ブリコラージュ@川内川前叢茅辺 <街 6>


宮城の町歩き 2 丸森町 2009年12月8日
 

Photo W

神明社裏の小山頂上からの丸森町展望。

 
  丸森町も「宮城の町歩き」というのを思いついたとき、1,2番目の候補の町であった。ただ、地図やネット検索で長時間駐められる駐車場が見つけられなかったのである。探し方が下手なせいもあるだろうが、簡単にアクセスできるかどうかが、情報の質を決めるのだと思うが。
  角田市を午前中に歩いて、午後をその近くの丸森町を歩いて見ようと思い立ったのだが、駐車場の当てのないのがちょっとした不安でである。いまどき駐車場のない町なんてありそうもないのだから、行けば何とかなる、という考え方もある。そういうやり方が、実は苦手なのである。この長い人生を、「何とかなる。何とかなるさ。」と自分を励まして切り抜けた場面は何回もある(もちろん切り抜けられなかったことも何回もある)が、本当はそんなふうに人生を生きたかったわけではないのだ。

  駐車場の問題で大事にいたるはずもないのだ、と思いなして、角田市の例を習い、丸森の町に入る前に、阿武隈急行「丸森」駅に寄ってみる。この駅は町からは想像以上に遠く、ここから田んぼと畑の道を歩き、阿武隈川を越えて町まで、なんてとても無理なのである。
  「まぁ、何とかなるさ」、というじつに嫌いなパターンで丸森の町内に入る。町の真ん中(と思われるところ)くらいまで来ても駐車場はない(後で分かったのだが、もう少し進むと駐車場はあったのだ)。そこで、さっき渡った阿武隈川に架かる橋(丸森橋)まで戻ることにした。橋のたもとに阿武隈ライン乗船場があって駐車スペースがあり、頼んでみようと思ったのである。
  阿武隈川へ戻ろうとターンしたところに「百々石公園」という大きな看板があって赤い大きな矢印がある。明らかに車向けの案内である。車で行けるということは、公園入口に必ず駐車場があるということである。そこに行くことにした。これが結果的にはラッキーだったのである。

  少し山道のワインディングロードがあるものの、そんなに時間もかからず百々石公園駐車場についた。冬のせいか、一台も駐まっていない。大きな公園マップには丁寧な散歩コース案内があってちょっと心惹かれたが、街歩き優先ということで、さっそく町に降ることにする。
  駐車場のすぐ下に「細内観音堂」という小さなお堂があり、参道とおぼしき小道が下に続いている。ぐるぐる曲がりくねった車道は歩きたくないな、と思っていた矢先なので、その小道を下ることにした。
  これが大正解、この小道は印象深い良い道なのである。「行き当たりばったり」も悪くないぞ、という結果となった(宗旨替えは決してしないけれども)。

  細内観音堂から少し降ると、道の脇にたった一輪のバラが咲いている。直径五cmほどの小輪の淡いピンクのバラである。暗い杉木立の下で、バラの木自体も小さく弱々しい。冬のバラは色が冴えるといわれているが、木下闇に浮き立つような一輪は、大げさではなく、息をのむような感じである。
  私も幾本かのバラを育てているが、この美しさを実現するには、細内観音堂の寺域ほどの庭の広さと数十本の大杉が必要にちがいない。

Photo A

百々石公園からお堂前を通って下る道の一輪だけの冬バラ。

   愁ひつゝ岡にのぼれば花いばら   与謝蕪村 [1]

   花いばら、ここの土とならうよ   種田山頭火 [2]


町歩きMAP  青線は歩いたコース。 A〜Yの赤矢印は、写真のおおよその
撮影地点と撮影方向を 示している。 地図のベースは、 「プロアトラス
SV4」である。 歩行軌跡は、 「GARMIN  GPSMAP60CSx」による GPS
トラックデータによる。



Photo B 細内観音堂の参道

Photo C さらに小道が民家脇を

Photo Ca

Photo C に見える赤い実の拡大。垣根に絡みついたヒヨドリジョウゴの実。


  細内観音堂からの道は、ときどき石段の道を交え、並ぶ杉の根本を通り、使われていない古い井戸が見えたかと思うと、長屋風の民家が右手に現れ、伸ばせばその戸口に手が届きそうにして進むのである。民家の垣根の間の小道には、鮮やかなヒヨドリジョウゴの実がなっている。
  まだ町を歩いてもいないのに、この道を歩いただけで、丸森町にやって来た意味は十分に満たされた気分になってしまう。



Photo D 百々石公園から下って出た国道113号線、南を見る。

   住宅地に出て30mも歩かないうちに、国道113号に出る。まずは、この道を南に進むことにする。しばしば大きな道沿いだけに展開する集落があって、たぶん町歩きではそれが一番変化のないパターンだろうと恐れている。地図を見る限り、丸森町はそんなふうにはなっていないと確信しながら少し不安でもあった。
  100mほどで「百々石公園」の看板があり、Uターンしようとした場所であり、右手、百々石公園へ車で向かった場所である。そこは十字路になっていて、左に国道と並行する道が見える。ちょうど、街歩き・東京で本郷を歩いたとき、菊坂通りとそれに並行する道(樋口一葉の旧居があった)の関係のような位置取りである。その道(Photo E)に入る。


Photo E 百々石公園への案内看板のところから国道の東を併走する道に入る。

  静かな道である。12月だというのに、家々の前には花々が残っている。新興住宅地のような同じパターンのくり返しではなく、時間をかけて少しずつ造られてきたような匂いのする通りである。200mほどで突き当たるが、クランク状に進む同じような道があって、そっちに歩くことにする。
   その付近で、庭前に出て来て歓迎してくれた犬がいた。イオと同じくらいの大きさで、耳や尻尾、体型も良く似ているが、長毛の犬であった。長毛の犬はいつも柔らかく優しい感じを受けるものだ。

Photo F

Photo E の道がクランクする付近で。

  毛深き犬がかたはらに臥てこころ今ゆたけし
  〈Les jours s’en vont, je demeure.〉(日日は過ぎわれはとどまる)
 
                           塚本邦雄 [3]

  クランク状に折れて来た道はさらに狭くなる。石造りの蔵には葉を落とした蔦が一面に絡まっており、そのそばのは大きなシュロが生えている。シュロは野鳥が良くタネを運んでくる植物であるが、ここもこのお宅ではなくて鳥がうえたのだろう、と想像しながら通りすぎる。
  この道は広い道に出会う。国道113号である。歩いてきた道は国道113号に並行していたのだが、国道が直角に曲がってきたのである。地図を見たときには国道は直進している道だばかりと思っていたので、国道の標識を見て少し混乱してしまった。この国道は東進して福島県相馬市に向かう。

Photo G Photo E の道がクランク上に折れてからの道

Photo H

Photo G の道をまっすぐ、国道を横切って。

  道はいっそう細くなるものの国道の向こうに続いているのが見える(Photo H)。午後1時23分、この細道は南からおよそ30°西へ向いているのだが、12月8日には陽はこんなに傾いているのである。

   15mほど路地をすすむと、右手に駐車場が現れる。齋理屋敷への観光客用の駐車場である。駐車場を抜けて齋理屋敷前に出る(Photo I)。なまこ壁、藏造りの屋敷である。ローカルニュースなどで良く見る観光スポットなので、名前はよく知っている。
  齋理屋敷前の道は国道113号からまっすぐの道だが、
写真右手15m付近で国道を直角に東に向かい、南進するこの道は県道45号となる。
齋理屋敷は外から眺めるだけで、左へ向かう。


Photo I Photo H の細道を右折、齋理屋敷前へ。ここを左折、さらに南へ。


Photo J 片岸地区の道を南へ

   県道45号沿い、右手は低い山沿いに住宅が建っている。奥の方を覗くと、蔦の絡まる藏などが見える。まもなく道は東にせり出しその低い山なみに突き当たり。山沿いを迂回するようにカーブしながら南進する。
   低い丘陵の斜面は雑木や杉の林だったりするが、孟宗竹の林が目立つ。このような里山を手入れしなくなった昨今、竹の繁茂が猛威をふるっているというニュースを聞いたことがある。私は狭い庭に黒竹を植えているが、毎年毎年、むやみに伸びる根の退治に追われている。間引かれたように整然としている竹林も見えて、このあたりでは手入れが行き届いているのだろう。



Photo K 伊具高校北沿いの道

  竹と杉、冬の緑を眺めながら山沿いの道をしばらく進むと、伊具高校が見えてくる。十字路を伊具高校の北を通る道(Photo K)に左折する。地図によると、このあたりに地名は「雁歌」という名前らしい。なんと読むの分からないのが残念だが、優雅な名前ではある。地形(いくつかの谷が平地でで出会う)からみて、昔は雁がたくさんにとところでもあろうか、などと思う。

  伊具高校の脇を進むと、十字路があり、右手は川の堤防に向かって緩やかに上っている。この右手の道に進むと、道と堤防の間に宮城啓明小学校がある。私立の小学校がこの規模の町にあるのは珍しいが、キリスト教系の学校で、入学する児童はこの地域に限らないのであろう。

   宮城啓明小を過ぎるとすぐ橋がある。新川という小さな川に架かる橋である。橋は渡らず、堤防の上を東南へ歩くことにする(Photo L)。芦などの背の高い雑草に隠れて、小川の流れる方向は見えないが、下流へ向かっているはずである。
   向こうに橋が見えて、そこに道があることが分かる。しかし、堤防を少し歩いたら、階段があって啓明小の北を通る道へ下りられた(Photo M
)。啓明小学校は授業中なのであろうか、たいへん静かなのだった。


Photo L 新川の土手に上がって北東、下流方向を見る。


Photo M 新川の土手を下りて、啓明宮城小学校北の道へ

  Photo M の道を、さっき新川の橋へ折れた十字路へ出て、右折、さっきとは逆方向の北へ向かう。道の右にフェンスがあり、その向こうにあまり大きくないセンダンの木に実がなっているのが見える。仙台とこの地(角田や丸森)の差異を象徴する木である(こんな風に大げさに書いていて、仙台でも見つけたら格好がつかないが)。

  十字路から100mちょっとで新しく出来たらしい道と交差する。この道は、私の地図には記載されていない。この新しい道は、その西端がさっき南に向かった山沿いの道で、東へ100mほどで北へ直角に曲がる。新しく立派な道を歩いて、楽しいと思った経験はほとんどないので、そのまま直進する。

  道は、先ほど南進した山沿いの道に合流する。50mほど同じ道を北へ逆進し、右手の細い道(Photo N)に入り、東に進む。

Photo N

南下してきた道に出会ってすぐに右折した道、東へ。

  Photo N の道は緩やかに下り、町筋が山沿いに立ち並んでいることが分かる。この道は、ふたたび地図にない新しい広い道路と直交する。そのあたらしい道沿いには、いわゆる郊外店舗型の大型店がすでに出来ている。そのまま横切って直進すると、道は北へ折れている。この道は新しい道路と並行してまっすぐに北進している。
  道なりに進み、十字路を一つ越えると4階建て(上部に普通のビルの機械室などより大きい部分があり、厳密には5階建てかもしれない)の丸森町役場が右手にある。

   役場前の道路も新しい道路も同じような雰囲気なので、クランク状に曲がって新しい道路に入ってみた。その道の左に、水車や灯籠、木製の塀の部分、大きな鉢植えなどがたくさん並べている「OPEN. GARDEN」と書いてある店がある(と思ったのだ)。
  後で写真を整理していて、何となく売っている雰囲気が薄いななどと思っていたときに、「オープン ガーデン」に違いないと気がついた。「OPEN.」のピリオドが何かの略称を意味していて、「OPEN○○○ ガーデン」という店名と思い込んでしまったらしいのである。「○○○ガーデン」という園芸店や花屋さんはいっぱいあるのだ。


Photo O 新しい広い道(鳥屋地区)、国道113号線へ

   Photo O の道は、大きなスーパーマーケット(だと思う)の前を過ぎると、国道113号に突き当たる。細道を南に向かっていたときに横断した地点(Photo H)の100mほど東の場所である。右折して東に進む。
丸森郵便局を過ぎ、「丸森ロイヤルケアセンター」のあたりまで来たとき、曲がってから写真も撮らずに来たことに気がついて、町の中心方向をふり返って写した(Photo P)。
  ガソリンスタンドを過ぎて100mほど歩くと、国道に交差する道があったので、そこを左折した(Photo Q)。


Photo P 国道113号線除南地区から町東方向をふり返る。

Photo Q 除南地区東端の道を北に入る。

   Photo Q の道は阿武隈川の方向へ向かうはずだが、向こうに大きな木も見え少し小高い感じになっている。
  道はすぐT字路となって突き当たる(Photo R)。良い道である、というよりも良い一角であるというべきか。石垣に低い塀、よく手入れされた庭木、それも大樹を含めて構成される庭。一方、誰にも囲われず自然に生えている木々、その伸びやかな空間。人間が美しくと願って手を入れた空間、自然が巧まずして作り上げる美しい空間、両方が揃うということはほとんどないことなのだ。

   写真中央に見える石垣、その門の向こうの石垣のなかに「丸森消防組解散記念」という石碑が組み込まれていた。私邸の石垣である。昭和14年に500円の工費で地下貯水槽を完成させたときのものらしい。心に残る、心に残したい大切な事業であったのだろう。


Photo R Photo Q の道の突き当たりを左折。

 

ここにひとつの
みちがある
だれもがそこを
ゆききできる
ひとがそこを
あるいてゆく
ひとがなぜかそこを
あるいてゆくようにみえる
みちのそばの花や刺
とおくからの風のたより
みちのそばでうずくまる
幻のひとたちのつぶやき
……(中略)……
しろい空や夜への言葉
だけにうつる坂みちが
いつまでもひとが
やってくるのを
待っているからだ
    永島卓「ここにひとつのみちがあるとすれば」部分 [4]

 


  苔むしたその石垣に沿って西へ歩き、左右に向いた二つの大きなカーブミラーのあるT字路をクランク状に2度曲がって、右折するとその道(Photo S)はまっすぐ丸舘中学校へ続いている。丸森町にはもう一つ丸森東中学校があるが、「丸舘」は何に由来するのだろうか。「丸森東」もその地固有の名辞由来の名前にするともう少し豊かな感じがするのではないか、とは余計なお世話か。

  中学校の校庭沿いに回ってゆくと、始めに車でUターンした場所、百々石公園へ入る地点の国道(Photo T)に出る。


Photo S Photo R を道なりに西進し、丸舘中学校へ右折する。


Photo T 丸舘中学校から国道に出る。

  Photo T の地点は、国道に並行する道に入った地点でもある。国道よりはよいだろうと、もう1度同じ道に入った。その道の突き当たり、さっきは左手に進んだが、今回は右折して国道に出る。

  国道に出ると、道路向かいに神明社への急な石段が見える。イオという私の飼い犬は階段が好きである。私より前を歩けば、階段では私より高みに立つことができる、ということが理由らしいのである。先に上がってふり返り、得意そうな顔をする。あげくに、おやつをくれとせがむのだ。気が大きくなるらしい。

   夕暮の無限の石段の殺意     金子兜太 [5]

   うたがひて犬たちどまる秋の暮   山口誓子 [6]

  石段を登り切ると、並んで立つ忠魂碑がある。戊辰戦争や日露戦争などである。中に「明治弐十七八年之役忠魂碑」という石碑があって考えさせられたが、日清戦争のことであった。丸森町(というより神明社の氏子の家々)からどれほどの人がそれらの戦争に参加し、命を捧げたのか知らないけれども、ここではしっかりと慰霊しているのである。あるいは、地域を限定せず、広く戦死者を慰霊しているのかもしれない。

Photo U

国道から神明社へ上る階段。




  境内には、欠けて頭部が判然としない狛犬がある。仙台でも、古い墓石や石像、石碑には表面が欠けて判然としなくなったものがけっこう多い。さきごろ墓を建て替えたとき、古い先祖代々の墓碑銘を刻んだ石がやはり欠けがひどくて、石屋さんに一文字ずつ拾って新しい石に写してもらったことがある。石屋さんの話では、欠けの激しい石は「仙台石」(と言ったと思う)という柔らかい質のものらしい。仙台付近の古い墓や石像に風化が激しいのが良く見られるのはそのせいなのだろう。


Photo V 神明社境内の戊辰役以来の慰霊の石塔。

忠魂碑建ちてにはかにさむざむと西日の中の芥子色(からしいろ)の町
               
塚本邦雄 [7]


Photo X 神明社の丘を西に下り、町へ向かう下り道。

  神明社の丘はさらに裏手に頂上があるようなので、境内を抜けて神社裏に出てみた。道を外れ、枯草をかき分け、丘の突端に出てみると、丸森の町がよく見える(ページトップのPhoto W のパノラマ写真)。街の全景を一望するには、写真中央に見える二つの小山のほうが適しているかもしれない(経験的には低い山は頂上に木が生えていて眺望が悪いものだが)。  

   神明社の丘を西にくだっていくと、町に下りる道路がある。その道路に出る手前に「高畑遺跡」の木碑があって、神明社の丘は縄文遺跡ということらしい。

  実がたくさん残っている柿の木が青空を背景にしてくっきりと立っている姿などを眺めながら行くと、道は右に緩やかにカーブしつつ町に下りていく。人家が現れ始めるあたりでは、散歩の犬に出会って吠えられたりしたが、はじめての町を歩いているせいか、イオはおとなしいふりをしているようだ。

  国道に出る少し手前にバラ園があった。花はほとんどの木で終わっていたが、一本、鮮明な朱色の大輪をを二,三咲かせているものがあった。


Photo Y 田町南地区の坂道から国道方向を眺める。

  国道に出て丸森の街歩きは終わりとする。これから、また細内観音堂の参道を通って百々石公園へ向かうのである。参道の小道をまた歩くのだ。狭い道を歩くときには、両脇の庭の花も良く見ることが出来る。広い道で、道の端を人の家の庭を覗きながら歩いていたら、立派な不審者である。

  参道の小道は、珍しいミツマタ(三椏)が咲いていたり、庭木の根元の小菊、ヒヨドリジョウゴ(Photo Ca の写真はこの帰り足で写した)をじっくり見ながらの帰路であった。やはり良い道なのである。

  遠き子をたのみに思ふことありて三椏の咲く庭にをりたり
                          
竹山広 [8]

(2011/2/28)
  1. 「日本の古典 58 蕪村集 一茶集」(小学館 昭和58年) p. 14。
  2. 「定本 種田山頭火句集」(彌生書房 昭和46年) p. 32。
  3. 「現代詩文庫501 塚本邦雄歌集」(思潮社 2007年) p. 40。
  4. 「永島卓詩集I 碧南偏執的複合的私言」(国文社 昭和48年) p. 83。
  5. 「金子兜太集 第一巻」(筑摩書房 平成14年) p. 123。
  6. 「季題別 山口誓子全句集」(本阿弥書店 1998年) p. 263。
  7. 「現代詩文庫501 塚本邦雄歌集」(思潮社 2007年) p. 16。
  8. 「竹山広全歌集」(雁書館 2001年) p. 148。