高所恐怖症 (ホシ) |
|
1985(昭和60)年の8月初め、妻、息子(中1)、娘(小5)、ホシ(1歳半)と大東岳の南麓を流れる大行沢で2泊のキャンプに行った時のことである。私のイワナ釣りと大東岳の登山、それに子どもたちの夏休みイベントをいっぺんに片づけようというわけである
。 |
初日の午後は、近辺の散策、谷川での水遊び、夕まずめにはイワナ釣りで遊ぶ。水が苦手なホシは、みんなが水の中ではしゃいでいるのを、川原の石の上で寝そべりながら眺めているだけで、いっしょに遊べないのが不満そうであった。 実のところ、渓流の水は冷たすぎ、子供たちはいつまでも入っているわけには行かず、次の遊びとして、ホシを水に慣れさせる、そして泳ぎを教えるという息子の発案で、ホシの恐怖の時間が始まった。 水に入りたがらないホシを抱いて浅いところに立たせる、ということから始めて、少しずつ足が届かないところに放すという段取りである。足が届けば何でもないが、腹に水がつくあたりでパニックが始まる。 それでも、ホシに泳ぎを教える必要は全くなくて、深みで放せば、水に入れた瞬間はバシャバシャする(Photo C)が、すぐに岸に向かって普通に泳ぐのであった。泳ぎは本能的に上手なのである。しかし、自分からは決して水に入ろうとはしない。最後には林を突っ切り、逃亡してしまった。結局は、水嫌いを助長しただけの「訓練」なのであった。 ファミリーキャンプらしく、夕食後は花火遊びである。。谷川の水音が下の方から聞こえるだけの、真っ暗なぶな林の中の線香花火はいつもより大きく輝くように見え、子供より妻のほうが夢中になる。ホシは花火には関心がないふりをしているが、本当は少し苦手なのだ。 ホシが興奮し始めたのは、4人と1匹が狭いテントの中で並んで寝ようとしているときであった。当時のホシは、まだ庭で暮らしていて、たまに家に上げてもらうだけだったからである(その後まもなく、庭の犬小屋を使うことなく、フルタイムの家犬になった)。 ホシの興奮を静め、たった一人で泊まった山小屋経験から、「人間世界の出すノイズのない夜の山は、遠くや近くでなにかの動物の移動する音が木々をかすめる風の音に混じって、じつに賑やかなのだ」などと子どもたちに話して聞かせたものの、そこでは渓流の音しか聞こえないのだった。 みんなが聞こえない音を聞こうと耳を澄ませているとき、ホシは体を起こし、耳を立て、低くうなり声を少し上げたのである。外に出たがるので、テントを開けると、入口まで出て、ブナの原生林の急斜面を見上げて、ときどき低くうなる。 |
私たちは、少しの興味とそれより大きい恐怖に押されて、テントから顔を出してホシの見つめる方向を見るのだが、もちろん真っ暗で何も見えない。耳を澄ましても、あいかわらず、谷川の音ばかりで何も聞こえない。 次の日は大東岳登山だ。朝と昼の弁当を持って、夜明けとともに出発である。いったん本小屋の登山口まで下り(実際はほとんど平坦だが)、立石沢にそったコースを上る。頂上直下に鼻こすり坂という急坂があるだけのこのコースを登り、「弥吉ころばし」の急坂から大行沢沿いの道を降りのコースとするのが普通である(私の場合は)。 |
頂上から少し降り、台地の南端からの蔵王方向の眺望をゆっくり楽しんだ後、弥吉ころばしと呼ばれる急坂を下る。沢に出るまで一挙に下ろうということになった。この決断がホシの悲劇の始まりであった。
弥吉ころばしの急坂が終わって、道は「がくり沢」 [2] の左岸に直角にぶつる。水音か水の匂いかで谷川の水を感じたホシは、渇きに負け、水に向かって突進したのだ。薮を分ける音に続いて「キャゥン」というような悲鳴一つを残して、何の音もしなくなったのである。崖下へ転落したのだ。 |
家に帰れば、ホシもいつもの暮らしに戻る。そこには私といっしょに出かける朝と夕方の散歩もある。 |
1週間ほどで広い歩道の車道側であれば、その橋を渡ることができるようになった。それでも、欄干側に近づいたりするとやはり歩けなくなる。手を変え品を変え、とはいうものの、変えたのは餌の種類だけだが、1ヶ月半ほどで喜んで渡るようではないが、抵抗はしないでどの橋も渡れるようになった。
|