ブリコラージュ@川内川前叢茅辺 <街 5>


宮城の町歩き 1 角田市 2009年12月8日
 

はじめての町に入ってゆくとき
わたしの心はかすかにときめく
そば屋があって
寿司屋があって
デニムのズボンがぶらさがり
砂ぼこりがあって
自転車がのりすてられてあって
変りばえのしない街
それでもわたしは十分ときめく
            茨木のり子「はじめての町」部分 [1]

 

   定年退職を機に東京の街歩きを始めた。住んだことはないが、よく知っている東京の地名を確認したいためである。 住んでいる仙台では、朝晩の犬の散歩以外に、ふだん歩かない街区で意識的に長い(3時間くらい)散歩をするようになったのは5,6年くらい前からである。
  私は宮城県生まれである。なのに、生まれた町と仙台以外の町をほとんど知らない。行ったことがない街が圧倒的に多いのである。そのこと自体は不思議ではないが、わざわざ東京まで出かけてぶらぶら歩いているというのに、何となく「行い」のバランスというか、落ち着きがが悪い。
  これが、宮城の町歩きをしようと思ったじつに単純な動機である。

  第一回目は、角田市である。理由は簡単、角田市観光物産協会の公式ホームページの Map に駐車場がきちんと表示してあったことによる。
  私の町歩きは、車でその町まで行き、駐車場に止める。そして、1日なり半日なり、飼い犬(イオ、牝、9才)と一緒に町を歩き回ることを、初めから想定している。その町の人間が自然に集まり、時間をかけて形成したであろうその町の暮らしのありようを、もっとも身構えない形で味わいたいのである。したがって、観光の目玉のようなものは参考にしないし、規準にもならない。ましてや、観光スポットを車で移動して回るようなことはまったく考えていない。人間の歩く速度で見えるものを見るのである。
  まず必要なのは、有料であれ無料であれ、半日ていど駐車できる場所である。ネットで調べても、駐車場の情報がきちんと得られる町は意外と少ないのである。

Photo A

阿武隈急行線角田駅。

町歩きMAP
青線は歩いたコース。
A〜Zの赤矢印は、写真のおおよその
撮影地点と撮影方向を 示している。
地図のベースは、 「プロアトラスSV4」である。
歩行軌跡は、 「GARMIN  GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータによる。

   ネット情報通り、まっすぐ角田駅に行き、駅の駐車場に車を入れる。おそらくこの駐車場は通勤通学で角田駅を利用するためのものだろうが、十分に余裕があって、気兼ねなく止めることができた。
   駅ナカというべきか駅舎一体と言うべきかわからないが、角田駅コミュニティプラザで「かくだロードマップ」と「ぷらっとかくだ vol.12」というパンフをいただいた。ほんとうに適切な場所に適切な駐車場があったということだ。
  
   冬ではあるが、上々の好天である。現代的だが瀟洒な感じのする駅舎を背景に記念撮影(Photo A)。駅からは本当にまっすぐな道(Photo B)が延びている。街路樹は若く、両脇には所々に空地も見えて、最近開発され拡大した市区のようである。

   阿武隈急行と並行する1番西の道から歩き始める。すぐ左に折れ、紫とピンクのアリッサムが満開に咲いているブロック花壇などを眺めながら、駅前通りの最初の信号のある「駅前」交差点から来る道に出会う。その道を右折(Photo C)して、まっすぐ進むことにする。

Photo B 駅前通り。右の道へ。

この道には、(看板によれば)イタリアンパスタも寿司も出す珍しい店もあって、昼食をどうしようか考えさせられた。1ブロック先では、歩いて行った右側の舗道が広くなり、車道の間には欅の並木がある。さらに先には、その欅の間に石のオブジェがいくつか並べられていた。屹立する岩山のようのもの、屈曲する岩板といった風情のものである。

Photo C 「駅前」交差点から南北に走る道、寺前の方に。

  道はすぐに長泉寺の前に出る。寺の塀と舗道の間に、実がたくさんなっている木がある。見慣れない木だが、これがセンダン(栴檀)の木だろうと思った。「栴檀は双葉より芳し」(この栴檀は白檀のことだが)という言葉はかなり幼いころから知ってはいたが、じつのところ、センダンの木を見るのは初めてである。たぶん、図鑑のようなもので見た記憶が残っていたのだと思う。

Photo D

長泉寺の栴檀とその実。


    栴檀の実が落つ思ひ立つときに   山口誓子 [2]

    陽が射せば木の実美(は)し村人よ村よ   金子兜太 [3]

   角田に生えているセンダンの木を、仙台に住んでいながらこれまで見たことがないのは不思議だと思ったが、あとで調べると、センダンは西日本、暖地の植物だという。角田あたりが北限ということだろうか。

  「高源山」という緑字の扁額を掲げた山門をくぐって長泉寺に入ると、高い鐘楼の奥に白木造りの本堂がある。白木造りというのは珍しいと思ったが、たんに造り立ての新しい寺院を見たことがないせいかもしれない。
  一角に小さな石仏を集め、並べてある。ほとんどが地蔵菩薩であるが、白衣観音に見えるもの、来迎印の阿弥陀如来立像と思えるものもある。こんなふうに並べられるために造られたはずもなく、どこかの地に祀られ、慈悲を施していたのだろうが、その地での役割を終えてここへやって来たものだろう。それぞれに事情もあろうが、役割を終える仏というものもあるのだ、きっと。

Photo E 長泉寺内の石仏。


Photo F 長泉寺参道。向こうから来てふり返る。


   長泉寺の参道は、私が駅から歩いてきた道によって切断されていて、その道の向こうに続いている。 参道には松や桜があり、庚申塚や六地蔵が 祀られていて、短いが良い道である。

Photo G 長泉寺参道から南東に走る道。

  長泉寺の参道の終わり(実際は参道入口)は十字路になっていて、右に折れて住宅地を行く。落ち着いた静かな道である。敷地や住宅や塀や、いろんなものの配置が長い時間をかけてこんなふうに落ち着いたという趣がある。
  右手の少し小高い丘(台山公園)に大きなロケットが見え、スペースタワーというものらしい。日本の誇る H II ロケットの実物大模型ということだが、角田市に宇宙技術研究所があることによるのだろう。
  スペースタワーには展望室があって、角田市のパノラマが見られるということでだいぶ悩んだが、犬連れで歩くと決めたときから、このような施設も含めて、観光施設への立ち寄りはしないつもりだったので、諦めてまっすぐに歩く。犬連れで歩けるところを歩くという方針である。

  しばらく道なりに歩くと、右に折れる道があるT字路に出る。右手の道は台山公園のある丘の麓を行く道のようで、右折することにする。この道は角田中学校のグランドの横を通っている。
  右手の高みの木々の間にお社が見えてくる。八幡神社である。

Photo H

八幡神社の鳥居と楼門。

   石段の途中にある八幡神社の鳥居は大きな杉の木の間にある。私の生まれ育った町の八幡神社にも大きな杉の木がたくさんあって、神社と杉の木は良く馴染むのである。
  「八幡神社」の額のある堂々とした楼門は、たくさんの彫刻装飾もあり、よく古びていて風格がある。格子戸から中をのぞくと、後ろに倒れそうな形で木像が置かれている。 つま先が上がっているので、もともとはきちんと前を向いていたはずだ。冠を被っている様子は貴族か神官のようだが、顔面部が欠け落ちている。
  楼門の古びてはいるが豪勢な感じに較べて、本殿はいくぶん慎ましい感じがする。境内にはシイの倒木があり、その古い株の中から二,三本のシイの苗木が育っていた。ずいぶん古いときからの木々が生えているとはいえ、ここは人工の場所である。このまま育つ可能性はどのくらいあるのだろうか、などと考えた。

Photo I

八幡神社楼門の木像。


  八幡神社を下り、もとの道を進む。道はやや広い道に斜行する。出会った道は長泉寺前を南に進んできた道である。道の向こうには農家らしい住宅があり、住宅と道の間には水路が流れ、水路の斜面にはたくさん実を残す柿の木と葉をすっかり落としているしだれ桜がある。
  
  その道を歩くことなく左折する道に入った。比較的新しい住宅地の間を通る道である。ブロック塀の向こうで何かの気配がして、覗くと茶の毛並みの犬がいて、吠えないでじっとこちらを覗いているのである。その優しそうな犬と別れて右折し、大きな通りに出た。

Photo J

谷地町で。静かな歓迎?


Photo K 舘下地区を東西に流れる水路と左の道を西から東へ。

   道の真ん中を水路が走り、道の向こう、南には田んぼが広がっている。遠くには標高200mもあろうか、山なみが連なっている。
  水路に沿って東に歩く。途中、ウェルシュ・コーギーの歓迎がある。犬連れの歩きは、私ひとりの時より、道々の犬たちは強い関心を向けてくれるので楽しいのだ。水路が右に曲がり、それを越えると広い十字路である。交差する道は県道105号である。

  県道105号に左折して、市の中心部方面へ行くことにする。左手に角田高校の校舎が見え、行手には角田小学校の体育館らしい建物が見える道である。「角田高校前」交差点を左折すると、舗道の敷石にたくさんの書き込みがある。小学生の絵や言葉だと思ったが、だいぶ大人びた表現や民謡の歌詞らしきものも見受けられる。15~18年前に書かれたらしいが、日付はまちまちで一斉に書いたわけでも何かの記念日に書いたようにも見えない。趣旨を推定するのは難しいが、楽しいイベントではあったろう、と思う。

Photo L Photo K を南町公民館野分を北へ左折した道、天神町方向見る。


Photo M

Photo L を「角田高校前」交差点で右折して立町へ。舗道のメモリアルペインティング?


  立町(仙台にも立町があって、二人の子どもは立町小学校を卒業した)の町通りを道なりに歩いて行くと、左手の道になまこ壁の蔵造りの建物がある。手前隣の敷地に何本も立つ幟旗が郷土資料館であることを喧伝している。興味がないわけではないが、ここも建物と周囲を眺めて立ち去るのである。
  郷土資料館のある通り(本町通りとでも呼べばよいのだろうか)を北に歩く。少し歩くと、郷土資料館のような土蔵づくりの家がある(Photo O)。庭には松などの植栽があり、大きなお屋敷である。

Photo N 本町。角田市郷土資料館前から北を見る。


Photo O Photo N の通りにあった白壁の屋敷。


Photo P 「東仲町」交差点付近。ここを右折、東田町方向へ。

  この通りは角田市の中心部らしい雰囲気がある。道沿いは商店とその客のための駐車場である。観光物産協会の案内 Map にもあった駐車場もある。近郊からの買い物客などが利用するのであろう。近くにはバスのターミナルもあるし、休憩所もあって、使い勝手が良さそうである。
  信号のある交差点を越えて150mくらい歩くと、「東仲町」交差点に出る。そこを右に折れ、イトウ角田店
というひょろ長い大きな店の長辺沿いの細い道に入る。その道はすぐ突き当たりである。青麻神社に行こうと思って、そこを左折した。私の地図には参道は記されてはいなかったが、神社の入口はこの道にあると見当をつけたからである。

Photo Q T字路を左折、青麻神社へ。


  しかし、参道が見つからないのだ。一区画歩いて左折した。この道、つまり北側から入る道があっても不思議ではない位置に神社は記されているのである。右手には、よく目立つ「半沢至誠堂表具店」の横の小さな石塔表示でそれと分かる千光院や、「醫王山」の扁額のある薬真寺などを見る。千光院は十一面観音が本尊らしく、醫王山薬真寺はとうぜん薬師如来が本尊ではないかと思ったのだが、山門脇には大日如来の大きな石碑があった。
  道の左手を注意深く見ながら、路地のようなところに少し入ったりしながらも歩いたが、この道でも参道が見つからない。また、十字路(「田町」交差点)に出る。今度は西から入る道を期待して左折する。この道(Photo R)は、郷土資料館からまっすぐきた来た道である。
  Photo R の右に見える人家の途切れたあたりから覗くと、フェンスの向こうに青麻神社が見えるではないか。やはり見落としたのである。反時計回りに来た道を、時計回りに引き返すことになった。


Photo R 青麻神社入り口を見逃し、一回り。「田町」交差点から南、本町方向を眺める。


Photo S 青麻神社参道。

  やっと見つけた青麻神社の参道がPhoto S である。とくに見つけにくい構造でもないのであった。ただの観察力不足なのである。
   二年ほど前、蔵王町にある青麻山という山に登ったが、青麻神社と何か関係があるのだろうか。
  ウィキペディアによれば、仙台市岩切にも青麻神社があって、名前はその土地に麻を植えたことに由来するとのことである。それぞれ日神・月神・星神である天照大御神・月読神・天之御中主神を主祭神とし、そのため三光神社ともいうらしい。岩切の青麻神社が、全国の青麻神社・三光神社の総本社なのだそうだ。岩切にそんなたいそうな神社があるとは「知りませんでした。ごめんなさい」という気分である。
  そう言えば船形山の登山道の途中に「三光の宮」があって、休憩と食事で立ち寄るのである。今頃になって「三光」の意味が分かったのである。

Photo T

青麻神社参道脇の小菊。

  参道脇の住宅のブロック塀から小菊が伸び出してきて、垂れ下がって咲いていた。もともとこの色なのか、白菊が老いてこの色になったのか(白菊はしばしばこのような色の変化をする)、よく分からないが、身構えない(あまり人工的に形を整えられていない)こんな菊は好もしいものだ。こぼれ落ちた花びらも良い。

   白菊に紫の憑く日ごろかな   阿波野青畝 [4]

   しぐれつつ枯れゆく野べの花なれど霜の籬ににほふ色かな
                           醍醐天皇 [5]

 ついでなので、もうひとつ花の詩を。花にも決意や覚悟があるのだ。

 

花であることでしか
拮抗できない外部というものが
なければならぬ
花へおしかぶさる重みを
花のかたちのまま
おしかえす
そのとき花であることは
もはや ひとつの宣言である
         石原吉郎「花であること」部分 [6]

 

Photo U

青麻神社。


   青麻神社の参道途中の細道を通って通りに戻り、「東仲町」交差点まで戻る。さっきこの交差点を曲がったときも、婦人警官を含めおまわりさんが数人この辺に立っていた。交通安全の指導か取締りであったろうと思うが、また出会うと、何となく気まずい。
  こちらは、いわば仕事でもなく、目的もなさそうに、ただ同じところをうろうろしているのである。犬を連れているものの、バッグを背負っているのだ。あえて分類すれば不審者ないしはそれにきわめて近い者であろうな、と自分でも思うが、さいわい無視してもらえた。

   「東仲町」交差点からさらに郷土資料館の方へ1ブロック戻り、信号のある交差点を右折する。仙南病院の大きな建物を過ぎる。この後もいくつか医院の前を通ることになるが、角田市には病院、医院が多いのではないかと感じた。東京の街歩きや仙台市内の散歩を良くするが、そのどこと較べても多いような気がする。というより、他では病院が多いと感じたことはないのである。角田市のみならず、近郊の町村の需要をも満たしているのいるのだとすれば、必ずしも不思議なことではないけれども。

Photo V 仙南病院隣の児童公園。


  仙南病院の隣は、児童公園である。噴水のある池と、広い庭があるが、北西の一角には公衆トイレもある。利用させてもらい、助かった。公衆トイレから戻らずにそのまま北に道をとった。笹森整形外科医院を過ぎて信号のある十字路を左折する。この道を電波鉄塔や角田協会を見ながら進み、県道105号へふたたび出て、天神社へ向かう。

Photo W 「西仲町」交差点から天神町へ。


Photo X

天神社。鳥居と参道。

  天神社の鳥居の脇には祈願の種類が墨書きしてあるが、やはり「学業成就」「合格祈願」が第1である。境内にはここにも杉の大木である。葉を落としたしだれ桜もあって、春は杉の濃い緑を背景に咲く姿で美しかろう、と想像してみる。
  狛犬の前、黒松の下にには、黒い艶やかな石(石の種類は分からない)に彫刻された牛が寝そべっている。また、ほとんど自然石で造ったような大きな石灯籠が目を引く。

  天神社を出て、県道105号を少しだけ戻り、左折する。一区画進んで右折、白壁の藏を塀越しに見ながら南に歩いて行く(Photo Y)。この道は児童公園から来た道に続いている。

Photo Y 天神社南の交差点を東へ折れ、「田町」交差点
への 中間点から南へ左折した道。


Photo Z 仙台銀行と「東仲町」交差点の間にあるお屋敷。


  児童公園を出て来て左折した交差点まで行って、七十七銀行や仙台銀行のある道を行く。まもなく三度目の「東仲町」交差点という手前に、昔ながらの門構えのお屋敷がある。破風板の彫刻も、黒い門扉に施された朱塗りの飾りも目を引くが、長四角や半円にきっちりと刈り取られた庭木も大いに目を引くお屋敷である。

  「東仲町」交差点からは帰り足である。まっすぐ角田市役所まで歩き、ここを左折すれば駅までは直線である。「栄町」交差点を過ぎてすぐ左手に洋食の店なのにラーメンを出すという珍しい店があって、そのラーメンで昼食としたのである。

  これが「宮城の町歩き」の初めての歩きである。一日がかりのつもりだったが、午前中で終わってしまったので、午後は近くの丸森町に行くことにする。

(2011/2/24)
  1. 茨木のり子「茨木のり子詩集(理論社 2004年) p. 62。
  2. 「季題別 山口誓子全句集」(本阿弥書店 1998年) p. 354。
  3. 「金子兜太集 第一巻」(筑摩書房 平成14年) p. 352。
  4. 「阿波野青畝全句集」(花神社 平成11年) p. 150。
  5. 「日本の古典 35 新古今和歌集一」(小学館 昭和58年) p. 313。
  6. 「現代詩文庫26 石原吉郎詩集」(思潮社 1969年) p. 58。