ブリコラージュ@川内川前叢茅辺 <些事 3>

坊主頭、その後

  始めて坊主頭にして理髪店から帰ると、105才の義母が「あらーっ」と言いながら戸惑ったような顔でじっと私の頭を見つめているのである。
 「なにか改心することでもあったのかしら。」
耳の遠い義母は、大きな声で妻に尋ねている。妻は笑ってしまって答えられない。そのあと、年相応に呆けている義母は、1週間ほどのあいだ顔を合わせるたびに同じ質問をするのである。「退職記念だ」と答えても納得しないのである。しょうがない。坊主頭は囚人頭でもある。
  時あたかも、当時の仙台市長は、家族の公費不正使用があったため、禊ぎのためか坊主頭になって再選に備えていた時期でもある(結局、周囲の支持が得られず、出馬を断念したが)。
  私にも改心しなければならないことはいっぱいある。ありすぎて、坊主頭くらいでどうにかなるような話ではないのである。ネオナチのスキンヘッドと一緒にされないだけましというものか。

  5月になると、教え子たちが温泉1泊の退職記念会を開いてくれた。7月には小さな研究会で仕事のまとめのような講演をした。そこで分かったのは、それぞれの参加者たちの間に、私の坊主頭は「彼の頭はエラいことになっている」というふうに伝わっていたのだ。
  火の元ははっきりしている。4月に坊主頭にした直後、講義の打ち合わせがその年から非常勤講師を勤めるある大学であったのである。専門が近い教授が私の頭をみて、ついに残りの毛髪も失われたのだ、と思ったらしいのだ。
  半分は事実なので、「いやー、遊ぶのに都合がいいので。」と言い訳をしても、当の相手はにこにこしながらも気の毒そうな表情を微妙に現わすのである。「いやいや、どっちみち髪が少ないので坊主にした。」というと、これにはみな納得するのだ。

     禿げつつもなお禿げきらず青葉騒   金子兜太 [1]

  坊主頭にしたいと願っていた頃、私がイメージしていたのは、こんなことだ。退職して自由になった私は、帽子(キャップ)を被り、山々を歩き回り、あるいはアユやヤマメ釣りに出かける。汗をかいてはタオルでさっと頭を拭い、帰宅しては軽くシャワーで汗を流し、軽くタオルで拭くだけで済んでしまう、そのような便利で軽快な感じの生活なのである。イメージの中では、この坊主頭はいつも帽子を被っていたのだ。

  しかし、退職したといえども、なにがしか公式な場所に出なくてはならないことは起きる。背広を着て、ネクタイを締める時がある。ネクタイを締めながら鏡を見ると、少したじろぐのである。背広、ネクタイに坊主頭、というイメージはなかったからである。鏡に映った見慣れない姿に戸惑っているのである。どうも落ち着きが悪いのだ。
  そこで街に出かけ、ハット型の帽子を買ってきた。すこしは格好が付いた気がするのだが、妻は「年寄りくさい」と断じるのである。年寄りが年寄りくさくて何が問題なのかと思うが、少し腹が立つ。

   キャップとハット、2種類の帽子が揃うと、外出時にはいつも帽子を被るようになる。しかし、体はいつも帽子を被るのに慣れていないらしく、額のあたりの皮膚が荒れてかさかさする感じにになってしまった。
  加えて、妻が「帽子はもう完全にハゲかくしということね」と身も蓋もないことを言うのである。そんなつもりは本人にはないのだが、実質的にそうなっている。
  帽子を被らなければ、額の荒れも治るだろうし、妻に言いがかりもつけられない。実に簡単なのだが、ここまで来てやっと気付いたことがある。坊主頭というのは、やはり基本的にマイナーなのである。マイナーな状態で世間をうろうろしたくないという気分が、どうも私にあるようなのだ。もともと、あまり目立ちたくない、できれば人の後ろに立っていたい、という引っ込み思案のたちではある。それが、いつも帽子を被る方に傾く理由らしいのである。

  どうというほどのことはなくて、最近は帽子なしが増えてきた。8月の炎天下には、アユ釣りなのでこのときはキャップが欠かせないけれども、山歩きでは、帽子よりもタオル鉢巻きが汗の流下防止に役立つので、もっぱらタオル愛用である。
  こうして、私の坊主頭は、1年半ほどを経て、私の体と生活において安定な位置に落ち着き始めたということらしい。

 (2010/11/30)
  1. 「金子兜太集 第一巻」(筑摩書房 平成14年) p. 402。