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〔街歩き・東京 2〕 渋谷-乃木坂-原宿(2) 2009年11月11日 |
乃木坂の国立新美術館、「The ハプスブルグ」展を観た。ほとんどの絵画は幾度か見たことがあるもので、ハプスブルグ・コレクションのブダペスト分が初見である(ブダペストは行ったことがないので当然だが)。この展覧会であらためて確認したのは、聖書に登場人物するなかで、私は洗礼者ヨハネがとくに好きだ、という感情であった。これはあくまでも絵画に描かれた洗礼者ヨハネのことである。多くの場合、聖母子像とともに描かれる幼い洗礼者ヨハネを愛しいと思うのだ。この感情は、アブラハムやヨブに対する畏敬の念とはまるっきり異なる。けっして宗教的な感情ではない。たんに「好き」と言うだけのことだ。
国立新美術館からミッドタウンタワーのある外苑東通りに出て赤坂通の方向の北上する。渋谷駅から乃木坂までは南青山を歩いてきたので、これからは北青山を通って渋谷駅まで戻ろうということだ。
このアパートというのはあの東京都児童会館裏手のアパート(渋谷-乃木坂-原宿(1)、Photo D) のような建物ではなかったのだろうか。 |
外苑東通りと赤坂通は立体交差で交わっている。Photo B の奥、外苑東通りから赤坂通へ下りる階段を通って、乃木神社に寄ることにした。だが、実際には乃木神社は鳥居の前を通っただけで、つまり乃木公園(旧乃木邸)は通り抜けただけだった。 旧乃木邸裏門から入り、傾斜地の広い庭を上ってゆく。ケヤキやナツツバキ(シャラノキ、娑羅樹)が根をむき出しで斜面に張り付いている。 この辺は岩盤の植えに薄い土壌がのっているだけなのだろうか。見落としそうになったが、茶の花が咲いている。 ツバキの仲間ではヤブツバキが一番、次に白い小輪の「侘び助」、その次くらいに茶の花、これが私の好みの順番である。東北生まれの私が茶の花を知ったのは、中年になってからのことである。今では、庭木として仙台でも良く見られるようになったが、私の庭にはない。
茶の花のうひうひしくも黄を点じ 阿波野青畝 [2] |
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庭を上りきった高みの平地にある旧乃木邸宅と馬小屋の間(つまり乃木邸正門)から、外苑東通りに戻る。そのまま、山王病院前を400mほど北進し、信号を一つ越えてから左折する(Photo E)。この道の右手には南青山保育園があり、突き当たりは青葉公園である。
レストランでよく見かけるけれども、ワインの空き瓶は良いデコレーション・アイテムなのだ。安ワインを毎日のように20年以上飲み続けている身には、どのようなワインを飲んでいるのか興味があったのだが、個人宅なので近寄ってしげしげと見るのは憚られた。遠目からは、スパークリング、ブルゴーニュ、ボルドーのそれぞれのタイプの壜が同じくらいずつあるようだ。 |
外苑西通りを青山通りに向かうが、青山通りに出る一つ手前の並行する道(Photo H)を左折し、西へ歩く。午後1時なのに街灯が輝いている道である。最近の街灯は検知式の自動点灯だと思うが、今日はそれだけ暗いのだろう。道理で、デジカメで無造作に撮る写真の出来が悪いわけである。
Photo I の近くまで来ると食事ができる店が増えてきた。午後1時を回ったので、食事の店は空き始めた頃合いだろうから、昼食にしようと思ってこの辺を少し行きつ戻りつした。Photo I の道を少し進んだ右の路地の奥にレストラン(Photo J)があるのを見つけて、やっと昼食である。おいしいスズキがメインディッシュであった。
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昼食のフレンチはどれもおいしくて、白のグラスワインはもっとおいしくて、つまり、少し飲み過ぎて店を出た。青山通りを少し西に歩いて、秩父宮ラグビー場へ行く道に右折した。後で見ると、この辺の写真はみんな呆けていて、けっこう酔っていたらしいのである。 タイガース・ショップの路地を抜け、ブラジル大使館前を通って外苑西通りに出る道に入る。ブラジル大使館のエントランスの脇には、黄色の半円筒があったが、これが建築物の中でどんな役割を果たしているのか良く分からない。 桜や躑躅などが道の両脇に植えられ、落ち着いた感じの通りで、この黄色は目立ってよく映えている。黄色はブラジルを象徴する色なのだろうか、ブラジル・サッカーチームのユニホームの色も黄色である。この黄色はきっと何かに由来するのだろうが、私がブラジルに行ったときの記憶にも、黄色はどこにも出てこなくて、まったく見当もつかないのだった。
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外苑西通りに出て歩道橋を渡り、すぐ原宿2丁目商店街に入る。外苑西通りの歩道橋を渡るさい、左手に「港区」、右手に「渋谷区」の標識があり、この辺が区境であることがわかる。私がまだ幼く、東北に小さな村落で暮らしていた頃、境を越えることは非日常的な、つまり異常時であったが、ここではなんの意味もない。この差異を言葉にするとすごいことになりそうだが、至極当然なのである。東京における町境、区境はごくごく恣意的、偶発的で、地球に生を受けた人間、父祖からの生を受けとめて生きている人間にとって「無」以下の「しるし」である(政治や行政統治の側ではきわめて重要な象徴であろうとも、である)。
今日となり明日となりゆく石蕗の花 松本たかし [4] |
原宿2丁目商店街はそれほど賑やかな商店街ではないけれども(雨のせい?)、緩やかに曲がっていて感じの良い通りである。外苑西通りから100mほど入った所の十字路の角に日本料理屋があって、その家に角にツワブキ(石蕗)の花が咲いていて、たいへん印象的であった(Photo P)。 ツワブキは、日本家屋の庭の中でも家の影、木陰など陽のあたらない所に植えられて、その花の黄色を控えめに主張しているというのが普通だが、この街中のツワブキも美しい。写真にも一部写っているが、ツワブキの隣にはトクサ(木賊、砥草)が低い垣塀のように植えられていて、これも端正な印象を与えるものであった。
原宿2丁目商店街をまっすぐ行けば、表参道へ出るはずであるが、ツワブキの家を過ぎてすぐの十字路、左手に道にせり出した桜の姿に惹かれてそちらに曲がっていくことにした(Photo Q)。 青山通りを「表参道」交差点まで歩き、右折して表参道に入ることにする。少し気後れしていたが、雨降りのせいか、人出はそれほどもなかった。ここでも雨に助けられた感じがしたのである。
表参道の舗道に作られた花壇にはフェンスを立ててつる性の草を植えている。舗道の真ん中の花壇に、花のためにフェンスを立てるというのはあまり見ない。フェンスの前には、ホトトギス(杜鵑)が咲いている。ホトトギスは日本の山野草のひとつだが、今では家庭の庭に珍しくない。
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表参道ヒルズが同潤会アパート跡に出来たときには、私が知っているくらいに、マスコミで幾度も取り上げられている。同潤会アパートは、三浦展が関心をもってその著書で取り上げている [7]。大月敏雄は、三浦展のその著書に寄稿して、同潤会について次のように述べている [8]。
表参道ヒルズをやりすごし、神宮前交番の手前、神宮前小学校に右折する(Photo T)。小学校を過ぎた辺りで、ビル脇の石畳と階段を抜け、西隣の小路に移行する。この道にはブティックのような店が増え、人通りも多くなってきた(Photo U)。 Photo U の道が下り坂にかかる手前で左折し、竹下通りにまっすぐ入る道を歩く。この辺になると、店の照明との対比のせいか、もう薄暗く感じる。午後三時半くらいである。 この道をまっすぐ進み明治通りに出ると、通り向かいの小路がマスコミに良く登場する竹下通りである(Photo W)(ということを看板で知った)。看板の下は人混みである。写真には大勢の人が写っていたが、それぞれの顔にぼかしを入れる作業が面倒で、上だけを切り抜いた。 ここに掲載している写真のすべてについて、判明な人の顔、車のナンバーなど個人を特定できる部分にはぼかしを施したうえに、掲載サイズで見られるギリギリまで解像度を落としている。腕もカメラもよくないことも加えて、写真の出来が悪いのはそのせいである。
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当然ながら、竹下通りには入らず、明治通りを北東に進み、東郷神社に立ち寄ることにした。午前中に乃木神社、午後に東郷神社と、今日は日露戦争の立役者、二人の英雄ゆかりの地に立ち寄ることになった。明治神宮に寄れば物語は完結するような気分である。 明治通りをさらに北東に歩いて原宿警察署を過ぎてから、切通し(片側だけなので厳密には切通しと呼べないかもしれないが)になっている左手の坂道を上ってみる(Photo Y)。坂を上がると原宿外苑中学校がある。中学校の手前に左に入る細道があって、明治通りに戻れそうなので、そこに入った。 原宿外苑中学校南東面沿いの細道は、最近散歩道として整備された感じのする道であるが、途中高い崖下の道になると隣接地ではマンションか何かの工事中なのであった。 崖下のバイク専用駐車場をすぎると、警察署の南を明治通りに出る下り坂(Photo Z)となる。
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明治通りに出た辺りからは、完全に帰り気分である。原宿駅に近いのだが、渋谷駅に向かうことにする。表参道を横切り、明治通りを南西、山手線方向にどんどん歩く。 山手線に出会う手前を左折し明治通りと併走する道に入ってみる。その道(Photo ZA)は、中央部分に花を植えたコンクリートポットが置かれていて道幅がかなり広い(車道は狭いが)。この広さはすぐに終わって、2車線の広さになる。 この道は次第に明治通りに近づき、斜交する(Photo ZB)。明治通りとの出会いからは宮下公園、遠くにはセルリアンタワー東急ホテルのビルが霞んでいる。雨はまだ降り続いている。信号も街灯も滲んでいる。
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