ブリコラージュ@川内川前叢茅辺 <街 2>


街歩き・東京 2 渋谷-乃木坂-原宿(2)  2009年11月11日

  乃木坂の国立新美術館、「The ハプスブルグ」展を観た。ほとんどの絵画は幾度か見たことがあるもので、ハプスブルグ・コレクションのブダペスト分が初見である(ブダペストは行ったことがないので当然だが)。この展覧会であらためて確認したのは、聖書に登場人物するなかで、私は洗礼者ヨハネがとくに好きだ、という感情であった。これはあくまでも絵画に描かれた洗礼者ヨハネのことである。多くの場合、聖母子像とともに描かれる幼い洗礼者ヨハネを愛しいと思うのだ。この感情は、アブラハムやヨブに対する畏敬の念とはまるっきり異なる。けっして宗教的な感情ではない。たんに「好き」と言うだけのことだ。

  とまれ、「街歩き・東京」である。洗礼者ヨハネのことはまた別の場所、別の時の話である。
  展覧会を見終わったのは12時30分頃、雨はまだ強く降っている。午前中の歩きでズボンの裾はびっしょりと濡れたが、完全に乾いている。この日の服装は、春や秋の時期の登山のときの格好そのものである。撥水性、速乾性の外装ということだ。靴もメレル・カメレオンのショートのトレッキングシューズである。最近は動きやすい山服がお気に入りで、私にとっては外出着の一つとなっている。欠点は、普段着としては値が張ることである。

  Photo A の風景も、自然、天候の点でいえば、山歩きする身には面白くも何ともない高みにガスがかかった風景である。どちらかといえば楽しくない景色なのだが、(私の住む家と分類上は同一の)人間が居住する建物にガスがかかっているという、この「当たり前」に少しだけ驚いたのである。
  しかしこの光景は、気をつけて歩いて見れば、次々と現れ、少しばかりゆらいだ感覚もあっという間に平準化されることになる。

Photo A

乃木坂の国立新美術館の前から見るミッドタウンタワー。

  国立新美術館からミッドタウンタワーのある外苑東通りに出て赤坂通の方向の北上する。渋谷駅から乃木坂までは南青山を歩いてきたので、これからは北青山を通って渋谷駅まで戻ろうということだ。
  歩き始めてすぐ「乃木坂」交差点を越えるころ、乃木坂といえば「乃木坂倶楽部」ではないか、萩原朔太郎ではないか、と思いいたった。

 

去年はアパートの五階に住み
荒漠たる洋室の中
壁に寢臺(べつと)を寄せてさびしく眠れり。
             萩原朔太郎 「乃木坂倶楽部」部分 [1]

 


  このアパートというのはあの東京都児童会館裏手のアパート(渋谷-乃木坂-原宿(1)、Photo D) のような建物ではなかったのだろうか。

Photo B 外苑東通りと赤坂通りの立体交差点。外苑東通り南側から見る。

  外苑東通りと赤坂通は立体交差で交わっている。Photo B の奥、外苑東通りから赤坂通へ下りる階段を通って、乃木神社に寄ることにした。だが、実際には乃木神社は鳥居の前を通っただけで、つまり乃木公園(旧乃木邸)は通り抜けただけだった。
  旧乃木邸裏門から入り、傾斜地の広い庭を上ってゆく。ケヤキやナツツバキ(シャラノキ、娑羅樹)が根をむき出しで斜面に張り付いている。 この辺は岩盤の植えに薄い土壌がのっているだけなのだろうか。見落としそうになったが、茶の花が咲いている。
  ツバキの仲間ではヤブツバキが一番、次に白い小輪の「侘び助」、その次くらいに茶の花、これが私の好みの順番である。東北生まれの私が茶の花を知ったのは、中年になってからのことである。今では、庭木として仙台でも良く見られるようになったが、私の庭にはない。

Photo C

乃木公園内から見上げる旧乃木邸。


Photo D

乃木公園内で見た茶の花。


     茶の花のうひうひしくも黄を点じ     阿波野青畝 [2]

      
茶の花や身にちかく冬のきてゐる    種田山頭火 [3]

 街歩きMAP

青線は歩いたコース。A〜ZBの赤矢印はは、写真のおおよその撮影地点と撮影方向を示している。地図のベースは、「プロアトラスSV4]である。歩行軌跡は、「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータによる。

Photo E 外苑東通りから左折して青葉公園へ向かう道。

   庭を上りきった高みの平地にある旧乃木邸宅と馬小屋の間(つまり乃木邸正門)から、外苑東通りに戻る。そのまま、山王病院前を400mほど北進し、信号を一つ越えてから左折する(Photo E)。この道の右手には南青山保育園があり、突き当たりは青葉公園である。
  写真ではほとんど隠れているのだが、この道の左手にはベージュ色の壁のしゃれた三階建てがある。1階の表はシャッターが下りていて、そのシャッターの床に木箱に入れてワインの空き瓶が並べられている(Photo F)。脇に鉢植えが並べられているのできちんと意図したデコレーションだろう。

Photo F

家の前にdecorateされいていたワインの空き瓶。

   レストランでよく見かけるけれども、ワインの空き瓶は良いデコレーション・アイテムなのだ。安ワインを毎日のように20年以上飲み続けている身には、どのようなワインを飲んでいるのか興味があったのだが、個人宅なので近寄ってしげしげと見るのは憚られた。遠目からは、スパークリング、ブルゴーニュ、ボルドーのそれぞれのタイプの壜が同じくらいずつあるようだ。

  道はすぐに青葉公園にぶつかるが、公園には入らず、公園入口前を右折して外苑西通りに出る。


Photo G 青葉公園、東側の入口。

  外苑西通りを青山通りに向かうが、青山通りに出る一つ手前の並行する道(Photo H)を左折し、西へ歩く。午後1時なのに街灯が輝いている道である。最近の街灯は検知式の自動点灯だと思うが、今日はそれだけ暗いのだろう。道理で、デジカメで無造作に撮る写真の出来が悪いわけである。
  この道は、まっすぐな道で小さなオフィスビルがほとんどでである。500mほど歩くと、青山霊園の真ん中を通ってくる道(Photo I)に出る。この道は午前中に通りかかった青山霊園南端の道(渋谷-乃木坂-原宿(1)、Photo Q)に通じてる、と分かったのは後日地図を見ていたときのことだ。このT字路に着いたとき、南を眺めると道の向こうは緑の木々で、そこが青山霊園であったのだろう。


Photo H 赤坂通りと平行に走る道。


Photo I Photo H の道を5ブロック直進して右折、青山通りの
「赤坂消防署入口」交差点方向を見る。

  Photo I の近くまで来ると食事ができる店が増えてきた。午後1時を回ったので、食事の店は空き始めた頃合いだろうから、昼食にしようと思ってこの辺を少し行きつ戻りつした。Photo I の道を少し進んだ右の路地の奥にレストラン(Photo J)があるのを見つけて、やっと昼食である。おいしいスズキがメインディッシュであった。

Photo J

Photo I の道、青山通りに出る途中で右に入る小路にあるフレンチの店。ここで昼食。

 

  昼食のフレンチはどれもおいしくて、白のグラスワインはもっとおいしくて、つまり、少し飲み過ぎて店を出た。青山通りを少し西に歩いて、秩父宮ラグビー場へ行く道に右折した。後で見ると、この辺の写真はみんな呆けていて、けっこう酔っていたらしいのである。

  この辺りにきて、午前の歩きでは気がつかなかった「表参道」を、「表参道」と認識しつつ歩いて見たいと思ったのである。その方向へ向かうために、青山高校の手前の路地に入り、南西方向を目指した。この路地の奥には阪神タイガースのショップ「Tigers Shop」があって、東京の広さを感じたのである。都市が小さくなるほどフランチャイズ以外のショップは難しくなるのはないか、などと、野球に限らずこの手のショップに入ったことない人間が勝手に想像したのだった(いや、1度だけミュンヘンで入ったことがあった。バイエルン・ミュンヘンのショップで息子への土産にバイエルンのユニフォームを買ったことがある)。


Photo K 秩父宮ラグビー場の正門を少し過ぎ、 都立青山高校の手前を左折した道。

  タイガース・ショップの路地を抜け、ブラジル大使館前を通って外苑西通りに出る道に入る。ブラジル大使館のエントランスの脇には、黄色の半円筒があったが、これが建築物の中でどんな役割を果たしているのか良く分からない。
  桜や躑躅などが道の両脇に植えられ、落ち着いた感じの通りで、この黄色は目立ってよく映えている。黄色はブラジルを象徴する色なのだろうか、ブラジル・サッカーチームのユニホームの色も黄色である。この黄色はきっと何かに由来するのだろうが、私がブラジルに行ったときの記憶にも、黄色はどこにも出てこなくて、まったく見当もつかないのだった。  


Photo L ブラジル大使館のある道を北方向から眺める。

Photo M

ブラジル大使館の玄関付近。


Photo N Photo L の道を直進して出た外苑西通りの歩道橋から
「神宮前3丁目」交差点方向を眺める。



Photo O 外苑西通りから入った「HARAJUKU二丁目商店街」の看板がかかる道。

   外苑西通りに出て歩道橋を渡り、すぐ原宿2丁目商店街に入る。外苑西通りの歩道橋を渡るさい、左手に「港区」、右手に「渋谷区」の標識があり、この辺が区境であることがわかる。私がまだ幼く、東北に小さな村落で暮らしていた頃、境を越えることは非日常的な、つまり異常時であったが、ここではなんの意味もない。この差異を言葉にするとすごいことになりそうだが、至極当然なのである。東京における町境、区境はごくごく恣意的、偶発的で、地球に生を受けた人間、父祖からの生を受けとめて生きている人間にとって「無」以下の「しるし」である(政治や行政統治の側ではきわめて重要な象徴であろうとも、である)。

Photo P

「HARAJUKU二丁目商店街」で見かけたツワブキ(石蕗)の花。


   今日となり明日となりゆく石蕗の花   松本たかし [4]

   つはぶきの終日陰を出でずして   山口誓子 [5

   旅立つや花を散らさぬ石蕗の花   秋本不死男 [6]

  原宿2丁目商店街はそれほど賑やかな商店街ではないけれども(雨のせい?)、緩やかに曲がっていて感じの良い通りである。外苑西通りから100mほど入った所の十字路の角に日本料理屋があって、その家に角にツワブキ(石蕗)の花が咲いていて、たいへん印象的であった(Photo P)。
  ツワブキは、日本家屋の庭の中でも家の影、木陰など陽のあたらない所に植えられて、その花の黄色を控えめに主張しているというのが普通だが、この街中のツワブキも美しい。写真にも一部写っているが、ツワブキの隣にはトクサ(木賊、砥草)が低い垣塀のように植えられていて、これも端正な印象を与えるものであった。
  

Photo Q

「HARAJUKU二丁目商店街」通りを左折して青山通りに向かう道。

  原宿2丁目商店街をまっすぐ行けば、表参道へ出るはずであるが、ツワブキの家を過ぎてすぐの十字路、左手に道にせり出した桜の姿に惹かれてそちらに曲がっていくことにした(Photo Q)。
  この道の途中には車止めがあるのだが、車止めのこちらにも向こうにも車は入っているのであった。交差する一歩通行の道に入らないようにしているのだろうか。この車止めを越えると道の両側には植栽が多く、その中でナツミカンがあるのが目をひく。東北でしか暮らしたことがない身には、ナツミカンには目がとまるのである。

  青山通りを「表参道」交差点まで歩き、右折して表参道に入ることにする。少し気後れしていたが、雨降りのせいか、人出はそれほどもなかった。ここでも雨に助けられた感じがしたのである。
  表参道に入ってすぐ、今朝がたその脇をすり抜けてきたビルを確認する。表参道と認識せずに通り抜けた今朝とは、通りの印象が違うような気がするのは、思い過ごしか。

Photo R

表参道(青山通りの「表参道」交差点付近)。

  表参道の舗道に作られた花壇にはフェンスを立ててつる性の草を植えている。舗道の真ん中の花壇に、花のためにフェンスを立てるというのはあまり見ない。フェンスの前には、ホトトギス(杜鵑)が咲いている。ホトトギスは日本の山野草のひとつだが、今では家庭の庭に珍しくない。
  ホトトギスの咲くフェンス越しに秋葉神社が見える。表参道の行き着く先、明治神宮とは異なり、この秋葉神社はこの地の人たちの社であろう。

   そろそろ表参道ヒルズという辺りに明るい公衆トイレがあって、立ち寄った。中途半端なサイズの都市ではトイレに困ることが多いが、都会の街歩きでは、山歩きと同じくらいトイレには困らないのである。使い捨てトイレパック持参であればどこでも出来る山中と、公園などのトイレ付き公共施設が適当な範囲に必ずある都会は等価なのである。トイレといえば、次のような短歌がある。

  あかつきの表参道に蠅あまた吾にまつはるあやしきまでに 
                               山口茂吉 [9]

  日本は、時代の変化が劇的なのだ。イギリスでは、いまだに首相公邸のねずみ対策の猫が国民的ヒーロー(ヒロイン?)だというのに。

Photo S

表参道にある公衆トイレ。

  表参道ヒルズが同潤会アパート跡に出来たときには、私が知っているくらいに、マスコミで幾度も取り上げられている。同潤会アパートは、三浦展が関心をもってその著書で取り上げている [7]。大月敏雄は、三浦展のその著書に寄稿して、同潤会について次のように述べている [8]
 

 財団法人同潤会は、……関東大震災の被災者のために、……組織された、日本初の国家的住宅組織である。……その(十六カ所建設された同潤会アパートと呼ばれる鉄筋コンクリート造の集合住宅の)都市的デザインは、当時の世界の集合住宅建築の最先端を走り、戦後多く建てられた公共集合住宅をはるかに凌駕するものであった。
 …………
 ……同潤会アパートは二〇〇七年には上野下アパートを残すのみとなる。建て替えられたアパートにはすでに散歩には行けないが、代官山・青山のように、アパートそのものはないけれどアパートあってこそ発展してきた街はのこっている。他のアパートや木造団地の跡地や周辺の街も、きっと何がしかの形でアパートの臭いを継承しているに違いない。

 

  表参道ヒルズをやりすごし、神宮前交番の手前、神宮前小学校に右折する(Photo T)。小学校を過ぎた辺りで、ビル脇の石畳と階段を抜け、西隣の小路に移行する。この道にはブティックのような店が増え、人通りも多くなってきた(Photo U)。


Photo T 表参道ヒルズを過ぎて神宮前小学校西側に右折した道。


Photo U Photo T の道に平行に走る西側の道。

  Photo U の道が下り坂にかかる手前で左折し、竹下通りにまっすぐ入る道を歩く。この辺になると、店の照明との対比のせいか、もう薄暗く感じる。午後三時半くらいである。
  この道をまっすぐ進み明治通りに出ると、通り向かいの小路がマスコミに良く登場する竹下通りである(Photo W)(ということを看板で知った)。看板の下は人混みである。写真には大勢の人が写っていたが、それぞれの顔にぼかしを入れる作業が面倒で、上だけを切り抜いた。
  ここに掲載している写真のすべてについて、判明な人の顔、車のナンバーなど個人を特定できる部分にはぼかしを施したうえに、掲載サイズで見られるギリギリまで解像度を落としている。腕もカメラもよくないことも加えて、写真の出来が悪いのはそのせいである。


Photo V Photo U の道を左折して竹下通りに向かう道。

Photo W

   竹下通り入口の看板。

  当然ながら、竹下通りには入らず、明治通りを北東に進み、東郷神社に立ち寄ることにした。午前中に乃木神社、午後に東郷神社と、今日は日露戦争の立役者、二人の英雄ゆかりの地に立ち寄ることになった。明治神宮に寄れば物語は完結するような気分である。
  神社境内の神池の架かる橋を渡り、社殿、神橋(Photo X)と境内を反時計回りに歩いて明治通りに戻った。


Photo X 東郷神社境内にある「神橋」の道。

  明治通りをさらに北東に歩いて原宿警察署を過ぎてから、切通し(片側だけなので厳密には切通しと呼べないかもしれないが)になっている左手の坂道を上ってみる(Photo Y)。坂を上がると原宿外苑中学校がある。中学校の手前に左に入る細道があって、明治通りに戻れそうなので、そこに入った。
原宿外苑中学校南東面沿いの細道は、最近散歩道として整備された感じのする道であるが、途中高い崖下の道になると隣接地ではマンションか何かの工事中なのであった。
   崖下のバイク専用駐車場をすぎると、警察署の南を明治通りに出る下り坂(Photo Z)となる。

Photo Y

明治通り「神宮前1丁目」交差点から西北に入る道。



Photo Z Photo Y の道を反時計回りに明治通りに戻る道。原宿警察署の南を通る。

Photo ZA この区画だけに道中央に大きなフラワーボックスが並べられた道。
明治通り、山手線に平行に走っている。


  明治通りに出た辺りからは、完全に帰り気分である。原宿駅に近いのだが、渋谷駅に向かうことにする。表参道を横切り、明治通りを南西、山手線方向にどんどん歩く。
   山手線に出会う手前を左折し明治通りと併走する道に入ってみる。その道(Photo ZA)は、中央部分に花を植えたコンクリートポットが置かれていて道幅がかなり広い(車道は狭いが)。この広さはすぐに終わって、2車線の広さになる。
   この道は次第に明治通りに近づき、斜交する(Photo ZB)。明治通りとの出会いからは宮下公園、遠くにはセルリアンタワー東急ホテルのビルが霞んでいる。雨はまだ降り続いている。信号も街灯も滲んでいる。
 

もうよしなさい
あきらめなさい
と 雨のなかを青が点滅する
旅の後半部は
誰でも急ぎ足だ

       吉原幸子「信号 I」部分 [10]

 

  

Photo ZB Photo ZA を直進して明治通りと交差する地点から
宮下公園、渋谷駅方向を見る。



(2011/2/18

                             

  1. 萩原朔太郎「純情小曲集・氷島・散文詩」(新潮文庫、昭和30年) p. 62。
  2. 「阿波野青畝全句集」(花神社 平成11年) p. 82。
  3. 「定本 種田山頭火句集」(彌生書房 昭和46年) p. 216。
  4. 現代日本文學大系95「現代句集」(筑摩書房 昭和48年) p. 113。
  5. 「季題別 山口誓子全句集」(本阿弥書店 1998年) p. 501。
  6. 「季語別 秋本不死男全句集」鷹羽狩行編(角川書店 平成13年) p.276。
  7. 三浦展「大人のための東京散歩案内」(洋泉社 2006) p. 26、p. 104。
  8. 大月敏雄「同潤会案内--その志」、同上、 p. 50。
  9. 現代日本文學大系95「現代歌集」(筑摩書房 昭和48年) p. 307。
  10. 「続吉原幸子詩集」(思潮社 2003年) p. 70。