パトロールの日々 (クロ) |
ふはふはと歩みておれば地べたより老犬クロに一瞥されぬ |
町中の中学生に声を掛けられ、撫でて貰いなどしているうちに、仕事の合間を見つけて現れた長兄に声をかけてもらうまで中学校の玄関に居続け、長兄との挨拶が終われば姿を消すのである。ここまでは長兄の話。 |
この後の行動は、突き合わせが十分ではないので、町役場を出た後の行動かどうかは直接の証拠はない。ここまでの行動は週日のほぼ毎日で、この後の行動もかなりの頻度で目撃されているので、やはり町役場の後の行動であったろう。
町役場を出たあとのクロは、この旧宅付近をしばらくうろついていたらしい。旧知の人がたくさんいて、声をかけてもらうのを楽しんでいたということだ。とくに、旧宅の隣2,3軒の家には、玄関に入り込んで挨拶したり、餌をもらったりしていた。母と仲がよかった旧宅の近所のおばちゃんたちの話である。 |
このクロの巡回の日々も、数年で終わりになる。 |
放し飼いのクロは、次兄宅の滞在を終えて仙台に帰る私をいつも見送ってくれる。家を出る私のあとをついてくるのである。しばらく一緒に歩いてから、もう帰れと言うと立ち止まって私の顔を見上げている。少し歩いてからふり返ると、10メートルほど離れてついてくる。叱られると思うのか、眼を合わせると家の陰ににスッと入ってしまう。また少し歩いてふり返ると、さっきよりは距離が広がるもののやはりついてきて、やはり私に気付かれると家の陰に入ってしまう。 |
排除の基底にあるのが、「好き嫌い」であるとすればこれは少し恐ろしいことと規定してもよい事象だろう。「俺はあいつが嫌いだ、俺が生きるこの社会からあいつを放り出せ。」 このような精神の薄汚さは、「たかが犬」のことだからこそ簡単に顕わになるのであろう。歴史から抽出して、身にまとうべき切実な倫理は確かに何度も再発見されて、繰り返し繰り返し学ぶべき機会は(不孝にも)何度もあったはずなのに。
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