|
〔宮城の町歩き 2〕 丸森町 2009年12月8日 |
|
丸森町も「宮城の町歩き」というのを思いついたとき、1,2番目の候補の町であった。ただ、地図やネット検索で長時間駐められる駐車場が見つけられなかったのである。探し方が下手なせいもあるだろうが、簡単にアクセスできるかどうかが、情報の質を決めるのだと思うが。 角田市を午前中に歩いて、午後をその近くの丸森町を歩いて見ようと思い立ったのだが、駐車場の当てのないのがちょっとした不安でである。いまどき駐車場のない町なんてありそうもないのだから、行けば何とかなる、という考え方もある。そういうやり方が、実は苦手なのである。この長い人生を、「何とかなる。何とかなるさ。」と自分を励まして切り抜けた場面は何回もある(もちろん切り抜けられなかったことも何回もある)が、本当はそんなふうに人生を生きたかったわけではないのだ。 駐車場の問題で大事にいたるはずもないのだ、と思いなして、角田市の例を習い、丸森の町に入る前に、阿武隈急行「丸森」駅に寄ってみる。この駅は町からは想像以上に遠く、ここから田んぼと畑の道を歩き、阿武隈川を越えて町まで、なんてとても無理なのである。
愁ひつゝ岡にのぼれば花いばら 与謝蕪村 [1] 花いばら、ここの土とならうよ 種田山頭火 [2] |
|
細内観音堂からの道は、ときどき石段の道を交え、並ぶ杉の根本を通り、使われていない古い井戸が見えたかと思うと、長屋風の民家が右手に現れ、伸ばせばその戸口に手が届きそうにして進むのである。民家の垣根の間の小道には、鮮やかなヒヨドリジョウゴの実がなっている。 まだ町を歩いてもいないのに、この道を歩いただけで、丸森町にやって来た意味は十分に満たされた気分になってしまう。
住宅地に出て30mも歩かないうちに、国道113号に出る。まずは、この道を南に進むことにする。しばしば大きな道沿いだけに展開する集落があって、たぶん町歩きではそれが一番変化のないパターンだろうと恐れている。地図を見る限り、丸森町はそんなふうにはなっていないと確信しながら少し不安でもあった。 |
静かな道である。12月だというのに、家々の前には花々が残っている。新興住宅地のような同じパターンのくり返しではなく、時間をかけて少しずつ造られてきたような匂いのする通りである。200mほどで突き当たるが、クランク状に進む同じような道があって、そっちに歩くことにする。 その付近で、庭前に出て来て歓迎してくれた犬がいた。イオと同じくらいの大きさで、耳や尻尾、体型も良く似ているが、長毛の犬であった。長毛の犬はいつも柔らかく優しい感じを受けるものだ。
毛深き犬がかたはらに臥てこころ今ゆたけし この道は広い道に出会う。国道113号である。歩いてきた道は国道113号に並行していたのだが、国道が直角に曲がってきたのである。地図を見たときには国道は直進している道だばかりと思っていたので、国道の標識を見て少し混乱してしまった。この国道は東進して福島県相馬市に向かう。 |
道はいっそう細くなるものの国道の向こうに続いているのが見える(Photo H)。午後1時23分、この細道は南からおよそ30°西へ向いているのだが、12月8日には陽はこんなに傾いているのである。 |
県道45号沿い、右手は低い山沿いに住宅が建っている。奥の方を覗くと、蔦の絡まる藏などが見える。まもなく道は東にせり出しその低い山なみに突き当たり。山沿いを迂回するようにカーブしながら南進する。 低い丘陵の斜面は雑木や杉の林だったりするが、孟宗竹の林が目立つ。このような里山を手入れしなくなった昨今、竹の繁茂が猛威をふるっているというニュースを聞いたことがある。私は狭い庭に黒竹を植えているが、毎年毎年、むやみに伸びる根の退治に追われている。間引かれたように整然としている竹林も見えて、このあたりでは手入れが行き届いているのだろう。
竹と杉、冬の緑を眺めながら山沿いの道をしばらく進むと、伊具高校が見えてくる。十字路を伊具高校の北を通る道(Photo K)に左折する。地図によると、このあたりに地名は「雁歌」という名前らしい。なんと読むの分からないのが残念だが、優雅な名前ではある。地形(いくつかの谷が平地でで出会う)からみて、昔は雁がたくさんにとところでもあろうか、などと思う。 |
Photo M の道を、さっき新川の橋へ折れた十字路へ出て、右折、さっきとは逆方向の北へ向かう。道の右にフェンスがあり、その向こうにあまり大きくないセンダンの木に実がなっているのが見える。仙台とこの地(角田や丸森)の差異を象徴する木である(こんな風に大げさに書いていて、仙台でも見つけたら格好がつかないが)。 十字路から100mちょっとで新しく出来たらしい道と交差する。この道は、私の地図には記載されていない。この新しい道は、その西端がさっき南に向かった山沿いの道で、東へ100mほどで北へ直角に曲がる。新しく立派な道を歩いて、楽しいと思った経験はほとんどないので、そのまま直進する。 道は、先ほど南進した山沿いの道に合流する。50mほど同じ道を北へ逆進し、右手の細い道(Photo N)に入り、東に進む。
|
Photo N の道は緩やかに下り、町筋が山沿いに立ち並んでいることが分かる。この道は、ふたたび地図にない新しい広い道路と直交する。そのあたらしい道沿いには、いわゆる郊外店舗型の大型店がすでに出来ている。そのまま横切って直進すると、道は北へ折れている。この道は新しい道路と並行してまっすぐに北進している。
Photo O の道は、大きなスーパーマーケット(だと思う)の前を過ぎると、国道113号に突き当たる。細道を南に向かっていたときに横断した地点(Photo H)の100mほど東の場所である。右折して東に進む。 |
Photo Q の道は阿武隈川の方向へ向かうはずだが、向こうに大きな木も見え少し小高い感じになっている。 道はすぐT字路となって突き当たる(Photo R)。良い道である、というよりも良い一角であるというべきか。石垣に低い塀、よく手入れされた庭木、それも大樹を含めて構成される庭。一方、誰にも囲われず自然に生えている木々、その伸びやかな空間。人間が美しくと願って手を入れた空間、自然が巧まずして作り上げる美しい空間、両方が揃うということはほとんどないことなのだ。 写真中央に見える石垣、その門の向こうの石垣のなかに「丸森消防組解散記念」という石碑が組み込まれていた。私邸の石垣である。昭和14年に500円の工費で地下貯水槽を完成させたときのものらしい。心に残る、心に残したい大切な事業であったのだろう。
|
苔むしたその石垣に沿って西へ歩き、左右に向いた二つの大きなカーブミラーのあるT字路をクランク状に2度曲がって、右折するとその道(Photo S)はまっすぐ丸舘中学校へ続いている。丸森町にはもう一つ丸森東中学校があるが、「丸舘」は何に由来するのだろうか。「丸森東」もその地固有の名辞由来の名前にするともう少し豊かな感じがするのではないか、とは余計なお世話か。 Photo T の地点は、国道に並行する道に入った地点でもある。国道よりはよいだろうと、もう1度同じ道に入った。その道の突き当たり、さっきは左手に進んだが、今回は右折して国道に出る。 |
境内には、欠けて頭部が判然としない狛犬がある。仙台でも、古い墓石や石像、石碑には表面が欠けて判然としなくなったものがけっこう多い。さきごろ墓を建て替えたとき、古い先祖代々の墓碑銘を刻んだ石がやはり欠けがひどくて、石屋さんに一文字ずつ拾って新しい石に写してもらったことがある。石屋さんの話では、欠けの激しい石は「仙台石」(と言ったと思う)という柔らかい質のものらしい。仙台付近の古い墓や石像に風化が激しいのが良く見られるのはそのせいなのだろう。
|
神明社の丘はさらに裏手に頂上があるようなので、境内を抜けて神社裏に出てみた。道を外れ、枯草をかき分け、丘の突端に出てみると、丸森の町がよく見える(ページトップのPhoto W のパノラマ写真)。街の全景を一望するには、写真中央に見える二つの小山のほうが適しているかもしれない(経験的には低い山は頂上に木が生えていて眺望が悪いものだが)。 国道に出て丸森の街歩きは終わりとする。これから、また細内観音堂の参道を通って百々石公園へ向かうのである。参道の小道をまた歩くのだ。狭い道を歩くときには、両脇の庭の花も良く見ることが出来る。広い道で、道の端を人の家の庭を覗きながら歩いていたら、立派な不審者である。 参道の小道は、珍しいミツマタ(三椏)が咲いていたり、庭木の根元の小菊、ヒヨドリジョウゴ(Photo Ca の写真はこの帰り足で写した)をじっくり見ながらの帰路であった。やはり良い道なのである。
|