ブリコラージュ@川内川前叢茅辺 <犬 5>

シーズーぎらひ (イオ)

   「嫌ひ」と旧仮名遣いで表記すると、少し上等そうな感情が漂うように見える、というのは私だけの感じ方だろうか。たとえば、こんな句がある。

    虚子ぎらひかな女嫌ひのひとへ帯    杉田久女 [1]
     
  高浜虚子や長谷川かな女を「嫌ひ」と断じる勁い情に驚くばかりである。現代歌人では、こうである。

    さくらさくら我の嫌ひな日本語は「美しい日本語」
                          
大口玲子 [2]

  もっとも、俳句や短歌の作家には現代でも旧仮名遣いの人が多い。短詩系文学では、日本語が長い歴史をかけて培ってきた言語表現における繊細な差異を大事にするためではないか、と思う。それこそ、「美しい日本語」は新仮名遣いにはないと信じている、に違いない [3]
  もちろん、現代詩だってこの通り。

 

〈つらい詩なんぞ読みたくないよ〉
と男たちはいふ
〈つらい詩を読んで
ああこの人でも生きてゐる と思ふと
じぶんも生きられる〉
と女たちはいふ

さう もっと幸せな詩を書きたいのだが
わたし自身も
“ごくふつうに生きてゐる”ものだから……

                   吉原幸子「同病」部分 [4]

 

  そして、私のなかの旧仮名遣いの極北に座しているのは、この詩である。

     てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。
                                                        安西冬衛「春」全文 [5]

   私は新仮名遣いだけで生きてきたし、旧仮名遣いのルールもよく知らず、物真似のように使ってみるだけである。そのせいで、なんとなく「嫌ひ」という仮名遣いをしてみたいと思っただけで、これだけのエクスキューズが必要だったということである。

   「 はなし」は、単に、我が家の牝犬「イオ」がシーズー犬を嫌っているらしい、というだけのことである。

  成犬になったイオは、気が強くて、自分と同等以上の体格の犬には、じつに挑戦的なのである。相手が気に入った牡犬(いまだにその基準が理解できないが)なら愛想がよいのだが、牝犬で仲が良くなったのは、大型犬では、ラブラド-ルとゴールデンのレトリーバーの二匹、それに中型犬のセッター(犬種はよく分からない)の三匹くらいである。それも、三匹とも圧倒的に穏和な性格で、しかもよく躾けられているためなのである。イオの挑戦を適当にあしらってくれているうちに仲良くなれたというのが実際のことで、とくにイオを褒めようがないのである。

  一方、チワワ、マルチーズ、トイプードルなどの小型犬には敵意を見せない。 隣家のミニチュアダックスは同じ牝なのに仲が良くて、スピード感がまったく違うので本格的な(イオ好みの)遊びにはならないが、出会えば必ず走り寄って、からまっている。
  とくにお気に入りの小型犬は、ジャック・ラッセル・テリアである。「軽の車体にF1のエンジンを積んでいる」と形容されるこの犬種は、疲れ知らずで駆け回ることで知られている。
  「ハッピー」というやはり牝のジャック・ラッセル・テリアがいて、半年間ほど朝の散歩で出会う期間があった。

  まだ薄暗い早朝、いわゆる「かわたれどき」であれば、二匹が出会う或る広場には誰もやってこないので、二匹は思いっきり暴れ回ることができる。

ハッピーとイオ

 まだ夜が明けない広場で、雪を蹴散らして飛び回って、ひと休み。

 (2009/1/14)

  ハッピーとイオの遊びは激しい。全速力で駆け回り、カーブを切ろうとして勢い余って3回転ほど転がり、その上にもう一匹がジャンプして飛び込んだりする。イオは、自分が転げた時には、ひっくり返ったまま、飛び込んでくるハッピーを両前肢で抱き留めて、もう1回転がって、押さえ込もうとする。二匹は、抱きあったまま、転げ回っているように見える。
  ある雨上がりの朝には、そんな遊びで、当然ながら全身泥だらけになる。二匹の飼い主は、それに懲りて、リードを放す条件を厳しくすることになる。
 
  ジャック・ラッセル・テリアは特別で、ほかの小型犬には鼻面を付き合わせる程度のつき合いが普通である。しゅっちゅう顔を合わせる隣家のミニチュア・ダックスフントの「ハリー」(牝犬なのになぜかこの名)を、ときどきイオ流の遊びに誘うこともあるのだが、普通の小型犬はそんな遊びにはのってこないのである。

   近所に、優しそうなおじいさんと一緒に散歩する牡のシーズー犬がいる。年齢は、イオの1才ほど年長らしい。幼いイオも予防注射が住んで、外出ができるようになった頃、町内でしばしば出会って、挨拶をするようになっていた。
跳んだり跳ねたり、全速力で体当たりをするような、ということは決してなくて、おとなしく品のよいそのシーズーとは、本当に挨拶程度だけのつき合いなのである。

  おじいさんとシーズー犬の散歩の時間はアト・ランダムらしく、朝晩ほぼ決まった時間に出かけるイオとは、月一,二回ほどしか町内で出会うことはなかった。
  イオが四才になったころ、広瀬川の堤防で出会った。いつものように飼い主同士は挨拶をして、犬同志も挨拶をするだろうと互いに近寄っていったとき、イオが突然威嚇したのである。シーズー犬も驚いたろうが、おじいさんはもっと驚いて、言葉を交わす間もなく、シーズー犬を引っ張って駆けて(けっして早くはなかったが)行ってしまった。

   イオがその小型犬を威嚇した理由がわからないまま時は過ぎた。シーズー犬と出会うと、当初はおじいさんはかなりの警戒心を示していたのだが、二匹は何ごともなかったごとく、以前と同じように挨拶を交わすのだった。
  ところが、それから二年後くらいに、すっかり油断していた時期に、イオはそのシーズー犬をふたたび威嚇した。そしてまた、元に戻り、さらに三年後、もう一度威嚇したのである。このまったく気まぐれのようなイオの威嚇行動の理由は見当もつかないままであった。

  ごく最近、同じ町内の若い奥さん(たぶん)が、やや大ぶりのシーズー犬を連れて散歩をするようになった。その若いシーズー犬は、夕方のほぼ決まった時間に我が家の庭の前を通り、イオの夕方時の散歩時間と重なるので、しばしば出会うのであった。
  四度目か五度目の出会いの時、おじいさんのシーズー犬にやったように突然威嚇したのである。若い奥さんはまったくたじろぐことがなく(少し救われた)、その後も平気でそばに寄ってきてくれたが、一ヶ月後くらいにまた、少しおとなしめであったが、威嚇した。

  小型犬の中で、なぜシーズー犬ばかり威嚇するのだろう、と考えていたとき、シーズー犬だからこそ威張って見せたのではないかと推測できそうなことがらに思い至った。
  それはやはり、初めての予防注射を終えて、遠くまで散歩に出かけられるようになったイオの生後四ヶ月の時まで遡る。

公園デビュー直前のイオ
(予防注射がまだなので)

 ワインを飲もうとしているわけではありません。
酒は嫌い。酔っ払いに変身した飼い主も嫌い。
コルクの咬みごごちは文句なく好きです。
    (2000/12/9)


  広瀬川沿いに「西公園」という公園があって、イオの散歩コースに含まれている。公園デビューしたころ、隻腕のお父さんが連れてくるラッキーという牡の中型犬がいて、毎日のように逢うのだが、まだチビだったイオは遊ぼうと思ってもついていけないのであった。
  そんなときによく遊んでくれたのが、牡のシーズー犬の「マーくん」である。マーくんは、おじいさんの自転車の前籠に乗り、籠の縁に前肢をかけて仁王立ちになり、威風堂々と公園に現れるのであった。
  イオも大きさでは、マーくんを越えていたのだが、さすがに牡の成犬の威厳があって、適当にあしらわれながら遊んでもらっていた。そしてときどきは、イオの体の大きさを持て余しては、イオを威嚇しておとなしくさせるのである。イオがどんどん大きくなっても、マーくんが兄貴ぶって、イオがついて歩くという関係は変わらないのであった。

   イオが2才になったころのある朝、私がイオを前抱きにして、つまり自転車のマーくんと同じ位の高さにして、公園にやってくるマーくんを迎えたことがある。この前抱きだっこがイオの特別のお気に入りになって、それから一年ほどの間、散歩の途中でしばしばせがむようになったのである。とくに、他の犬に出会った後でせがむことが多いのであった。「マーくんの真似して、高いところで威張っているんだね」と妻と笑っていた。
  マーくんよりずっと大きくなったイオは、それでも逆らえないマーくんとの関係に不満を持っていたに違いない。前抱きだっこされて、高いところから見下ろすと、少し威張れる感じがして、その不満を解消していたらしいのである。

  つまり、大げさに言えば、マーくんとの関係で生じる抑圧感情を、町内のシーズー犬にぶつけることで、解消していたのではないかと考えられるのだ。シーズー犬と出会うと、マーくんを思い出し、子分扱いされた自分を思い出し、いや、そんなふうにに順序立てて思い出すことはないだろうが、記憶のなかのマーくんにまとわりついている漠然とした不満のような気分に駆り立てられているのだろう。
  7才ぐらいになると、マーくんは公園にやってこなくなったのだが、イオはほかのシーズー犬を見ては、好ましくない形で思い出しているようなのである。

  残念ながら、自転車の前籠で威風堂々とふんぞり返っていたマーくんの写真は、いくら探しても見つからなかった。

橋上の
一匹と一人

 朝日に背を押されて公園散歩からの帰路。

(2011/12/11)


             朝光を走る磨かれた凡な犬  金子兜太 [6]


(2012/2/22)
  1. 「わが愛する俳人 第二集」(有斐閣 1978年) p. 211。
  2. 大口玲子歌集「海量(ハイリャン)/東北(とうほく)」(雁書館 2003年) p. 153。
  3. 加藤典洋によれば、旧仮名遣いから新仮名遣いへの転換を厳しい思想的課題として引き受けた文学者もいる。大岡昇平である。加藤典洋(『敗戦後論』(講談社、1997年))の引用からの再引用。
    「現代かなづかいは矛盾に満ちた、早産児であった。それは決して国語審議会の連中の発明品ではなく、輪郭は明治三十八年で出来上がっていたものであった。敗戦のどさくさまぎれに充分検討することなく、提出されたものにすぎない。 /(中略)/ 「現代かなづかいは」は批判者の意見を取り入れた改正を加えて、用いるほかはない。わが国が敗戦の結果背負わされた十字架として、未来永劫に荷って行くほかはない。」(強調は筆者)
  4. 「続続吉原幸子詩集」(思潮社 2003年) p. 52。
  5. 安西冬衛「世界名詩集大成 日本II」(平凡社 昭和34年) p. 314。
  6. 「金子兜太集 第一巻」(筑摩書房 平成14年) p. 147。