陽のカンナ |
しきりに頭に浮かびながら、どこにも収まらないままに忘れてしまい、また浮かんでくる、という繰り返しに悩まされるフレーズがある。「炎帝の祭せよ」と「陽のカンナ」は一つの俳句の1部だと思い込んで、あと2,3文字を加えるだけなので、思い出せそうな気がしていた。しかし、どうにも収まらないのである。それもそのはずである。 老いしとおもふ老いじと思ふ陽のカンナ 三橋鷹女 [1] 百日紅の花に炎帝の祭せよ 村上鬼城 [2] 二つの句をない交ぜにして切り取って記憶していたのである。サルスベリ(百日紅)もカンナも真夏の花である。私には、炎天下で見る花の強いイメージは百日紅よりもカンナにあるようで、そのイメージにトラップされて抜け出せないでいたようだ。 |
しかし、17才で仙台に出てきてからは、カンナの花を見たような気がしない。どうにも記憶がないのである。そのあげく、妻と犬と散歩の途中では、 |
この角は、いくつかの細い道が出合うところでここだけが少し広くなっていて、その脇に花壇が作られている。南の本町側からの登りの坂道となっていて、その途中である。この出会いの西の角にレストランがあったはずだが、すでに看板も何もない建物になっていた。かつて私が昇進したときに、妻がここでお祝いをしてくれたのだった。窓際に席を取り、夕暮れ時の坂道を眺めながらの二人だけのワインは気分の良いものだったが、また来ることが果たせないままになってしまった。 |
さらにその後、犬との散歩に水の森公園まで車で出かけた際に、三共堤の下にある公園広場に沢山植えられているカンナを発見した。発見というのは大げさだけれども、ずっと見ていなかったという思いにしてみれば、発見したという気分なのである。
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