ブリコラージュ@川内川前叢茅辺 <些事 2>

坊主頭

  2009年3月31日、無事に定年退職となった。翌4月1日に、さっそく近所の理髪店に出かけたが、予約が必要と言うことで、果たせなかった。勤めている間は、職場の理髪店で整髪していて、予約が必要なシステムになっているとは知らなかったのである。若い頃通っていた床屋さんというのは、予約なんて必要なかった。4月2日に何とか坊主頭にしてもらった。

   頭を、ボーズにしてやらう
   囚人刈りにしてやらう

         中原中也「(頭を、ボーズにしてやらう)」部分 [1]

  ずいぶん前から、坊主頭にしようと思っていたのである。山歩きが好きで、魚釣りが好きな私はいつも大汗をかいている。坊主頭にしたらすっきりとして遊べると、想像していたのだ。それに、「僕、自慢じゃないが禿頭である。そこに風が吹くと、さっと通り抜けるのである。その快、いわく言い難し。これは顱頂部に一髪も無い者ぞ知る快感であり特権である。」 [2]  もう少し下世話にいってしまえば、普通の人の半分程度の頭髪に、同じ整髪料金を支払うことに幾分損をしている気持になってもいた。床屋さんにしてみれば、無い頭髪を整髪するという矛盾に満ちた労働に対する技術料としてもっと支払ってもらいたいのかも知れないが。
   決定的な決断は、ある夏の日のアユ釣りから戻ったときに起きた。6年ほど前のことである。仕事が忙しくてろくにアユ釣りのできない時期であったが、盆休みに山形県の小国川に出かけた。小国川には、下山久伍さん
[3] がオトリ屋を開いていて、年に1度くらいはお世話になって釣りをするのが、当時の私の習いのようになっていた。ビジネスホテルに1泊した二日目の釣りも終わり、下山さんの家で着替えをして帰宅の準備をしていたとき、何気なく鏡を見て、心は決まったのである。汗で濡れた頭髪が頭皮に張り付いている。少ない頭髪の張り付く様は、しんじつ美しくないのである。
  それでも、退職するまで坊主にしなかったのは、職場で会う人ごとに坊主頭のことを話さなければならないような状況が面倒だっただけである。人は、こんな風に年とともに変化にともなう煩わしさを避けるようになる。老人性保守派というわけだ。だいたい保守というのは頭無精の謂いではないか、と思っていたりする。

   さて、坊主頭と言ってもどの程度の長さにすればよいのか。見当がつかない。私が子供の頃には、5分刈りとか1厘刈りとか呼んでいたと思う。「それでは6mm でカットしてみて、それを見てから決めましょう」と若い理容師さんが言ってくれた。鏡を見ると、6mm くらいがちょうど良いように思ったのだが、「絶対、3mm の方がいいですよ」と言うので、それに従った。もともと、坊主であれば良いという雑把なイメージしか私は持っていなかったのであるが、理容師さんには十分な根拠があったのである。
  3mm坊主頭は、1週間もすれば簡単に6mm くらいに成長してしまう。そこで、あらためて理容師さんの判断の正しさに感心してしまったのである。3mmくらいの時は、単純に坊主頭という印象であるが、6mm 程度に伸びてくると頭頂部の頭髪の薄い部分が際立ってくるのである。つまり、ハゲ頭の坊主頭ということになっている。3mm程度だと、地が透けて全体に一様に見えるということなのだ。当たり前のことだが、坊主頭にしたからといって、ハゲ頭は克服できないのである。

  こうして、初めての坊主頭は理髪店でプロの手でやってもらった。次からは、自分の手でやろうと電気バリカンも購入した。電気バリカンは、3mm~60mmの段階的に長さを調整してカットできるアタッチメントが揃っていて、実に容易に坊主頭にできるのである。
  自分でカットするとなると、襟足なども自分で剃る必要がある。そこで、プロが剃ってくれた襟足の状態を妻に観察してもらった。今後は妻に剃ってもらうためである。それから1年半たったが、妻はいつも「だいじょうぶ、まだぜんぜんだいじょうぶ」といって1度も剃ってはくれない。日ごろから「私は不器用よ」と平然と開き直っている妻は、たぶんカミソリを持ちたくないのである。首筋にカミソリを当てる人間が不器用だと知っていては、私も強く頼めないのである。

   しかし、坊主頭は忙しいのである。3mm長の坊主頭は、1週間もすれば5~6mmに伸びてしまう。つまり、ほぼ倍の長さになるのだ。おそらく誰でも、髪がふだんの倍くらいに伸びたら否応なく整髪に行くだろう。それが1週間でやってくるのである。理髪店のプロがぜひ避けたいと思った状態が1週間程度で実現するのである。
  坊主頭にしたら洗髪が簡単になると期待していたのだが、これも微妙な問題にぶつかった。シャンプーが泡立たないのである。髪が長かったときにはちょっとこすればブワーっと泡立っていたのが、どうも心許ないのである。ちょうどその頃、テレビで漫才コンビが「坊主っつーのは、坊主っつーのは、シャンプーしても泡が出ない」とか歌っていたので、妻が大笑いしたのである。最近は、泡がたくさん立たなくても洗えているのだと、自分に言い聞かせてはいるのだが。

  これは、私の坊主頭と直接関係ないのだが、電気バリカンは大いに役に立っているのである。ずいぶんと以前から、同居している妻の母(明治37年生まれの106才)の整髪は私の仕事であった。鋏、透き鋏、櫛、剃刀などを揃えてカットしていたが、電気バリカンを使うとあっという間に終るのである。しかも、鋏を使うより、上々の出来で仕上がるのである。今では、長い時間整髪のために椅子に坐ったままじっとしているのが苦痛になってきている義母には、これは大変助かった。
  妻には、これも私の坊主効果だと主張してみたりするが、なに、もっと早くに電気バリカンに気付いて購入していれば良かっただけのことである。                                     

(2010/11/24))

 

  1. 「中原中也全集 2」(角川書店 1967年) p. 135。
  2. 山口瞳「荒川土堤の落日」『新東京百景』(新潮文庫 平成5年) p. 251。
  3. 私がアユ釣りのトーナメントを志した頃、下山さんは関東を代表する名手として東西対抗戦など全国レベルの大会で活躍されていた。現在は、会社を退職されて山形県小国川(舟形町)で、アユおとり屋さん、釣りガイドをしながら、小国川漁協の仕事にも熱心に取り組んでおられる。