|
〔水行・広瀬川 1〕 広瀬川から |
【広瀬川で釣りを始める】 春されば我家(わぎへ)の里の川門(かわと)には鮎子さ走(ばし)る君待ちがてに読人知らず 「萬葉集 巻第五」 [1] 広瀬川の河川公園で妻と初めて出合ったのが、おたがいが17才の時であった。26才の時に結婚して、広瀬川の堤防にくっついた家で暮らし始めて、38年になる。広瀬川で釣りをはじめたのは、さらにその数年後になる。 |
テンバに最適なのは、仙台竿と呼ばれている竹竿なのであるが、いかんせん値が張るので、初心者の若造には手が出ない代物だった。それで、仙台竿の銘品を何本か見本として関東に送り、安価な代替仙台竿(模倣仙台竿)を作らせたということで、仙台市内のいくつかの釣具店で売っていたらしい。 |
源流域でエサが少ないためか、イワナはたいへん貪欲で、あるコツさえ押さえておけば、実に容易に釣れた(と、当時は思ったということである)。エサ釣りでも毛針釣り(私の場合はてんから釣りだが)でも、ヤマメと較べれば、圧倒的に簡単なのだった。可哀想なぐらいなのである。このように愛しくかつ憐れな様子を仙台の方言で「もぞこい」とか「もぞい」という。 |
そうして、待ちに待った定年退職である。あれもこれもと、やりたいことを数え上げながら待っていた定年、やっと広瀬川に戻って来たのである。 【広瀬川の特徴】 広瀬川のことをどう記述したらよいのだろう。私はあまり広瀬川のことを知らない、と思うことがしばしばである。「論語読みの論語知らず」なのである。私は広瀬川での「魚釣りのこと」しか知らないのだと思う。
|
広瀬川の特徴として、ずっと私が感じてきたことがある。私は、広瀬川以外の河川へもけっこうアユ釣りで出かけているほうだと思う。少し抽象的な、感覚的な問題かもしれないが、そのような他河川(アユ釣りで知られた河川)と較べると、どうも広瀬川はあまり愛されていないのではないかと感じてきた。 |
それに較べて、広瀬川に対して仙台市は大きすぎるのである。現状では、経済的な意味でも広瀬川の意義は仙台市全体から見れば微少であろうし、観光経済が広瀬川に依存している度合は、巷間言われるほどとは思えない。
|
ゆったりと川の流れる村で生まれ 現在、旧仙台市内の牛越橋から下流では、寄り州の堆積土砂の撤去が順次行われている。最近のこのような工事は、少しは環境に気を遣っているようで、大きな樹木をところどころに残していたり、広瀬名取川漁協の要請もあって、撤去する土砂から選別した大きい礫石は川に残すようにしているようである。 |
土砂撤去後の河原には、さっそく雑草の繁茂が始まっているが、水辺に通じる小道が増える兆しはない。このような都市河川では、管理され、準備された場所でしか、人々は川に近づくこともしないようである。ミシェル・フーコー風に言えば、日々の暮らしに張り巡らされた管理権力に従順に従うべく、訓馳(discipline)されているということか。
|