ブリコラージュ@川内川前叢茅辺 <花 1>

ボーダーガーデン -英国式、日本式ー


オックスフォード大学マグダレン・カレッジ 寄宿舎前のボーダーガーデン
(2001/9/4)

  ガーデニングがブームだというのは、だいぶ前から聞いている気がする。今もブームなのだろうか。そのような世間の動きがさっぱり分からなくなってから久しい。
  若いころ、洋蘭、山草、盆栽と手当たり次第で、園芸雑誌なども定期購読していたこともあったが、他の遊びに熱中し始めたことや、仕事もそれなりに忙しくってきたことなどがあって、日本春蘭を中心とした東洋蘭だけに限定してしまった。春蘭は、無加温温室で育て、水やりは週2,3回、植え替えも3,4年に1回ですむので、もっとも手のかからない花なのである。
  その頃から、春蘭の本は何冊か買って読んだものの、20年以上ものあいだ、世間の園芸関連の情報にほとんど接することもなく過ぎたのである。

  ボーダンガーデンという言葉を知ったのも、5,6年前である。東洋蘭だけは100鉢くらいを維持していたが、庭はほったらかしであった。
  その荒れた小さな庭を何とかしなければと思い立ったのである。その頃の庭には大きな桂の木が2本、育ちすぎて手入れの難しくなった紫木蓮、大きく株立ちになった2株のマンサクなどがあって、狭い庭が占領されたままになっていた。
  そのほとんどの木は、家を建て替えたとき、広瀬川の景観作りに協力したという名目で仙台市からもらったものである。なかでも、桂の木はどんどん伸びていた。
  山歩きをすれば、ブナの原生林のなかに桂の巨木が混じっているのをよく見る。あんなに大きくなったのでは、我が家の敷地は占領され、かつ我が家はその一枝にちょこんとのってしまうのではないか、と思われるほどだ。

  いつかはそれほど桂の木は成長するということだし、我が家の敷地はそれほど狭く、我が家はそれほど小さいということである。それで、6年ほど前の秋に、植木屋に頼んで大きな木はすべて切ってもらった。
  その庭の下草は、一面の笹だったので、一冬をかけてなんとか笹を取り除いた。40cm、場所によっては1m近く掘り起こしての根こそぎ退治は、2回のぎっくり腰がご褒美だったのである。

   ぬいてもぬいても草の執着をぬく     種田山頭火 [1]

   さて、そんなふうに一応は整理された庭を前にして、ごく当然のように何かを植えたいと思ったわけである。
  木はコリゴリなので、草花を中心にしようと思って、ネットでいろいろ情報を集めているときに、ボーダーガーデンという言葉を知ることになった。ガーデニングの本場、イギリス式が本流らしい。
  これはぜひ、ボ-ダーガーデンを参考にしようと思ったのである。我が家の敷地は狭く、庭と称しているのは、すべて隣地や道路との境界にそった隙間のことである。イギリス風にしようが、日本式にしようが、あるいはただの雑草園であろうが、言葉の厳密な意味で、ボーダーガーデンしか不可能なのである。
  
  ボーダーガーデンといえば、私は本場で見たことがあるはず、と思いだした。オックスフォード大学での会議に出席したとき、マグダレン・カレッジの寄宿舎(寮?)に1週間ほど宿泊した。寄宿舎は夏休みのあいだ、ゲストに開放されるのである。
  探し出した写真は、その寄宿舎の南面の前庭の東のボーダーガーデンである。後の建物が寄宿舎である。このように、沢山の種類の花が、あたかも年月をかけて、各々の高さ、性質に合わせてその場所を得て、おたがいと調和を取りあっているように見えるのは、たしかに草花の風景としては心地よい。

   しかし、このボーダーガーデンはイギリスだけが発祥地というわけではないのではないか、私の遠い記憶に似たような情景が浮かぶのである。

   私の生まれ在所は、東北の米作地帯の農村である。我が家は農家ではなかったが、遊び友だちのほとんどは農家の子供である。その農家の典型的な家屋と庭の配置は、記憶によれば図に示したようになっていた。

  公道からの取り付け道路がどの方角から入るかの違いはあっても、建屋と庭の配置はほとんど同一である。農作業のための広い庭がある。稲こきや、脱穀などを行うので、当然ながら裸地である。
  井戸は庭の南側だが、母屋の東南にある玄関に一番近いところにある。玄関を入った土間の奥に台所があるためである。この井戸は農作業後の農具を洗ったり、家畜のための水を用意するのに最適の位置を占めている。
  敷地の西と北には冬の防風、防雪のために杉が植えられ、「いぐね」と呼ばれている。また、木小屋というのは、薪を保管しておく小屋で、屋根はあるが周囲は木組みだけで壁がないことが多い。薪を乾燥させるためである。

  問題の花壇は、裸地の前庭と畑の境に沿って作られている。ガーデニングとか花壇作りという意識はあまりなく(と勝手に想像しているのだが)、任意に集められ、植えられた草花が、年月を重ねることで納まるべき場所に納まって、ごくごく調和のとれたボーダーガーデンを形成することになっていたと思う。
  背の高い花は、ダリアであり、葵の花やカンナであったりする。明治生まれの俳人にとってもダリアや葵の花は、ごく普通に、どこででも見られる花であったようで、そのような意味では、私の幼年期と風景は重なっている。

  野の家のダリヤやおもふままに照る     臼田亜浪 [2]

  花咲けばどこにもありぬ立葵     星野立子 [3]

  ところが、好みによっては、この場所に木を植える農家があって、そうなるとボーダーガーデンのイメージは失われてしまう。実際、そのような農家もあった。たいていそれは、屋敷に塀をめぐらした富農であったように思う。

  そのジャパニーズ・ボーダーガーデンを写真に納めようと、実家に帰るたびに、車で記憶の場所場所を回ってみたのである。ところがほとんどの家は建て替えられ、茅葺きは当然ながら立派な瓦葺きの豪邸になり、庭は塀で囲まれ、その中は松の木や高野槙、皐月などが植えられた日本庭園に替わっているのであった。広い農作業用の前庭は縮小され、小さな工場風の建物が敷地の端の方に建っていることもあった。農作業の機械化は庭の構造を変えたのである。


昔の農家の庭の周囲

  これは私の生まれ在所の話であるが、国内の多くの農家の庭も変容しているに違いない。日本式ボーダーガーデンは滅びつつあるのだろう。

我が家のボーダーの花壇は、ボーダーガーデンとはならず、ただの雑花園のままである。

(2010/3/21)


  1. 「定本 種田山頭火句集」(彌生書房 昭和46年)p.28。
  2. 現代日本文學大系95「現代句集」(筑摩書房 昭和48年)p. 265。
  3. 現代日本文學大系95「現代句集」(筑摩書房 昭和48年)p. 172。