六兵衛淵という名前を使っているけれども、じつは、私は1度もこの名前を釣人からじかに聞いたことはないのである。昔は「公会堂下の淵」(現在の市民会館は前に市公会堂だった)、最近は「赤門の淵」(右岸河川敷に赤門自動車学校がある)と呼ぶ人が多い。理由はよく分からないが、せっかく古来の名前があり、名前にふさわしい淵も残っているのに、もったいないことではある。
六兵衛淵(赤門の淵)と括ってしまうけれども、実際は、淵は2段になっている。Photo E は Photo C の淵の上端付近からさらに上流を写したものである。手前の波立ちは、Photo D に写っている淵への落ち込みの深い岩盤瀬である。その上流にもう一つの淵があって、コロガシの人がその上端で竿を出している。この人は、ここ2,3年、3日に2日は同じ場所に立っている。釣り人の上が「赤門の瀬」である。この釣り人の後ろの崖上に、市民会館が建っている。
六兵衛下淵(仮にこう呼んでおく)に落ち込む岩盤瀬は、大アユ場所である。流れの押しが強いうえ、岩盤底は複雑で、横壁や、瘤岩の頂きを食(は)んでいて、友釣りとしては難しいが面白い場所である。
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Photo E
(2009/7/15)
下流から赤門の瀬の方を見る。瀬落ち、六兵衛淵上の淵頭にコロガシの釣人が見える。 |
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仙台市民会館
(2010/10/17)
西公園に隣接する川岸に立つ。右の建物の上階は住宅になっている。 |
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この六兵衛淵を、私はずっと「女淵」というのだと思っていた。アユ釣りを始めた頃の話である。漁協の理事でもあったご老人が、市民会館直下の岸辺で竿休めをしながら、「女淵」の由来を話してくれたのである。
かつて、市民会館の付近は元常磐丁といって、一帯は遊郭だったそうである。ある時、そこの遊女がわが身を儚んで、崖上から広瀬川に投身して果てたという(心中と言ったかも知れない)。その身を投げた淵を「女淵」と呼ぶようになった、と聞いた。背後の崖から身を投げたら助からないだろう、と思いながら聞いていた私は、目の前の淵が「女淵」だと思い込んでしまったのである。本当の女淵があったところは、今や子供たちの野球場であり、そこの崖は散歩の途中で登ったり降りたりしていて、投身自殺など思いもよらないことであった。
精霊流しがあるように、川には死者につながるイメージがある。私の生まれた田舎には小さな川しかなかったが、盆棚の供物などをまとめて川に流す風習があった。川は海へゆき、海は補陀落浄土につづく。私は一度も見たことはないが、広瀬川でも、下流、広瀬橋付近でイベントとしての灯籠流しが行われているという。
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とうろうを
ほっかりあかるませているのは
幼くしてみまかった
いもうとの精霊です
岸で見おくる
わたしを寂しがらせまいと
あのように
ほがらかなようすで帰ってゆくのです
アユよ やさしい川の娘よ
いもうとの火に
つきそって行ってやってください
ひろい海に
出られるところまで
新川和江「火のオード 7」全文 [5] |
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「アユが精霊を守りながら、付き従って川を下っていく」のである。こんなにも長い間、川で遊び暮らしながら、私は一度もそんなことを思い浮かべもしなかった。
下り鮎一聯過ぎぬ薊かげ 川端茅舎 [6]
この鮎たちも精霊守りなのであろうか。
長い年月、じつに多くのアユを殺してきた私は、川を下って常世の国にみまかることはない。間違って広瀬川にでも流されようものなら、私に殺されたアユの末裔たちにつつき殺されて、2度目の死を死ぬに違いない。 |