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〔宮城の町歩き 1〕 角田市 2009年12月8日 |
定年退職を機に東京の街歩きを始めた。住んだことはないが、よく知っている東京の地名を確認したいためである。
住んでいる仙台では、朝晩の犬の散歩以外に、ふだん歩かない街区で意識的に長い(3時間くらい)散歩をするようになったのは5,6年くらい前からである。
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ネット情報通り、まっすぐ角田駅に行き、駅の駐車場に車を入れる。おそらくこの駐車場は通勤通学で角田駅を利用するためのものだろうが、十分に余裕があって、気兼ねなく止めることができた。 |
この道には、(看板によれば)イタリアンパスタも寿司も出す珍しい店もあって、昼食をどうしようか考えさせられた。1ブロック先では、歩いて行った右側の舗道が広くなり、車道の間には欅の並木がある。さらに先には、その欅の間に石のオブジェがいくつか並べられていた。屹立する岩山のようのもの、屈曲する岩板といった風情のものである。 道はすぐに長泉寺の前に出る。寺の塀と舗道の間に、実がたくさんなっている木がある。見慣れない木だが、これがセンダン(栴檀)の木だろうと思った。「栴檀は双葉より芳し」(この栴檀は白檀のことだが)という言葉はかなり幼いころから知ってはいたが、じつのところ、センダンの木を見るのは初めてである。たぶん、図鑑のようなもので見た記憶が残っていたのだと思う。
栴檀の実が落つ思ひ立つときに 山口誓子 [2] |
角田に生えているセンダンの木を、仙台に住んでいながらこれまで見たことがないのは不思議だと思ったが、あとで調べると、センダンは西日本、暖地の植物だという。角田あたりが北限ということだろうか。 「高源山」という緑字の扁額を掲げた山門をくぐって長泉寺に入ると、高い鐘楼の奥に白木造りの本堂がある。白木造りというのは珍しいと思ったが、たんに造り立ての新しい寺院を見たことがないせいかもしれない。 長泉寺の参道は、私が駅から歩いてきた道によって切断されていて、その道の向こうに続いている。 参道には松や桜があり、庚申塚や六地蔵が 祀られていて、短いが良い道である。 |
長泉寺の参道の終わり(実際は参道入口)は十字路になっていて、右に折れて住宅地を行く。落ち着いた静かな道である。敷地や住宅や塀や、いろんなものの配置が長い時間をかけてこんなふうに落ち着いたという趣がある。
石段の途中にある八幡神社の鳥居は大きな杉の木の間にある。私の生まれ育った町の八幡神社にも大きな杉の木がたくさんあって、神社と杉の木は良く馴染むのである。 |
八幡神社を下り、もとの道を進む。道はやや広い道に斜行する。出会った道は長泉寺前を南に進んできた道である。道の向こうには農家らしい住宅があり、住宅と道の間には水路が流れ、水路の斜面にはたくさん実を残す柿の木と葉をすっかり落としているしだれ桜がある。 その道を歩くことなく左折する道に入った。比較的新しい住宅地の間を通る道である。ブロック塀の向こうで何かの気配がして、覗くと茶の毛並みの犬がいて、吠えないでじっとこちらを覗いているのである。その優しそうな犬と別れて右折し、大きな通りに出た。
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道の真ん中を水路が走り、道の向こう、南には田んぼが広がっている。遠くには標高200mもあろうか、山なみが連なっている。 水路に沿って東に歩く。途中、ウェルシュ・コーギーの歓迎がある。犬連れの歩きは、私ひとりの時より、道々の犬たちは強い関心を向けてくれるので楽しいのだ。水路が右に曲がり、それを越えると広い十字路である。交差する道は県道105号である。 県道105号に左折して、市の中心部方面へ行くことにする。左手に角田高校の校舎が見え、行手には角田小学校の体育館らしい建物が見える道である。「角田高校前」交差点を左折すると、舗道の敷石にたくさんの書き込みがある。小学生の絵や言葉だと思ったが、だいぶ大人びた表現や民謡の歌詞らしきものも見受けられる。15~18年前に書かれたらしいが、日付はまちまちで一斉に書いたわけでも何かの記念日に書いたようにも見えない。趣旨を推定するのは難しいが、楽しいイベントではあったろう、と思う。
立町(仙台にも立町があって、二人の子どもは立町小学校を卒業した)の町通りを道なりに歩いて行くと、左手の道になまこ壁の蔵造りの建物がある。手前隣の敷地に何本も立つ幟旗が郷土資料館であることを喧伝している。興味がないわけではないが、ここも建物と周囲を眺めて立ち去るのである。 郷土資料館のある通り(本町通りとでも呼べばよいのだろうか)を北に歩く。少し歩くと、郷土資料館のような土蔵づくりの家がある(Photo O)。庭には松などの植栽があり、大きなお屋敷である。 |
この通りは角田市の中心部らしい雰囲気がある。道沿いは商店とその客のための駐車場である。観光物産協会の案内 Map にもあった駐車場もある。近郊からの買い物客などが利用するのであろう。近くにはバスのターミナルもあるし、休憩所もあって、使い勝手が良さそうである。 |
しかし、参道が見つからないのだ。一区画歩いて左折した。この道、つまり北側から入る道があっても不思議ではない位置に神社は記されているのである。右手には、よく目立つ「半沢至誠堂表具店」の横の小さな石塔表示でそれと分かる千光院や、「醫王山」の扁額のある薬真寺などを見る。千光院は十一面観音が本尊らしく、醫王山薬真寺はとうぜん薬師如来が本尊ではないかと思ったのだが、山門脇には大日如来の大きな石碑があった。 道の左手を注意深く見ながら、路地のようなところに少し入ったりしながらも歩いたが、この道でも参道が見つからない。また、十字路(「田町」交差点)に出る。今度は西から入る道を期待して左折する。この道(Photo R)は、郷土資料館からまっすぐきた来た道である。 Photo R の右に見える人家の途切れたあたりから覗くと、フェンスの向こうに青麻神社が見えるではないか。やはり見落としたのである。反時計回りに来た道を、時計回りに引き返すことになった。 |
やっと見つけた青麻神社の参道がPhoto S である。とくに見つけにくい構造でもないのであった。ただの観察力不足なのである。 二年ほど前、蔵王町にある青麻山という山に登ったが、青麻神社と何か関係があるのだろうか。 ウィキペディアによれば、仙台市岩切にも青麻神社があって、名前はその土地に麻を植えたことに由来するとのことである。それぞれ日神・月神・星神である天照大御神・月読神・天之御中主神を主祭神とし、そのため三光神社ともいうらしい。岩切の青麻神社が、全国の青麻神社・三光神社の総本社なのだそうだ。岩切にそんなたいそうな神社があるとは「知りませんでした。ごめんなさい」という気分である。 そう言えば船形山の登山道の途中に「三光の宮」があって、休憩と食事で立ち寄るのである。今頃になって「三光」の意味が分かったのである。
参道脇の住宅のブロック塀から小菊が伸び出してきて、垂れ下がって咲いていた。もともとこの色なのか、白菊が老いてこの色になったのか(白菊はしばしばこのような色の変化をする)、よく分からないが、身構えない(あまり人工的に形を整えられていない)こんな菊は好もしいものだ。こぼれ落ちた花びらも良い。
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青麻神社の参道途中の細道を通って通りに戻り、「東仲町」交差点まで戻る。さっきこの交差点を曲がったときも、婦人警官を含めおまわりさんが数人この辺に立っていた。交通安全の指導か取締りであったろうと思うが、また出会うと、何となく気まずい。 こちらは、いわば仕事でもなく、目的もなさそうに、ただ同じところをうろうろしているのである。犬を連れているものの、バッグを背負っているのだ。あえて分類すれば不審者ないしはそれにきわめて近い者であろうな、と自分でも思うが、さいわい無視してもらえた。 「東仲町」交差点からさらに郷土資料館の方へ1ブロック戻り、信号のある交差点を右折する。仙南病院の大きな建物を過ぎる。この後もいくつか医院の前を通ることになるが、角田市には病院、医院が多いのではないかと感じた。東京の街歩きや仙台市内の散歩を良くするが、そのどこと較べても多いような気がする。というより、他では病院が多いと感じたことはないのである。角田市のみならず、近郊の町村の需要をも満たしているのいるのだとすれば、必ずしも不思議なことではないけれども。 仙南病院の隣は、児童公園である。噴水のある池と、広い庭があるが、北西の一角には公衆トイレもある。利用させてもらい、助かった。公衆トイレから戻らずにそのまま北に道をとった。笹森整形外科医院を過ぎて信号のある十字路を左折する。この道を電波鉄塔や角田協会を見ながら進み、県道105号へふたたび出て、天神社へ向かう。
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天神社の鳥居の脇には祈願の種類が墨書きしてあるが、やはり「学業成就」「合格祈願」が第1である。境内にはここにも杉の大木である。葉を落としたしだれ桜もあって、春は杉の濃い緑を背景に咲く姿で美しかろう、と想像してみる。 児童公園を出て来て左折した交差点まで行って、七十七銀行や仙台銀行のある道を行く。まもなく三度目の「東仲町」交差点という手前に、昔ながらの門構えのお屋敷がある。破風板の彫刻も、黒い門扉に施された朱塗りの飾りも目を引くが、長四角や半円にきっちりと刈り取られた庭木も大いに目を引くお屋敷である。
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