃までは、泳がせ釣りが必須のようである。 35年くらい前、私がアユ釣りを始めた頃、私の回りでは泳がせ釣りをする人は一人もいなかった。本やテレビ画像からその方法を想像しながら、一人で泳がせ釣りを始めたのだが、瀬で吹き流し仕掛で友釣りをするご老人たちからは、「そんなドブみたいなところにアユはいない」と馬鹿にされるのであった。つまり、トロ場は手つかずなのである。実によく釣れるのであった。この辺で泳がせ釣りをするのは私ばかりかと思っていたら、とんでもない。その当時、すでに泳がせ釣りの名手がいたのである。現在、テレビのレギュラー釣り番組を担当している池田正義さんとまもなく広瀬川で出会うことになる。そしていまや、誰でも泳がせ釣りをこなし、手つかずの穴場というものは壊滅したのである。 |
Photo F のカーブ付近を上流左岸から眺めたのが、Photo G である。ほぼ同じ地点から上流を見たのが、Photo H である。
霊屋橋下流では このあたりが、アユ釣りでもヤマメ釣りでも最適であろう。 誰が見てもそう見えるのだから、釣人も多いのである。ヤマメ釣りでもアユ釣りでも、最近の私はウイークデイに行くのだが、ここには釣人が居るのである。2010/7/8の朝には、Photo H の瀬に3人入っていた。写真は13:30ころ、帰る途中で写したものだが、一人だけが朝と同じ人で、二人は入れ替わっていた。 その日、とうとう私はこの瀬で竿を出すことはできなかったのである。
上の写真は、たまたまこの場所で出会った釣友のOさんの後ろ姿である。今は白泡のごく狭いポイントにおとりを誘導しているため、竿がやや寝ているが、彼は泳がせの名手である。かつては、霊屋橋の上流、評定河原橋付近をホームにしていたと思っていたのだが、最近はこの辺をホームにしているらしい。彼の行動も、最近の広瀬川の好釣り場がどこかを教えてくれる。 |
Photo H の立ち位置の背後は、霊屋橋の下の大きな淵である。この淵も含め、ここの釣り場は大きなふところを抱えた釣り場である。魚は多いはずである。右岸、崖側は岩盤底で、その形状の変化によっては、ヤマメやアユの付き場は必ずしも一様ではない。2010/7/8のアユ釣りでも、ごくつまらないところで良型アユが入れ掛かりになる場所があった。私は、解禁からの竿抜けであろうと思ったが、ここをホームにするOさんによれば、入れ替わって付いたものだというのである。
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橋が知っているのは、向こう側だけだ。ここから向こう側へゆく。
向こう側へゆこうとするその橋の上で、思いがけずじぶんのこころ
に出くわす。 |