ブリコラージュ@川内川前叢茅辺 <山 2>

『生き抜く』ということ(須金岳)

 


須金岳全景
108号線を鬼首温泉郷を抜けた付近から。(2010/5/31 5:52)
   

  宮城県の北部の小さな農村で生まれた私にとって、幼いころの山といえば栗駒山であった。小学校の校歌にも、「あおげ自由の栗駒を」という一節があった。(「自由の栗駒」というのは、小さいころは何となくそうかと思っていたものの、どんなことをイメージすればよいのか、いまだに解らないのである。中学校でも高校でも、校歌は一見簡単そうで、じつはその実質を理解するのは難しいもののようだ。)
  高校時代の登山で、雫石(岩手県)から秋田駒ヶ岳を越えて、帰りは小安温泉(秋田県)から栗駒山に登り、駒の湯温泉に下りたことがある。台風の日で強引な登山であった。お金が底をついて宿泊できなくなって、友人と二人でそんな無茶をしたのである。
   登山のことなど考えられなかった大学、大学院時代が過ぎ、また山歩きを始め、子供をはじめて連れていった山も栗駒山だった。その時は、私の母と妻の母は駒の湯温泉での湯治をしながら、まだ小さすぎた娘のお守りをしていてくれた。
  駒の湯温泉は宮城県のもっとも主要な栗駒山登山基地であったが、その私の記憶する宿は、2008年6月14日の岩手・宮城内陸地震で壊滅してしまった。

  仙台に住んで山歩きをしようとすると、船形山を中心とする連山、大東岳とその周辺、蔵王連山に目が行ってしまい、船形山と栗駒山の間の地域にある山々はすっぽりと意識から抜け落ちてしまっていた。
  日帰りができて体に無理のない山行を、というのが最近のスタイルで、それに適した山を探していて、翁峠や禿岳、荒雄岳などとともに須金岳もやっと候補となった。翁峠、禿岳と北上して、やっと須金岳というわけである。雪の多い冬だったので、半月ほど延ばしての2010年5月31日の山歩きである。


Map A  須金岳周辺と2010年5月31日のコース。地図のベースは、
「プロアトラスSV4」、 歩行軌跡は、 「GARMIN GPSMAP60CSx」
によるGPSトラックデータによる。

Map B 須金岳。Oは写真撮影ポイント。地図のベースは、
「プロアトラスSV4」、 歩行軌跡は、 「GARMIN GPSMAP60CSx」
によるGPSトラックデータによる。

  旧仙秋ラインのゲートが開いていることを期待していたが、だめだった。仙北沢林道を歩くことになったが、林道でのゆったりした歩き始めは良いことなのだ、と言い聞かせながらの歩き出しである。ついつい急いでしまわないように、花を探しながら歩くのである。歩行軌跡が林道から外れているのは、花を見に沢へ下ってみたためである。


ラショウモンカズラ(羅生門葛)

カタクリ(片栗)
  旧仙秋ラインのゲートから20分ほどで仙北沢にかかる仙北橋に出る。若いころの一時期、イワナ釣りに夢中になったことがあったが、荒雄川流域に入川したことはない。

Photo A

仙北沢林道、仙北橋から仙北沢上流を見る。
(2010/5/31 6:34)

   この沢かどうかはわからないが、荒雄川のいくつかの支流の奥には、純系のイワナが生存していることが最近明らかになった。種苗に気を配ることのなかったかつて(現在もか?)の放流事業で、多くの河川のイワナ、ヤマメは混血となってしまった。山奥に孤立するイワナは、地域変異が大きく、その保存は重要である。
  施設や資金にやや困難がつきまとうものの、いまこの原種系のイワナを増やそうとする一部の人たちの努力が進行しつつある。期待している。

   橋を越えるとすぐ右手に、棒杭に記された「須金岳登山道入口」の道標が見つかる。細い登山道に上がると、林道から離れることができて、少し気分が上がる。
   登山道は杉林から始まるが、数分で明るい雑木の林となってすぐに分岐道が出てくる。案内標識があって、道はほぼ直角に折れ、斜面に取りつく。といっても、すぐにPhoto B のようなおだやかな道になる。

   道はちょっとした尾根道のようになり、大木が次々に現れる。三合目の標識は、ちょっとした峰になったところである(Photo C)。

Photo B

緩やかで快適な
林間の上り道。
(2010/5/31 6:59)


Photo C 3合目のちょっとした峰。
(2010/5/31 7:15)

  針葉樹の大木もある。たぶん、サワラ(椹)ではないかと思うが、じつはよく分からない。私には、ヒノキ、アスナロ、サワラの区別がつかないのである。他にもヒムロというのがあるらしい。枝がまばらなこと、葉がおおぶりで粗い感じがすることからサワラではないかとと思ったのであるが、当てずっぽうである。
  花が美しいとか、実が食べられるとか、そんなことがないとなかなか覚えられないのである。クヌギとコナラの違いも判然としない。何回も調べてみるものの、すぐに忘れて、現物を前にして何の役にも立たないのである。「どんぐり」がおいしく食べられたら、問題はなかったのである。私は、モミとカヤの区別が直感的にできる。子供のころ、カヤの実を拾い、煎っておやつとして食べていたからである。

  木々の切れ目から、これから行く峰が見える(Photo D)。尾根筋に白く残雪が光っていて、少し心配になる。数年前の春先、たしか寒風山から白髪山の尾根筋の登山道でだったと思うが、尾根の雪庇が崩れて、比較的年配の人が遭難死したニュースを聞いていた。
  私は冬山には登らない。残雪の時期には、アイゼンなどの装備があればよいと思うときがあるが、購入はしない。へたに装備を持ってしまうと、雪山に出かけてしまうのではないかと心配してしまう。基本的に臆病なので、危険には近づきたくないのである。それに、山ばっかりの生活というわけにもいかない。冬は冬でやりたいことがある、ということもあるのだ。
  かつて釣り全般に夢中になって、一年中釣り三昧になって、支障が出たことがある。そのときは、海釣りの道具一切を処分し、アユとヤマメだけに限定することで切り抜けた。夢中になると、崖から飛び出すように走ってしまう自分がおそろしいのである。「なにごとも適当に、いいかげんに」というのが今の目標である。


Photo D 3合目を過ぎた尾根筋からみる山頂。
(2010/5/31 7:20)

 

平らな野原に立っていてはならぬ!
あまりに高く登りすぎてもならぬ!
世界がもっともすばらしく見えるのは
中庸を得た高みからである。
          フリードリッヒ・ニーチェ「処世術」 全文 [1]

 

上:タムシバ
(田虫葉、噛柴)

下:アオダモ(青ダモ)



オオバキスミレ(大葉黄菫)

シラネアオイ(白根葵)

キクザキイチゲ
    (菊咲一華)

上:紫花
下:白花

  いつかサワラの大木の道から雑木林の道になり、タムシバの花が咲いていた。コブシは仙台市内でもよく見かけるが、タムシバをそれとして認識したのも最近である。
  加美町小野田の鍋越峠から商人沼、吹越山(939m)を経由して
翁峠(1075m)まで歩いたときの山中で、しみじみとタムシバを眺めたのである。その頃にやっと、コブシとタムシバの区別がつくようになった、ということである。

   水沢森の頂上付近まで来ると、結構な量の雪が残っているが、危険というほどのことはない(Photo E)。
  雪のない陽当たりを探して、朝食をとる。 連れ(イオ)の朝食を先に準備して、次に私の分を開く。どちらも弁当である。もちろん、連れのは、2種類のドッグフードでできたものである。少しだけ食べて、私の弁当が開くのを待っている。肉が入っているのを期待しているのだ。家では食べない果物も、山で私からもらうといくらか食べるのである。犬だって、山での食事は、それなりに別格なのであろう。


Photo E 水沢森頂上付近。
(2010/5/31 8:37)

  水沢森から先は、鞍部の尾根筋の道で歩きやすい。林のなかの道だったり、眺望が開けたり、足もとにはオオバキスミレやシラネアオイが咲いている。
  シラネアオイは低山から1000mあたりまで分布していて、山菜採りで山を歩いてもたくさん見ることができる。我が家の庭にも20年生くらいのシラネアオイの大株があって、毎年たくさんの花をつける。庭のシラネアオイが咲くのは、山菜採りに出かける時期の知らせでもある。

  七合目、八合目、九合目とじつに順調な道である。この時期に典型的な、よく見かけるキクザキイチゲはやはり白花も紫花も咲いている。むかし、紫花がキクザキイチゲで、白花がアズマイチゲだと思い込んでいた。これも最近区別できるようになったものの一つである。

Photo F

 九合目付近の道。
 (2010/5/31 9:41)

  道が間ノ岳近くになるとまた残雪である。道は間ノ岳のすぐ北を通るのであるが、そこに「須金岳山頂」の道標が立っている。実際の須金岳の山頂はそれより1.5kmも先である。道標の標高部分は消えてしまっているが、すぐ傍の薮に「1.253M]という別の金属表示板が落ちていた。これは、地図表記の標高と同じである。たまたま同じ標高なのか、頂上というからには地図表記と同じ標高にしなければならないとしたのか、謎である。どんな事情があって、こんなことになったのだろうか、不思議な話ではある。
  南雁戸山のツインピークも、GPSデータで確認すると、国土地理院の地図に「1486」と記されたピークのもう一方のピークに1486mと記した山頂標があった。この場合は、ごく近いピークだし、もし標高が同じであれば、とくに矛盾があるというわけではない。しかし、須金岳のこの違いは、よほどの事情があるのではないかと思う。

  頂上標を過ぎると、やや複雑な地形に残雪が広がっていて、道を間違えた。道は真っ直ぐに薮道へと続いていたのだが、笹が雪で倒されていたうえに左手に下っていく細い残雪の下に道があると思って下ってしまった。頂上を過ぎたので少し下っても不思議はないと思い込んでいたのである。下りながら右上の斜面を見ると道がはっきりと見えて、15mほどで引き返すことができた。


Photo G 残雪の向こうの道に頂上標が見える。 (2010/5/31 9:49)

  道は尾根のやや南側を走る。頂上標から10分ほどのところでPhoto H のようなダケカンバを見た。根本から分枝するダケカンバもないわけではないが、これだけきっちりと根元で分かれて、空を受け止めるように広がっている木は珍しいと思う。
  船形連山の北泉が岳から泉ヶ岳西麓の水神に下って来る道にダケカンバの林があるが、ほとんどは直立する太い一本の幹を持っている。尾根とはいえ、形からは風の影響とは考えにくい。積雪のせいでもあろうか。

Photo H

頂上標を過ぎた尾根道で見たダケカンバ(岳樺)。
(2010/5/31 10:01)

 

空の奥から
こぼれ墜ちてくる小鳥を
そのつど灌木は
たなごごろに享けとめるが
鳥や樹木にそうやって
形を与えてやまないのは
背後の空間の優しさだ
鳥や樹木に形をわけ与えた
そのぶんだけ
空は欠落し
誰も知らないところで
血を流しながら
空は途方にくれるのだ
                 鈴木漠「拾遺」部分 [2]

 



Photo I 頂上標を過ぎてから見る地図上の須金岳の眺望。
(2010/5/31 10:02)

  道はすぐ下が急斜面のところをトラバースして尾根筋に戻るのだが、その手前から、尾根筋にそって残雪が続いているのが見える(Photo I)。ここから見るかぎり、残雪の端には灌木が茂り、危険な雪庇はないように思える。

    見つゝ来しごとく残雪峰に寄る   山口誓子 [3]

  麓でも確かに残雪があるのを見てはいたが、尾根にこんなに残っているとは。しかし、どうして、この句のように、残雪は「峰に寄る」のだろう。たんに標高差という理由ではないだろう。風が吹き通る尾根ではとくに積雪量が多くなるとも思えない。
  尾根から下る斜面の斜度が問題なのかもしれない。良く見ると写真の中央付近の斜面に下に伸びる何本もの筋が見える。雪崩が雪を落としたために、斜面の雪が早く消え、相対的に遅くまで尾根に雪が残ったということかもしれない。
  
  道が尾根に直角にぶつかろところには、3mほどの雪の壁であった。オーバーハングはしていないので、危険はないとおもうのだが、足がかりがない。道はこの残雪を右に折れていくはずなのだが、その方向には這い上れそうな斜面はない。
  遠回りだが左手に回ってみると少し傾斜の緩やかな斜面があったので、そこを上がることにする。連れと私をつなぐリードをつけたままでは無理なので、連れのリードをはずすと、そのまま雪面を駆けあがり、早く来いと急かすのである。私は、山靴で削って足場を堅めながらなので、早くはあがれない。連れは上から覗きこんで、じっと待っていてくれた。


Photo J 荒雄岳(次に登る予定)。 (2010/5/31 10:02)


Photo M 残雪の上から望む禿岳。右手前に来た道が見える。(2010/5/31 10:28)

Photo K

残雪の上にもなにかの痕跡があるようだ。
(2010/5/31 10:09)

  残雪の稜線は、灌木にも邪魔されず、きわめて展望がよい。上ってきた道の方向をふり返れば、向こうに禿岳が見える。あの山は、三回目のチャレンジでやっと登れたのである。一回目は、大雨になってしまい、連れの散歩代わりにと、30分登って引き返し、毎朝の1時間相当の散歩とした。二回目は台風の後で、花立峠登り口への道が閉鎖されていたのである。
  南には、やや低い荒雄岳が意外に複雑な山容を見せているし、北には虎毛山がゆったりとしたふくよかな印象の姿を見せている。いずれも5月の清新な青空と白雲を背景として、映えている。

  私が山に登るときはいつもこんなふうに良い天気である。当たり前である。こんな良い天気にしか登らないのだ。雨具はもちろん持ち歩いているが、ここ7,8年で使用したのは、先の禿山と、天気予報になかった急な低温におそわれた蔵王連峰、熊野岳山頂で防寒着代わりに着た、その2回だけである。


Photo L 北方には虎毛山(1433m)。 (2010/5/31 10:10)

     嶺々の雲ばなれよき五月かな     鷹羽狩行 [4]

  これは麓で読んだ句だろうが、鮮明なきっかりとしたイメージがとても良い。でも、次のような句が、私は好きだ。子規、虚子から続く俳句の王道たる写生句から少しはずれた句が好きなのである。。

     峰雲や生きてひとりの強さ弱さ     秋本不死男 [5]

  残雪の上を、地図上の須金岳の峰の方向に歩き始めたが、実はあんまり期待したほど楽しくない。安全を期して残雪のまん中を歩く。ごく緩やかな傾斜で、単調に続く。もういいか、と思ったのである。臆病なので、事故が起きないうちに、とも思ったのだ。

  引き返すことにした。

  あまり急斜面のない山の下りは快適である。老骨の膝へのダメージの心配もあまりない。気休めかもしれないが、急な下りの山では、膝保護のサポーターを両膝に着用することもあるし、トレッキングポールを使うこともある。持参してはいるが、この山ではどちらもその必要を感じなかった。

  頂上標の手前の道脇には、イワカガミが群生している。もちろん花はまだだが、葉が照り輝いていて、植木の下草に使えたらすてきだろうなと思うが、まったく無理な話である。
  林の中に入ると、マイヅルソウの道である(Photo N)。これも花はまだである。マイヅルソウは丈夫な山草としての園芸的な人気もある。山草趣味は30年も以前に止めてしまったが、わたしもかつて大きな平鉢に満杯に咲かせたことがある。それくらい、丈夫でよく増えるのである。


Photo N マイズルソウの道。 (2010/5/31 11:06)


上:ムラサキヤシオ
   (紫八汐)

下:ヤブデマリ(薮手毬

  行程の中で一番目を引いたのはムラサキヤシオの花である。この花が好きで、2mほどに成長したものを買って庭に植えたことがある。6年ほど花を見せてくれたが、突然枯れてしまった。草も木もいったん枯らしてしまうと、二度目はなかなか手が出ない。また殺すのか、という感じが離れないのである。
 
  登っていくときには気づかなかったのだが、登山口近くで不思議なものを見た。太い立ち枯れの木の、朽ちた中心部に一本の木が生えているのである(Photo O1)。朽ちた木の上に実生で生える木があっても不思議はないが、少なくとも10年以上成長したような太さなのである。その間、朽ちた木が立ち枯れのままでいるというのは想像しにくいのである。

Photo O1

枯れ木の空洞のなかの一本の樹?
(2010/5/31 12:22)

  上を仰ぐと、太い枯れ木が二本の生木となって空に伸びているのだ(Photo O2)。下の幹が枯れていて、上の枝が生きていることは不可能だ。この空洞のなかの細い木が、上の太い二本の枝の命を支えているのだ。
  それにしても、上の二本の枝の太さは下の幹のそれぞれ3倍ほどもある。断面積で2×9=18倍もの命を支えているのかと思ったが、良く見ると枯れた幹の部分部分に生きた表皮が走っている。つまり、枯れていく太い幹のなかで、所々で細い命脈がつながり、それぞれが協力して生き残っている上の枝たちに命を届けているのである。
  そのうちの一本の命脈は、枯れていく幹のなかで孤立し、おのれの細い命を新しい表皮を産み出しつつ、母体から独立したのであろう。あたかも、古木が枯れつつ、子どもを産み出したように。

  これは「生き継ぐ」ということなのか、「生き抜く」ということなのか。


Photo O2 細い命脈が上の太枝の命を支える。
(2010/5/31 12:22)

 

そのとき
一本の樹が、
さらに大きい自分のなかに沈みこみ、
そのたっぷりした容量だけで
やさしく自負している。
                 菅原克己 「野」 部分 [6]

 

  生き抜く命のすごさ、生命体のこの極端な可塑性に、少しのあいだ呆然としていた。ハルゼミの鳴き声に促されるようにして正気に戻ったような気がする。その寸時の間、ハルゼミは鳴きやんでいたわけではない、ずっとうるさく鳴き続けていたはずなのに。

    けふはけふの山川をゆく虫しぐれ       飴山實 [7]

  そのハルゼミを見つけた。この蝉を間近に見るのは初めてである。弱っていて、クマザサの葉に止まっている。持って帰って子どもに見せてやろう、と一瞬思い、それからゆっくりと、二人の子供はとうの昔に大きくなって家を出ていることを思い出すのであった。
  いや、それでも我が家にはハルゼミの声を聞いたことのない人間がいる。106才の義母(妻の母)である。たぶん、義母にはハルゼミとヒグラシの区別はつかないだろうから、持って帰って見せてもどうにもならないだろう。ただ、この強烈なハルゼミならではの大合唱だけはめずらしいと思う。デジカメには録音機能のオプションがあること思い出し、何度か録音して見た。義母に聞かせてみようと思ったのだ。
  家に帰り、録音したはずのハルゼミの大合唱を再生してみた。まったくだめなのである。大合唱どころか、たしかになにかの音がするという程度なのである。「何でもできる装置は、どれもろくにできない装置である」ということは、実験物理屋の常識であるのに、こんな失敗をいつもするのである。

  旧仙秋ラインのゲートを6時13分に抜けて入り、抜け出たのは12時50分の山歩きであった。

ハルゼミ(春蝉)

 

(2011/10/17)
  1. フリードリッヒ・ニーチェ(秋山英夫・富岡近雄訳)「ニーチェ全詩集」(人文書院2011年) p. 154。
  2. 「現代詩文庫162 鈴木漠」(思潮社 2001年) p. 66。
  3. 「季題別 山口誓子全句集」(本阿弥書店 1998年) p. 22。
  4. 鷹羽狩行「句集 十二紅」(富士見書房 平成10年) p. 26。
  5. 「季語別 秋本不死男全句集」鷹羽狩行編(角川書店 平成13年) p. 78。
  6. 「菅原克己全詩集」(西田書店  2003年) p. 64。
  7. 「飴山實全句集」(花神社 平成15年) p. 164。